ディストートゥスレックスとは? 怪物と生物の境界線

ジュラシック・ワールド』の解説でも書いたのだが、『ジュラシック・ワールド』以降の『ジュラシック・パーク』シリーズはだんだん恐竜映画とは離れたものに向かっているのではないかという思いが拭えない。
インドミナス・レックス、インドミナス・ラプトルなど、遺伝子の組み合わせによって全くオリジナルの恐竜を登場させてしまったら、「自然に対する人間の驕り」という『ジュラシック・パーク』から続くテーマが薄らいでしまうのではと感じるのだ。

自然を支配するとは?

ジュラシック・パーク』にあったのは、恐竜達を現代社会に蘇らせ、さらには遺伝子操作によってその命さえも支配できると過信してしまった人間たちへの恐竜の逆襲だ。
ホモ・サピエンスが登場して、まだ数万年だが、恐竜たちはその何百倍もの間、地球に君臨し続けた。まして私たち人間が今のような知能を手に入れてからはたかだか数千年、いや数百年ではないか?そんな私たちになぜ自然を完全に支配することなどできるだろう?

だが、人間の歴史は自然をコントロールしようとする試みそのものではなかったか。
例えば農耕などは先史時代から自然を支配しようとした一例と言えるだろう。
『ジュラシック・パーク』のなかで、考古学者のアラン・グラントは恐竜が人間を襲うことについて「肉食だから仕方ない」と述べている。『ジュラシック・パーク』において、恐竜たちはモンスターとして描かれてはいない。れっきとした「生物」として描かれている。つまり、恐竜たちは自然の一部であり、人間が支配しようとしたものの一つである。

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まずはこのことを前提として、最新作『ジュラシック・ワールド/復活の大地』に登場する、架空の恐竜「ディストートゥス・レックス」について見ていこう。

ディストートゥス・レックス

ディストートゥス・レックスを一目見て思うのは、それまでのインドミナスにあった「見た目のかっこよさ」よりも「生物としての歪さ」、「不気味さ」が前面にでていることだ。
ディストートゥスという名前はディストートゥス(Distortus)は「歪み」を意味している(ギターの歪み系エフェクターである「ディストーション」と同じだ)。
監督のギャレス・エドワーズはディストートゥス・レックスの姿形について『エイリアン』のゼノモーフと『スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還』のランコアを参考にしたという(個人的にはゼノモーフよりコブダイに似ていると思うのだが)。
「まるで、T-Rex が H. R. ギーガーによってデザインされ、その全体がランコアとセックスしたようなものだエドワーズはディストートゥス・レックスについてこのように述べている(今さら説明するまでもないが、HRギーガーは『エイリアン』のデザイナーだ)。

生命は道を見つけるべきではなかった

さて、このディストートゥス・レックスだが、そのアイデアのきっかけはスピルバーグと脚本を担当したデヴィッド・コープ(コープは『ジュラシック・パーク』とその続編である『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク』でも脚本を務めている)によるものだ。
コープは当初『ジュラシック』シリーズへ復帰する気はなかったというが、『ジュラシック・ワールド』で遺伝子操作によって、でより巨大な恐竜(インドミナス)がを観て、「こうした遺伝子操作がうまく行く恐竜ばかりではないはず」と感じたという。それがディストートゥス・レックスになった。
コープはそんなディストートゥス・レックスについて「生命は時に道をみつけるべきではなかった」と述べている。

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確かにディストートゥス・レックスは大きな頭と腕は4本、足は蛙のようになっており、恐竜というよりはやはり「怪獣」に思える。
ハリウッド映画を振り返ると、実はこういうモンスターが登場する作品はあまりない。『ゴジラ』の元にもなった『原子怪獣現わる』や、など、自然界の生物がそのまま巨大化した生物がモンスターとして描かれている作品が多くを占めているのではないだろうか。スピルバーグの出世作である『ジョーズ』も巨大なホホジロザメを凶暴なモンスターとして描いた作品だった(これには原作者のがあまりホホジロザメの実態を知らないまま執筆したという面も大きいが)。

そう考えると、『ジュラシック・ワールド/復活の大地』におけるディストートゥス・レックスの役割も見えてくる。それは「怪物として存在すること」だ。

ギャレス・エドワーズの自然観

ギャレス・エドワーズは自然をモンスターとして捉えてはいない。ハリウッド版ゴジラがを例に比較すると、ローランド・エメリッヒが監督した1998年の『GODZILLA』はイグアナが核実験によって被爆、巨大化した生物だった。全体的に低評価となってしまった作品だが、中でも米軍の通常ミサイルであっけなく倒されてしまう最期には酷評の声が多く集まった。一方、ギャレス・エドワーズが監督した『GODZILLA ゴジラ』は世界中から高い評価を受けた。幼い頃からのゴジラファンであったエドワーズは、ゴジラが単なる巨大な生き物ではないことをよく理解していた。かといってただの怪物でもない、いわば不動明王のような怒れる神、それがゴジラだ。
逆に怪物や生物といったモチーフは敵怪獣であるムートーが担っている。個性的な禍々しいフォルムと、雌雄がつがいとなり繁殖するという演出からもそれは明らかだ。

『ジュラシック・ワールド/復活の大地』にもティラノラウルスやモササウルス、スピノサウルスなど、様々な恐竜たちが登場する。それらは怪物のように見えるが、実際は自然の一部であり、自ら(自然の世界)のテリトリーを侵そうとした人類への自然の番人のようにも思える。そこに登場する本物の怪物がディストートゥス・レックスと言えるだろう。
スピルバーグもギャレス・エドワーズも、おそらく自然をそのまま怪物として表現することには抵抗があったに違いない(そもそも『ジュラシック・パーク』はそのような価値観の作品ではない)。
ただ、ギャレス・エドワーズは遺伝子実験で失敗作とされながらも生かされ続けてきたディストートゥス・レックスについて「哀しさも感じてほしい」と述べている。

まるで『ジュラシック・ワールド』を舞台にした『フランケンシュタイン』ではないか。
『フランケンシュタイン』はホラー小説であると同時に、科学倫理や人間の身勝手さというテーマもある。それらは『ジュラシック・パーク』から続くシリーズが一貫として描き続けたテーマだ。

最新作『ジュラシック・ワールド/復活の大地』ではそれがどのように表現されるのか、期待しておきたい。

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BLACK MARIA NEVER SLEEPS.

映画から「時代」と「今」を考察する
「映画」と一口に言っても、そのテーマは多岐にわたる。
そしてそれ以上に観客の受け取り方は無限大だ。 エジソンが世界最初の映画スタジオ、通称「ブラック・マリア」を作った時からそれは変わらないだろう。
映画は決して眠らずに「時代」と「今」を常に映し出している。

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