様々な事情で公開まで辿り着かなかった幻の映画がある。
有名なのはアレハンドロ・ホドロフスキーの『DUNE』だろう。
フランク・ハーバートのSF小説の傑作『DUNE』を原作とした作品で、もし実現していればデヴィッド・リンチやドゥニ・ヴィルヌーヴに先駆けて『DUNE』の映画化となったはずだ。『エル・トポ』のアレハンドロ・ホドロフスキーが手掛ける『DUNE』はどのような作品になったのか。
2013年には制作の様子から挫折、後世の影響までを描いた『ホドロフスキーのDUNE』というドキュメンタリー映画が公開された。
いかに今作が期待され、注目を集めていたかが分かる。
この作品をあの監督が手掛けていたらどうなっていたのか。
そんな風に今もファンを惹きつけて止まない、幻の作品が『押井守版ルパン三世』だ。
『押井守版ルパン三世』に至るまで
宮崎駿監督が手がけた『ルパン三世 カリオストロの城』は劇場公開時こそ失敗してしまったものの、テレビで再放送される中で、高い評価を得ていた。そこで『ルパン三世』の次回の劇場版に関しても、宮崎駿へ依頼があったという。
しかし、宮崎駿はこれを断り、代わりに押井守を推薦した。当時TVアニメ『うる星やつら』のヒットで頭角を現していた押井守は、映画『ルパン三世』のテーマを「虚構」とし、ルパンは存在しなかったという結末を提示した。
なぜか。それは実社会においても高度経済成長期が終わり、豊かになった時代には泥棒というルパンのキャラクターは成立し得ないという思いがあったからだ。
すでに『カリオストロの城』の製作段階で宮崎駿にはその思いがあり、そのためにルパンは何も盗まずに、クラリスの心を盗むという形に収めている。
押井守も同じ考えだったが、宮崎駿と同じ手は使えない。そこで「ルパンは存在しない」という設定にしたという。
押井守の構想していた『ルパン三世』の内容はネットにある程度は書かれている。かいつまんで見ていこう。
『押井守版ルパン三世』のあらすじ
冒頭では狂気を持った建築家が東京のど真ん中にバベルの塔のようなものを建て、完成した当日にそこから飛び降り自殺をする。
『押井守版ルパン三世』のルパンは泥棒という稼業に虚しさを感じ始めている。
「この時代に一体何を盗むのか?」
しかし、彼のもとにある少女から「天使の化石」を盗んでほしいという依頼が来る。天使の化石とは、現実と非現実の間にあるようなもので、アフリカで発見された後にナチスドイツやイスラエルに渡り、今は日本に持ち込まれているという。
少女はある建築家の孫だという。しかし、その建築家が作った塔では殺人事件が起きており、現場の写真にはその少女のものと思われる手も映っていた。
少女の正体は建築家の孫ではなくいたずらに人を殺す天使だった。
ルパンは天使の化石を見つけることに成功するが、それは化石ではなくただのプルトニウムだった。ルパンが化石に触れたとたん、東京は核爆発で壊滅する。
しかし、爆発はフェイクで爆弾は偽物だった。つまり、ルパンも偽物で存在しなかったのだ。
『押井守版ルパン三世』の簡単なあらすじは以上になる。簡単とは言ってもその内容は難解だ。『押井守版ルパン三世』の脚本はプロデューサーから却下され、押井守も監督から降板し、この企画は消滅してしまう。
虚構を盗む
押井守が構想した「虚構を盗む」とはどういうことだろうか。言うまでもなくルパン三世は実在しない。モンキー・パンチが作り上げた架空のキャラクターである。ルパンにとって虚構を盗むということは、自分自身を否定することと同じだ。自分は存在しないと認めてしまうことだ。
ではなぜ、天使の化石はプルトニウムだったのか。個人的な考察だが、それがまさしく現実と非現実の間にあるものだからだと思う。現実と非現実を生と死に言い換えれば理解しやすいだろう。
私たちが生きるこの世界は実体だが、そう実感できるのは私たちが生きているからだろう。死後の世界は今のところ誰も証明できない概念の世界だ。それを果たして実体と呼べるだろうか?生きている我々には不可能派なはずだ。
加えて、原爆は今のところ、それ一つで最も大きな破壊力を有する大量破壊兵器だ。原爆一つで世界が消滅するわけではないが、今のところ最もそれに近い兵器だと言えるだろう。
ちなみに、世界というのも実は概念であることを付け加えておこう。情報や交通手段が発達した現代、我々にとって世界という概念は地球規模のことになるが、昔は情報もなく、生涯を生まれた地域で終える人々も少なくなかったはずだ(江戸時代には藩を勝手に抜け出すことは脱藩という罪でもあった)。
そういう人々にとっては世界とは暮らしている地域のことであり、原爆は世界を破壊するには十分すぎる威力だとも言えるだろう。
『太陽を盗んだ男』
さて、このあらすじから一つの作品との共通点を見出すことができる。
1979年に公開された長谷川和彦監督の『太陽を盗んだ男』だ。
『太陽を盗んだ男』は沢田研二演じる無気力な高校教師、城戸誠が主人公だ。そんな彼は突如として原爆を作り始める。そして完成した原爆を盾に自らを「9号」と名乗り(9番目の核保有国ということだ)、日本政府を脅迫する。
ここで強調したいのは城戸には原爆を作ってまで叶えたい理念を持ち合わせていないことだ。城戸が日本政府に突きつけた要求は「ナイターを最後まで延長すること」と、「ローリング・ストーンズの日本公演を実現すること」だった。
押井守も沢田研二演じる城戸と同じ「しらけ世代」に属する。城戸もまたルパン同様、虚しさと虚無を抱えて生きている。城戸に生の実感を与えるのはそこらに溢れるモノではなく、原爆だった。
つまり、押井守が構想した『押井守版ルパン三世』の虚構、虚しさは当時の多くの人々が抱えていたかもしれないということだ。
押井守は2021年にTVアニメ『ルパン三世』の脚本を担当する。その中の一話『ダーウィンの鳥』は押井守の世界観が濃厚に漂う作品に仕上がっている。
『ダーウィンの鳥』の意味
『ダーウィンの鳥』は不二子が大英博物館である化石を見つめているところから始まる。始祖鳥の化石だ。
そして、博物館から出て車に乗り込む。そこには一人の男がいた。その男は自身の名をミハイルと名乗る。
「そう、ミハイルとでもしておこうか。何ならミシェルでもマイケルでもかまわないが」
言うまでもなく、どれも大天使ミカエルを意味している。
男の屋敷に到着すると、会話の内容は始祖鳥の話になる。始祖鳥はいわば恐竜と鳥の中間に位置するような生物で、ダーウィンの進化論を証明するような存在だ。
しかし、ミハイルは始祖鳥の化石には捏造の疑いがあるという。
「始祖鳥は真贋のあわいの鳥。だからこそ美しい」
ミハイルはそう言う。聖書は進化論を認めていない。人間は猿から進化したのではなく、神が自身の姿に似せて作った生物とされている。
ミハイルは、雇い主の依頼で藤子に本物の始祖鳥の化石を盗んできてほしいと依頼する。
不二子はルパンや次元に仕事を依頼するが、次元は無下に断り、ルパンも「やめといたほうがいい」と言い残し、その場を後にする。
不二子一人で大英博物館へ侵入したところにルパンが登場する。不二子は始祖鳥の化石を発見するが、ルパンは本当の化石は始祖鳥のものではないという。ルパンが隠された扉を開けると巨大な化石が登場する。それはかつて神に逆らい、天国を追放された堕天使ルシファーの化石だった。
「私の主人が望んだものは、天界から堕ちて『彼』の不興を買ったものの回収だ」
そうルパンは言う。だが、その声はルパンではなく、ミハイルのものだった。
不二子は大英博物館を後にし、ミハイルに今回の依頼は断ると伝える。ミハイルは笑みを浮かべ、二人は別れる。
歩き出した不二子の頭上に白い羽を持つ鳥が羽ばたいていくのであった。
『押井守版ルパン三世』と『ダーウィンの鳥』の関連性
『ダーウィンの鳥』はこれで幕を閉じるが、ここからは『押井守版ルパン三世』と『ダーウィンの鳥』の関連について考察していきたい。
まず、劇中に登場する『天使の化石』というモチーフは押井守版ルパン三世とも共通している。そして、始祖鳥の化石が本物か捏造かという話は、まさに盗もうとするお宝が現実と非現実、実体と虚構の境にあることを示している。
他にもまだ『押井守版ルパン三世』との共通点がある。ルパンはいない、という部分だ。今作ではルパンはいないわけではないが、不二子の後を追って大英博物館に忍び込んだ後のルパンはミハイルが化けてものだろう。ルパンが今回の始祖鳥の化石の盗みに対して否定的な割には、不二子に協力して博物館への侵入まで行っている点、またルパンが、天使の化石を前にした時のセリフとなによりその声がそれを如実に物語っている。
加えて、この話は実はループなのではないかという考察がある。不二子が大英博物館で始祖鳥を見つめていた冒頭部と、ルシファーの化石を見つけたあとのシーンはほとんど同じなのだ。
それだけならただ似通った演出とも考えられるが、館内のスタッフが不二子に掛ける声も全く同じなのだ。
押井守は『ダーウィンの鳥』について「『ルパン』も“永遠の日常”を変えたいと思っているのかもしれない」とコメントしている。
押井守が手がけた映画『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』は正にこの繰り返される日常がテーマであり、あたるたちは文化祭前日の一日を何度もループしている。
繰り返される日常とその打破は昔からの押井作品のモチーフでもある。
『押井守版ルパン三世』はループの話ではないが、そもそも『押井守版ルパン三世』が目指したものは、ただ繰り返し消費されるだけのルパン三世というコンテンツをそのループから外れさせ、当時の世紀末的とも呼べる時代性とともに引導を渡すことではなかったのか。
虚構を食いつくす人々
だが、本当の世紀末化は映画の公開後に始まった。
『押井版ルパン三世』は1985年の夏に公開される予定だった。同じ年の秋にはドル高を抑制するためにプラザ合意がなされる。
プラザ合意をきっかけに、公定歩合は引き下げられ、土地への過剰な投資が始まる。
バブルは実体経済を離れた虚構に人々が群がって形成された。虚構すらも人間の欲望は食い尽くしたのだ。
もし、その前にルパンが虚構を盗んでいたら、と『押井守版ルパン三世』に思いを馳せてしまうのである。