アーノルド・シュワルツェネッガーと、シルヴェスター・スタローン
1980年代、アーノルド・シュワルツェネッガーと、シルヴェスター・スタローンは強烈なライバル関係にあったという。
そのことについて、シュワルツェネッガーは後にこう述べている。
「1980年代、スタローンとはただのライバルだった。とにかくどちらがより大きな映画に出られるか、どちらの筋肉が素晴らしいか、どちらの映画がヒットするか、ひたすら競い合っていた。どっちが映画の中でより多くの人を殺したか、どっちの殺し方がよりクリエイティブだったか、どっちのナイフや銃が大きかったかというようにどんどんエスカレートしていって、最終的にはヘリコプターや戦車にしか搭載されないようなサイズの銃をもって走り回るようになっていた」
シュワルツェネッガーは1984年に公開された『ターミネーター』で本格的にブレイクするが、それに呼応するように1985年に公開された『ランボー/怒りの脱出』では『ランボー』とは打って変わって好戦的なアクションがメインの作品となった。
『ターミネーター』ではジェームズ・キャメロンが監督・脚本を務めたが、『ランボー/怒りの脱出』でも当初の脚本はジェームズ・キャメロンによって書かれていた。しかし、スタローンがその脚本をより好戦的な方向へ変えてしまったのだと言われている。
あれ?今回『ダイ・ハード』の解説じゃないの?と思った方もいるだろう。安心してください。もうすぐ『ダイ・ハード』の解説を行います。
しかし、その前に1980年代当時のアクション映画の主流を振り返っていかねば、『ダイ・ハード』の魅力を説明していくことはできない。
そう、1980年代のアクション映画の主流はスタローンやシュワルツェネッガーのような筋骨隆々の超人的な動きをする無敵のヒーローだったのだ。
しかし、1988年に公開された『ダイ・ハード』は以降のアクション映画を変えてしまった。
『ダイ・ハード』
『ダイ・ハード』は主人公のジョン・マクレーンをブルース・ウィリスが演じ、監督はジョン・マクティアナンが務めている。
当初はテレビ俳優であったブルース・ウィリスの人気の無さからあまり期待されていない作品であった(そのために本作のポスターもブルース・ウィリスよりもナカトミ・プラザのビルのほうが目立つようにレイアウトされている)。
だが、公開されると前評判を覆し、その年の北米の興行収入においてアクション映画の本命と目されていた、シルヴェスター・スタローン主演の『ランボー3』やアーノルド・シュワルツェネッガー主演の『レッドブル』を超える売上を記録した。
「人間くさい男」ジョン・マクレーン
その魅力は何だろうか?
『ダイ・ハード』はブルース・ウィリス演じるジョン・マクレーンのキャラクターについて評価されることも多い。
それまでの好戦的かつ無敵の超人ではなく、たまたま事件に巻き込まれ、たまたま自分しか対処できる人がいないので、仕方なく事件と向き合っている。
決して目を見張るようなマッチョマンでもなく、様々な勲章や経歴を誇る能力の持ち主でもない。
ブルース・ウィリスはジョン・マクレーンに対して「人間くさい男」と述べているが、確かにマクレーンは普通の男なのだ。
『ダイ・ハード』は脚本も巧く練られているものの(脚本家の三谷幸喜も本作の脚本の作りを絶賛している)、やはりその根底にはマクレーンという男のキャラクターがあるのだ。
ではなぜこれほど泥臭い男が支持されたのだろうか?考えてみよう。
時代の流れに取り残されつつある男
思うに一つは「古き良きアメリカ」を体現したキャラクターであること。2007年に公開された『ダイ・ハード4.0』ではことさらにその「時代遅れ」感が強調されているが、本作でも外資系(ナカトミコーポレーションは日系企業なので、マクレーンから見たら外資系企業になる)の仕事へを理解しようとしない頑固さや、タッチパネル式の案内に驚く場面、ゲイリー・クーパーや、ロイ・ロジャースなどの戦前〜戦中にかけての映画スターがセリフに盛り込まれるなど、この第一作目においてもすでに時代の流れに取り残されつつあるような男なのだ。
もう一つは先にも述べたように「普通の男」である点。決して超人ではなく、下から秀でた何かがあるわけではない。
これらをさらに深堀りしてみよう。なぜ古き良き普通のアメリカ人が支持されたのか。
『ウォール街』に見る「古き良きアメリカ」
1987年に公開された『ウォール街』にそのヒントはある。
『ウォール街』の監督はオリバー・ストーン。成功を夢見て金融業界に足を踏み入れた若者、バドとウォール街で強欲のままに突き進む成功者、ゲッコーの姿を描いている。
傍目には華々しい成功を収めているゲッコーにバドは心酔する。「金儲けはセックスよりも気持ちいい」そう言い切るゲッコーのやり方は法も倫理も無視した方法だった。
オリバー・ストーンが『ウォール街』のアイデアを思い付いたのは『スカーフェイス』の脚本を書いている時だった。当時マイアミにはドラッグが溢れていたが、一方でニューヨークから来た成金が馬鹿騒ぎをしていた。証券バブルでホワイトカラーの犯罪も横行していた。
オリバー・ストーンとともに脚本を担当したスタンリー・ワイザーは『ウォール街』を製作するに当たってニューヨークへ向かい、実際の証券取引をリサーチした。目を痙攣させながら必死に取引するブローカーがいる一方で、毎日パーティー、ドラッグ、セックスばかりという成功者もいた。『ウォール街』の一番最初のタイトルは『貪欲』であった。まさにストーンとワイザーが実際のウォール街で見たものは果てなき欲望への狂乱とも言えるだろう。
ゲッコーのもとで、バドはようやく成功を掴む。バドはゲッコーに次の買収先として父のカールが勤めるブルースター航空を強く推す。
バドは自分の力でブルースターを再建させ、父親にも自分と同じ成功を味わってほしいと願っていた。
「お前は財布の大きさで人を測るのか」そう言って父は息子の提案を一蹴するが、最終的には買収は成功、バドはブルースター航空の社長となった。
だが、ゲッコーの真意はブルースターを解体し、会社が積み上げていた年金の多くを懐に入れる算段だったのだ。
バドはゲッコーを裏切り、父を救うためにゲッコーのライバルであるラリー・ワイルドマンに協力を仰ぐ。果たしてゲッコーは大損し、バドはブルースターをゲッコーから守ることに成功する。
「アメリカを再び偉大に!」
オリバー・ストーンは『ウォール街』を通して、当時の証券バブルと行き過ぎた資本主義に警告を鳴らそうとした。
バドの父親は金持ちでもなく、地位も名声もないブルーカラーの人間だが、実直に会社に勤め、汗を流してきた。そんな生き方こそ本当の美徳ではないか。
証券バブルは当時の大統領である、ロナルド・レーガンの経済政策によって巻き起こったものだったが、オリバー・ストーンは一貫してロナルド・レーガンには批判的だった。
レーガンの就任当時、アメリカは双子の赤字と言われる貿易赤字と金融赤字に苦しんでいたが、レーガンは「アメリカを再び偉大に!」をスローガンに選挙戦を勝ち上がった。
だが、その経済政策は製造業から金融業へのパラダイムシフトを引き起こした。
「アメリカを再び偉大に!」とは言ったものの、その中身はかつての「古き良きアメリカ」とは全く違う姿なのだ。
こうして見ると「アメリカを再び偉大に!」の部分で受け入れられたのがアーノルド・シュワルツェネッガーやシルヴェスター・スタローンのような無敵のアクションスターたちではないだろうか。
だが、レーガンの政策(レーガノミクス)は貧富の格差も拡大させた。その中で「負け組」となり、顧みられることのなかったブルーカラーをヒーローとして描いたのが『ウォール街』であり、『ダイ・ハード』ではなかったか。
Yipee-ki-yay, motherfucker
『ダイ・ハード』ではマクレーンはニューヨーク市警だが、妻のホリーは日系大企業の営業部長だ。家にはヒスパニック系のお手伝いさんを雇うほどの余裕があるが、おそらくはホリーの収入に依る部分が大きいだろう。なにせ、ナカトミ・コーポレーションはホリーら従業員にゴールドのロレックスを贈るような大企業だ。
ホリーは本作においてマクレーンともっとも親しい間柄であるものの、マクレーンと真逆の存在に設定されているのも興味深い。
つまり、マクレーンはスタローンやシュワルツェネッガーという「強いアメリカ」を体現した存在ではなく、それどころか、家庭でも肩身の狭い、没落した男性なのだ。
しかし、『ダイ・ハード』はそんなマクレーンをヒーローとして描き出していく。『ダイ・ハード』のヒットには時代に取り残された男たちからの共感もあったのではないだろうか。
マクレーンはハンスから「ジョン・ウェインかランボーのつもりか?」と問われこう答える
「ロイ・ロジャースが好きだった」
『ダイ・ハード』シリーズの名台詞である「イッピカイェイ、マザーファッカー(Yipee-ki-yay, motherfucker)」も元はロイ・ロジャースの「Yippe-ki-yah, kids」をはじめとする古いカウボーイ用語がもとになったものだ。