1984年に公開されたロブ・ライナー監督のカルト映画『スパイナル・タップ』。
架空のロックバンドであるスパイナル・タップのツアーを撮影したというモキュメンタリー、いわゆる疑似ドキュメンタリー映画だ。
いわゆる「ロックバンドあるある」を時に真面目に時に可笑しく盛り込んだ本作は世界中でカルト的な人気を博している。
特筆すべきは何といっても本物のロックミュージシャンに本作が熱烈に支持されているということだ。
ミュージシャンからの評価
真剣にロック・ミュージックに取り組んでいる人なら、ロックを笑いのネタにするなど言語道断だろうが、『スパイナル・タップ』はそうならずに、多くのミュージシャンから愛された。『スパイナル・タップ』はその可笑しさ含めてリアルだったからだ。
元メガデスのマーティ・フリードマンは「『スパイナル・タップ』はアメリカのロックミュージシャンの聖書のような存在」と言い、ポリスのスティングは本作を50回観賞したと明かした上で「リアル過ぎて泣いていいのか笑っていいのかわからなかった」と述べている。
他にも元ドッケンのギタリスト、ジョージ・リンチは『スパイナル・タップ』。観て「これは俺たちだ!彼らはどうやって俺たちについての映画を作ったんだ?」と言ったという。また元ミスフィッツのグレン・ダンジグはスパイナル・タップをミスフィッツと比較し、「ねえ、これ俺たちの古いバンドだ」と述べた。
また、U2のギタリスト、ジ・エッジは『スパイナル・タップ』を初めて見たとき、「私は笑わなかった。私は泣いた」と語っている(ちなみにエアロスミスのスティーブン・タイラーは『スパイナル・タップ』のあまりのリアルさに「本当のことを茶化しやがって」と怒ってしまったらしい)。
もちろん、日本のミュージシャンの間でも『スパイナル・タップ』は愛されている。
筋肉少女帯の大槻ケンヂは『スパイナル・タップ』について「バンドマンとしてこれほど身につまされて爆笑させられて泣かされるロックバンドあるある映画は他に無い」と述べ、『スパイナル・タップ』はロックバンドをテーマにしたどの映画よりもリアルだと評している(ちなみに次点はキャメロン・クロウ監督の『あの頃ペニー・レインと』らしい)。
ラウドネスのボーカリスト、二井原実は『スパイナル・タップ』で描かれたエピソードに近いことをバンドマンは数々経験していると述べている。
目盛りが11まであるマーシャル
『スパイナル・タップ』の有名なシーンとして、ギタリストのナイジェルがツアーに同行しているドキュメンタリー映画監督であるマーティン・ディベルギー(演じているのは実際に『スパイナル・タップ』を監督したラブ・ライナー)に「本番で使うものではこれが最高だ」とアンプの自慢をする場面がある。
「見ればわかるが、レベルが11まであるんだぜ」
普通、目盛りの最大数は10だが、ナイジェルのアンプは目盛りが11まであり、その分大音量が出せるのだ。
しかし、マーティンは「10の時の音量をもっと大きくしたら?」ともっともな指摘をし、ナイジェルが黙り込んでしまうシーンが有名だ(ちなみにアンプの音量はそのアンプのワット数に比例するので、マーティンの指摘の方が現実的なのだ)。
おそらく、ナイジェルが使っているアンプははマーシャルの1959JMP100というモデルだ。末尾の100はワット数を表している。
余談だが、ナイジェルが紹介したようなヘッドアンプのタイプであれば、マーシャルのラインナップの中でも100ワットが最大であり、それより大音量を求めるとなると、どうしても改造は必要になる。
さて、今回はこのナイジェルが愛用しているギターアンプのブランド、マーシャルを紹介したい。
マーシャル
マーシャルの名を知らなくても、その外見は一度は目にしたことがあるだろう。
マーシャルは1962年、ジム・マーシャルによって設立された。ジムは元々はドラマーであり、ドラム教室を開くほどの腕前だったという。1960年にドラム・ショップをオープンすると、そこには多くのドラマーとそのバンドメンバーが集まるようになった。その中にいたのがピート・タウンゼントやリッチー・ブラックモアなどのギタリストだ。
彼らのリクエストでギターアンプの取扱いも始めるようになったことがジムの人生を大きく変えることになる。
その頃取り扱っていたメインのアンプはFenderのアンプだった。しかしアメリカのメーカーであるFenderはイギリスでは高い関税がかかり、非常に高価な商品になってしまっていた。そこでジムはFenderのBassmanを参考に自分の手でアンプを作ることを決める。従業員やエンジニアとの試行錯誤の末、1962年にマーシャルとしての最初の製品JTM45であった。
JTM45は現行のマーシャルアンプのような歪みサウンドを得ることはできないが、マーシャルはピート・タウンゼントらのリクエストを受け、大音量化やディストーションサウンドへ向けた商品も開発していく。そのような中でジミ・ヘンドリックスやエリック・クラプトン、ジミー・ペイジなど有名なミュージシャンが続々とマーシャルのアンプを使用するようになった。
まだ音響技術が未熟だった時代、スタジアムなどの大規模会場でライブをやらねばならなかったロックミュージシャンはマーシャルのアンプを壁のように並べてとんでもない爆音で演奏していた。
壁のようにそびえるマーシャル・アンプの様はいつしか「マーシャル・ウォール」と呼ばれるようになり、PAなどで音響管理が容易になった今でも、マーシャル・ウォールはロックミュージシャンの様式美として(裏面が何も無いハリボテの場合もあるが)ステージに存在し続けている。
私もマーシャルアンプを持っているが、印象としては荒々しいというよりもむしろ細かく、かつ真空管を感じる暖かみのあるサウンドだ。
Up to eleven
ちなみにナイジェルの目盛りが11まであるマーシャルだが、その後実際にボリュームが11まであるマーシャルを特注したギタリストが絶えなかったという。英語の慣用句にはナイジェルの「見ればわかるが、レベルが11まであるんだぜ」という言葉を元にした「Up to eleven」という言葉がある。意味は「最大音量」であり、現在では英語文化の中で広く浸透しているという。
ちなみに実際にマーシャルは1990年に目盛りが11どころか20まであるアンプを発売している。
その広告に起用された人物、それは言うまでもなく『スパイナル・タップ』のナイジェルだ。