『大怪獣総進撃』人間に利用されたゴジラの哀しさ

「ゴジラ再生につながる作品にしたい」
最後の監督作となった『メカゴジラの逆襲』で本多猪四郎はそう意気込んだ。
恐怖の象徴であったはずのゴジラが回を増すごとに子供たちのヒーローとなってしまったやるせなさが本多の心にはあったのだろう。

1954年に公開された第一作目の『ゴジラ』は紛れもなく本多猪四郎の戦争体験だった。放射能をまき散らして東京を蹂躙する怪獣は、原爆や東京大空襲の惨禍を思わせた。
戦争が終わって80年以上が経ったが、『ゴジラ』は今なおリアルな戦争体験をフィルムの中にそのまま閉じ込めている。

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本多猪四郎が戦争をテーマに映画を撮ったのは『ゴジラ』が最初ではない。その前にも『太平洋の鷲』で円谷英二とともに日本帝国海軍大将の山本五十六の半生を描いている。
だが、『太平洋の鷲』は戦争の恐怖を描いた作品というよりも、山本五十六を通して、戦争の虚しさや意味を問う作品であった。

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やはり、戦争の恐怖は『ゴジラ』に最も表れている。

この世の終わりがやってきた

本多は3度徴集され、合わせて8年間を軍隊で過ごした。戦争の中で本多の兄弟は皆亡くなった。終戦で中国から日本への引き揚げの際に見た、原爆投下後の広島の風景は忘れられないという。

「この世の終わりがやってきたと思った」

そう本多は述べている。その時の広島に関する本多の思いはその妻、本多キミの著作である『ゴジラのトランク』に詳しい。少し長いが引用したい。

「広島にはね、草木一本生えてないんだ。街には色がないんだ。墨絵のようだった。一緒に乗っていた人は”あと72年間は何も生えないそうだ”って教えてくれた。俺は何のために戦っていたのだろう。広島に残って生きている人たちのために俺はこれから何ができるだろうって考えて、考えて。でも何も思い浮かばなくってね。
戦争は終わったけれど、原子爆弾はこれからどうなっていくんだろう。進みすぎた科学は人間をどこに連れていくんだって。それまでは無事に帰ってきた安堵感でいっぱいだったのに。あんな気持ち、初めてだったなぁ」

ゴジラ』にはその時の衝撃や核兵器のありのままの恐ろしさが込められている。

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ゴジラの逆襲』

『ゴジラ』は公開されるやいなや大ヒットを記録。すぐに続編が企画され、翌年には『ゴジラの逆襲』が公開される。
しかし、『ゴジラの逆襲』は『ゴジラ』の勢いだけで作られた、準備も時間も十分とは言えない作品だった。それはそのまま作品の評価にもつながっている。『ゴジラ』の持つ反核や反戦のメッセージは薄くなり、戦争の象徴ではなく、モンスターとしての怪獣映画になってしまった(一説には敵怪獣であるアンギラスにソ連からの抑留者を重ねる見方もあるようだ)。

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『キングコング対ゴジラ』

その次にゴジラ映画が撮られるのは1962年の『キングコング対ゴジラ』。これは海外から巨額の費用を出してキングコングの使用権を5年間買い取って制作された作品で、特撮の本家本元のキングコングと、日本が生んだ特撮怪獣ゴジラの一騎打ちという、それまでにないエンターテインメント性が打ち出された。

今作が昭和のゴジラシリーズの方向性を決定づけたという意見も多いのだが、『キングコング対ゴジラ』の監督も務めた本多猪四郎には内心、今作でのゴジラの描かれ方に抵抗があったという。
本多猪四郎の著書『「ゴジラ」とわが映画人生』では、「東宝の怪獣ものの路線の作り方っていうのは、こういうことだと。戦わせたら面白いというだけのものでしょう。ただし、こういうものであっても、監督というのは自分の作品になるからね。それで手を抜くことにはならないんですよ。手を抜いたら、そんなものできるはずないんですよ」と述べており、本多猪四郎のゴジラへの想いと一方では映画職人としての実直さがて見て取れる。

この作品を契機として、昭和のゴジラは基本的には人間側の味方になっていく。
その後も本多猪四郎は、『モスラ対ゴジラ』『三大怪獣 地球最大の決戦』『怪獣総進撃』など昭和の多くのゴジラ映画を監督している。作を増すごとに子どもたちのヒーローへと変質し、擬人化していくゴジラのあり方には否定的だったと言うが(『三大怪獣 地球最大の決戦』でも、すでにゴジラたち怪獣が対話するという擬人的な描写があったが、割り切って演出したと述べている。

『怪獣総進撃』

前置きが長くなったが、ここまでを踏まえて今回紹介する『大怪獣総進撃』を見ていこう。今作もまた良くも悪くも昭和ゴジラらしいゴジラ映画である。
『大怪獣総進撃』は1968年に公開された本多猪四郎監督、主演のゴジラ映画だ。ヒロインは小林夕岐子が務めている。小林夕岐子は1966年の『お嫁においで』でデビューしているが、『お嫁においで』で監督を務めていたのも本多猪四郎だった。

このサイトでも何度か書いているが、日本映画にとっての1960年代は斜陽期まっしぐらであった。
1958年に観客動員数11億人を記録し、ピークを迎えた日本映画界は、『キングコング対ゴジラ』が公開された1962年時点でその半分の5億人強に観客動員数が減少している。『キングコング対ゴジラ』では、視聴率のためなりふり構わないテレビマンの姿が描かれるが、本多猪四郎は「テレビ業界への皮肉だ」と述べている。
実際、当時の映画人はテレビを一段格下の存在として見ているものが多かった。
また、映画館も1960年から1969年までで半数以上が姿を消している。

ゴジラ映画の斜陽

ゴジラ映画もまた、予算のかかるジオラマを必要としない孤島や荒野にその舞台を移していく。そんな中で昭和ゴジラシリーズの最終作として企画されたのが『大怪獣総進撃』であった。
今作では、ゴジラたち怪獣は小笠原諸島の「怪獣ランド」という島で管理されて暮らしている。言わば怪獣版の『ジュラシック・パーク』といったところだ。
舞台は近未来であり、人類は月にまで活動範囲を広げている。公開の翌年には実際にアポロが月へ到達しており、宇宙開発が活発だった時代だ。その背後には冷戦があったため、冷戦の終焉とともに宇宙開発も下降線を辿っていく。先ほど「近未来」とは書いたが、人類が月で暮らすまで、あと何百年かかるかはわからない。

さて、本作では地球侵略を目論むキラアク星人によって、怪獣たちが解放され、世界の都市で暴れまわる。最終作らしい、怪獣たちのオールキャストで制作された本作だが、個人的にはそこに「オールキャストならば、観客は観に来るだろう」との安易な計算を感じてしまう。
実際、怪獣はキラアク星人に操られている存在として登場するが、かといって人間ドラマに鮮やかがあるかと言われれば、残念ながらそうではない。どこかでみたようなドラマが淡々と進行していく。本多猪四郎は予算とスケジュール内でしっかり仕上げてくることでも評価の高い監督だが、本作が本多にオファーされたのはそのような事情あったのではないか。
本多は本多で、前作『ゴジラの息子』の監督である福田純が推し進めてきた、子供たちのヒーローとしてのゴジラ像をいきなりひっくり返すわけにはいかず、本作でも継承したと述べている。

ゴジラの哀しみ

個人的には今作のゴジラには哀しみを覚える。人類の脅威であったゴジラがとうとう人間に管理されるようになってしまったからだ。
子供たちのヒーロー?いや、すでにソフビ人形のように人間の手によって遊ばれるキャラクターにまで堕してしまったように思う。
今回あらゆるゴジラに関する書籍を読んだが、『怪獣総進撃』に関する記述は少ない。本多猪四郎の半生を振り返るインタビューでさえもだ。1983年に公開された『ゴジラ』の評価は決して高くはないが、多くの紙幅が割かれている。そこには作品に対する志があったからだ。

「ゴジラ再生につながる作品にしたい」

『怪獣総進撃』を観ると、本多猪四郎のその言葉がより重く響いてくるのである。

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