最近、中島らも氏の著作が好きで読んでいる。
中島らもについて軽く触れると、灘高出身という経歴ながら、その後はドラッグ中毒、アルコール中毒、鬱病などを患い、作家やミュージシャンとして活躍した人物だ。
特に『今夜、すべてのバーで』は彼自身のアルコール中毒の治療をもとに記した小説で、アルコール依存症が進行すると、ここまで人間は非道くなってしまうのかという実録ルポのような側面も持っている。とはいえ、そこは中島らも氏ならではのユーモアで少し切ないエンターテインメントに仕上がっているが。
アルコール依存症ということで言えば、ZIGGYのボーカリスト、森重樹一氏もそうだった。
つい最近、所属事務所と契約を解除したとニュースになっていたが、嘘が本当かステージ上でも酔っていたというコメントを見た。
実際に、自身の依存症を自覚、断酒を実行した後も、つい酒への誘惑に負け、飲んでしまったという森重氏自身のブログを見た。依存症というものが、個人の意志ではなく、れっきとした病気であり、完全に脱却することの難しさと哀しさが滲んでいた。
だが、アルコール依存だとか、その治療というニュースは日本よりむしろ海外のスター絡みでよく目にする。
俳優においても、ベン・アフレックやエヴァ・メンデス、ザック・エフロン、ブラッド・ピットをはじめとして、アルコール依存や依存症を克服するための施設に入所したという例は枚挙にいとまがない。
そのなかでも長い間アルコールでのトラブルが無かったブラッド・ピットが自身のアルコール依存を告白した時は大きな話題になった。
アンジェリーナ・ジョリーとの離婚騒動の原因はブラッド・ピットがアルコールで泥酔し、家族の暴力を振るってしまったことだった。
その後ピットはアルコール依存症の会に1年半通って、飲酒をやめることに成功したという。
なぜ海外ではアルコール依存症が多い?
ただ、今回考えたいのは、アルコール依存症についてではない。なぜ、海外ではアルコール依存症の人が多いのだろうという部分だ。
例えば、私は自分が観た作品に出演していた俳優のウィキペディアのチェックも行うのだが、日本の俳優に比べて、海外の俳優はその経歴にアルコール依存であったことが記されている割合が格段に多いのだ。この違いはなぜだろう?
人種による違い
最初は人種によって、アルコールに強くなりやすい体質、弱くなりやすい体質などがあるのかと思っていた。突飛な考えに思われるかもしれないが、例えば牛乳に含まれる乳糖を分解できない「乳糖不耐症」の人は白人よりもアジア系の人に多いと言われている。
このように、人種の違いによって摂取した物質への適不適が異なってくるのではないかと考えたのだ。
で、調べてみた。結論やはり人種による違いはあるようだ。
日本人のほうがアルコールに対して弱い(酔いやすい)人が多く、欧米人はアルコールに強い人が多いというものだった。つい早く酔いやすい人の方がアルコール依存になりやすそうだと思ってしまうが、実際にはアルコール依存症の多くは「アルコールに強い人」なのだという。強い分だけ多くのアルコールを必要とするので、その分アルコールに依存する体質になりやすいのだろう。
アルコール依存との向き合い方の違い
さらに、日本と欧米で興味深いのはアルコール依存との向き合い方の違いだ。実は日本もアルコール依存症の割合が少ないわけではない。
厚生労働省の発表によると、日本にアルコール依存症者数は109万人いるそうだ(平成25年推定値)。厚生労働省のウェブサイトには、アルコール依存症の定義として、「大切にしていた家族、仕事、趣味などよりも飲酒をはるかに優先させる状態」と記されている。前述のようにアルコール依存症者数は約109万人(平成25年推定値)だが、治療を受けている人は約4万3千人程度であるらしい。
やはり、それは自身がアルコール依存症であることを自覚するのが「恥ずかしい」という思いもあるのだろう。
ベティ・フォード
お笑い芸人のパックンマックンのパックン(パトリック・ハーラン)によると、アメリカは割とそうした依存症も公然とカミングアウトできる空気であるらしい。
そして、そのような空気づくりへのキッカケとして、第38代アメリカ合衆国大統領であるジェラルド・R・フォードの夫人、ベティ・フォードの存在を挙げている。
ベティ・フォードは、1918年4月8日にイリノイ州シカゴで誕生した。最初の結婚は1942年に家具セールスマンのウィリアム・G・ウォーレンとであったが、結婚から5年後に離婚、その後の1948年に下院議員候補であったジェラルド・R・フォードと結婚している。
フォードは1974年にニクソンがウォーターゲート事件に端を発するスキャンダルにより辞任したことから、副大統領から昇格して大統領に就任、そして1977年1月20日にジミー・カーターに敗れ、大統領を辞任している。ベティもまたフォードの大統領就任とともにファーストレディとなった。ベティは当時のファーストレディとしては自立した存在で、例えアメリカ合衆国大統領である夫と意見を異にするものであっても、臆することなく自分の意見を主張した。ベティは妊娠中絶の合法化を主張し、女性の権利の向上を推し進めた。フォードはカーターに敗れるが、その一因として、ベティが主張していた妊娠中絶の合法化に宗教的保守派が反発、彼らがカーターの支援に回ったことも挙げられる。
元々が奔放なベティは若い頃から飲酒を行っていた。日々のストレスをアルコールに逃避することでまぎわらせていたようだが、それでもファーストレディである期間は忙しさやもあり、アルコールに溺れることはなかった。だが、フォードか大統領の座を退くと、ベティは寂しさをまぎわらせるためにアルコールを求めるようになっていく。
1978年に彼女はアルコール使用障害と鎮痛薬への慢性中毒となり、家族によって治療入院させられることとなる。回復後の1982年にに彼女は薬物依存の治療機関、ベティ・フォード・センターを設立した。ファーストレディのアルコール依存症は大きな話題となったものの、一方でアルコール依存は恥ずかしいことではなく、れっきとした病気であることを多くの国民に広める契機にもなった。
今日、ベティ・フォードという言葉は、単に人名の意味のみならず、こうしたアルコール依存などの治療機関を表す一般名詞として使用されるまでに浸透しているという。
欧米と日本の依存症に対するスタンスの違い
前述のパックンの言葉によると、意外なことにアメリカよりも日本の方がアルコールに関する規制は緩く、日常の様々なところでお酒が出てくる機会が多いという。それによってアルコール依存になりやすい環境は整っているが、日本特有の「恥」の文化もあり、アルコール依存症を自覚し、症状と向き合い、治療するということには後ろ向きなケースが多いという。先にも述べたが、日本のアルコール依存症者数は約109万人しかし、その中で治療を受けている人は約4万3千人程度、つまり4%以下ということだ。
今回はハリウッドスターとアルコール依存症という、少し映画からは離れた話題になってしまったが、そこには欧米と日本の依存症に対するスタンスが改めて浮き彫りになったように思う。