※以下の考察・解説には映画のネタバレが含まれています
エンターテインメントの対極にある音
2023年度のアカデミー外国語映画賞を受賞した『関心領域』はそのアイデアもさることながら、音が凄かった。
音さえなければ、ただのドイツ兵の一家を写した退屈なフィルムだ。だが、そこに誰かの泣き叫ぶ声や銃声、怒号が聞こえる。
一家の庭にある塀を隔てた向こうはアウシュヴィッツ強制収容所。そこからの「音」はもれなく濃厚な死の匂いをまとっている。
それはアクション映画の銃撃戦とは全く異なる音だ。銃声の一つ一つに背筋が凍る思いがする。エンターテインメントの対極にある音なのだ。
[itemlink post_id="4198" size="L"] 2024年3月に開催された第96回アカデミー賞では、『オッペンハイマー』が作品賞に輝いた。やはり、アカデミー賞の各部門の中で作品賞が一番の華だろう。 加えて『ゴジ[…]
『シビル・ウォー アメリカ最後の日』のアレックス・ガーランド監督もまた劇中の音にはこだわったと述べている。
通常のアクション映画は銃声の音を加工して、銃声にサブベースと言われる低音を加えるのだという。それによって、まるで銃声がクラブの重低音のようにカッコよく聞こえるようになるらしい(おそらく『ジョン・ウィック』などはその代表例ではないか?)。
だが、ガーランドは本物を目指した。よくある、大爆発の後の耳鳴りを表現した高音なども使わなかった。
なぜか。『シビル・ウォー アメリカ最後の日』で描かれる争いをリアルなものとして観客に受け止めてほしかったからだ。
『シビル・ウォー アメリカ最後の日』
『シビル・ウォー アメリカ最後の日』は2024年に公開された戦争映画。主演はキルスティン・ダンストが務めている。
物語は内線状態になったアメリカ。連邦政府と、テキサス・カリフォルニアの西部同盟が対立して戦争状態になっている。
大統領は「我々は今や勝利の目前にいる」とテレビ演説で話すが、14ヶ月以上にわたって取材を受けていない。
伝説的な戦場カメラマンのリー・スミス、ジョエル、そして彼らの師であるサミーは大統領にインタビューするべく、ニューヨークから1000キロ以上離れたワシントンDCへ向かう。
それは戦場の最前線に行くという、死を覚悟した命がけの行動だった。そして、そこにはリーに憧れる新米の戦場カメラマン、ジェシーも加わることになる。
現在の分断されゆくアメリカ社会の行き着く果てを描いた、風刺的な作品だとは容易に想像がつく。
アイデアは面白いが、同時にこれほどわかりやすいメッセージもない。予告編を観た段階ではそう思っていた。いかにもリベラルなハリウッドが気に入りそうなプロットではないか。
トランプ時代のアメリカ
大統領は金髪に赤いネクタイでトランプ元大統領をイメージしているのは言うまでもない。ちなみにこの大統領に関してはそのキャラクターが多くは語られないものの、本来合衆国憲法で禁じられている三期目の任期の途中であり、FBIも解散させたことが語られている。実はこの設定はそう唐突なものではない。
2020年にトランプ元大統領(当時は大統領)は、11月の大統領選で再選されれば、2024年に3期目を目指すことを示唆した。トランプの顧問弁護士だったマイケル・コーエンはトランプは自分がアメリカの「支配者」、であり「独裁者」であるべきだと考えており、そのため憲法を変えたがっていると断言している。
また、ロシアのプーチン大統領は同じく2020年に大統領の任期制限を撤廃する法案をロシア憲法裁判所に提出している。
本作では内戦の原因に関してはあえて描かれない。描かれないことで私たちは日常に潜む、あらゆる分断の火種を意識するようになるからかもしれない。しかし、現実にその萌芽は確実にあるのだ。
また、ガーランドは怒りが本作を製作する上でのモチベーションになったという。『シビル・ウォー』の脚本が書かれたのは2021年。トランプはコロナ禍でも「コロナウイルスの治療には消毒剤を注射すべきだ」などとのデタラメを繰り返した。その極致が「アメリカ合衆国議会議事堂襲撃事件」だろう。
2021年1月6日、トランプは支持者に向けて暴力を煽るような演説を行ない、ペンシルベニア大通りを連邦議会議事堂まで行進することを促した。それを受けて、少なくとも数千人のトランプ支持者が連邦議会へと行進し、そのうちの一部が連邦議会議事堂に乱入し、占拠する事件が発生、5人が亡くなる事態となった。
2017年1月、ドナルド・トランプが大統領に就任した。だが、ハリウッドの名優たちはこぞってトランプに反発した。 例えば、メリル・ストリープはゴールデン・グローブ賞の受賞式で、明言は避けながらもドナルド・トランプについて「無礼は無礼[…]
ガーランドは事件についてこう述べている。
「『暴力的な言葉』が『暴力的な行動に変わる』と警鐘を鳴らしていたにもかかわらず、人々は聞く耳をもたなかった。そしてその通り、2021年1月6日に連邦議会議事堂襲撃事件が起きた。
ドナルド・トランプの暴力的な言葉が、彼を支持する人を襲撃事件へと駆り立てた。
事態は悪化し続け、私の怒りも増していった。だから、ある意味、怒りを抑えるのに比べたら、映画を作るのは大変ではなかった」
ただ、市民の政府への怒りは映画でも表現されている。冒頭のニューヨークでも水不足による暴動が起き、電気の供給もままならない様が映し出される。内戦によって、国内全体のインフラが不安定になっているのだ。
カリフォルニア州とテキサス州の同盟
内戦と言えば、実際にアメリカが北部と南部に分裂して争った南北戦争がある。
その時の北部の大統領はかのエイブラハム・リンカーン。南北戦争の焦点は奴隷制についてであり、リンカーンの有名な奴隷解放宣言はこの南北戦争の背中に発布されたものだ。
リンカーンがいかに奴隷制の廃止を目指したかということについては、2012年に公開されたスティーヴン・スピルバーグの『リンカーン』に詳しい。そこには、偉人のイメージとは程遠い、裏工作や賄賂に明け暮れるリンカーンの姿も描かれている。
本や評伝の上では広く讃えられる人物でも、な割り切れない生々しさを持つ一人の人間であったということか(もちろん、そこまでしても奴隷制を廃することがリンカーンの大きな悲願であったということなのだが)。
『シビル・ウォー』で描かれることもそうだ。それは「いがみ合っていたらまた南北戦争が繰り返される」ということではない。南北戦争では奴隷制の廃止か否かということが争点となり、どちらが正しいかは明白だった。だが、現在はそんな単純なものではないとガーランドは述べている。
何しろ、カリフォルニア州とテキサス州が同盟を組むのだ。カリフォルニアはリベラルな州だが、テキサスは保守的でその地域柄はまったく逆のようにも思える。
「これは問いかけ。2つの州が手を組むことがそんなに想像し難いことなのか、と。
もし、この設定を“ありえないこと”と思うなら、それはなぜ?ということを考えてほしい。右対左の抗争が、ファシズムに抗うことよりも重要なことなのか。
自分自身が真っ先に抱く疑問、という気持ちから作った」
これは余談だが、テキサスは1980年代から連続で大統領選挙の際には共和党が勝利しているが、年々民主党の勢いも増していると言う。さらに経済成長率もアメリカの中ではトップクラスに高い。
名目成長率は200年~2017年の間、平均して4.8%と全米3位の伸び率を記録している。また2017年までの過去10年間の人口増加数では全米No.1となっており、その割合も移民やニューヨークやロスからの移住者も多いという。そうした人々は民主党支持者が多い。そうなると、カリフォルニアとテキサスが同質化する未来も割とリアルだと言える。
狂気のロードムービー
リー達は「PRESS」と大きく書かれたバンでワシントンへ向かう。だが、その道中は『地獄の黙示録』を彷彿とさせる、狂気のロードムービーに仕上がっている。
まず、立ち寄ったガソリンスタンドでは、住民らが裏で略奪者を凄惨なリンチにかけており、2日間にわたって手を縛られ吊るし上げられていた。住民の一人は「今ここで殺すか、もっと痛めつけるか、どっちがいい?」とジェシーに問う。ジェシーはあまりのショックに写真を取ることも忘れて呆然とする。
ここで注目したいのは、無秩序状態になっていることもそうだが、米ドルが価値をなくしていることだ。現実にはドルが基軸通貨なのだから、価値がなくなることはありえないが、内戦状態だとそれもあり得るのかもしれない。『シビル・ウォー』の世界では米ドルよりもカナダドルの方がはるかに価値があるのだ。
続いて訪れたウエストバージニアでも銃撃戦が昼夜続いていた。
冒頭でも述べたが、とにかく『シビル・ウォー』の銃器の音は不快だ。低音の丸みがなく、鋭い。冷たい金属の感じのする音だ。
そしてこの映画は目の前の人があっけなく次々に死んでいく。丸腰で投降しようがお構いなしに殺していく。
大前提として、戦争はイコール無法状態ではない。戦争とはあくまで外交手段の一つであり、戦争もまた国際法の支配下にある。むろん、内戦であってもそうだ。しかし、『シビル・ウォー』はそうではない。民間人だろうが、丸腰だろうがとにかく兵士は相手を殺していく。その究極とも言えるのが、その次のシーンだ。
リーは車を走らせていると、後ろから猛烈な勢いで追いかけてくる車に気づく。警戒するリー達だったが、その正体はジョエルの旧友のジャーナリスト、トニーとボハイだった。ボハイはリーらの車に飛び乗り、ジェシーもまたトニーの車に飛び移る。しかし、先に進んだはずのジェシーの乗った車が見えない。
ジェシーは政府軍の兵士に捕まって、尋問を受けていた。兵士のトラックには民間人の遺体がゴロゴロ何人も積まれ、それらは大きな穴の中に無造作に捨てられている。まるでアウシュヴィッツで処分され、捨てられたユダヤ人たちのようだ。
What Kind of an American Are You?
リー達はジェシーを助けに行く。すでにトニーは殺されている。
「お前はどんな種類のアメリカ人だ?」兵士はリーらに一人一人尋問していく。
『地獄の黙示録』で好き勝手に森を焼き払い、女子供を虐殺する前線の兵士たちを彷彿とさせる、戦争の狂気を具現化させたような場面だ。
恐怖で泣きじゃくるボハイにも同じ問いをする。「お前はどこから来た?」
長い沈黙の後に答える。
「香港だ」
その瞬間、兵士はボハイを殺す。ジョエルは激しく慟哭する。
ちなみにこの残忍な兵士を演じたジェシー・プレモンスは、プライベートではリー役のキルスティン・ダンストの夫でもある。この場面は本作でも最も緊張感ある場面だが、それを知っておくと少しは気持ちも和らぐかもしれない。
ちなみに「お前はどんな種類のアメリカ人だ?(What Kind of an American Are You?)」は第一次世界大戦期の1917年に発表された楽曲のタイトルでもある。
歌の内容はアメリカ人に対してこの戦争を利用してアメリカへの忠誠心を証明するよう促すものだ。日本語訳を掲載しよう。
あなたはどんなアメリカ人なのか?
何をするつもりかを示す時が来た
もし彼らが古き栄光を踏みにじったとしたら、あなたは彼らが正しいと思うだろうか、
それとも、自分の土地を守って全力で戦うだろうか?
あなたはどんなアメリカ人なのか?
それはあなたが答えなければならない質問だ
星条旗を見ても立って応援できないなら、
それで、ここで何をしているのか?
アメリカのジャーナリスト
サミーの運転する車が兵士たちを轢き倒し、間一髪でリー達は兵士たちから逃げる。しかし、追撃してきた兵士の銃弾に撃たれ、サミーが亡くなる。
リーたちは仲間や友人を失いながらも、西部連盟とともにワシントンDCへ向かう。
すでに政府軍は敗北を宣言しており、ホワイトハウスは陥落寸前だった。リーやジェシーはワシントンの戦闘の様子をカメラに収めていく。
ガーランドは『シビル・ウォー』では内戦状態だけでなく、そこを取材するジャーナリストを描きたかったという。ガーランドの父親もまたジャーナリストだった。
ハリウッドにはジャーナリズムをテーマにした作品が多い。このサイトで紹介しているだけでも『SHE SAID/シー・セッド その名を暴け』、『大統領の陰謀』、『フロスト×ニクソン』、『ニュースの真相』『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』、『グッドナイト&グッドラック』、『フロントランナー』など、ハリウッドには実際に権力と戦ってきたジャーナリストの実話を元にした映画が多い。
ハリウッド映画の中のジャーナリストはたとえそれが負け戦であっても、真実を求める英雄として描かれており、実際に彼らの記事や発言は世間を動かし、時に歴史すら変えてしまう力を持つこともある。
[itemlink post_id="4013" size="L"] [sc name="review"][/sc] 映画評論家の淀川長治氏の映画解説の最後はいつも「サヨナラ サヨナラ サヨナラ」だった。 当初はサヨナラの回数[…]
『シビル・ウォー』を観て驚くのは、戦場の最前線であっても、ジャーナリストが邪魔者扱いされていないことだ。 そもそも、ジャーナリストの社会的な地位が日本に比べて高いことに加え、その社会的な意義も比べものにならないほど高いのだろう(日本とジャーナリストについては「なぜ日本では実際のジャーナリズムをテーマにした映画は作られないのか?」で詳しく書いているので参照されたい)。
ただ、ガーランドはジャーナリストが軽んじられている状況に警報を鳴らす。
「いまの時代の一つの特徴としてジャーナリストが敵視しされがち。腐敗した政治家がジャーナリズム、ジャーナリストを矮小化している。これは世界中で起きていること。
例えば、ジャーナリストがデモを取材しようとすると、唾をかけられたり、肉体的なものや言葉の暴力を受ける。こういう状況は狂気の沙汰。
国を守るため、生活を守るためにジャーナリズムは必要。いろいろな政治家がジャーナリストを悪者に仕立て上げているけれど、自分は彼らをヒーローとして描きたかった」
だからこそ『シビル・ウォー』ではジャーナリストたちが主人公なのだ。
白か黒かではない戦争
リーは望んだはずの戦場の最前線にいながらも苦しそうな表情を浮かべる。かたやジェシーはアグレッシブに写真を撮り続ける。これはどういうことだろう?
「『シビル・ウォー』のテーマの一つは、年長者が自分よりも若い人が優れていることに気づくことであり、それが彼らにどんな感情を抱かせるかという話でもある。この作品で描いているのは、年配のジャーナリストたちが崩壊していく様子だ。彼らの中では内面的な内戦のようなものが起こっていて、それによって徐々に蝕まれていく。そして、若くて野心的なジャーナリストが、ある意味でその年配のジャーナリストを打ち負かす」
クライマックスでは、ホワイトハウスで反政府軍は、丸腰の大統領秘書官の女性も射殺し、シークレットサービスとの銃撃戦になる。ジェシーは銃撃戦の真ん前で写真を撮り続け、リーはそんなジェシーを庇って犠牲になる(個人的にはジェシーに「防弾チョッキを着ていろ」と言っていたリーだから、きっと防弾チョッキを着ているんだろうなと思っていたが、ガーランドはインタビューの中でリーは死んだと明言している)。
それでもジェシーはリーが撃たれた瞬間や倒れる様子を含めて写真を撮り続ける。
ジェシーはあの兵士に捕まり尋問された後に「命の躍動を感じた」とリーに伝えている。個人的には自らの悪ノリ(トニーの車に乗り移る)が事態の悪化を招いた一因にも関わらず、身勝手な感想だとも思うが、リーもそんな彼女の言葉に切ない視線を向けている。
最初はそれを身勝手なジェシーへの侮蔑かとも思ったが、まだリーほどの傷を抱えていないジェシーへの羨望でもあったのかもしれない。
反乱軍は大統領を引きずり出す。今にも大統領を殺しそうな兵士たちにジョエルは「ちょっと待て!と言い、大統領の最後の言葉を聞き出す。
「彼らに私を殺すなと伝えろ」
その言葉の直後、大統領は射殺される。
ガーランドは本作をわかりやすい白か黒かではない作品だと語っていた。反乱軍のこの残酷さはどうだろうか。かつてアメリカが「悪の枢軸国」と呼んだイラク。イラク戦争自体の正当性も否定される中で、それでもサダム・フセインはその場で殺されることなく(形式的ではあるが)裁判にかけられた。だが『シビル・ウォー』にはそれがない。
反乱軍はファシストと戦うという大義を負っているはずだが、彼らもまた問答無用という意味ではファシストの素養があるのではないか?
ロシアとウクライナの戦争
個人的にはここでロシアとウクライナの戦争を思い出した。戦争開始直後、大国ロシアと小国ウクライナの戦争について、その国力の差から「ウクライナは早期に降伏したほうが賢明だ」と指摘する日本のコメンテーターからの意見もあった。だが、『シビル・ウォー』をアメリカ大統領側から見ると、早期に降伏した所で命の保証はない。戦争を始めた以上、勝つしかないのだ。支配者が変わるだけならまだいい方だろう。生命や人権を奪われるということがどういうことなのか、日本に置き換えれば、日本語も捨てなければならないかもしれない。職業はおろか、身体的自由や家族も奪われるかもしれない。戦争に負ける、降伏するというのはそういったことではないのか?
分断の時代の夢
エンディングでは大統領の遺体を囲んで笑顔を見せる兵士の写真をバックにアメリカのエレクトロニック/パンクバンド、スーサイドの1979年の楽曲『Dream Baby Dream』が流れる(『シビル・ウォー』の冒頭には同じくスーサイドの『ロケットUSA』も使用されている)。
ちなみにスーサイドというユニット名について、メンバーのアラン・ヴェガはこう述べている。「僕たちは社会、特にアメリカ社会の自殺について話していた。ニューヨーク市は崩壊し、ベトナム戦争が続いていた。スーサイドという名前が僕たちにすべてを物語っていた」
さぁ、ベイビー、夢を見よう
明かりを灯し続けよう
さぁ、明かりを灯し続けるんだ
だが、『シビル・ウォー』の世界における夢とは何なのか?それを本当に「夢」として受け取っていいのか?
今作の終わり方を唐突に感じる人もいるかもしれない。
個人的には大統領の遺体を囲んで笑顔を見せる兵士の写真を見せながら、観客に「これがあなたの『夢』ですか?」と問いかけているように思えてならない。
『シビル・ウォー』を本当に終わらせるのは私たち自身でもあるのだろう。