『アレックス』「時間は全てを破壊する」その意味とは?

※以下の考察・解説には映画の結末のネタバレが含まれています


2012年に公開された『007 スカイフォール』では、当時52歳のモニカ・ベルッチが、歴代最高齢のボンドガールを務めて話題になった。その美貌は歳を重ねても色褪せない。
モニカ・ベルッチは別名「イタリアの宝石」と呼ばれている。

今回紹介する『アレックス』はそんなイタリアの宝石への凄惨なレイプシーンがあることでも有名だ。
カンヌでの上映では約200人が退場し、20人が気絶した。この瞬間、『アレックス』は映画史上もっとも物議を醸す作品の一つになった。

だが、監督を務めたギャスパー・ノエは『アレックス』のそうした暴力シーンにばかり言及されるのにはいささか不快な気持ちもあるようだ。

「人々は性的暴行のシーンと消火器を使った殺人のシーンについてしか話さず、他のことは何も話さない」

では、『アレックス』は何についての映画なのだろうか?

時は全てを破壊する

『アレックス』は裸の老人が中年の男と話している場面から始まる(この老人はギャスパー・ノエの『』にも登場した肉屋だ)。

「わかるか?時は全てを破壊する」

男は尋ねる。

「何があったんだ?」

老人は刑務所に入っていたことがあると告白する。

「娘と寝たからだ」
「西洋の悪徳ってやつか」
「頭から離れない。あの子を失い、何もかも失くした。俺にも何もない。かわいい子だった」
「あまり考えるな、俺たちは悪魔呼ばわりされる。馬鹿らしいよ。少しハメを外すと皆、深刻に騒ぎやがる。哀れなことさ。快楽や悦びを忘れてはないけない。悪行なんてない。ただ行為があるだけだ」

この会話は『アレックス』を最後まで観ると意味がわかってくる。

レクタム

パトカーのサイレンの音が流れ、カメラは下のゲイクラブ「Rectum(レクタム、直腸を意味する)」へと移動する。一人の男が腕を折った状態で担架に乗せられてレクタムから病院へと搬送されている。
周りの人々が囃し立てる。

「アレックスみてえに血だらけか」
「お前の『トンネル』も血だらけか」

どういうことだ?

そこにはパトカーや警官も駆けつけており、もう一人の男が手錠をかけられている。
レクタムで何が起きたのか。

レクタムのシーンでは激しくしく揺れ動くカメラの動きが生理的な不快さを増幅させるが、この場面では音楽の存在も大きい。なんとこの場面では知覚できないほどの超低周波音が使われている。残念ながらそれは映画館の音響でなければ体験できないというが、ノエは「音は聞こえないが、身震いする。音響システムの良い映画館では、音はスクリーンで起こっていることよりもはるかに怖がらせることができる」と胸を張る。

場面が暗転し、一人の男がテニアという人物を探す場面が映し出される。何人もの裸の男たちに声をかけ、時に襲われそうになりながらも、男はテニアと思しき人物を見つける。男はテニアに殴りかかり、激しい喧嘩になる。テニアは男の腕を折り、周りの人間達が男をレイプしようとする。すると、男の連れが消火器でテニアの顔を殴打する。何度も何度も。顔が潰れるどころではない。頭蓋骨は砕け、もう頭は頭の形を成していない。それでも、テニアの口元が微かに動いているのがわかる。序盤のこのシーンは『アレックス』の中で最も残酷なシーンの一つだ。

ノエによると、このシーンは『処刑』という死刑執行の様々な方法を撮影したドキュメンタリーに影響を受けたという。そこにはあるシーンでは頭の半分がなくなって叫んでいる男が映っていた。

「脳の半分が飛び出しているのに死んでいないとか、死ぬのにそんなに時間がかかるなんて信じられなかった。あの映像には本当にショックを受けたよ……だから『アレックス』では、そのテープを視覚効果担当者に渡して、『これをどう再現できるだろうか?』と聞いたんだ」

『裏切り』と『メメント』

ここまで観ると、まずなぜ男が担架で運ばれ、もう一人の男が逮捕されたのかがわかると思う。
このように『アレックス』は時間軸が結末から始まりへとさかのぼっていく、非線形の作品だ。『アレックス』の原題は「Irréversible」で、これは「不可逆」を意味する。
ギャスパー・ノエは「非線形」の物語に惹かれていたという。

「私の過去の作品は非常に直線的な映画で、私はそれに飽きていたんだ。非線形な物語は非常に少なく、私にとってはそちらのほうがはるかに興味深かった」

ノエは『アレックス』の元になった作品の一つとして1983 年のイギリス映画の『裏切り』を挙げている。『裏切り』もまた非線形の作品で、結果から始まりへさかのぼっていく構成である。

また、クリストファー・ノーランの『メメント』からの影響も大きいという。
『メメント』も結末から始まりへさかのぼっていく作品だ。妻をレイプ・殺害された主人公が、その犯人を探す話だ。事故の影響で彼の記憶は10分間しかもたない。だから彼は自分の体にタトゥーとしてメモを彫り続ける。
メメントは事件の真犯人を探し出す物語だが、『アレックス』で明らかになるのは登場人物それぞれの本当の姿だ。

話をストーリーに戻そう。

アレックスに何があったのか?

レクタムでテニアを探していた男(マルキュス)はタクシーを飛ばしてゲイクラブにたどり着く。
「復讐なんで意味がない」後にテニアを殺すことになる男(ピエール)は弱々しくそう言うが、マルキュスの耳には入らない。

元はタクシーにはきちんとタクシー運転手がいたのだが、レクタムの場所を知らなかったため、マルキュスが無理やりタクシーを奪ったのだ。
ちなみに、テニアがレクタムにいるという情報は、「事件」の現場に居合わせた売春婦から得たものだ。

その日、マルキュスとピエールは、マルキュスの恋人であるアレックスとともに3人でパーティーへ参加していた。しかし、マルキュスがドラッグを吸っていたことで、アレックスとは口論になり、アレックスは一人て会場を後にしていた。
その後、マルキュスとピエールがパーティー会場から出てくると、通りには多数の警察官やパトカー、救急車の姿もある。誰かがレイプされたらしい。
マルキュスは担架に乗せられた血だらけの女性を目にする。それは一人で帰ったはずのアレックスだった。

一体アレックスに何があったのか?

アレックスは帰り道で地下道に入ったところをトランスジェンダーの売春婦と口論していた男にレイプされる。その男こそがテニアだったのだ。ここでテニアの顔をよく見ると、ピエールが消火器で叩き殺した相手は別人で、本当のテニアはその横で笑みを浮かべている男だとわかる。

ここでは9分にも及ぶレイプシーンが続いていく。テニアはアレックスをメス豚と罵り、アナルセックスで出血させ、行為が終わるとアレックスの顔を何度も地面に叩きつける。残忍で鬼畜のような男だ。

『悪魔のえじき』

レイプシーンに関しての細かい演出やセリフは俳優自身に任せられていたという。ギャスパー・ノエは、モニカ・ベルッチはこのシーンの参考に『悪魔のえじき』や『脱出』といった作品を観ていたと語っている。
『悪魔のえじき』は湖畔を訪れた小説家の女性、ジェニファーが、地元の若者たちにレイプされる作品だ。『アレックス』と異なるのが、女性がレイプされたままでは終わらないこと。ジェニファーは復讐として彼らを一人ずつ血祭りに上げていく。『 悪魔のえじき 』は今日「レイプ・リベンジ・ムービー」の偉大な古典とも言える作品になっている。

パーティーへ向かう前、アレックスとマルキュスは部屋でセックスをしていた。事が終わり、アレックスはトイレへ向かい、妊娠検査で自身が妊娠していることがわかる。

撮影当時、アレックスを演じたモニカ・ベルッチとマルキュスを演じたヴァンサン・カッセルは実生活でも夫婦だった。
1999年にギャスパー・ノエは二人に出会ったという。

「当時、二人はものすごく愛し合っていて、周りの人に『一緒に映画に出演するアイデアはない?』と聞いているような状態だった」

そこでノエは二人に『LOVE』という映画の企画を打診するが、このときカッセルは露骨なセックスシーンを演じなければならないことを理由にオファーを断っている(その後『LOVE』は『LOVE3D』として公開されている)。

「ノエは『インティマシー』、『O嬢の物語』、 『愛のコリーダ』など、露骨なセックスシーンのある映画をたくさん見せてくれた。だが最終的には話が複雑になりすぎて、私たちは断った」

次にノエが二人の主演で考えたのが『裏切り』のリメイクだったが、権利が取得できなかったのは先に述べたとおりだ。

レイプシーンの撮影においても精神的支えとしてカッセルは立ち会うことを希望したが、ベルッチが断ったという。カッセルによると「( モニカ・ベルッチ )は私がいたら俳優の仕事が難しくなると言った。だから私はサーフィンをするためにフランス南西部に行った」とのこと。

偽りのハッピーエンド

『アレックス』のラストシーンは二人のセックスのさらに前にさかのぼる。そこではアレックスが公園で本を読んでいる。
美しい日常の光景を描いて『アレックス』は幕を閉じるが、映画を観た誰もがこれを偽りのハッピーエンドだと知っている。

ギャスパー・ノエが『アレックス』を通じて伝えたかったメッセージとはいったい何だろうか。

ノエは2019年に『アレックス:ストレートカット』という、ストーリーを時系列に編集し直したバージョンを公開している。

「時計回りに上映することで、すべてが明確になり、同時に暗さも増し、登場人物に感情移入しやすくなり、物語の展開も理解しやすくなる。
同じ物語でも、もはや悲劇ではなく、登場人物の心理と、彼らを残虐な殺人へと駆り立てるメカニズムを浮き彫りにするドラマとなっている」

しかし、個人的には単純にストーリーを追えば、恋人の復讐相手を間違えて逆に暴行された男と(恐らくは警察が駆けつけるまでの間、男たちにレイプもされただろう)、人違いで別人を殺してしまった男の間抜けな物語だと思う。
『アレックス』の面白さは、物語を逆に辿っていくことで、終点までの情報が増えていき、登場人物のイメージがどんどん変わっていくことだ。
ギャスパー・ノエは今の時代では皆が携帯電話を持ってるから、『アレックス』のような話は成立しないと語っているが、私は逆に断片的な情報で物事の全体を判断してしまうような今の時代だからこそ、『アレックス』は一種の風刺劇という解釈もできると感じている。

『アレックス』とスタンリー・キューブリック

ちなみに、『アレックス』はスタンリー・キューブリックからの影響も大きい。ギャスパー・ノエ自身、幼い頃に『2001年宇宙の旅』を観ていなかったら映画監督になっていなかったと断言している。

まず、冒頭で『アイ・スタンド・アローン』の主人公である肉屋が登場していることだ。ノエはそのアイデアはスタンリー・キューブリックに影響を受けたと語っている。

「キューブリックについての本を読んだら、彼はある映画の冒頭で別の映画の何かを使うのが好きだったと書いてあった。まるで間にコマーシャルがあって、それから中断したところから再開するようなアイデアが気に入ったんだ」

また、映画の中の夫婦を実際の夫婦が演じるというのは、1999年に公開されたキューブリックの遺作『アイズ・ワイド・シャット』のトム・クルーズとニコール・キッドマンを思わせる。
さらに、アレックスが地下道に入るショットはキューブリックが『シャイニング』をはじめとしたほとんどの作品で多用した一点透視図法の構図と全く同じだ。
そもそも「アレックス」と名前に『時計じかけのオレンジ』を連想せずにはいられない。女性にあえて男性名のアレックスと名付けるにはそれなりの理由があると考えて当然だろう。

『時計じかけ』のアレックスは日常的に不良効果に明け暮れ、仲間と戯れに他人の家に押しあり、家人の妻をレイプする。どうしょうもない暴力中毒者であるアレックスは暴力を拒否するように強制的に矯正されるのだが、それこそが暴力ではないか?というのが『時計じかけのオレンジ』のテーマだ。
『時計じかけのオレンジ』は暴力すらもまた人間性の一部だと謳っている。
『アレックス』でアレックスの部屋には『2001年宇宙の旅』のポスターが飾られていたが、こちらでも同じように暴力が描かれている。『2001年宇宙の旅』ではモノリスに触れた猿が飛躍的に知能を向上させる場面から始まる。知恵をつけた猿は骨を武器にして敵の猿と争い勝利する。暴力は猿から人間への進化のために必然でもあったのだ。

『アレックス』のテーマ

だが、キューブリック作品に比べると『アレックス』は道徳的な映画だとも言える。
『時計じかけのオレンジ』とは対称的に今作のアレックスは被害者であり、暴力は否定的に描かれている。『アレックス』において暴力に傾き、理性を失った男たち…テニアもそうだが、マルキュスやピーターもまた愚かな結末を迎えている。

ギャスパー・ノエは『アレックス』のテーマを「残虐行為の伝染と、理性よりも爬虫類脳が支配する様を描いた寓話」と述べている。

恋人を傷つけた男に復讐する。それだけを見れば、それは「正義」と見えたかもしれない。しかしマルキュスは直前にドラッグをやっていた。そのせいでそれからの行動は冷静さを欠いている。果たして、マルキュスの行為は本当に正義なのか。

「男性のテストステロンは非常に退屈で、迷惑で、繰り返しが多い。だから私の映画では、ほとんどの場合、女の子がかっこいい役を演じ、男性が愚かな役を演じている」

時は全てを食い尽くす

果たして冒頭の男が言うように、「悪行なんてない。ただ行為があるだけ」なのだろうか。

「時は全てを破壊する」…これはもともとラテン語の格言である「時は全てを食い尽くす」を改変したものだ。
善も悪もいつか時が食いつくしてしてしまうのだろうか?

『アレックス』もまた長い人生の時間の一部分のみを描いた作品には違いない。その中でまた善や悪が変わって見えることもあるかもしれない。確かに絶対的な善も悪も無くなれば確かに行為という事実だけが残るだろう。
だが、時が解決できないものも確かに存在する。

『アレックス』は「時は全てを破壊する」、一編を描いた作品なのだ。

 

 

 

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