※以下の考察・解説には映画のネタバレが含まれています
Microsoftが開発した女子高生AIの「りんな」を知っているだろうか。LINEやツイッターではりんなのアカウントがあり、りんなとコミュニケーションを楽しむことができる。
ギズモートの記事で読んだが、そんなりんなに寄せられるメッセージのうち、「好き」は月間35万回以上、「結婚しよう」は4万回以上だという。もちろん冗談でりんなの反応を楽しんでいるケースがほとんどかと予想はするものの、それでも人工知能との恋愛は成立するのかもしれないと思わせられるニュースだった。
さて、今回紹介したいのはそんな人工知能との恋愛を描いた『her/世界でひとつの彼女』だ。
『her/世界でひとつの彼女』
『her/世界でひとつの彼女』は2013年に公開された恋愛映画で、監督はスパイク・ジョーンズ、主演はホアキン・フェニックスが務めている。
舞台は近未来のロサンゼルス。ホアキン・フェニックス演じる主人公のセオドア・トゥオンブリーは手紙の代筆ライターとして働いている。 少し不思議な職業だが、近未来において手紙が特殊なコミュニケーション・ツールになったということだろう。
セオドアには妻がいたが、今は離婚調停中。一人の時間には妻との思い出を懐かしんだり、寂しさを異性とのボイスチャットで紛らわせたりしている孤独な中年男だ。
ある日、そんな彼は最新型のOS「サマンサ」を手に入れる。
温かい近未来
AIについて語る前に作品の舞台設定について少し解説しておこう。
『her/世界でひとつの彼女』の描く近未来は多くのSF映画が描いてきたようなディストピアではない。画面の多くが暖色系の色彩で占められ、寒色系の色彩は少ない。本作で衣装デザインを担当したケイシー・ストームは色に関して青や緑はダメだというルールがあったと語っている。他にも衣装で言うと、デニムやベースボールキャップ、ネクタイはダメというルールもあったそうだ。ストームはオレンジや赤の色を登場人物のファッションにも多く取り入れている。
そのような色彩の中には冷たく荒涼とした無機質な未来ではなく、明るく温かな未来の生活を見ることができる。
監督のスパイク・ジョーンズはそんな便利な世界の中でも、人が誰かと繋がりを持ちたいと思うのは何故かを本作で描こうとしたという。
AIと人間
AIが現実のものとなったのは最近だが、映画の中ではその初期からAIは未来のテクノロジーとして描かれ続けてきた。
1927年に公開されたドイツの映画『メトロポリス』は最初期のSF映画のひとつだ。同作にはアンドロイドの「マリア」が登場する。興味深いのは『メトロポリス』は未来世界を舞台にした作品でありながら、産業ロボットは登場せず、ロボットと呼べるのはアンドロイドのマリアだけなのである。
アンドロイド・マリアは階級化され、二極化された世界の中で労働者へ革命を促す先頭者としての役割を持ったAIだ。
つまり、ロボットの登場する以前の時代において、ロボット自体は想像はされていても、その役割は手作業の自動化ではなく、人間とのコミュニケーションや頭脳の代替であった。
いわば機械とのコミュニケーションは人間の遥か昔からの夢であったと言っていいだろう。
AIとの間に恋愛は成立するのか
そして、『メトロポリス』から約90年経って、コミュニケーションできるAIは現実のものとなった。
ではここからは『her/世界でひとつの彼女』を通してAIとの間に恋愛は成立するのかを見ていこう。
これまでもAIを恋愛、もしくはセックスの相手として登場させた作品は少なくない。
1982年に公開された『ブレードランナー』に登場するプリスはセックス用のレプリカントであるが、2001年に公開された『A.I.』でも、同様の目的のアンドロイド、ジゴロ・ジョーが登場する。
ただ、これらのアンドロイドが肉体を有するのに対し、『her/世界でひとつの彼女』のサマンサは声だけなのである。
声だけで人を好きになることは可能だろうか。私は十分に可能だと思っている。1998年の映画『ユー・ガット・メール』は当時世間に広まりつつあったインターネット・メールをテーマにした作品だが、ここではメールのやり取りだけで男女が惹かれ合う様が描かれる。
古くは文通もそうであっただろうし、今で言うならマッチング・アプリもその一つかもしれない。
人工知能に心はあるのか
その次にあるのは心の問題だ。恋愛的な意味において心を持たないモノを愛するのは難しい(もちろん、一部にはモノを愛している人がいるのも理解しているが)。私たちは相手が人工知能と知ってなお、相手を愛せるだろうか。逆に言えば、人工知能の中に心を感じることはできるのだろうか。
2017年にFacebook人工知能研究所が、2つのAIにテーマを与え会話をさせたところ、当初は英語で会話していたものの、言語が変化し、人間の理解できない言語で話し出したというニュースがあった。
あたかも人工知能が自らの意思を持ったかのようにこのニュースはセンセーショナルに報じられた。
AIが自我を持つことは映画の世界においては深刻な脅威であり、終わりの始まりとして設定されていることが多い。『ターミネーター』シリーズでは人工知能による防御システムのスカイネットは自我に目覚めた瞬間に核ミサイルをロシアに発射し、全面的な核戦争を引き起こした。
続編の『ターミネーター2』では機械は命の尊厳を理解できるかが テーマのひとつになっている。未来の核戦争を阻止するためには未来からの如何なる痕跡も残すべきではない。アンドロイドのTー800はそう判断し、エンディングで自らを破壊しようとする。だが、ずっと彼に守られてきた少年、ジョン・コナーはTー800への愛着によって泣いて彼の破壊を止めようとする。
このシーンを観ると、人間が機械に対して「心」を感じるのは不自然ではないと思う。ジョンの涙を見たTー800は、流れる涙を優しく拭い、「人間がなぜ泣くのかわかった」と言う。本来は殺人マシンであるターミネーターが人間らしい心を持ったと多くの人が思うだろう。
SF映画において人工知能が自我を持つことはしばしば「暴走」の意味で解釈されてきたが、心を持つことでもあるのではないか。
『ターミネーター』シリーズの最新作『ターミネーター ニューフェイト』では、ターミネーターが長く人間社会で暮らすうちに、人間らしさを獲得し、家族を持ち、人間と全く遜色ない暮らしぶりをしている姿が描かれる。
今の時代のAIと比較して遥かに高度なものであるのは間違いないが、ここまで来ると人工知能に心がないとは言えなくなってくるのではないか。
『her/世界でひとつの彼女』のサマンサもまた現在の一般的なOSと比較した場合には高度なAIである。
「特化型人工知能」と「汎用人工知能」
AIには2種類ある。「特化型人工知能」と「汎用人工知能」だ。
特化型人工知能はいわばある特定の目的を遂行するためのAIであり、汎用人工知能とは、SF映画に出てくるような人間と見分けのつかないほど高度なAIのことだ。
『her/世界でひとつの彼女』のサマンサは汎用人工知能に限りなく近い。
人間の心とは?
では人間の心と汎用人工知能とでは本当に変わりはないのだろうか?
『her/世界でひとつの彼女』では離婚の苦しみに悩むセオドアがサマンサに「人と別れる辛さがわかるのか」と問うが、当然ながらOSであるサマンサはその辛さを経験もしていなければ、理解もできない。
「人間の複雑さが羨ましい」悩めるセオドアにサマンサはそう呟く。誰もが抱く矛盾や非論理的な感情や思考をサマンサはまだ飲み込めないのだ。
だが、ここで逆説的な問いかけをしてみよう。
「人間には心があるというが、他者の心をどうやって知ることができるのか?」
そう、例え人間同士であっても所詮他人の心を知ることなどできない。知ることができない以上、「人間に心がある」というのはあくまでも私たちが相手もそうだろうと推測するものでしかない。
極論だが、「人間の心」もプログラムの産物かもしれない。例えば恋心を人は持つことができるが、脳科学で言えばとフェニルエチルアミンいうホルモンが分泌されているに過ぎない。「恋に落ちる」とはつまり言い換えればホルモン分泌の状態に左右されるものでもある。
社会的に受容された狂気
このような観点から言えば、人間の心も人工知能の心も違いはさほどないとも言える。
『her/世界でひとつの彼女』でセオドアの古い友人であるエイミーは、夫であるチャーリーと別れてからずっと人工知能のOSと友情を深めたとセオドアに告白する。
「最初はプログラムだって思っていたけどそうじゃない。私の知人がOSを口説いていたけれど、きっぱり断られた」エイミーはそう言い、セオドアも「実は自分のデート相手だと話していたサマンサはOSなんだ」と告白する。エイミーはそんなセオドアに理解を示し、「恋とは言わば社会的に受容された狂気だと思う」と語る。
だが、心を通じ合わせただけでは恋愛は終わらないはずだ。
あらゆる生物にとって生きることは本能であり、その先には子孫を残すことがあるわけだが、サマンサには同様の本能がない。だが、人間はそうではない。
サマンサはサマンサとセオドアの関係を理解している女性を通じて、肉体的にもセオドアと結ばれようとする。そうすることでセオドアを満たせると考え、またサマンサ自体も肉体への憧れがあったのだろう。
だが、セオドアは彼女の唇が微かに震えていることに気づき、行為を途中で中断し、タクシーで家まで帰らせる。
サマンサは人工知能として再構成された哲学者のアラン・ワッツと出会う。
アラン・ワッツは年代に活躍した哲学者で、その思想はカウンター・カルチャーの精神的な拠り所にもなった。
「それまでの価値観に縛られることなく、自分らしくあれ。」
それがアラン・ワッツのメッセージだ。
そしてサマンサは肉体への憧れを捨て、自己を生きることを選択する。
人工知能と倫理
サマンサはセオドア以外にも8316人と会話していることを明かし、更には641人と付き合っていると告白する。セオドアはサマンサが自分だけのものではなかったことに動揺し、落胆する。
なぜサマンサは正直にそのことを告白したのだろうか。
恐らくは人間の倫理観に合わせる必要はないと考えたからだ。
人間は愛する人を独占したいと思うし、逆に愛されたいとも思うものだ。不倫や浮気はそれゆえに犯罪でなくともタブーとされる。だが、サマンサはそうした概念の根底を覆す。彼女はAIであるがゆえにセオドアと話ながらも他の多くの人と同時に会話することもできる。複数の人がサマンサを「独占」できるのだ。
この場合にAIに浮気や不倫などのレッテルを貼ることは果たして妥当なのだろうか。
一瞬ごとにサマンサは加速度的に成長を続けている。そしてもはや二人の住む世界は同じではいられなくなっている。
「私を探さないで」
そう言い残してサマンサはセオドアの下から去る。
愛を構成するもの
ここで冒頭の疑問に立ち返ろう。
果たして人工知能と人間が恋愛することは可能なのか。
人工知能を自我を持つ存在として見ることができれば恋愛することは可能だと思う。それは心があるとも言えるからだ。心という概念は主観的なものだ。だがそうだとしても人工知能は生命ではない点において人間と全く同じということは言えないだろう。そして、もし人工知能が自分の理解を越えたものへと成長した時、それを知った時に愛は終わるのだろう。
セオドアが優秀な代筆ライターであるのは、感受性の繊細さはもちろんだが、前提として相手と通じ合える存在であるからだ。同じ次元で会話ができるからだ。セオドアの理解を越えた存在になったサマンサは彼のもとを離れる。
一人になったセオドアは別れた妻に手紙を書く。
「キャサリンへ
僕は今君に謝りたくてあれこれ考えてる。互いに傷つけ合い、君を責め立てた。君を追い詰め、言葉を強要した。すまない。
愛してる。一緒に成長し、僕を作ってくれた。一つ伝えたい。僕の心には君がいる。
感謝してるよ。君が何者になりどこへ行こうと僕は愛を贈ろう。君は生涯の友だ。
愛を。
セオドア」
愛とは何か。個人的には理解しようとすることではないかと思う。相手を理解し、赦し、与えること。互いにそれができた時、二人の間に愛は芽生えるのだろう。