コロナ禍において観ておきたい映画としてフランク・キャプラの『群衆』を紹介した。
もう一つ観ておきたいのが『ジョンQ -最後の決断-』だ。『群衆』ではポピュリズムに翻弄される大衆の愚かさが描かれているが、『ジョンQ -最後の決断-』ではアメリカの医療制度の問題点が描かれている。
アメリカでは新型コロナウイルスの死者が50万人にも及ぶ(2021年1月時点)。その要因は様々にあるが、その一つが医療制度だろう。アメリカはOECD中、メキシコと並んで皆保険制度のない稀有な国だ。
新型コロナウイルスに感染しても病院に行く金がなく、自宅で重症化しそのまま亡くなってしまう。
アメリカの医療費の高さについては「指に包帯を巻くだけで90万円かかった」というような話もある。
『ジョンQ -最後の決断-』は2002年に公開されたアメリカの医療制度をテーマにした映画だ。監督はニック・カサヴェテス、主役のジョン・Q・アーチボルドをデンゼル・ワシントンが演じている。
工場勤めをしているジョンは正社員からパートタイマーへ格下げされてしまう。ジョンは求人誌をめくり何か新しく職を見つけようとするが、資格過剰を理由に断られ続ける毎日だった。
そんなジョンの楽しみは息子マイクの成長を見守ることだった。
とある週末、野球をしていたマイクは突然グラウンドの上に倒れ込んでしまう。マイクと妻のデニーズはマイクをそのまま病院に連れていくが、医師の診断はマイクは重度の心臓病で心臓移植が必要だという。保険が適用されるから、と考えていたジョンだったが、彼の医療保険はパートタイマーになったときにグレードを下げられており、心臓移植には適用されないのだった。
身の回りものをすべて売り払っても息子の名前を心臓移植リストにすら載せることができない。追い詰められたたジョンは救命室の医師や患者たちを人質に病院に立て籠る。
アメリカの医療保険制度
『ジョンQ -最後の決断-』はアメリカの医療制度の在り方に一石を投じている。実際にニック・カサヴェテスの娘のサーシャも心臓の欠陥を持って生まれ、度重なる手術が必要だったという。( カサヴェテスは『私の中のあなた』にもその経験を反映させている)
なぜ健康診断でマイクの心臓病の兆候が見つからなかったのか。救命室の医師はジョンにこう言う。
「HMOは医者に余計な検査をさせない。コスト削減さ。マイクに精密検査が必要な場合でも医者は黙っている。するとHMOは医者にボーナスを払う。」
HMOとは医療保険のプランの一つだ。HMOでは自己負担額が少なく保険料も比較的安価である一方で、定められたネットワーク以外の医療機関では保険の適用がなされない。また、専門的な治療が必要な場合でも、まずは決められた主治医に相談してならでなければならないというデメリットもある。
今作の脚本を担当したジェームズ・カーンズはこのシーンについて「(監督の)ニックと仕事をした際に改めてHMOを理解した。驚くべき実話だ。患者を拒絶した医者にボーナスが出たなんてね。」と言っている。
『ジョンQ -最後の決断-』の未公開シーンでは前述の医師がこんなセリフを述べる。
「今の医療制度では当然のはずの治療が受けられない」
アメリカでは日本と異なり医療費の決定に国が介入しない。医療費は市場の自由競争に委ねられている。医療技術の高度化や訴訟リスクのためにアメリカの医療費は高騰傾向にある。加えて自己負担率の違いもある。日本では原則として保険料の自己負担率は3割だが、アメリカでは5割になる。
今回『ジョンQ -最後の決断-』でジョンが受けていた民間保険は、雇用主である会社が福利厚生の一環として提供していた医療保険だ。
福利厚生として医療保険を提供することは保険加入者の大幅な増加を後押ししたが、その結果として一般の保険会社が医療の分野にまで進出してゆくことにもつながった。富の再分配機能は弱まり、弱者にとっては医療保険は高額なものになっていく。
2000年代に入ると、医療の高度化が進み保険料も高額化。国民の6人に1人が医療保険に入れない状態となり問題は深刻化する。『ジョンQ -最後の決断-』の公開は2002年なので、まさにこの時代の医療制度をリアルに描き出しているといえるだろう。
アメリカの個人破産の中で医療費がその原因となるものは6割にも上っている。 それも貧困層ではなく、中流家庭が最も多いそうだ。
もちろん、公的保険が全くないというわけではない。
低所得者向けの公的保険も存在する。その一つがメディケイドと呼ばれるものだ。
メディケイド
メディケイドは1965年に作られた低所得者層を対象とした公的保険だ。1990年代には全人口の10%前半では、2000年代には20%がメディケイドに加入しているという。
メディケイドではその人の資産や収入が加入条件になる。中にはメディケイドに加入するためにあえて資産を処分する人もいるという。
しかしながらメディケイドに加入していても高額医療は保険のカバー外というところもある。メディケイドは連邦政府と州が共同で行っている医療扶助事業であり、その運営は州に任せられているからだ。
ただもちろん医療保険の現状も『ジョンQ -最後の決断-』公開当時とは変わってきている部分もある。
オバマケア
皆保険制度がないことを憂慮していた当時の大統領であるバラク・オバマは皆保険を目指して保険制度改革を実施する。それが「ペイシェントプロテクション・アンド・アフォーダブルケア法」、通称オバマケアだ。オバマケアでは低所得者や高齢者向けのメディケアの加入条件を緩和させ、それ以外は持病などのリスクがあっても医療保険に加入できるようにした。
2014年から実施されたこの改革によって2013年には4200万人だったアメリカの無保険者は2015年には2900万人と2年間で1300万人減っている。保険加入率で言えば2011年には約15%だった未保険加入者を2015年には9.1%にまで減らすことに成功している。
次にオバマケアの問題点を見ていこう。
オバマケアの問題点
オバマケアは前述のように皆保険を目指すものだが、ここで注意したいのは医療保険の契約先だ。それは日本の保険制度のように国が医療費をカバーするのではなく、カバーするのはあくまでも民間の保険会社だ。当然、持病を持つ人や妊婦などは保険会社からするとリスクになる。
そのため、オバマケアによって保険加入者が増えると保険金を値上げしたり、オバマケアの対象から抜ける会社も出てきた。 2010から15年の5年間で物価が10%上昇したのに対し、医療保険料は27%の値上がりとなっている。医療保険を提供しているのが民間の保険会社というのもまたアメリカの医療制度を見る上では外せない。日本であれば、高額医療についても保険の適用内であれば保険でカバーできる。もちろん心臓移植にも保険は適用される。
またオバマケアではそうした保険への加入は義務であり、未加入者には罰金が科せられるというのも保守層からは批判されている。
もう一つ問題なのは実際に医療を受けてから保険が降りるまでにタイムラグがあるということ。つまり、保険料は保険によってある程度カバーされるものの、実際は立て替え払いであり、自己負担が軽減されているとは言いづらい部分がある。
それを証明するかのように2019年末時点でアメリカの人口の4割に相当するが医療費の支払いを滞らせているという現実がある。破産についてもオバマケアが施行された後も医療を原因とする破産は65.5%であり、それ以前の67.5%と大差ない結果となっている。
オバマケアについてはオバマ自身も完璧ではないと言っている。彼にとってはまだ改革の道半ばであったのだろう。
オバマケアには廃止を望む声も少なくない。2016年にアメリカ大統領に当選したドナルド・トランプはオバマケアの廃止を公約に掲げていた。
アメリカと個人主義
皆保険制度への挑戦はオバマに始まったわけではない。古くは第二次世界大戦中のセオドア・ルーズベルトの時代から皆保険制度への模索は続いている。
しかし、それはなぜ頓挫し、今もなお廃止の声が根深いのか。
アメリカの医療は自由診療であり、その背景には「国民皆保険は共産主義である」という考え方がある。『ジョンQ -最後の決断-』でもアメリカの医療が金次第であることを批判する医師に対して、別の医師が「君は共産主義者か?」と揶揄する場面がある。
個人の生き方に国家が介入すべきでないとする考えもあるだろうし、不法移民であったり、自助努力をしない人間の面倒も皆保険という制度のなかで間接的に負担しなければならないのか?という考え方もあるだろう。 それはある意味では理解できるが、命の選択の幅が金によって左右されるというのはやはり残酷だろう。
『ジョンQ -最後の決断-』でジョンはマイクを心臓移植者のリストに何とか載せることに成功する。もちろんその手段は人質をとって立て籠るという違法で暴力的な手段でだ。
現実には医療制度のために命を落とした人は多くいる。
それらが顕著になったのが、今回の新型コロナウイルスではないか。(もちろんコロナ扱いしたほうが遺族が得をするなどでコロナ死亡者に入れられた人数もいるだろうが)。ある調査によると、ニューヨーク市で貧困率1割以下の地域の死亡率は人口10万人当たり100人(0.1%)だったが、貧困率が3割以上の地域では、死亡率が2倍以上の232人(0.23%)であったという。
息子マイクの心臓移植のために病院に立て籠ったジョンの姿は全国ニュースとなりアメリカに生中継される。そこに映るジョンを支持する圧倒的な人の声。ジョンの仕事先の友人はテレビ局のインタビューにこう答える。
「世の中には持つものと持たざる者がいるんだ。病院でも相手にされる組とされない残念組が 25万ドルを払えない者は大勢いるんだ。そういう者を追い詰めるのは世の中の何かが間違っているからだ。」
この言葉は今の現状にも通じるだろう。アメリカの医療制度に苦しむ名も無きジョンQは今なお大勢存在する。