2016年に公開されたホラー映画『ドント・ブリーズ』で一躍脚光を浴びたのが、南米ウルグアイの映画監督であるフェデ・アルバレスだ。
アルバレスの長編デビュー作は『死霊のえじき』のリブートであった。『ドント・ブリーズ』の後も『悪魔のいけにえ』の続編となる『悪魔のいけにえ -レザーフェイス・リターンズ-』の製作を務めるなど、ホラー映画の名作に関わることの多いアルバレスだが、そんな彼にとってもSFホラーの古典『エイリアン』の新作を監督するのは願ってもない話だっただろう。その作品こそが今回紹介する『エイリアン:ロムルス』だ。
『エイリアン:ロムルス』
『エイリアン:ロムルス』は2024年に公開されたSFホラー映画。主演はケイリー・スピーニーが務めている。本作の時系列としては、『エイリアン』と『エイリアン2』の間の出来事だ。
『ロムルス』の舞台は西暦2142年。『エイリアン』から20年後の世界になる。
作品の冒頭では、大破したノストラモ号の付近から隕石のようなものが回収される。それは『エイリアン』でエレン・リプリーが倒したエイリアン、「ビッグチャップ」の繭だった。その中ではビッグチャップが眠っており、こうしてエイリアンはウェイランド社に回収されたのだった。
数カ月後、人類が入植した惑星の一つ、ジャクソン・スターで採掘作業に従事するレインはアンドロイドのアンディとともに厳しい暮らしを余儀なくされていた。ジャクソンは劣悪な環境でレインの両親をはじめとして、多くの人が亡くなっていた。アンディは捨てられていたアンドロイドを再プログラムしたもので、レインを姉として、彼女の利益を最優先に動くようにプログラムされていたが、思考力などの性能は完璧とは言いづらかった。
レインはアンディとともに新天地であるユヴァーガへの移住を夢見ていたが、不当な理由により、採掘作業の契約期間は5年も延長され、絶望に沈む。
そんな中、レインの元恋人であるタイラーから連絡を受ける。タイラーは妹のケイや、友人のビヨン、ナヴァロらを集め、ある計画を提案する。
それは遺棄された宇宙ステーションの設備を盗み、ユヴァーガへ脱出するというものだった。
レインは躊躇しつつも、アンディとともに計画に参加することに。
しかし、たどり着いた宇宙ステーション「ロムルス」の冷凍睡眠ポッドにはユヴァーガに必要な燃料は残っていなかった。また、ロムルスの中にはボロボロの状態で放置されたアンドロイドなどがあり、そこで以前「何か」が起きたことを強く示していた。
燃料を求めて船内をさまようタイラーらは、知らぬ間に船内で保管されていたフェイスハガーを目覚めさせてしまう。
『ドント・ブリーズ』との共通点とは
この貧しい若者が新天地を目指して盗みに入るという設定はアルバレスの監督した『ドント・ブリーズ』に酷似している。
『ドント・ブリーズ』はデトロイトを舞台に、貧しい若者がコソ泥で生計を立てている。主人公のロッキーは妹とともにカリフォルニアで暮らすことを夢見ている。そんなロッキーは仲間からある老人の住む家から多額の現金を奪う計画に誘われる。
アルバレスはデトロイトに自らの故郷であるモンテヴィデオを投影している。どちらも過去の繁栄とは見る影なく没落した都市だ。
アルバレスはデトロイトを舞台にした理由については幼い頃に『ロボコップ』を観たからだという。『ロボコップ』の舞台もデトロイト。高層ビルが立ち並ぶ一方で政治は腐敗し、治安は崩壊寸前に陥っている。そんな未来をアルバレスは「ノーフューチャーという未来だ」と言い表している。
実際にデトロイトでは子どもの6割が貧困層であり、失業率は20%弱、市民の半分が読み書きもできないという。
『ドント・ブリーズ』の根底にはそんなアメリカの貧困が描かれているわけだが、『ロムルス』もデトロイトがジャクソン・スターになり、カリフォルニアがユヴァーガになっただけで、描かれている問題は同じだと言えるだろう。
等身大の若者を描く意味
『エイリアン』シリーズはあくまでSF映画ではあるものの、フェデ・アルバレスはそこに現実社会を投影して見せた。
『ロムルス』に登場する若者たちはいかにもその辺にいるような普通の若者という感じで特殊技能に秀でている者や、天才のようなキャラクターは存在しない。
これは『エイリアン』シリーズの中でも異色だ。今までの登場人物はパイロットや考古学者、海兵隊、囚人、海賊など一癖も二癖もあるキャラクターばかりだった。
『ロムルス』はそうではない。彼らは緊急事態への対応もおぼつかず、「銃の操作もゲームと雑誌で見たことがある」レベルのものだ。
そんな彼らが絶望的な状況の中でどう生き延びるかが描かれている。それは希望を掴むための戦いと言ってもいい。言い換えれば希望の物語なのだ。
シリーズの前作、前々作にあたる『コヴェナント』、『プロメテウス』はそうではなかった。むしろリドリー・スコットの厭世観が色濃く出た作品でもある(厭世的な理由として、に弟のトニー・スコットが自殺したことを理由とする説もある)。
エイリアンらしきエイリアンが最後まで登場せず、それどころか人類の創造主が人類を滅ぼそうとする『プロメテウス』、そして「あの獣(ゼノモーフ)は調理済みだ」として『エイリアン:コヴェナント』では、そのタイトルに反してエイリアンよりもアンドロイドが強大な黒幕として描かれている。特に『コヴェナント』のバッドエンドはリドリー・スコットの厭世観の極地でもあるだろう。
正直なところ、果たして『エイリアン』シリーズのファンは『プロメテウス』、『コヴェナント』に本当に満足できているのだろうか?
どちらも『エイリアン』の起源を知るという魅力には溢れている。仕掛けられた謎も多く、それらを考察し、紐解いていく楽しみもあるだろう。
だが、映画そのものとして考えたときに、これらには『エイリアン』映画としての魅力がどれほどあるのかということだ。実際、本来の計画では『コヴェナント』と『エイリアン』の間をつなぐもう一本の映画(『エイリアン アウェイクニング』)が製作されるはずであった。しかし、『コヴェナント』の成績不振により、その計画は頓挫してしまう。そして『コヴェナント』以来7年ぶりの新作となったのが『エイリアン:ロムルス』だ。
原点回帰した『ロムルス』
私は『ロムルス』が公開された初日の朝一番に観てきたが、シネコンの中でも上映スクリーンは小規模なスクリーンであった。それは『エイリアン』シリーズがすでに新しいファンを獲得できていないことを感じさせた。
無理もないと思う。最後の『エイリアン』らしい『エイリアン』映画は(vsプレデターを除くと)1997年に公開された『エイリアン4』以来となる。そこには約30年弱のブランクがあるわけだ。
今の若い世代にとっては「名前だけ聞いたことのある映画」か「全く知らない映画」であってもおかしくない。
だからこそ、『ロムルス』が等身大の若者たちを主人公にしたのは大きな意味があると思う。個人的には『エイリアン:ロムルス』を観て、「原点回帰したような作品だ」と感じた。
前二作で描かれていたような哲学的なテーマは鳴りを潜め、アクションというよりもホラーの方に重きを置いた作風になっている。
アルバレスは「一作目のシンプルさに戻ってホラー映画にしたかった」と語っている。
イアン・ホルムの登場
レインらはフェイスハガーの来襲を受け、フェイスハガーはナヴァロの頭に張り付いてしまう。
対処方法を知るべく、止むなくレインは遺棄されていたアンドロイドを再起動させる。
アンドロイドは自らを科学者のルークと名乗り、ナヴァロはもう助からないために取り残して、この船から脱出するべきだと言う。
『エイリアン:ロムルス』には今までのシリーズのオマージュが多数盛り込まれているのだが、とりわけ『エイリアン』との関連が強い。
特に『エイリアン』に登場したアッシュと同型のアンドロイドが登場するこの場面はファンにはたまらないだろう。
残念ながらアッシュを演じたイアム・ホルムは2020年に亡くなっているが、アルバレスはホルムの遺族の許可を得たうえで同型のアンドロイド、ルークとしてスクリーンにその姿を蘇らせている(イアン・ホルムのカムバックはリドリー・スコットの希望でもあったそうだ)。
アメリカでは故人をAIで復元している(実際にはイアン・ホルムの顔を現実に造形し、あくまでAIは補助的な役割で使われている)ことに対して賛否両論が巻き起こったそうだが、イアン・ホルムの妻であるソフィー・デ・ステンペルは「彼(ホルム)ならこれに参加したがっただろうと感じた」述べたという。また、ホルムの家族ももう一度スクリーンでその姿を観たいと望んでいたという。
映画の中ではこのルークが「案内役」を上手い具合に果たしてくれている。
ウェイランド社は捕獲したエイリアンを用いてロムルスである実験を行っていたが、フェイスハガーによってロムルスは壊滅的な被害を受け、乗組員は死亡したこと。フェイスハガーの血は強酸性でナヴァロを救う手はないこと。
ルークの言葉通り、そのナヴァロの首からフェイスハガーが外れ、一度は回復したかに思われた。
アンディはナヴァロを捕らえようとするが、ナヴァロとビヨンはケイのいる貨物室へ逃げ込む。
その時、ナヴァロは突然苦しみ出し、胸を突き破ってチェストバスターが飛び出し、そのままナヴァロは即死する。
前述のように『ロムルス』には過去作のオマージュがふんだんに盛り込まれているのだが、ナヴァロの最期からは『エイリアン3』へのオマージュを感じ取れる。坊主頭の女性の胸からチェストバスターが飛び出す。これは『エイリアン3』のラストでのリプリーの最期を思わせる。
ナヴァロの胸から飛び出したチェストバスターは繭の中で急速に成体へ成長していた。
繭を見つけたビヨンはその中で眠るゼノモーフを攻撃するが、逆にゼノモーフの滴り落ちる血液によって死亡してしまう。
一方、レイン、アンディ、タイラーもまた貨物室を目指して移動していたが、途中で扉の向こうにケイがいるのを見つける。彼女の身にはゼノモーフが迫っていたが、アンディは扉を開けろという命令に従わず、ケイはゼノモーフに連れ去られてしまう。レインはこのとき、アンディの第一目標が、レインの利益の確保から、ウェイランド社の任務を遂行することに書き換えられていることを知る。
黒い液体
ウェイランド社の任務とは、黒い液体を持ち帰ることだった。
ルークの説明によると、それはゼノモーフの強靭さの秘密を研究の結果としてエイリアンの生体から抽出されたものだという。
ここで黒い液体と言えば『プロメテウス』に登場した黒い液体が思い浮かぶ。
同作の冒頭では、はるか昔の時代、そのエンジニアが黒い液体を飲むと、その体は崩壊し、その体から無数のDNAが放出され、生命の起源となっていったことが描かれている。
この黒い血液だが、削除された脚本ではディーコンの血となっているようだ。ディーコンとは『プロメテウス』でエリザベス・ショウの体から生まれたトリロバイトがエンジニアに植え付け、そこから生まれたゼノモーフに似た生き物だ。
その血が『プロメテウス』の舞台の数億年前にすでに存在していることは矛盾しているようにも思える。
しかし、エンジニアと人間のDNAが同じことが『プロメテウス』で示されていることから、ディーコンは元々はエンジニアの誰かを生贄として遥か昔から作られてきた生物という解釈もできそうだ。
だが、『プロメテウス』で黒い液体を摂取した人間はやがて破滅的に死に至っている。
ウェイランド社の目的
ルークはその液体を人類に火を授けたと言われる神、プロメテウスに例える。だが、火を受け取った人類は、互いを攻撃し合うようになり、神の怒りに触れる。
ウェイランド社の目的は、人間の遺伝子を後天的にアップグレードすることで、過酷な植民地の環境にも負けない労働力を増やすことであった。
だが、それは神への冒涜とも言える行為ではなかったか。
ロムルスの実験では死んだネズミが黒い液体を摂取することで元気に蘇ったが、その後破裂して死亡している。『プロメテウス』のように。
ルークは黒い液体を研究の成果としてウェイランド社に持ち帰ることを任務として主張していたが、実際にはその研究はすでに失敗しており、ルークはそのことを知らないままでいるのだ(もし成功していたならば、研究室がそのまま遺棄されているはずはなく、誰かが回収に向かったはずである)。
アンディはロムルスの研究室に置いてある銃ををタイラーとレインに渡す。ここでタイラーはレインに銃の扱い方を教える。
言うまでもなくこのシーンは『エイリアン2』のオマージュだ(『エイリアン2』にも海兵隊のヒックスが、リプリーに銃の使い方を教えるシーンがある。ちなみにリプリーを演じたシガーニー・ウィーバーは銃規制賛成派であり、リプリーが銃を使うことに関しては「難しい決断だった」と述べている)。
そして一行は再び貨物室を目指す。だが、その途中で繭にされたケイを発見する。
オフスプリング
リドリー・スコットの監督した『エイリアン』の素晴らしい所は、予想もつかない脚本にある。全てが終わったと思うとその次に本当の最終章が現れる。そのストーリーはどれほどの映画に影響を与えたかわからない。
おそらく、ジェームズ・キャメロンの『ターミネーター』はその代表的な例だろう。
『エイリアン:ロムルス』の結末については実際に自身の目で楽しんでほしいのだが、最後に登場するモンスター(オフスプリング)については語らずにいられない。人間から生まれたそれは『エイリアン4』のニューボーンを彷彿とさせる。
しかし、その見た目はエイリアンというよりも人間に近く、さらに言えばエンジニアに似ている。
ニューボーンがあくまでエイリアンをベースにした半人間だとしたら、オフスプリングは人間がベースになっている。
今回の『ロムルス』はクリーチャーの造形においてほぼCGを使わず、アニマトロニクスや着ぐるみを駆使して表現されている。このオフスプリングもCGではなく、2メートル30センチ(!)を超えるバスケット選手のが着ぐるみを着て演じているのだから驚きだ。
だからこそ、余計に生々しさが際立つ。どんなモンスターもCGが主流になった昨今においてこのアプローチは非常に新鮮だ。思えばCGの、可能性を飛躍的に高めたと言われる『ジュラシック・パーク』でさえ、CG恐竜の登場時間は7分程度だ。あのTレックスの圧倒的なリアルさのほとんどはアニマトロニクスが負っているのが事実だ。
話を戻そう。オフスプリングはケイを殺し、アンディを破壊する。レインはオフスプリングを、貨物もろとも宇宙空間へ放出する。
そして、全てが終わった船内でレインはユヴァーガへ向けて長い眠りにつく。
レインのその後
『コヴェナント』も生き残ったのはアンドロイド一体と主人公の女性である、ダニエルだけだったが、そのエンディングは絶望に満ちていた。『ロムルス』は一転して希望の結末に思えてしまうが、監督のフェデ・アルバレスはそう思ってはいないようだ。
「ユヴァーガに着いたら次は何が起きる? 良い場所なのかな? それとも酷い場所?」
レインらが理想郷だと思っていた惑星、ユヴァーガ。そこはウェイランド社の管轄外ではあるのだが、アルバレスはユヴァーガについて「ウェイランド社も関心を示さないほどひどい場所」だというイメージを持っているそうだ。
近年のエイリアン知らずは前述の『アウェイクニング』もそうだが、ニール・ブロムカンプが監督を務めるとされていた『エイリアン5』などファンからの期待の高さにも関わらず、中止になったプロジェクトが目立つ。
かつてリドリー・スコットはゼノモーフについて「あの怪物は調理済みだ」とそれ以上深掘りする魅力がないことを示唆していた。加えて『プロメテウス』に至るまでなかなかシリーズに復帰しなかったことについては「『エイリアン』が怖くなくなってしまったから」と述べていた。
だが、『エイリアン:ロムルス』はエイリアンのポテンシャルの高さを改めて知らしめた作品と言えるだろう。