※以下の考察・解説には映画のネタバレが含まれています
常々、疑問に思っていた。学校で習う「歴史」の内容についてだ。歴史と一口に言っても、政治史、経済史、文化史など切り口によっていくつもの歴史が出来上がり、かつそのどれもが正しく歴史と呼べるものであるとも思う。だが、学校の授業における「歴史」とは政治史と戦争史に余りに偏ってはいないか?そういった意味では歴史を学ぶのは学校でなくとも構わない。
時には思いがけないところから最良の教科書が見つかることもある。
今回は『クレヨンしんちゃん』を歴史の教科書として紹介しよう。
『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦』
『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦』(以下『戦国大合戦』)は2002年に公開された映画版『クレヨンしんちゃん』第10作目の作品だ。監督は原恵一、声の出演は矢島晶子らが務めている。
歴代『クレヨンしんちゃん』の劇場版の中でも前年に公開された『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』と並んで人気の高い作品だ。
2002年度文化庁メディア芸術祭アニメーション部門大賞や第57回毎日映画コンクールアニメーション映画賞に選出されていることからも名作だということがわかると思う。
今作は主人公の野原しんのすけがひょんなことから戦国時代へタイムスリップしてしまう話だ。
戦国時代の地名や人物名は全て架空のものではあるが、合戦の場面や食事などは時代考証に対してかなり正確に作られている。
また、今作は一人の女性の自立の物語として観ても興味深い。20年以上前の映画ではあるものの、今の時代ともリンクする普遍性がある。
時代考証に即した合戦描写
まずは内容を紹介していこう。
ある日、野原一家は家族全員が同じ夢を見ていたことに気づく。その夢には共通して美しいどこかの姫君が登場していた。そのときは同じ夢を見るくらい家族は一心同体ということで片付けられたのだが、ある日シロが夢中で庭に穴を掘っていた。しんのすけは穴を埋めようとするが、シロは必死にそれを止める。あきらめてシロとともに穴を掘ると、中から古い手紙が出てきた。その内容はしんのすけの字で「おらてんしょうにねんにいる おひめさまはちょーびじん」との言葉が書いてあった。
目覚めるとしんのすけは見知らぬ場所にいた。なんと戦国時代の合戦の真っ只中にいたのだ。
ここでの合戦描写にまずは注目したい。戦国時代の合戦はいわゆるチャンバラではない。武士といえば刀のイメージかもしれないが、この時代の主な武器は槍である。それも突くのではなく、叩く。
『戦国大合戦』も槍は同様の使われ方をしている。槍が合戦に好都合だったのは、槍が長い分だけ相手の攻撃か直接自分に届く可能性が低く、前線の侍にとって比較的恐怖を感じすに済んだということがある。
また、盾として使われた竹束もこの場面に登場している。アニメの絵からは竹であることは判別できないものの、その名の通り、竹を束ねた盾だ。
当時すでに鉄砲は武器として戦場に投入されていたが、鉄砲相手にそれまでの木の盾は通用しなかった。それで考えられたのが竹束だ。
当時の鉄砲の弾丸は丸く、破壊力こそあったものの、貫通力や飛距離は大したことがなかった。竹束は表面が丸いため、貫通力を減らすことを目的とした盾だ。
青空侍
さて、ひょんなことから井尻又兵衛由俊という侍の命を救ったしんのすけは、又兵衛からお礼として春日城へ案内される。この場所は遥か昔のかすかべ市だったのだ。
お城には城主の娘である廉姫がいた。
「おい、青空侍、死に損なったらしいな、お前のことだ、どうせぼんやりと空でも眺めていたのだろう」
その姿はあの夢に出てきた姫君だった。
又兵衛は廉姫から青空侍と呼ばれている。又兵衛と廉姫は互いに惹かれ合いつつも、身分の違いから互いに気持ちを打ち明けることができずにいた。
監督の原恵一は当初この「青空侍」をタイトルにすることにこだわっていたという。
その頃、ひろしとみさえは突然いなくなったしんのすけを必死に探していた。
そして、庭でしんのすけの「手紙」を見つける。
もしかしてしんのすけは戦国時代へタイムスリップしたのではないかという仮説をもとに、ひろしとみさえもしんのすけを求めて戦国時代へ向かう覚悟を決める。
「しんのすけのいない世界に未練なんてあるか!」
やはり原恵一監督のひろしには名台詞が多い。
マイカーにさまざまな物資を詰めこみ、ひまわり、シロとともに野原一家も戦国時代へタイムスリップする。
又兵衛と廉姫は野原一家の暮らす未来のかすかべの様子を聞き、武士も侍もいなくなったことに驚きつつも、平和な未来に安堵する。そして、城主である春日和泉守康綱は廉姫を政略結婚のために大蔵井高虎に嫁がせることを止めることに決める。
だが、それを知った大蔵井高虎は廉姫の断りを口実に春日に攻め入ることにする。
苅田狼藉
ここでは合戦前に苅田狼藉が描写されていることに注目したい。
春日城は城の周りに田んぼや畑があるが、大蔵井高虎の軍勢は城に攻め入る前に田畑の作物を刀で刈っていく。これは何のためにするのかといえば、一種の兵糧攻めと敵を畑に向かわせるためでもある。
そして戦が始まる。前に述べたように、当時の鉄砲は飛距離はそう良くないため、又兵衛は敵を城まで十分に引き付けてから鉄砲を放つという戦法を取る。「一人も中に入れるな!」又兵衛はそう叫ぶが、とうとう城の陣地のなかに敵の侵入を許してしまう。
「佐久間権兵衛一番乗り!!」
実はこれは単なる台詞ではない。敵陣に一番乗りの武士には恩給が支払われる。戦場にはそれを記録する係の者(軍目付)もいた。権兵衛はその直後に又兵衛に討ち取られてしまうが、その場合でも権兵衛の家族にしっかり恩給が支払われる仕組みだったという。
一方でみさえらもおにぎり作りで又兵衛と廉姫に協力することになる。
「うんと塩をきかせるのじゃ!」
力仕事の多かった当時の武士たちは濃い味付けを好んだという。塩分摂取には脱水症状を防ぐ効果もあっただろう。
ちなみに現在私たちがイメージするように白米を海苔で包んだおにぎりのスタイルが登場するのは江戸時代後期になってからで、まだこの時代には存在しない。
また、栄養分の多くを米(とは言っても玄米や麦などを混ぜたものが多かったようだ)から摂取していたため、その食べる量も桁外れに多かった。一回の食事で茶碗5杯分もの米を食べていたようだ。
タイムスリップの意味
さて、『戦国大合戦』へ戻ろう。やはり合戦のなかでは槍がメインの武器として用いられているが、礫を投げるいわば投石のようなことも当時の合戦では行われていた。
『戦国大合戦』より少し前の時代の作品にはなるが、『もののけ姫』の中でもサンに同じように礫をぶつけて気絶させる場面がある。槍や刀だけでなく、投石もまた身近な戦闘手段だったのだろう。
又兵衛と高虎の戦いは又兵衛側が劣勢に追い込まれようとしていた。そこに野原一家が自動車で現れる。爆走する自動車に戸惑い、高虎の軍勢は散り散りに乱れてしまう。この機に又兵衛は高虎の軍勢に攻め入る。
高虎は野原一家の攻撃によって倒れる。すかさず首を取ろうとする又兵衛にしんのすけは高虎を殺さないように懇願する。
「このおじさん悪いやつだけどもう大丈夫だよ、おまたのおじさん強いこと分かったからもう攻めて来ないよ、だから許してやろうよ」
そこで又兵衛は高虎の髻を切り取る。これはちょんまげのまげの部分を指し、武士の魂とも言えるものだった。すなわち、これを取られるということは死よりも恥ずべきことでもあったのだ。
こうして合戦は又兵衛の勝利に終わるが、その帰り道、又兵衛は誰かに銃撃され、命を落とす。
「俺は、お前と初めて会ったあの時、撃たれて死ぬはずだったのだ…。だが、お前は俺の命を救い、大切な国と人を守る働きをさせてくれた。お前はその日々を俺にくれるためにやってきたのだ」
そう又兵衛は言い、自分の運命を悟る。
この主要登場人物が命を落とすというのはテレビ局や広告代地点から猛反対を受けたというが、原作者である臼井義人から許可をもらったことで製作が進められたという。
ここで初めて身近な人の死に触れたしんのすけは大粒の涙を流す。しんのすけの泣き顔が正面から描かれたのは唯一と言っていい。
個人的に死を感動の道具として利用したような映画は好きではないが、『戦国大合戦』はそうではない。死に直面した時にこそその人の本質が現れるというが、又兵衛が心から強く優しい人間であることがよくわかる。だからこそ泣けるのだろう。
廉姫の物語
また、『戦国大合戦』を廉姫の側から見ていくと、女性の自立と勇気を描いた作品だとも言える。その意味では『戦国大合戦』は廉姫の物語でもある。
作品序盤の廉姫は、又兵衛への気持ちを抑えて、政略結婚で顔も知らない大名の元に嫁ぐ自分の運命を受け入れている。それは戦国の世の大名の娘としては当然のことだっただろう。
だが、しんのすけたちとの出会いによって、未来には争いもなく平和であること、そして武士もいなくなっていることを知る。そして、少しずつ自分の生き方を模索していく。元来はお転婆でサバサバした性格でもあるのだろう。後半にかけて廉姫がだんだん自分の心のままに行動する強い女性へと少しずつ変化している。そして、又兵衛を失った廉姫は、自分の生き方を宣言する。
「うん、こんなに人を好きになることはもう二度とないと思う。だから私はこの先誰にも嫁がない。」
そして、野原一家はもとの時代にタイムスリップする。
かすかべの我が家の庭に戻った野原一家だったが、見上げた青空には、又兵衛の旗と同じ形の雲が浮かんでいた。
同じころ、廉姫も同じ雲を見上げて呼び掛ける。
「おい、青空侍。」