※以下の考察・解説には映画のネタバレが含まれています
家族って素晴らしい?
唐突な質問で恐縮だが、思いつくままに映画を10本程度、思い浮かべてみてほしい。特に条件はない。何でもいい。
果たして、その中に家族が登場する話は何本あっただろうか。そして、家族が絆を深めたり、取り戻したりする作品は?
私も思い浮かべてみる。『マトリックス』『タイタニック』『リトル・ミス・サンシャイン』『ロッキー・ザ・ファイナル』『もののけ姫』『ダイ・ハード』『ワールド・ウォーZ』『シャイニング』『ターミナル』『ターミネーター』。家族が登場するのは上記のうちの6作品。うち家族のハッピーエンドで終わる作品は4作品。
※『シャイニング』はハッピーエンドになる作品としてはカウントしていない。
だが、実際は家族ってそれほど素晴らしいものだろうか?
小さな子供にとっては家族はその世界全てであり、愛情の原体験を与えてくれる場所でもあるだろう。
だが、思春期になるとそれまで見えてこなかった家族の面も見えてくるのではないか。
日本で起きる殺人事件のうち、半数以上は家族間で起きているものだという。
可愛さ余って憎さ百倍とはいうが、それもまた家族の真実の一面だろう。
『アメリカン・ビューティー』
さて、今回紹介する『アメリカン・ビューティー』はそんな幸せそうな一家族の崩壊をシニカルに描いたコメディ作品だ。
『アメリカン・ビューティー』の公開は2000年、監督はサム・メンデス、主演はケヴィン・スペイシーが務めている。
ケヴィン・スペイシーが演じるのは42歳の広告代理店に勤めるサラリーマンのレスター・バーナム。
彼はマイホームを持ち、美しい妻と娘に囲まれている。平凡だが、傍目には幸せそうな家族に見える。
だが、実際は不動産業を営む妻はヒステリックで家族のことよりも自身の見栄や経済的な成功を強く望んでいる。本作のタイトルでもある『アメリカン・ビューティー』は彼女が育てているバラの品種でもある。
娘のジェーンは典型的なティーン・エイジャーで父親を嫌っており、両親との関係も希薄だ。
中年の危機
序盤はレスターがいかに窮屈で退屈かつ孤独な毎日を送っているかがいくつかのショットで示されている。サム・メンデスによると、妻の運転する車に乗るレスターは「檻に閉じ込められた状態」を表しているという。
他にも、出社後、デスクのPCに映るレスターの顔は、そこに表示されている文字と相まって、鉄格子の中にいるように見える。
レスターは勤続14年のベテラン社員だが、新人の若い上司からの評価は低く、クビの瀬戸際にある。
レスターの毎日は空虚で味気ない、まさに「中年の危機」真っ只中だ。
しかし、妻に連れられてしぶしぶ観に行った娘のチアリーディングでレスターはジェーンの友人のアンジェラに一目惚れしてしまう。
本作の中で、アメリカン・ビューティーの薔薇は妄想や官能の象徴としても使われている。
レスターの目にはアンジェラしか見えなくなる。妄想の中で、彼女はコスチュームの胸元を自らはだけていくが、肝心な部分は溢れる薔薇の花びらで隠されている。
その日からレスターの暮らしは少しずつ変わっていく。アンジェラがレスターの家に泊まりに来た時、レスターは壁越しにジェーンとアンジェラの会話を盗み聞きし、「ジェーンのパパってセクシー、」の言葉に早速全裸で(なぜ全裸?)筋トレに励むレスターが可笑しい。
中年の危機とは、だがレスターはアンジェラへの恋によって、自分らしく生きることを取り戻していく。
隣に越してきた元軍人の息子のリッキーからはマリファナを書い、会社も辞めてしまう。
妻のキャロリンは急に変わってしまった夫を見限り、不動産で成功したバディという既婚者と不倫に走ってしまう。
リッキーはジェーンに惚れているが、その好意は彼女を盗撮するということでしか表せない。また、リッキーの父親のフランクは元軍人で、ゲイを毛嫌いしている、まさに「有害な男らしさ」を体現したようなキャラクターだ。
2006年に公開された『リトル・ミス・サンシャイン』もそれぞれに問題ばかりを抱えた家族をテーマにした作品であった。こちらが家族での旅を通して、絆を取り戻していく作品であるのに対して、『アメリカン・ビューティー』は物語が進むにつれて家族がどんどん崩壊していく。
家族の崩壊
サム・メンデスは本作の他にも『007 スカイフォール』や『レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで』などで家族の崩壊を描いている。
『007 スカイフォール』で描かれているのは本物の家族という訳では無いが、Мを母とした擬似的な息子たちによる愛憎の物語だ。
『レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで』では結婚の夢と現実が描かれる。同作は『タイタニック』で主演を務めたレオナルド・ディカプリオとケイト・ウィンスレットが再びタッグを組んだことでも話題になった。
ディカプリオは同作の舞台である1950年代について、次のように述べている。
「1950年代は、アメリカのファミリーのイメージが固まった時代だった。郊外の白いフェンスのある家に住むのが幸せな家庭の象徴だったんだ。男の役割、女の役割も固まった。もちろん、今ではもっと多様化しているけど、でもこの頃に築かれた価値観は社会の意識のコアになって残っていると思う」
『アメリカン・ビューティー』のレスターの家も白いフェンスの家だ。バーナム家はレスターよりも妻のキャロリンの方が収入が多い。家の趣味もキャロリンの嗜好が強く反映されている。例えば家族の夕食の時にかかっている音楽は1950年代に流行ったジャズナンバー。つまり、キャロリンにとっての理想とは、1950年代のアメリカの姿なのだ。
リッキーの袋
そんなキャロリンとレスターは全く違う価値観へ進んでいく。そして、キャロリンはしんしつでレスターが自分の横ででマスターベーションをしているところを見つけてしまう。
男としてはなんとも恥ずかしく情けないシチュエーションのはずだが、レスターはキャロリンに開き直り、充実感さえ味わうのだった。
一方、娘のジェーンは風変わりな隣人のリッキーに惹かれていく。リッキーはジェーンを部屋に招き、もっとも美しいもののビデオを見せる。それは木の葉とともにビニール袋が風に舞っているものだった。
一体これのどこが?
「全てのものには生命と慈悲の力があり、何も恐れることはないのだと」
リッキーはビデオを見ながらそう言う。彼は全てのものの中に美しさを見出す。
余談だが、サム・メンデスはこのビデオを撮るために4か所の候補地を巡って風に舞うゴミ袋を探したそうだ。ゴミ袋に「美しさ」を求める事は、撮影の段階で実際に行われていたことなのだ。
ジェーンはリッキーにキスをし、二人は恋人になる。
一方、リッキーはレスターにマリファナを売り続けており、その様子を窓越しに見ていたフランクは、レスターと、息子のリッキーがデキているのではないかと勘違いする。
リッキーを問い詰めるフランクだが、自身が売人だとバレるのを恐れたリッキーは、フランクの勘違いをあえて認める。
土砂降りの中でフランクはレスターに会いに行き、キスをする。そう、あの男らしさに取り憑かれていたフランク自身がゲイだったのだ。レスターは「何か勘違いしている」とフランクに伝え、彼を家に帰らせる。
なぜレスターは殺されたのか?
レスターはアンジェラにキスをし、セックスに及ぼうとする。現実では薔薇の花びらは登場しない。アンジェラの乳房があらわになる。
だが、そこでアンジェラは経験が多いというのは全くのウソで、本当はまだ誰ともしたことがないと告白する。泣きながら謝るアンジェラをレスターは優しく慰める。
一人になったレスターは娘の写真を見つめ、幸せに浸る。
しかし、その後頭部には銃が伸びてくる。
壁一面に薔薇のような血を撒き散らしてレスターは死ぬ。レスターを殺したのはリッキーの父親であるフランクだ。レスターが死ぬことは冒頭のレスター自身のナレーションですでに明らかだ(ちなみにこの「死んだ人がナレーション」というアイデアは『サンセット大通り』を参考にしたという)が、ではなぜレスターは殺されたのだろうか?
フランクは男らしさに取り憑かれていた。だが唯一レスターだけに、本来の自分を知られてしまった。フランクがレスターにキスする直前、その目には涙が溢れていた。
自分自身がゲイだということは、フランク自身が、最も認めたくないことだったのだろう。
何より男らしさを求め、それが正しいと信じ、周囲にさえそれを求めた。おそらくは頭ではそれが正しいと思っていても、心は違っていた。しかし、それを認めたり、表に出すのはフランクにとっては死ぬより忌むべきものだったのだろう。その葛藤と悔しさがあの涙だったのではないか。
しかし、レスターにはあっけなく断られてしまう。それはフランクにとって、ゲイだという事実がいつ誰に伝わるかもわからない状況になってしまったということだ。
そうなる前に、唯一自身がゲイだと知っているレスターを殺さねば、そう思ったのではないだろうか。
エンディングはレスターのモノローグで幕を閉じる。
「こんなことになって怒っているかって?美の溢れる世界では怒りは長続きしないんだ。だから、最期に残るのは感謝の念だけだ。大丈夫。君にもいつか理解できるよ。」
ここでいう美とは、キャロリンの求める成功や、フランクが必死に取り繕う男らしさではない。リッキーが愛したような、何でもない風に舞うビニール袋のような美しさだ。
そうだ、私たちもまたビニール袋のようにちっぽけで取るに足らない人生かもしれない。だが、それこそが美しいのではないか。