※以下の考察・解説には映画のネタバレが含まれています
北野武が映画監督として脚光を浴びたのは、その比類なき暴力表現のリアリズムにあっただろう。それはハリウッドのアクション映画とは対極にある、「ヒリヒリするほど怖い」暴力だ。爽快よりも冷酷、盛り上がりも何もなく、ただ一瞬ですべてが終わる唐突さと潔さ。
昨今の北野映画は『アウトレイジ』シリーズに象徴されるようにセリフの量も多く、一般にも理解しやすいエンターテインメントな作風になっているが、初期の北野映画は、セリフは少なく、画とカットで語るような作品だった。そのため、初期の北野映画は、海外で高い評価を得ながらも、日本国内の興行収入はそれに見合うものではなかった。海外で絶賛された『ソナチネ』は国内では一週間で公開打ち切りになったという。
『BROTHER』
そんな中でエンターテインメントを意識して制作された北野映画が『BROTHER』だ。
『BROTHER』は北野映画としては9作目の作品となり、2000年に公開された。監督・脚本・編集・主演はビートたけしが務めている。
今作は『ソナチネ』以来のヤクザ映画となったわけだが、その実態はヤクザ映画の皮を被った戦争映画ではないかと思う。
真珠湾攻撃
『BROTHER』の登場人物の名前が、第二次世界大戦期の日本の軍人から採られているのは有名な話だ。例えば、ビートたけし演じる山本の名前は、大日本帝国海軍大将である山本五十六から、寺島進演じる加藤は陸軍少将であり、加藤隼戦闘隊でも知られる加藤建夫からだと思う。他にも石橋凌演じる石原は陸軍中将の石原莞爾からの拝借だろう。
彼らがロサンゼルスで急速にその勢いを増していくも、逆に巨大マフィアによって滅ぼされていく様は、かつての大戦中の日本と全く同じだ。
北野武は『BROTHER』のストーリーについて「ほぼ真珠湾攻撃と同じ」と述べている。
真珠湾攻撃を起点として、アメリカも第二次世界大戦に参戦し、大戦は連合国側と、日本・イタリア・ドイツという枢軸国側との戦いになった。
実際、日独伊三国同盟は締結されていたものの、ドイツもイタリアも日本からは地理的に遠く離れていることもあり、同盟そのものはほとんど日本に対してメリットを与えなかった(同じく日本はイタリア・ドイツ両国に対してもまたメリットをほとんど与えていないのだが)。そのため、ほぼ日本は孤立無援で戦ったと言っていい。
さて、その真珠湾攻撃だが、そもそも奇襲狙いであったという説や、宣戦布告のタイミングが間に合わなったなど複数の説があるものの、開戦の理由としてはアメリカから石油などの資源の供給を絶たれ、戦争せざるを得ない状況に追い込まれたからと言っていいだろう。
『BROTHER』の山本も敵対する暴力団組織に命を狙われ、生きるためには海外へ逃亡するしかなくなる。生粋の武闘派である山本は逃亡先のアメリカで、ドラッグの売人をやっていた弟のケンとトラブルを起こした敵対組織の人間を殴り倒したのを皮切りに、ケンやその仲間のデニーらとともに次々と組織の人間を殺していく。
日本から山本を慕ってアメリカにやってきた舎弟の加藤に、山本はく「こっちでも戦争になったんだよ」と言い放つ。まさに真珠湾攻撃ではないか。ちなみに真珠湾攻撃を指揮したのもまた、山本五十六であった。
真珠湾攻撃のあともしばらくは日本軍は連戦連勝だった。山本たちの組織もそうだ。どちらも勝ち続けなければ生き延びることができないという意味では共通している。
しかしながら、日本はミッドウェイ海戦で敗北し、戦局はアメリカ側に有利となった。
『BROTHER』では組織の力を強めるために、日本人街を仕切るマフィアのボスである白瀬を配下に加えたために、暴走がエスカレートし、巨大マフィアからの報復に遭うことになる。
ちなみに『BROTHER』の主要キャストの中では、白瀬の名前は軍人由来の名前ではない。軍隊同様、ヤクザの世界にも厳しい上下関係やしきたりがある。『BROTHER』ではそのあたりも丁寧に美しく描き出している。
日本人マフィアとヤクザの違い
山本の兄弟分である原田が、敵対していた暴力団から盃を受ける場面や、その組長の祝いの席など、暴力団が決してアウトローの集団ではなく、独自の秩序と掟を持った組織であることがわかる。
これに対して、白瀬はそうではない。兄貴分の山本の目の前で喫煙し、叱られてもすぐにまた喫煙を始める。そして山本の忠告を無視して無軌道に敵対組織の人間たちを血祭りに上げていく。この他にも『BROTHER』では日本人マフィアである白瀬と、ヤクザの決定的な違いが描かれる。
当初、白瀬は山本の傘下に入って欲しいという加藤の頼みを無下もなく断る。加藤は部下とともに山本の待つリムジンへ向かう。加藤は山本に「行くぞ」と言われるが、加藤は「ちょっと用があるんで」と、そのリムジンには乗らずに再度単身、白瀬のもとに戻る(この時、山本はリムジンの中で何かを悟ったような表情を見せているのが印象的だ)。
白瀬のもとに戻り、「アニキには命を懸けている」と言い、再度傘下に加わるように説得する加藤。白瀬はそんな加藤に銃を手渡す。すると加藤は自分の頭を撃ち抜き、文字通り「命を懸けている」ことを証明するのだった。
この時の白瀬は予想外の事にあっけにとられ、呆然とした表情を見せている。
一方、ヤクザの方の例で言えば、山本の兄弟分である原田の切腹のシーンが挙げられる。
組長の祝いの席で、もともと敵対組織の人間だった原田が組織に組織に加わることに不満だった組員が「腹の中の見えない人間とは仲良くできない」と原田を揶揄する。それに激昂した原田は「腹の中を見てもらおうか」と切腹するのだが、腹から腸が飛び出している男を目の前にしても平然としている組長の姿は白瀬のそれとはあまりにも対照的だ。
『BROTHER』の中で、ヤクザを侮蔑する言葉として「チンピラ」と言う言葉に山本らが激昂する場面がある。『アウトレイジ』でも同様だ。思うに白瀬という男はヤクザ、マフィアというよりも「チンピラ」と形容したほうが本当は正しいのではないかとも思う。
山本の組織は白瀬を筆頭に勢力を拡大しすぎたために、組織はマフィアからの復讐を受け、一人ひとり殺されていき、組織は瓦解する。
白瀬も外出のために車に乗り込もうとしたところで車ごと爆殺され、復讐へ向かった白瀬の部下たちも全員殺される。弟のケンも、山本自身もマフィアに銃撃され、命を落とす。
なぜ北野武は「負け」を描くのか?
北野武の映画は主人公が負ける結末が多い。そしてその多くが負け=死でもある。それも、抗争に負けて殺されるのではなく、自ら死を選ぶものも少なくない。
北野武は「銃を持った人間は幸せになれないような物語にしている」と自身の監督作について語っているものの、どんな抗争にも敗者がいれば対となる勝者がいるはずだ。これだけでは主人公側を負けさせる理由にはならない。
北野武は『ソナチネ』の中で自身が演じる主人公に「死ぬのが怖いと逆に死にたくなってしまう」との台詞を喋らせている。
また、『ソナチネ』公開の翌年にはバイク事故で生死の境を彷徨うほどの重傷を負う。北野武はこのことについて「一種の自殺だったのかもしれない」と述べている。若い頃は死ぬことに対して強い恐怖を抱いていたが、バイク事故の後では、死そのものの恐怖や、生への執着は薄れていると語っている。ただ今も「もしかしたらこの現実は植物状態になっている自分が見ている夢なのかもしれない」という感覚があると著書で述べている限り、死への恐怖もまだ残っているのだろう。
北野映画にはバイク事故の前後で大きな違いがあるという意見がある。『ソナチネ』までの結末は、救いようのないもの、しかし、バイク事故以降の作品は絶望的な結末の中にも微かな希望が含まれているというものだ。
その意見には確かにと思う。『キッズ・リターン』でのラストの有名すぎる台詞「俺たちもう終わっちゃったのかな」「バカヤロー、まだ始まっちゃいねえよ!」これはバイク事故を経験した北野武の心情そのものだろう。
『HANA-BI』にしても、エンディングの死そのものが苦しみからの解放という側面を持っている。
北野武が繰り返し死を描くのは、死に関するトラウマから抜け出すための一種のヒーリングではないだろうか。
加えて今作『BROTHER』においては死そのものが強烈なメッセージを帯びている。先に述べた加藤と原田の死がその代表だ。
負ける側にも道理があり、意地がある。こと『BROTHER』においてはそれが顕著だ。
そして、先にも述べたように、わずかな希望も描かれている。それがケンの売人仲間である黒人のデニーだけが唯一生き延びるというラストシーンだ。
組織の人間が次々に殺されていく状況で、山本はデニーに「逃げろ」といい、日本から持ってきた着替えの入ったカバンを渡す。山本がマフィアの銃撃に倒れた後、絶望の中で遠くへクルマを走らせていたデニーは、山本から受け取ったカバンを開ける。そこにはカバン一杯の札束が入っており、「イカサマで取り上げた60ドル、利子を付けて返す お前の兄貴山本」とメッセージが添えられていた。感涙するデニーが「愛してるぜ、アニキ」とか声を上げた所で、本作は幕を閉じる。
デニーもまたマフィアに家族を殺された。そんな中で唯一残ったのが、山本との「兄弟」の絆であった。
『BROTHER』の意味は兄弟だが、そこには様々な「兄弟」の形がある。異母兄弟である山本とケン、山本と原田のような、ヤクザの世界での「兄弟分」、山本と加藤の関係は兄貴分と舎弟と言えるだろう。
デニーと山本はなぜ「兄弟」になれたのか?
では、なぜデニーと山本は兄弟とも呼べるほどの絆を持てたのか?
それは作中を通して、山本と真に交流できたのはデニーだけだったからではないかと思う。ケンとは確かに血の繋がった兄弟ではあるものの、ケンは山本には物理的な居場所は与えるものの、必要以上に交流しようとはしない。
ロサンゼルスへ単身やってきた山本だが、その精神は孤独で疲弊もしていただろう。そこを癒やしていたのはデニーの存在ではないか。言葉が通じないにもかわかわらず、懸命に山本とコミュニケーションを取り、談笑まで交わす間柄となった。
山本とデニーの出会いは、デニーが山本をケンの兄とは知らずに観光客だと思い込み、いつものように観光客目当てのタカリを行った時だが、このときは山本に割れたワイン瓶で目を突かれた挙げ句、腹を殴られている。しかし、ケンの兄として山本と再会した時にはそのことを問い詰めることもなく、それどころか一人になる山本の遊び相手を務めようとさえしている(この時の遊びで山本はデニーにイカサマを行う。それが前述のラストシーンの伏線になっている)。
一方のケンといえば、山本が留学費用を工面したにも関わらず、学業に打ち込まずにドラッグの売人になっていた。
ケンとの別れでは山本はケンに何も手渡さないが、デニーには(大金の入った)バッグを渡している。
北野武は、『HANA-BI』でベネチア国際映画祭金熊賞を、受賞した祭、『また一緒に組んでアメリカを攻めよう』とスピーチした。黒人もかつて白人たちの奴隷だった過去がある。『BROTHER』はそんな日本やマイノリティからの宣戦布告に思えてならない。