『イレイザーヘッド』「大人」になることへの恐怖

※以下の考察・解説には映画のネタバレが含まれています


映画監督のジョナサン・デミは1993年に『フィラデルフィア』というエイズをテーマにした映画を作り上げる。このタイトルは、映画の舞台がフィラデルフィアであることに加え、フィラデルフィアが「友愛の街」と呼ばれること、しかしそれに反して現実はそうではないというアンチテーゼも含んだ意味合いで命名された。
デヴィッド・リンチも「1960年代後半のフィラデルフィアは工場が次々と閉鎖し、貧困と暴力と哀しみが渦巻いていた」と述べている。

デヴィッド・リンチ

デヴィッド・リンチは1946年にモンタナ州ミズーラで生まれた映画監督だ。「カルトの帝王」とも呼ばれ、強烈な作家性を帯びた傑作を多く残している。近年では、スティーヴン・スピルバーグの自伝的映画『フェイブルマンズ』に映画監督のジョン・フォード役で出演して話題になった。それだけに2025年に亡くなったときは多くの映画ファンがその突然の死に驚いた(もちろん私もその一人だ)。

スピルバーグにも大きな影響を及ぼし、20世紀を代表する映画監督の一人として、映画史にも大きな足跡を残したジョン・フォード。そんな人物を演じるにふさわしいのは誰か。
スピルバーグはデヴィッド・リンチへの追悼文で、リンチを「ジョン・フォードと並ぶ、私のもう一人のヒーロー」と讃えた(ちなみにスピルバーグとリンチは同じ1946年生まれだ)。
リンチはスピルバーグからのオファーを一度は断ったというが、それでもスピルバーグはリンチをフォード役に望み続けたのだろう。ヒーローを演じられるのはヒーローしかいない。
そんなデヴィッド・リンチのデビュー作が今回紹介する『イレイザーヘッド』。カルト映画の中のカルト映画とも言える。

『イレイザーヘッド』

公開は1977年だが、撮影期間は4年間にも及ぶ。そのため、主演のジャック・ナンスはその奇妙な髪型を4年間変えることはできなかった。
モノクロの画面で繰り広げられるシュールかつグロテスクな物語とも呼べない物語。絶えず鳴り響く不快なノイズ。伝えたいことや思いが多すぎて、支離滅裂になってしまうスピーチのように、『イレイザーヘッド』は混乱し、一貫性を留めていない。いや、もしかしたらリンチは混乱そのものを欲していたのかもしれないが。
もちろんそんな作品なので、完成後、ニューヨーク映画祭に応募するも断られ、公開されると批評誌からは酷評の嵐。『イレイザーヘッド』の最初の上映では観客はわずかに25人だった。翌週は24人。だが、その全員がリピーターだった。ノイズに溢れたモノクロの悪夢のような映画はどこにもない強烈なインパクトを放っていた。

『イレイザーヘッド』の大本にあるのは「子供」だ。
1968年デヴィッド・リンチは当時の恋人であるペギー・リービーと結婚した。ペギーの妊娠が発覚したからだ。だが、リンチは子供も家庭も欲しくなかった。それが芸術家を目指す自分への障害となることは明白だったからだ。当時のリンチは画家志望だったが、のちに映像へとその分野を広げる。
『イレイザーヘッド』以前のリンチの小作はいずれも出産がモチーフになった作品が多い。
それほどまでにリンチにとってはショッキングな出来事だったのだろう。ここからは実際の『イレイザーヘッド』の内容を見ていきながら、そこに投影されたリンチの想いを探ってみたい。

醜い神

『イレイザーヘッド』は、ジャック・ナンス扮するヘンリーの頭の上に惑星がオーバーラップする場面から始まる。惑星の中ではゴツゴツした皮膚の男がレバーを引く。演じているのは美術監督として有名なジャック・フィスク。ジャック・フィスクはデヴィッド・リンチの学生時代からの友人でもある。ちなみにフィスクの妻は『キャリー』でも有名なシシー・スペイセク。当時急速にブレイクしかかっていた二人は、その収入を『イレイザーヘッド』の製作費に回してくれたという。リンチによれば、この「惑星の男」は神のような存在なのだというが、実際のフィスクもまたリンチにとっては神のような存在だったのではないか。

さて、本来、キリストもアングロサクソンの文化では白人の如き容姿で描かれるように、神もまた威厳のある白人の姿で描かれることが多い。しかし、そこにあえて岩肌のような異形の男を持ってくるところがデヴィッド・リンチらしいところだ。次作となる『エレファント・マン』でもリンチはフリークスへの偏愛を隠さなかった。全能の神はその容姿もまた完璧であるべきなのか。リンチらしいアンチテーゼでもある(余談だが、リンチは当初ジョン・ハートではなく、ジャック・ナンスを『エレファント・マン』の主役に考えていたという)。

惑星の男がレバーを引くと、精子のような形をした胎児が発射され、周囲を毛で覆われた穴の中の水へ落ちる。間違いなく妊娠のイメージだろう。全てのことは偶然ではなく、あらかじめ神によって決められている。性行為をしたからといって必ず妊娠するわけではない。さらに一回の射精において排出される精子の数は一億から二億。その中で、たった一つの精子が選ばれ、受精する確率は?それは神のみぞ知ることだ。

『イレイザーヘッド』の撮影はロサンゼルスにセットを組んで行われたが、リンチはそこにフィラデルフィアを再現しようとした。リンチが住んでいたのはフィラデルフィアのフェアマウントと呼ばれる地域。犯罪と貧困が蔓延するスラムのような場所だった。リンチはなんとわずか3000ドルでそこに部屋が何部屋もある一軒家を買う。そこは向かいが死体置き場で、常に工場からの雑音に悩まされるなど、生活環境は最悪だった。しかし、そんな劣悪な環境こそが、リンチのイマジネーションの元だった。
「街は恐怖に満ちていた。通りで子供は射殺されることもあった。私たちも2回は強盗にあい、窓が撃たれ、車が盗まれた」

スパイクとその正体

ヘンリーは彼女のメアリーとその両親に食事に招かれる。要領を得ない話を繰り返すメアリーの父。ヘンリーは彼から肉を切るのを任される。渡されたのは鶏の丸焼きだ。ヘンリーは鶏の肉を切ろうとするが、鶏の足はジタバタと動き、体からは血が溢れ出てくる。これは出産のイメージだろう。メアリーの母もメアリーもその様子に気分を害し、席を外す。だが、すぐにメアリーの母に呼ばれる。メアリーが出産したのだ。
だが、それは人間とはとても呼べない生き物だった。四肢もなく、大きく歪んだ頭を持つ、奇怪な赤ん坊だ。この赤ん坊だが撮影現場ではスパイクと呼ばれていたらしい(命名者はジャック・ナンス)。

スパイクがどうやって作られたかに関して、リンチは頑なに口を閉ざしている。かのスタンリー・キューブリックさえもその正体を知りたがったが、リンチは答えなかった。
一般的には牛の胎児を使ったのではと言われているが、牛の胎児には四肢がきちんとある。
おそらくだが、リンチは胎児を含めた動物の死体でスパイクを作り上げたのではないか?リンチは自宅でバラバラにした動物の死体を組み合わせて、動物模型を作っていたと言われる(実際に魚の模型の写真は公開している)。スパイクもそうしたバラバラになった動物の内臓や胎児の組み合わせでできたものではないか?

物体としてのスパイクの正体は未だに謎に包まれたままだが、スパイクが何の象徴かは明白だ。リンチの娘のジェニファーは「スパイクは間違いなく私だ」と述べている。ジェニファーもまた先天性の内反足だった。

スパイクは食事も拒み、昼夜もなく鳴き続ける。メアリーは耐えきれずに家を出ていってしまう。リンチの妻、ペギーも『イレイザーヘッド』の制作中に、映画と同じようにリンチの元を去っている。
こうして一人でスパイクの面倒をみることになったヘンリーだが、彼の神経もまた徐々に崩壊していく。

ラジエーター・レディ

ある日、ヘンリーがラジエーターの中を覗くと、そこには頬が岩肌のように膨らんだ女性がダンスを踊っている。惑星の男が、神だとしたら、こちらはヘンリーの理想を叶える女神ではないだろうか。ラジエーター・レディはダンスを踊りながら、胎児を踏みつぶす。それは子供を望まなかったリンチの想いと完全にシンクロする。
悪夢から覚めると、出ていったはずのメアリーが横で寝ている。だが、メアリーからはへその緒のようなものが出ている。ヘンリーはそれを引っ張って、出てきた胎児のようなものを壁に投げつける。しかし、またメアリーからはへその緒が出ており、ヘンリーは引っ張っては壁に投げつけるのを繰り返す。それはもしもメアリーとの結婚が続いた場合のメタファーでもあるだろう。結婚生活が続けば、自然に子供も増えていくだろう。一般的にはそれは小市民的な幸せと言えるかもしれない。だが、リンチにとっては悪夢そのものだ。

いくつもの悪夢

ヘンリーの悪夢は続く。気づくとヘンリーは部屋の椅子に座っているが、そこに美しい隣人の女性から一晩泊めてほしいと声がかかる。ヘンリーは隣人を招き入れ、一夜を共にするが、女性は白い水のようなものの中へ消えていく。ここはリンチの夢の投影だろう。学生時代、美男子だったリンチは大抵クラスで一番可愛い女の子をガールフレンドにすることができた。だが、結婚して子供もいる身では自由な恋愛など出来るはずもない。このような夢のような一夜など、まさに夢のまた夢だ。

ヘンリーは再びラジエーター・レディと会う。彼女は「天国では全てうまくいく」と歌う。
いつの間にかヘンリーもラジエーター・レディと同じステージにいる。現実に戻ったヘンリーだが、いきなり彼の首が落ち、ステージへ転がる。
ヘンリーの首は地面へ転がり落ち少年が抱えていき、工場へと持って行かれる(この落ちた生首を少年が抱えるというのが『イレイザーヘッド』の最初のイメージであった)。頭を無くしたヘンリーの体からは、スパイクの頭が生えだす。一説によれば、このヘンリーの首が落ちるという描写は去勢を暗喩しているという。

工場に持ち込まれたヘンリーの首は加工され、消しゴム付き鉛筆(イレイザーヘッドとは元々この鉛筆の消しゴム部分のことを指す)になる。
これは、ヘンリーが子供を持ち「社会へ組み込まれる」ことへの恐怖ではないか。ヘンリーという個人は解体され、分割されて代替可能な消耗品として社会に役立つパーツとなるのだ。一方でスパイクが頭になるということは、そのヘンリーの生活がスパイクを第一にした生活になるということの暗示ではないか?
幾重もの悪夢から覚めたヘンリーはとうとうスパイクの心臓をハサミで突き刺して殺す。スパイクは口から血を流しながら死んでいく。

ヘンリーは死んだのか?

その時、惑星の男は再びレバーを引く。すると画面に火花が走り、ヘンリーはラジエーターレディと抱擁する。
そしてエンドロールに再びあの歌が流れてくる。「天国では全てうまくいく」多くの評論や考察では、最後にヘンリーは死んだと書かれている。もちろん私も大筋ではそう思う。死は運命に逆らったベンリーへの惑星の男からの報復ではないだろうか。
だが、リンチの想いからすると、ヘンリーとラジエーター・レディが抱き合うのは「転生」を示唆しているのではないかとも思うのだ。「死んでもう一度人生をやり直したい」ということではないか。今でこそ『イレイザーヘッド』はリンチのデビュー作にして代表作にもなった有名作品だが、もちもんその製作中は映画作家として成功するかどうかすらわからない、半ば闇の中にいたと言っていいだろう。

完成した『イレイザーヘッド』は、ともに映画を作り上げたキャストやスタッフですら、反応に戸惑ったという。
しかし、誰の指図も干渉もなく作り上げられた本作は、デヴィッド・リンチにとっては最高純度の完璧な映画だった。
子供を持つことへの恐怖を描いた『イレイザーヘッド』だが、今作の遺伝子は後の全てのリンチの作品に引き継がれていく。そう、デヴィッド・リンチの映画はどれも、『イレイザーヘッド』の子供なのだ。

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BLACK MARIA NEVER SLEEPS.

映画から「時代」と「今」を考察する
「映画」と一口に言っても、そのテーマは多岐にわたる。
そしてそれ以上に観客の受け取り方は無限大だ。 エジソンが世界最初の映画スタジオ、通称「ブラック・マリア」を作った時からそれは変わらないだろう。
映画は決して眠らずに「時代」と「今」を常に映し出している。

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