先日、『ロッキー』の解説を書いた。
言わずとしれたボクシング映画の傑作であり、主演のシルヴェスター・スタローンを無名俳優から一躍スターダムに押し上げた作品でもある。
『ロッキー』とモハメド・アリ
『ロッキー』の着想のきっかけが、チャック・ウェプナーとモハメド・アリの試合であることは有名だ。当時のスタローン同様に、ウェプナーもボクサーだけでは食べていけず、他の仕事を行いながらボクシングを行っていた。
一方、モハメド・アリと言えば、ボクシング界の中でも特に優れた王者だ。詳細は火を見るより明らかであったが、ウェピナーは前評判を覆す善戦を見せ、9ラウンド目にはアリからダウンを奪うことに成功した。試合後、アリは「もうウェピナーとは二度と戦いたくない」との言葉を残している(※試合の中でウェプナーが繰り返し反則を行ったことから、この言葉が出たという説もあるのだが)。
スタローンはこの試合に感銘を受け、『ロッキー』の脚本をわずか3日で書き上げた。主人公はウェプナー同様に、ボクサーとして、中々芽の出ないまま、30歳を迎えたロッキー・バルボア。このロッキーのキャラクターがスタローン自身の投影であることは説明するまでもないだろう。ロッキーはウェプナーがそうであったように、突然ボクシングの世界王者と戦う事態に巻き込まれてしまう。
さて、『ロッキー』で世界王者であるアポロ・クリードを演じるのはカール・ウェザースだが、元々アポロ役は元プロボクサーであるケン・ノートンにオファーされていたという。ケン・ノートン自身も元ヘビー級王者のモハメド・アリと戦い、事前の無謀な挑戦という評価を覆し、12ラウンドの判定まで持ち込み勝利したという経歴を持っている。
他にもロッキーとアポロの試合にゲストとして訪れたジョー・フレージャー(本人出演)は、アリに初の黒星をつけたボクサーであり、アリとは終生の友人となった(詳しくは後述)。
『ロッキー』の解説を書けば書くほど、その背景を知れば知るほど、「モハメド・アリ」にたどり着いてしまうことに気づくのだ。ボクサーがどれだけすごいかの尺度が、タイトルではなく「モハメド・アリをどれだけ苦しめたか」。
一体、モハメド・アリというボクサーは何がそんなに偉大なのか?
そこで一つの作品を手にとって観てみることにした。それが今回紹介する『ALI』だ。
『ALI アリ』
『ALI アリ』は2001年に公開された伝記映画。監督はマイケル・マン、主演はウィル・スミスが務めている。
後に『幸せのちから』や『7つの贈り物』など、ドラマ作品にも出演の幅を広げていくウィル・スミスだが、そのきっかけには本作だろう。ウィル・スミスは『ALI』のモハメド・アリ役で初のアカデミー賞主演男優賞にノミネートされている。コミカルなアクション俳優としてではなく、実力派の俳優としても高い才能を証明した。
『ALI』はボクサーとしてのモハメド・アリ以上に、彼がいかに自分の信念を貫き通したのか、その不屈の戦いの人生が描かれている。
A Change Is Gonna Come
冒頭はサム・クックのコンサートの様子と、ロードワークに勤しむアリの姿が交互に写し出される。
ここで使われている楽曲は『A Change Is Gonna Come』。
There been times that I thought I couldn’t last for long
But now I think I’m able to carry on
It’s been a long, a long time coming
But I know a change gon’ come, oh yes it will
俺はもうダメだって思った時はあったが、
今は俺はまだやれるって思うんだ。
長い間だった、でも変化は起こると信じてる。
と歌われるこの曲は、黒人のサム・クックとそのバンドのメンバーがが当時白人専用であったシュリーブポートのホリデイ・インにチェックインしようとして逮捕されたことがきっかけとなって作られた。『A Change Is Gonna Come』は今では公民権運動のアンセムとして見なされている。今作『ALI』においては、この曲は今作がボクサーについての映画であるが、ボクシングについての映画ではないことを宣言している。
エメット・ティル
走りながらアリの脳裏には幼い日の思い出が浮かんでいる。青い瞳のキリストを描いていた父親、バスの中で見た凄惨な暴行を受けた黒人の遺体写真。これはエメット・ティルの写真だろう。
1955年、当時わずか14歳だったエメット・ティルは白人女性に口笛を吹いただけで白人男性二人から凄惨なリンチを受け殺された。ティルの母親は、この犯行の残忍性を知らしめるために、原形を留めぬほど変わり果て損壊されたティルの遺体をあえて公開し葬儀を行った。
一方でティルを殺害した犯人たちは目撃者の証言があったにも関わらず、無罪となった。
アリは後年この事件について、「エメット・ティルの話ほど私を揺さぶるものはなかった。彼は私とほぼ同い年だったんだ」と述べている。
物語はアリ(当時はカシアス・クレイ)が世界王者のソニー・リストンに挑む場面から始まる。
「蝶のように舞い、蜂のように刺す」
計量の場にやってきたアリはリストンにトラッシュ・トークを仕掛ける。
ラッパー、モハメド・アリ
「If you like to lose your money, be a fool and bet on Sonny. But if you wanna have a good day, then put it on Clay.(もしお前が金を失いたければ、ソニーに賭けて愚か者になれ。だが、良い日を過ごしたいなら、クレイに賭けるんだな)」
ピップホップは1970年代に成立したカルチャーだが、アリはそれより早い1960年代に既に韻を踏んだ喋りで聴衆を沸かせていた。即興で韻を踏んで相手を攻撃するアリのスタイルは今でいうところのフリースタイルバトルのようなものだ。今もジェイ・Z、エミネム、ショーン・コムズ、スリック・リックなど多くのヒップホップ・ミュージシャンがアリに影響を受けたと公言している。
アリにとって初めての世界タイトル挑戦となるソニー・リストン戦、リングサイドにはマルコムXの姿もあった。
アリとマルコムXの出会いはその2年前の1962年だ。当時マルコムXが「ネイション・オブ・イスラム(NOI)」のメンバーであったことから、アリもNOIへ参加。本名のカシアス・クレイは「奴隷の名」だとして、モハメド・アリを名乗るようになる(後に本名も改名している)。
民衆の王者
リストンに勝利し、チャンピオンとなったアリを民衆が取り囲む。彼らのほとんどが有色人種だ。このとき、アリはカシアスXと名乗っている。Xとは、マルコムXのXと同じで、先祖の姓が不明なことからそう名乗ったのだろう。アリがどれだけマルコムXに傾倒していたかがわかる。
一方でこの時マルコムXとNOIの間には確執があった。NOIの急速な勢力拡大に寄与したマルコムXの影響力をNOIは危険視しはじめ、またマルコムXもNOIのであるムハマドが、教義に反して自身の個人秘書を次々と妊娠させているという事実を突き止めていた。
ここでマルコムXはアリを取材するために集まった記者たちからNOIとの関係について問われているが、「場違いだ」と質問した記者をたしなめている。
一方、アリは記者たちに対して、「ルイスのような王者にはならない、民衆の王者になる」と述べている。ルイスとはジョー・ルイスのことだ。「褐色の爆撃機」と呼ばれ、に次いで黒人として、ヘビー級チャンピオンとなったジョー・ルイスは、当時の白人優位の社会で受け入れるために、7つの戒めと呼ばれるルールを作り、自分の見せ方を徹底的にコントロールしていた。だが、アリにすればそのようなルイスの姿勢は白人に媚びへつらったものとしか映らなかったのだろう。
マルコムXとNOI
1963年、マルコムXほアリの部屋を訪ね、組織への不満を口にする。マルコムXが口にするのは16番街バプテスト教会爆破事件のことだ。バーミングハムのクー・クラックス・クラン(KKK)によって教会にダイナマイトが仕掛けられ、11歳から14歳までの4人の黒人少女が犠牲になった。
この事件は2014年に公開された『グローリー』の冒頭で再現されている。マルコムXと並んで公民権運動に強い影響を与えたキング牧師は、この事件について「これまで人類に対して犯された最も悪質で悲劇的な犯罪の一つ」と評している。
だが、この時マルコムXは組織の方針のためにいかなる行動も許されなかった。結局、マルコムXはNOIと袂を分かち、アリとも疎遠になってしまう。そして翌年、ニューヨークでの講演中に襲撃され帰らぬ人となる。
アメリカの敵、モハメド・アリ
アリが今日、伝説化しているのは単にボクサーとしての類まれなる才能と実績のためだけではない。アメリカを敵に回しても、自身の正義を貫き通し、常に弱者の味方であり続けたからだ。
1967年、アリにベトナム戦争への徴兵命令が下る。その内容は6週間の訓練だけで除隊になるという緩いものだったが、アリはこの命令を拒否し、逮捕される。
「自分は、ベトコンとは少しもいさかいを起こしていない。何も彼らと争うことはない。しかも、どんなベトコンであっても、自分のことを、一度も“ニガー”とは呼ばなかった」
そう言って、逮捕の不当さを裁判で訴え続けるアリ。アリのもとには多くの殺人予告が送られ、アメリカの英雄から一転してアメリカの敵となってしまう。
公民権運動もそうだが、当時「アメリカ」に逆らうことは命かげだった。ここで名前を挙げたマルコムX、キング牧師、サム・クック、いずれも銃撃されて亡くなっている。マルコムXを射殺したのはNOIのメンバーと言われているが、それを手引きしたのはFBIという説もある。また、サム・クックはモーテルでクックが女性従業員に詰め寄り、それに恐怖を感じた女性が発砲したことで死亡するが、この経緯については異論も多く、真相は闇の中になっている。
ジョー・フレージャー
チャンピオンの資格も剥奪され、試合を組むこともできない。稼いだ金も裁判費用に消えていったという。そんなアリに助け舟を出したのが当時のヘビー級世界王者のジョー・フレージャーだった。
フレージャーもまたロッキーのモデルとなったボクサーであり、『ロッキー』の中でロッキーが冷凍肉をサンドバッグがわりにしたり、フィラデルフィア美術館の階段を駆け上がるトレーニングはいずれもフレージャーが行っていたものだ。
映画の中ではフレージャーのサポートは十分に描かれているとは言えないが、フレージャーはアリに金を貸したり、アリの代わりにニクソン大統領と面会したりと、アリが再びボクシングに復帰できるように尽力している。
そして、アリはついに無罪を勝ち取る。復帰戦はフレージャーとの試合だった。しかし、全盛期のフットワークは衰え、アリはプロデビュー後初の敗北を喫する。その後もフレージャーとは数度試合を重ね、二人はまるでロッキーとアポロのような絆を築いていく(ちなみにアポロのモデルはアリだという説も根強い)。
2011年にプレージャーは亡くなるが、アリは病気の体をおして葬儀に出席。
「世界は偉大なチャンピオンを失った。敬意と賞賛の気持ちと共に、ジョーは私の心の中で永遠に生き続けるだろう」とのコメントを残している。
第三世界の英雄
アリはフレージャー、ケン・ノートンとの再戦に勝ち、王者であるジョージ・フォアマンへの挑戦権を得た。ファイトマネーがアメリカでは調達できなかったので、試合会場はアフリカとなった。
アリはアフリカでトレーニングを開始する。映画の冒頭では誰もいない街を一人で走るアリの姿が映し出されていたが、アフリカでは絶えず人々がありとともに走り、アリに応援の言葉を投げかける。
ある壁にアリのイラストが描かれていた。それはアリがボクシングで戦車や爆撃機を破壊している絵だ。
ザイールの独裁政権のもとで貧しい暮らしに苦しむ人々にとって、国家権力へ反抗し続けたへアリは、自分の存在がどれほど彼らを勇気づけているのかを知る。
『ALI アリ』を制作するにあたって、監督のマイケル・マンはモハメド・アリを美化することはしないように気をつけたという。アリを過度に美化することはその成功も否定することと同じだと述べている。
そのとおり、生涯にわたってアリは不倫を繰り返していたが、ここではアフリカに渡ってからのアリが後に妻となるポルシェとの不倫が描かれている。
アリは偶像のヒーローではなく、彼もまた一人の人間なのだ。アフリカでの日々はそのことを強く再認識させる。
キンシャナの奇跡
フォアマンの練習中の怪我による延期はありつつも、いよいよ世界タイトルを賭けた戦いが始まる。同じ黒人同士の試合ながら、会場はアリへの声援で溢れ、フォアマンは完全に悪役だった。なんとフォアマンがザイールまで連れてきた愛犬のシェパードまでもが、人々にベルギー統治時代の警察犬を思い起こさせるということで反感を買ったという。
だが、当の試合はアリの思い通りには行かなかった。当初はリングを動き回り、フォアマンの疲労を待ってから反撃するという予定だったが、リングが動きづらく、アリには空気も足も重く感じられた。
そこで第2ラウンドからは、アリは足を動かすのを止め、ロープにもたれかかってしまう。セコンドすらも訳がわからず、「踊れ!」との声を浴びせるが、アリはロープへもたれかかるのを止めない。アリの作戦は、ロープにもたれかかることで疲れを最小限に抑え、かつパンチの衝撃をロープで和らげることだった。致命的なダメージを防ぎつつ、相手の体力を奪うこの戦法は後にロープ・ア・ドープと呼ばれた。
アリは当初の動き回る作戦では、フォアマンより先に自分が疲れてしまうと判断し、練習の際に疲れた時にやることを行おうとしたのだ。それは驚異的なボクサー寿命を残したアーチー・ムーアが現役時代にやっていたことがヒントになっている。ちなみにアーチー・ムーアの現役最後の対戦相手は、若い日のモハメド・アリだった。
事前の予想は圧倒的にファアマンの勝利が多数だったが、アリの作戦通り、フォアマンは次第に疲労によって手が出なくなる。そして第8ラウンド、アリは機を逃さず、フォアマンに連打を叩き込む。フォアマンはマットに沈み、アリはベルトを掴むのだった。
この劇的なKO劇は「キンシャサの奇跡」と呼ばれている。
世界を揺るがした人生
『ALI アリ』はここで終わるが、アリの不屈の人生はその後も続いた。現役引退後にはパーキンソン病に罹患していることを公表、1996年に開催されたアトランタオリンピックでは、聖火台に火を灯す点火車を務めた。アリの登場はトップシークレットのため、多くの人々を驚かせた。そして、病気で震える手で火を灯す姿はまた多くの人々を感動させた。
モハメド・アリは2016年にその人生に幕を下ろした。
『ALI』でモハメド・アリを演じたウィル・スミスは、葬儀でアリの棺を担いだ。
ウィル・スミスはアリについて、アリののレガシーとして思いつくのはリング上の功績ではないと述べている。
ウィル・スミスは、アリを次のように追悼している。
「あなたは世界を揺るがした! 僕の師、そして僕の友。あなたは僕の人生を変えた。どうぞ安らかに」