1954年に公開された『ゴジラ』の中で、志村喬演じる山根博士はゴジラについてこう説明する「ジュラ紀の時代に生息していた巨大が度重なる水爆実験によって安住の地を追われ、
ゴジラが果たしてどの水爆実験で誕生したかは明らかになっていない。
だが『ゴジラ』という映画を生み出した水爆実験なら明らかだ。
ブラボー実験
それはアメリカが1954年にビキニ環礁で行ったテラー・ウラム型水素爆弾実験(ブラボー実験)だ。この実験は計6回行われた、キャッスル作戦と呼ばれる核実験の一つであり、キャッスル作戦の中で最も有名なものだ。
ブラボー実験が有名な理由は、なんといっても第五福竜丸事件を起こしたからだろう。
第五福竜丸事件
1954年3月1日、遠洋マグロ漁船であった第五福竜丸はアメリカが指定していた「危険区域」の外にいたものの、水爆実験による放射線降下物質を浴び、乗組員23名全員が被曝した。
この第五福竜丸は、現在「第五福竜丸展示館」に展示されている。第五福竜丸展示館の公式サイトでは、ブラボー実験と第五福竜丸について詳しく書かれているが、第五福竜丸が爆心地より160キロ離れた場所で操業していた時に、突然西の方に閃光が見え、地鳴りのような爆発音が船を襲ったという。
乗組員は核実験によって生じた大量の死の灰を長時間にわたって全身に浴び続けた。それは目も口も開けられないほどの量であり、時間にして4、5時間の間、死の灰を浴び続けた。
さらに、日本へ帰港するまでの二週間、乗組員は放射能汚染のある船体で生活し続けた。彼らの体には火傷や頭痛、嘔吐などの急性放射線症状が現れていたという。
もちろん、これらの放射性物質を浴びたのは人間だけではない。彼らの獲ったマグロも同様に放射性物質を浴びた。そして、第五福竜丸以外にも数百隻のマグロ漁船が同じ被害に遭っていた。
原爆マグロ
第五福竜丸の事件は1954年3月16日の『読売新聞』夕刊によって初めて報じられた。
第五福竜丸の事件は単に日本人が再び核の犠牲になったという事実にとどまらない衝撃を国民に与えた。
被害に遭ったマグロ漁船の獲ったマグロは、放射線汚染されており、流通することなく遺棄され、埋められた。それでも、マグロを通して、一般国民も放射能汚染の被害を受けるのではという恐怖は大きかった。こうしたマグロは「原爆マグロ」と呼ばれた。
また、当時日本に降り注いだ雨の中にも放射性物質が混ざっていたことも忘れてはならない。
北海道から沖縄に至るまで、全国各地で雨水から放射性物質が検出された。1954年の2月には厚生省が「水道、野菜を詳細に調査し、特に野菜についてはよく洗ってから調理するよう指導せよ」との指示を各都道府県の知事に出している。
第五福竜丸事件をはじめとして、ブラボー実験は、日本全体に改めて強い核への恐怖をもたらしたのだ。
第五福竜丸から『ゴジラ』へ
『ゴジラ』のそもそもの企画もこの第五福竜丸の事件を受けてのものだ。『ゴジラ』プロデューサーの田中友幸は「ビキニ環礁に眠る恐竜が水爆実験で目を覚まし、日本を襲う」という物語を着想した。また『ゴジラ』で特技監督を務めた円谷英二はそれとは別に「クジラのような怪物が日本を襲う」というアイデアを以前から温めていた。そこには戦争の恐怖を怪物映画を通して描きたいという円谷英二の思いがあった。この2つの企画が合わさり、『ゴジラ』に結実する。
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その視点から『ゴジラ』を観ると第五福竜丸事件との共通点が多いことに気付かされる。
まず最初にゴジラの犠牲になるのは第五福竜丸のような遠洋漁業の漁船であり、その海域にいた漁船はどれもゴジラの被害を受けている。
そして、放射能を含んだ雨と原爆マグロで日本本土も核の恐怖に晒されたように、ゴジラもまた日本への上陸を果たす。水爆実験でも生き延びたゴジラに戦車も高圧電流も効かない。山根博士は「ゴジラを殺すことは不可能」と看破する。
ゴジラは核兵器のメタファーでもある。ゴジラの製作者がいかに原爆の恐ろしさ、水爆の恐ろしさをゴジラという生物に込めたのかがわかるだろう。
その点、ハリウッドで製作された『GODZILLA』は映像こそ度肝を抜くものであったが、肝心のゴジラは米軍の攻撃にあっさり死に絶えてしまう、「人間が倒すべき障害」でしかなかったと言える。
このことが被爆国とそうでない国の核兵器に対する認識の違いなのかもしれない。
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広島原爆の1000倍
しかし、なぜブラボー実験はこれほどまでの被害を生んだのか。
当初、ブラボー実験で使用される核の威力は6メガトンと想定されていた。だが、当初は反応に関与しないと思われていたリチウム7が反応に関与したことにより、核分裂が促進され、実際の威力は15メガトンとなった。
この威力は、広島に投下された原爆の1000倍もの威力だったそうだ。
ブラボー実験を行なった島は、爆発の衝撃で消えてなくなり、海底には深さ120メートルのクレーターができたという。
オッペンハイマーの危惧
ここで少し原爆の開発史にも目を向けてみよう。その参考としてクリストファー・ノーラン監督の『オッペンハイマー』を観てみよう。『オッペンハイマー』原爆開発の中心人物であったロバート・オッペンハイマーが主人公だ。
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オッペンハイマーは
トリニティ実験、そして広島・長崎での原爆の被害を知ったオッペンハイマーは、戦後は一転して反核運動家になった。
水爆を開発したのは、かつてロスアラモ研究所て同僚だったエドワード・テラーだ。水爆は原爆よりも数百倍の威力を持つと言われる。
オッペンハイマーはトリニティ実験において、自らの開発した原爆の威力に恐れ慄いたが、テラーは「なんだ、こんなちっぽけなものか」と感じたという。そしてテラーはオッペンハイマーとは対称的に水爆の開発を推し進めた。そこには当時の冷戦の中でソ連より優位に立ちたいという政府の後押しもあった。
最後の犠牲者
第五福竜丸の事件では、無線長の久保山愛吉が被爆し、その後亡くなっている。よく久保山を第五福竜丸の乗組員の中で最も年配だったとさる記述があるが、それでも40歳であり、社会全体から見れば、十分に若いともいえる。
「原水爆の犠牲者は、わたしを最後にしてほしい。」
久保山の最期のこの言葉は非常に有名だ。
久保山の死因だが、日本では放射能とされており、アメリカでは放射能ではないとされている。ちなみに直接的な死因は肝炎であると病理解剖で判明している。だが、放射能とは関係がないわけではない。急性の放射線障害の出ていた久保山は全血液を輸血で入れ替えたため、放射線障害の影響が生命に及ぼすより前に血液感染で肝炎になった可能性が高いと考えられている
安全な原子力はあるのか?
興味深いのは第五福竜丸の事件によって、原子力そのものにNOが突きつけれたわけではないということだ。
参考に、第五福竜丸の事故から2週間後の読売新聞を見てみよう。
乗組員の言葉を紹介した後、次のように締めくくられている。 「『モルモットにされちゃたまらぬ』という増田君の叫びもあたりまえだ。しかし、いかに欲しなくとも、原子力時代は来ている。近所合壁みながこれをやるとすれば恐ろしいからと背を向けているわけには行くまい。克服する道は唯一つ、これと対決することである。 恐ろしいものは用いようで、すばらしいものと同義語になる。その方への道を開いて、われわれも原子力時代に踏み出すときが来たのだ―。」(『読売新聞』夕刊、1954年3月21日)
読売新聞に限らず、社会一般も原子力の平和利用を盛んに唱えていた。
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冒頭に紹介した山根博士もそうだ。博士は当初はゴジラを殺すことに反対し、決して死なないゴジラの生命力を研究することを盛んに主張していた。しかし、ゴジラがもたらしたあまりの惨禍を目の当たりにし、ゴジラは殺す必要があるとその意見を一変させる。
そして、『ゴジラ』公開から57年後に起きたのが東日本大震災だ。 ここにきて、原子力の平和利用は幻想ではないか。そんな空気が日本を覆った。
そんな問題を背負って再び作られたゴジラ映画が『シン・ゴジラ』だ。
日本人が原子力とともに生きている限り、ゴジラ映画は作られ続けて行くのだろう。
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