※以下の考察・解説には映画のネタバレが含まれています
こち亀を生んだもの
国民的マンガである『こちら葛飾区亀有公園前派出所』。ハチャメチャだが、人情に厚い警察官、両津勘吉を主人公とするギャグ漫画だが、当初は両津が脇役で、その後輩である中川が主役となる予定だったという。
もちろん、ギャグ漫画ではなく、正統なポリスアクションの予定だった。作者の秋本治によると「当時は刑事モノが流行っていたから」とのことだが、その一つに『ダーティハリー』があったのは間違いない。
中川が携帯する44マグナムは『ダーティハリー』のハリー・キャラハンと愛銃と同じであり、作中には中川自身がハリーに憧れて警官を目指したと述べている。
『こち亀』に限らず、『ダーティハリー』は数え切れないほど多くのものに影響を与えた。
今回はポリスアクションの不朽の名作『ダーティハリー』を解説していこう。
『ダーティハリー』は1971年に公開されたドン・シーゲル監督、クリント・イーストウッド主演のポリスアクション映画。ドン・シーゲルとイーストウッドは本作が4作目のタッグとなる。
既に『荒野の用心棒』で人気を獲得していたイーストウッドだが、その地位を確固たるものにしたのは『ダーティハリー』シリーズだろう。
イーストウッド演じるハリー・キャラハンはサンフランシスコ市警察本部捜査課の刑事だ。組織よりも自分の信念を優先するがゆえに、上司からすれば扱いづらく、汚れ仕事ばかりを任されている。それで付けられたニックネームが『ダーティハリー(汚れ屋ハリー)』というわけだ。
今回、解説を書くにあたって、本作を数年ぶりに観返してみたが、いわゆる「刑事モノ」というジャンルにとどまらない、社会派の作品でもあることに気付かされた。
映画や音楽でも何でも大ヒットを飛ばした作品や人物に対して「時代と寝た」という表現が使われることがあるが、そういう意味では『ダーティハリー』も明らかにその時代と寝た作品の一つだ。1970年代という時代がなければ、本作のヒットはなかった。そう断言できるほど、『ダーティハリー』は当時の世相を反映している。
ゾディアック事件
例えば今作の犯人であるスコルピオだ。彼の犯行は1968年から1974年にかけて全米を震撼させた「ゾディアック事件」がモチーフになっている。
ゾディアック事件については2007年に公開されたデヴィッド・フィンチャー監督の『ゾディアック』でも詳しく描かれているのだが、その中で事件を追う一人であるトースキーが映画館に立ち寄る場面がある。そこで上映されていた作品こそが『ダーティハリー』であった。
劇中でスコルピオがクロニクル紙に犯行予告を送りつけたり、スクールバスを襲ったりするが、これらはゾディアックの行動と同じだ。ゾディアックも新聞社に犯行予告を送りつけ、その中にはスクールバスを襲うと予告したものもあった。
ゾディアック事件の真犯人については未だに謎に包まれているが、『ゾディアック』では有力な犯人候補としてある人物が挙げられている。その男の名はアーサー・リー・アレン。アレンはかつて軍に所属していた経歴があり、また子供にいたずらを働いた前科もあった。積み上げた状況証拠にも関わらず、物的証拠の鑑定結果はアレンがシロだと示すものだった。
ちなみにスコルピオも元兵士であり、彼が履いているブーツから、スコルピオはベトナム帰還兵であることが示唆されている。
ベトナム帰還兵と言えば、『タクシードライバー』や『7月4日に生まれて』、『ランボー』で描かれているように、戦場での過酷な経験でPTSDを患ったり、また国民からは冷遇され、まともな職にありつけなかった者も多い。そんな社会で生まれたモンスターがスコルピオとも言える(とは言え、劇中でスコルピオが犯罪を起こす動機や理由は一切語られることがない)。
先に挙げたベトナム帰還兵を描いた映画の中では『タクシードライバー』が1976年と最も古いが、『ダーティハリー』はそれに先駆けてベトナム帰還兵を描いたという点でも先駆的と言えるだろう。
とは言え、『ダーティハリー』はベトナム帰還兵への同情を描かず、ただの異常殺人犯としている。これはベトナム帰還兵を冷遇した当時のアメリカ国民の心の奥と少なからず同調するものだったろう。加えて、現実社会では未解決のままのゾディアック事件も、映画の中では犯人が殺されるという結末で解決する。そこに溜飲を下げた人もいたのではないだろうか。
また、スコルピオが塔の上から市民に銃を乱射するシーンがあるが、これは1966年に起きたテキサスタワー乱射事件がモチーフだろう。
元海兵隊員のチャールズ・ホイットマンは、テキサス大学オースティン校の塔の上から無差別に学生らを銃撃。死者15名という数は、2007年にバージニア工科大学銃乱射事件が起きるまで、当時としては最も多くの被害者を出した学校銃乱射事件であった。
50人以上を殺した「スコルピオ」
ちなみにスコルピオ役には当初、元軍人のオーディ・マーフィが予定されていた。それまでにもドン・シーゲルとマーフィは何度かタッグを組んでいた。
マーフィは元軍人で、第二次世界大戦中はその実績の高さから名誉勲章など多くの表彰を受けている。彼の敵兵の殺害数は少なくとも50名以上、負傷者数は240名以上とも言われている。
戦後は俳優に転身して成功も収めている。自伝『To Hell and Backも』ベストセラーとなり、その映画化作品である『地獄の戦線』にはマーフィ自身が出演している。『地獄の戦線』は1977年に『ジョーズ』が公開されるまで、ユニバーサルで最もヒットした作品となった。
クリント・イーストウッドは若き日にユニバーサルでマーフィーと出会った。第二次世界大戦の英雄でもあるはずのマーフィだが、戦争のことは話したがらなかったという。
マーフィは『ダーティハリー』のクランクイン直前、1971年に飛行機事故で46歳という若さでこの世を去る。その晩年には暴力沙汰も多くなり、亡くなる前年には口論となった相手に暴力を振るい、殺人未遂で起訴されることもあった。
ハリウッド・スターである反面、マーフィは鬱病や不眠症、悪夢に悩まされていた。眠る時はいつも枕の下に銃弾を込めた拳銃を置いていたというエピソードもある。マーフィはギャンブルにものめり込んでおり、稼ぐようになっても常に暮らしぶりは貧しかったという。彼は戦争の傷の癒しはもちろん、戦場のスリルをもギャンブルに求めていたのではないか。
マーフィが戦争によるPTSDに苦しんでいたことを、イーストウッドは後に知ったという(イーストウッドも『グラン・トリノ』でPTSDに苦しむ退役軍人を演じている)。
逆に実際にスコルピオを演じたアンディ・ロビンソンは本作が映画デビュー作となり、それまで銃を扱ったことすらなかった。ロビンソンを推薦したのはイーストウッドだと言われているが、ロビンソンはスコルピオのような凶悪な人間をどう演じていいかわからず、ドン・シーゲルに「なぜ僕をキャスティングしたのか」と詰め寄ることもあったという。
ちなみにシーゲルがロビンソンをキャスティングしたのは、ロビンソンの顔つきが無垢だったからだ。スコルピオは動機や同情を感じさせない純粋な悪でなければならなかった。
ミランダ警告
『ダーティハリー』が映画の中に映したのは実際の殺人事件だけではない。
もう一つは加害者の権利についてだ。作中では、ハリーが一切の警告を行わずに逮捕、そしてスコルピオの負傷した足を踏みつけるという拷問を行い、行方不明の少女の居所を吐かせる。だが、その際にミランダ警告を行わなかったことで、逮捕は無効になるばかりか、スコルピオからの逆訴訟のリスクまで抱えてしまうこととなった。
ミランダ警告とは被疑者を尋問する際に被疑者の権利を宣言しなければ、供述内容が無効になってしまうことだ。ミランダ警告の名前は、少女を誘拐・レイプした罪で逮捕されたアーネスト・ミランダの名前にちなむ。ミランダは一度は罪を認め、州裁判所で有罪判決が下ったが、後に黙秘権や弁護人選任権の告知なしでの自白が問題視され、元判決は取り消しとなった。この一件を契機に、ミランダ警告は被告人の取り調べの際には必ず行われるようになった。
『ダーティハリー』の当初のタイトルは『死んだ権利』というもので、より社会派の作品となる予定だった。この場合の権利とは、被害者の権利だ。
西部劇はアメリカの白人がインディアンや無法者たちが倒すべき「悪」として描かれる。本当には、インディアン達の土地を奪い、「明白な天命」の下に虐殺してきたのは白人たちの方なのに。
しかし、監督のドン・シーゲルは保守的な西部劇を作り続けた。『ガンファイターの最後』では、昔気質で時代についていけなくなった保安官を同情的に描き出している(ちなみに同作は監督のクレジットで揉めた挙句、アラン・スミシー名義で発表されている)。
そんなシーゲルから見ると、ミランダ警告は「犯罪者を手厚く保護するもの」としか映らなかったろう。『ダーティハリー』でも、執拗にスコルピオの犯行を観客に見せつけてから、ハリーがミランダ警告を行わなかったことでスコルピオが一転して優位に立つという展開は不条理さを強く感じさせる構成になっている。
都会の西部劇
個人的には『ダーティーハリー』はアメリカン・ニューシネマの一つではないかと感じている。アメリカン・ニューシネマの定義も難しいのだが、それまでのハリウッドには見られなかった暴力などの過激な描写やハッピーエンドの拒否がその特徴だと言われている。一般的には主人公が死んだり、挫折するなど、個人の無力さを表現した陰鬱な結末の作品が多い。
暴力描写で言えば、サム・ペキンパー監督の『わらの犬』、マーティン・スコセッシの『タクシードライバー』、アーサー・ペンの『俺たちに明日はない』などが挙げられるだろう。なかなか『ダーティハリー』がアメリカン・ニューシネマを代表する作品として取り上げられることは少ないが、しかし、『ダーティハリー』にもアメリカン・ニューシネマの影響は色濃い。
暴力描写については先に述べたように、当時の実際の銃撃事件をモチーフに、殺害の瞬間などもそのまま動いている。また、少女の全裸死体なども隠さず全て見せてしまうのもやはりアメリカン・ニューシネマの特徴に合致する。
しかし、最も言及すべきはラストシーンだろう。ハリーはスコルピオを追い詰めるが、スコルピオは居合わせた少年を人質にとり、逆にハリーを追い詰める。ハリーはスコルピオの肩を撃ち、少年を解放する。
そして、ハリーはスコルピオを挑発していく。
「考えてるな、弾が残ってるかどうか。
実は俺にもわからないんだ。
だがこれは特製の大型拳銃だ。脳みそが吹っ飛ぶ。
よく考えろ、弾があるかどうか。
どうだ、クソ野郎」
ここは冒頭で銀行強盗の黒人に向けたセリフとブックエンドになっている。違いはスコルピオに対しては憎しみの感情が前面に出ているということだ。
スコルピオがワルサーを手にした瞬間、ハリーの44マグナムがスコルピオを撃ち抜く。
44マグナムは元々狩猟用の銃だ。
やはり『ダーティハリー』は都会の西部劇だ。
神なき世界
だが、ハリーは英雄にはならない。法や規則によって思うように正義を貫けないジレンマに絶望したハリーは警察手帳を投げ捨てる。
アメリカン・ニューシネマの代表作である『イージーライダー』や『俺たちに明日はない』は主人公は体制側から撃たれ、彼らの求めた自由は死とともに消えてゆく。形は違えど、この結末はハリーもまた体制側の犠牲になったと言えるのではないか。
『ダーティハリー』では、十字架のモチーフが随所に出てくる。冒頭の獲物としてプールで泳ぐ女性を狙うスコルピオのスコープ、ハリーがそしてスコルピオを拷問したグラウンドでも交わった白線が十字架に見える。
だが、神は人々を救わない。女性は撃たれ、スコルピオは逃亡し、拷問の末の自供は証拠能力を無くしてしまう。そこにファンタジーはない。『ダーティハリー』が支持されたのは、そんな神なき世界のリアリズムがあったからだろう。
ダーティハリーの続編
『ダーティハリー』シリーズは1988年に公開された『ダーティハリー5』が最後だが、クリント・イーストウッドは未だに続編について尋ねられるという。
イーストウッドによれば「ハリーはとっくに引退して釣りなどして余暇を過ごしている」とのことで、続編を否定している。
「続ければいいってもんじゃない。振り返ればあれで十分だ」
とは言え、『ダーティハリー』がその後の映画や社会に与えた影響は大きい。世界中で「アウトロー刑事」ブームが起きたのだ。日本でも『太陽にほえろ!』や『西部警察』、『あぶない刑事』などはいずれも『ダーティハリー』の影響下にあるだろう。だが、法手続きを無視して正義を執行する「自警団」と法を無視して人を殺す犯罪者に違いはあるのか?
その問いの答えは『ダーティハリー2』に引き継がれていく。