『エイリアン: コヴェナント』エリザベス・ショウ博士はなぜ実験台になったのか?

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SFホラー映画の『エイリアン』シリーズにおいて、『プロメテウス』と『エイリアン: コヴェナント』はどちらも一作目の『エイリアン』の前日譚として製作されている。
監督はリドリー・スコット。リドリー・スコットは『エイリアン』の監督も務めており、シリーズへは実に32年ぶりの復帰となった。

劇中の時系列では、『プロメテウス』が『エイリアン』の年前、『エイリアン: コヴェナント』が『プロメテウス』の10年後という設定だ。
『プロメテウス』と『エイリアン: コヴェナント』では、登場人物もガラリと入れ替わる。共通しているのはアンドロイドのディヴィッドと、エリザベス・ショウくらいだが、エリザベスは『プロメテウス』では唯一生き残った人間でありながら『エイリアン: コヴェナント』ではすでに故人となっており、それどころか残酷でおぞましい実験の材料として解体されている。

なぜエリザベス・ショウ博士は実験台になったのか?

今回は『プロメテウス』と『エイリアン: コヴェナント』から、なぜエリザベス・ショウ博士は殺されたのか?そして、なぜ彼女は実験体となったのかを考察してみたい。
もちろん、キーになるのは『プロメテウス』でエリザベスとともにエンジニアの惑星へと向かった唯一のパートナー、アンドロイドのデイヴィッドだ。
『エイリアン: コヴェナント』の冒頭、デイヴィッドはダビデ像を見つめ、自身にデイヴィッドという名前をつける。このダビデ像はミケランジェロがイスラエル王であるダビデをイメージして16世紀に作り上げたものだ。

イスラエル王ダビデ

ダビデが歴史上、本当に実在した人物かどうかは議論の的となっているが、しかし、羊飼いから身を起こし、イスラエル全土を征服、王にまで上り詰めたその野心と実力、そしてその全能感は、同じく完璧な存在として作られたデイヴィッドの心を滾らせるには十分な存在だっただろう(もちろん、超高性能の頭脳を持つアンドロイドであれば、ダビデ像からダビデ王の情報まで全て把握済みに違いないが)。
リドリー・スコットは『プロメテウス』の製作発表の際に「あの獣(ゼノモーフ)は調理済みだ」として、もはやエイリアンというキャラクターにはほとんど興味がないことを示唆している。その代わりに物語の中心となるのは、アンドロイドのデイヴィッドだ。『プロメテウス』において、デイヴィッドは他の乗組員に隠れて、エンジニアの密かに他の乗組員を黒い液体の実験台にするなど暗躍している。

デイヴィッドはエンジニアに破壊され、首だけになるが、唯一生き残ったエリザベス・小博士とエンジニアの母星を目指して飛び立つところで『プロメテウス』の物語は幕を下ろす。
『コヴェナント』でデイヴィッドはエンジニアたちを滅ぼし、まさに「地獄の王」となっている。首から下もエリザベスによって再生されている。
だが、エリザベスは逆にバラバラにされ、デイヴィッドの実験材料として使われている。

 

© 2017 20th Century Studios, Inc.

実は『プロメテウス』と『エイリアン: コヴェナント』の間には一つの短編がある。それが『Crossing』だ。

そこではデイヴィッドの指示によってエリザベスが頭部だけになったデイヴィッドを再生させる過程が描かれている。
ディヴィッドは「これほど親切な人間に出会ったことがなかった」と述べる。そしてデイヴィッドを再生させたエリザベスは冷凍睡眠で眠りにつく。

アンドロイドに愛が理解できるのか?

『エイリアン: コヴェナント』で、デイヴィッドは惑星を訪れたコヴェナント号の乗組員たちにショウ博士は着陸の際の事故で死んだと説明するが、実際はディヴィッドによって殺害されている。
なぜ愛したはずのエリザベスをデイヴィッドは殺したのか。
デイヴィッドはエリザベス・ショウ博士は生き物が好きだったから庭に墓を作ったと言う。そしてエリザベス・ショウ博士の墓に花を手向け、彼女のために作った別れの曲を吹く。

 

© 2017 20th Century Studios, Inc.

「私はエリザベス・ショウ博士を愛していた」
だが、誰もがこう思うだろう。「アンドロイドに愛が理解できるのか?」と。

そもそもデイヴィッドは完璧なアンドロイドではなく、壊れてしまった、不完全なアンドロイドだ。
『エイリアンコヴェナント』において、ディヴィッドは自らがエンジニアを絶滅させた時を振り返り、詩を詠む。
「我が名はオジマンディアス、王の中の王なり。 我が偉業を見よ、全能の神々、そして絶望せよ」

コヴェナント号の乗組員であり、同型のアンドロイドであるウォルターがデイヴィッドを諌めるように後を続ける。
「他には名にも残らぬ巨大な遺跡の残骸と果てなき荒涼が遥か彼方まで広がるのみ」
オジマンディアスとは、古代エジプトのラムセス2世のことだが、この詩は時が経ち、絶大な権力を得たたラムセス2世の像も今は崩れ去っているということを唄った詩だ。
「バイロン卿の詩だ」デイヴィッドはそう言う。だが、ウォルターはデイヴィッドにこう言う。

「あの詩の作者はバイロンではない。シェリーだ」

AIが違えるはずがない。デイヴィッドは何かが壊れている。そんなアンドロイドにとって、愛とは何なのだろうか?

デイヴィッドの愛

デイヴィッドにとっての愛とは、愛する者のために自分を犠牲にすることではない。自分の野望に深く貢献させることこそが、デイヴィッドなりの「愛」ではないか。
ダビデ像やシェリーの詩を愛好していることからもわかるように、デイヴィッドは神の如き巨大な力へ憧れ、自分でも神が人間を生んだように新たな生命を創り上げたいと考えている。できれば、人間より優れた生物をだ。

もし、人間と同じような愛情をデイヴィッドが持っているならば、『プロメテウス』においてデイヴィッド自身が故意に「黒い液体」を飲ませたホロウェイとショウとのセックスを止めるはずだ。
だが、デイヴィッドはそうしなかった。その黒い液体が性交によってどう効果を表すのを知りたかったからだ。
不妊症だったはずのエリザベス・ショウの体からはトリロバイトと呼ばれる以下のような生物が生まれる。それは急成長し、エンジニアの口から卵を植え付ける。そして、死んだエンジニアの体を突き破り、ディーコンと呼ばれるエイリアン型の生物が生まれる。

 

© 2012 20th Century Studios, Inc.

同じことをデイヴィッドはショウ博士の遺骸を用いて実験したのだろう。それは自らの創り出す最も美しい生命体に、最も愛する人を組み込みたかった。それがデイヴィッドの愛ではないか。

AIは芸術を理解できるのか?

今作のデイヴィッドには美しさを求める描写が多い。さまざまな芸術品に囲まれていた、また前述のようにシェリーの詩を「美しい」と評する場面もある。
個人的にはAIが本当に芸術を理解できるのか疑問だ。
2004年に公開された『アイ,ロボット』では、主人公のスプーナーがロボットのサニーを尋問する場面で「お前に傑作が描けるか?」と問う場面がある。サニーはその問いには答えずに「あなたは?」と返すが、後にサニーは精巧な絵は描けるものの、芸術は描けないと述べている。
芸術とは、美しさを表現することだ。何がしくて、何が美しくないのか、その絶対的な基準は存在しない。
だが、デイヴィッドにとっての芸術がもし「力」であったならばどうだろうか。

力という絶対的な美しさ

前述した、イスラエル全土を征服したダビデ、古代エジプトで絶大な権力を誇ったラムセス二世、デイヴィッドが愛する芸術作品の根底には「力」がある。大きな力を持つ者こそが美しい、もし芸術のモノサシがそれなら、芸術の評価は非常に簡単かつシンプルだ。それこそ、AIにも簡単に「芸術」は作れるだろう。
デイヴィッドがなぜエイリアンを生み出したのか、その答えもここにあるように思う。
エイリアンの姿は美しいより先に不気味でありグロテスクだ。デイヴィッドは、エリザベス・ショウ博士の美しさを再生させることなく、むしろショウ博士を土台にグロテスクなエイリアンという生物を生み出した。

 

© 2012 20th Century Studios, Inc.

それはエイリアンが人間よりも遥かに完全な生物であったからではないか。
人間より遥かに強く、凶暴で、力を持った生物。それこそがデイヴィッドにとっての芸術と呼べる作品ではないか。
その「美しさ」の前には、人間の造形的な美しさなど取るに足らないものだったのだろう。

地獄の王であれ

『エイリアンコヴェナント』の中で、デイヴィッドはウォルターにこう述べる。
「天国の奴隷であるよりも、地獄の王であれ」
これはミルトンの『失楽園』の引用だが、まさにデイヴィッドを象徴する言葉だと思う。

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BLACK MARIA NEVER SLEEPS.

映画から「時代」と「今」を考察する
「映画」と一口に言っても、そのテーマは多岐にわたる。
そしてそれ以上に観客の受け取り方は無限大だ。 エジソンが世界最初の映画スタジオ、通称「ブラック・マリア」を作った時からそれは変わらないだろう。
映画は決して眠らずに「時代」と「今」を常に映し出している。

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