何回かこのサイトでも言っているが、私は日本の歴史教育には一言言いたいことがある。
とは言っても自虐史観が〜ということではなく、なぜ政治史、戦争史だけを中心にした歴史しか教えていないのかということだ。
私たちの生活により強い影響を与えるもの
確かに政治が生活に関わらないことはない。もし私達が参政権を行使しなかったとしても、政治は私たちの暮らしに関わってくる。
だが、私たちの生活により強い影響を与えるのは文化や文明ではないのか?
例えば与党が下野しようが、消費税が数%増えようが、食卓に並ぶものはあまり変わらないだろう(今のような超円安であれば多少変わるだろうが)。
だが、文化が変われば食卓に出てくるものも変わる。欧米との交流がなかった江戸時代に食卓にショートケーキが並んだことはないだろう。
また、流通技術の向上や、農作物の生産力向上無しには今のように日本の端から端までで白米を常食とすることもできなかっただろう。
『侍タイムスリッパー』の握り飯
2024年に公開された『侍タイムスリッパー』は幕末から現代にタイムスリップした武士が白米の握り飯に感動するシーンがある。
武士の名は高坂新左衛門。会津藩士であり、幕末の京都へ藩命を受けて、維新志士の暗殺を依頼される。しかし、激しい斬り合いの最中、気づくと高坂は現代の日本へタイムスリップしていた。
高坂は徳川が薩摩や長州を始めとした倒幕勢力に敗れてしまったことを知り、愕然とするも、現代の日本の豊かさを知り、歴史の選択は決して間違いではなかったと思うに至る。
その象徴が高坂が白米の握り飯に感動するシーンなのだ。
安田淳一監督は米農家でもあり、この握り飯も安田監督の生産した米なのだそうだ。だからか、このシーンにはとりわけ力が入っている気がする。高坂の白米への称賛がなんというか、演技の範疇を超えているような気さえする。
実は「武士が白米に感動する」このことだけでも、高坂という武士がどのような身分であったか、またどこで暮らしていたかが見えてくる。
白米から見える江戸時代の暮らし
今は日本の端から端まで白米を食べることができるが、実はそれが実現したのは思うよりもずっと最近、高度経済成長期の頃であるという。それまでは田舎の山間部ではかて飯と言われる、米の消費を抑えるために、米に安価な雑穀や野菜、芋類などを混ぜて炊いたものが主食だった。
元禄以降の江戸時代後期においては、全国からあらゆるものが集まってくる江戸では、庶民まで白米を食べることができた。「麦飯食うくらいなら死んだ方がまし」という言葉さえあったそうだ。
この江戸での白米の消費具合は実際に脚気が「江戸患い」と呼ばれていたことからもわかる。脚気の主な原因はビタミンの不足だが、玄米や雑穀に多く含まれるビタミンが精米された白米だけだと不足してしまう。精米で除去する糠や胚芽にビタミンは多く含まれているからだ。江戸時代当時はまだビタミンなどの概念がなく、「江戸患い」は原因不明の奇病として恐れられたという。一方、地方では雑穀や芋が主な主食だったようだ。
『侍タイムスリッパー』では、高坂は会津の出身だということはわかるものの、その身分については言及されていない。
だが、白米に涙せんばかりに感動する様子からは、彼の身分が下級武士であることが伝わっている。実際に、いくら武士とは言えど、下級武士の場合はその食事も庶民と変わらぬものだったという。
また、安田監督のインタビューによると、高坂は長男ではなく、次男か三男であり、家族の中でも長男とは扱われ方に明確な差があった(だからこそ暗殺のような危険な任務を命じられている)と設定なのだそうだ。
戦死者より多い、「江戸患い」の犠牲者
徳川幕府が終わり、明治を迎えても依然として白米は庶民の憧れであり続けた。例えば明治時代の日本陸軍は田舎で職が見つからない男子に対して「軍隊に入れば腹いっぱい白米が食べられる」と宣伝した。だが、明治の陸軍においてもやはり脚気が大流行する。
なんと日清戦争では4000人以上、日露戦争では2万7000人以上の陸軍兵士が脚気で命を落としている。これは戦争で命を落とす以上の数だった。その当時の陸軍の食事は副食に乏しく、しかし白米は一日に6合もあったという。
一方の海軍はというと兵隊の食事を白米から麦飯に切り替えており、日清戦争では脚気による死亡者ゼロ、日露戦争でもわずか三名にとどまったという。
まだビタミンの欠乏が脚気の原因と判明する前のことだったが、この時陸軍軍医を務めていたのが、『舞姫』などで知られる文豪の森鴎外だった。鴎外は東京医学校を卒業したあと、当時最先端の医学を誇っていたドイツに留学、帰国後は軍医として陸軍に務めていた。
エリート軍医であった鴎外は脚気の原因として細菌感染説にこだわったという。海軍が脚気を減らすことに成功すると、鴎外はプライドもあったのかますます細菌感染説に固執するようになり、それがかえって犠牲者を増やす結果になってしまった。
これはいかに当時の日本人に白米へのこだわりと憧れが強くあったかということでもあるのだろう。
ではここで一つ試してみてほしいことがある。米を指す言葉をできる限り思い浮かべてみてほしい。
米、ご飯、飯、白米、銀米、銀シャリ・・・パッと思いつくままに挙げてみたが、これほどたくさんの言葉があるのだ。どれだけ日本人が米を愛してきたかの証拠は言葉にも表れている。
ちなみに、英語ではすべて「rice」で表される。
『侍タイムスリッパー』で高坂が白米に感動する場面は一つの笑どころではあるものの、決して大袈裟ではないことが伝わるかと思う。
甘味への格別の憧れ
そして、高坂がもう一つ感動するのがイチゴのショートケーキだ。
当然江戸時代に和菓子や饅頭などの甘味もあったものの、庶民にとっては干し柿やサツマイモなどが一般的な甘味だった。
『美味しんぼ』には砂糖は18世紀までは高級品であり、全て輸入に頼っていたという。庶民にとっての甘いものは果物であったと書かれている。加えていうと、菓子という言葉も元々は果物を指しているそうだ。今も水菓子という言葉は果物を指すが、その名残りでもあるのだろう。
干し柿やサツマイモの素朴な甘さに比べるとショートケーキの甘さは強烈だ。生クリームやバターを用いたケーキが普及したのは戦後であるので、ここでは高坂のいう倒幕によって日本が豊かになったという文脈はやや意味合いが薄れる(ショートケーキの普及までには太平洋戦争の敗北を挟んでいるからだ)ものの、江戸時代以前のはるか昔から、日本人が甘いものに対して格別の憧れを抱いていたことを思わせるシーンでもある。
今回は『侍タイムスリッパー』から日本の食文化の歴史に若干ながらも触れてみたがどうだっただろうか。
歴史は教科書の内容だけが全てではない。こうしたエンターテインメント作品からも、様々な歴史の見方について、大きな示唆を受け取ることができる。それもまた映画の魅力の一つではないたろうか。