『LAMB/ラム』は何を伝えたい映画だったのか?

※以下の考察・解説には映画のネタバレが含まれています


1991年に公開された『羊たちの沈黙』で、クラリスは幼い頃に見た羊の屠殺と、屠殺から救えなかった子羊がトラウマになっている。
羊の子を人間が育てていく『LAMB/ラム』は、ある意味では『羊たちの沈黙』とは真逆の作品と言えるだろう。

『LAMB/ラム』

『LAMB/ラム』は2021年に公開されたヴァルディマル・ヨハンソン監督、ノオミ・ラパス主演のホラー映画だ。ヴァルディマル・ヨハンソンにとっては本作が長編監督デビュー作となる。ちなみにヴァルディマル・ヨハンソンはずっとVFXスタッフとして映画製作に関わっており、ノオミ・ラパス主演の『プロメテウス』でもVFXを担当していた(その時はノオミ・ラパスとは話す機会も無かったらしい)。ノオミ・ラパスは本作で製作総指揮も務めている。

ホラー映画ではないホラー映画

ホラー映画が苦手な人のために伝えておくが、『LAMB/ラム』は確かにホラーやサスペンスのジャンルに置かれることも多い作品なのだが、残酷描写やショッキングなシーンがあるわけではない。あくまで本作のジャンルがホラーとされているのは宣伝上の都合に他ならない。

監督のヴァルディマル・ヨハンソン自身、ホラー映画ではないと明言しているのだ。
「私も(本作を)ホラー映画だとは思ってはいない。ホラー好きな人がホラー映画を観に行こうとして、映画館に来てこれを観たら、がっかりするんじゃないかな」
それよりも観る人の心に爪痕を残すような映画にしたいとヴァルディマル・ヨハンソンは語っている。

ただ、今作の持つメッセージがわからないという声もあるようだ。そこで今回は『LAMB/ラム』に込められたメッセージを考察していきたい。

マリアと夫のイングヴァルはアイスランドで羊飼いとして生計を立てている夫婦だ。夫婦の間にはアダという娘もいたが、幼くして亡くなっている。
ある日、飼っている羊の一頭から、体が人間で頭が羊の生物が生まれる。最初は驚き、奇異に思う夫婦だったが、マリアとは、亡くなった娘と同じアダと名前をつけ、二人の子供として愛情を持って育てていく。

 

© 2022 THE KLOCKWORX Co., Ltd.

まず、冒頭では何者かが羊を孕ませる場面から始まっている。動物たちがそれらを避け、母親となる羊をレイプする場面がある。
羊たちが一斉にその何者かの方向を向き、怯えた様子を見せるのが印象的だ。

© 2022 THE KLOCKWORX Co., Ltd.

そして、マリアたちは羊たちの出産を手伝うわけだが、この母羊からは、顔が羊で体が羊という生物(アダ)が生まれる。

この場面だけ見ても非常に宗教的な要素に満ちている。例えば場所。キリストはクリスマスの日に納屋で生まれた。また、アダの母となるマリアもキリストの母と同じ名前だ。アダという名前も旧約聖書の最初の人間、アダムとイヴを連想させる。

監督のヴァルディマル・ヨハンソンはキリスト教と本作が結びつけられて考察されることには否定的だが、ここまでの設定を偶然の一言で片付けることはできない。
明らかに『LAMB/ラム』にはキリスト教の影響がある。だが、本質はそこではないということなのだろう。

恐ろしいクリスマス

ヴァルディマル・ヨハンソンはそれよりもアイスランドの民話に影響を受けたという。
例えばアイルランドのクリスマスにまつわる民話にはユールラッズと呼ばれる、サンタのような妖精(トロール)が登場する。ただし彼らはサンタのように子供たちに幸せを運ぶだけの存在ではない。良い子のところにはプレゼントを届けるが、悪い子のところには腐ったジャガイモを届けるといわれている。
普段、ユールラッズは山奥に住んでいるが、12月11日になると一人ずつ山から町に降りてくるという。そして、全員が揃う24日まで様々な悪事を働く。

ヴァルディマル・ヨハンソンは、アイルランドのクリスマスに関する民話は恐ろしいものも少なくないという。
例えば一例として先ほどのユールラッズの母親であるグリーラに関する民話を見ていこう。
グリーラはクリスマスに悪い子を集め、煮込んで食べてしまうのだという。ユールラッズがクリスマスに腐ったジャガイモを残していくのとは大違いだ。ちなみにグリーラの民話はユールラッズの民話より古くから伝承されてきたものだという。
『LAMB/ラム』もクリマスの日に母羊がレイプされる。作品全体を見れば、それは確かに不幸の始まりだった。

アダと母羊

アダはマリア夫妻のもとで愛されて育っていく。しかし、ある日アダは突然いなくなってしまう。マリアはアダを必死に探し回る。アダは母羊の元へいたのだ。
その後も母羊はマリアの周辺をうろつき、哀しげな鳴き声を上げ続ける。
そしてとうとうマリアは母羊を銃で殺す。

© 2022 THE KLOCKWORX Co., Ltd.

マリアにとっては、娘のアダに続いて、再び子供を奪われるという危機感、恐怖があったのだろう。

ヴァルディマル・ヨハンソンはマリアのキャラクターは自分の祖母をモチーフにしているという。
「僕の祖父母がまさに長いこと羊牧場を営んでいて、主人公マリアの強さや決意は、つい最近亡くなった祖母に触発されたものだ。マリアは喜びや幸福感を取り戻すためならどんなことでもする。決して折れることなく、人生を諦めようとはしない」

しかし、そんなマリアの凶行を陰ながら見ている男がいた。イングヴァルの弟のペートゥルだ。

ペートゥルの存在

本作においてペートゥルは夫婦を客観視させる役割を持つ。改めてアダという存在とそれを無条件で愛する夫婦の異常さを観る者に知らしめる存在がペートゥルなのだ。
と同時にペートゥルは兄の隙を見て、マリアを誘う。セリフこそないものの、マリアとペートゥルのコミュニケーションはイングヴァルとのコミュニケーションよりも親密だ。マリアはペートゥルからの誘いを断るが、そこには過去には二人の間に何かがあったことが示唆されている。

 

© 2022 THE KLOCKWORX Co., Ltd.

ペートゥルの存在が映し出すのは、マリアとイングヴァルの等身大の姿だ。彼らは聖人君主でもなければ、過去に囚われた悲劇の主人公でもない。
笑い、怒り、酔いつぶれ、時には間違いも犯してきた普通の人間なのだ。

ペートゥルが去り、再び穏やかな日々が戻るかと思うと、映画はここから急展開を見せる。マリアがペートゥルを見送っている間、イングヴァルはアダとともに壊れたトラクターの修理に向かっていた。だが、突然黒い半分羊の獣人が現れてイングヴァルを殺す。それはアタの本当の父親だった。

 

© 2022 THE KLOCKWORX Co., Ltd.

クリスマスの夜に母羊を犯したのも、牧羊犬がロープをとってこれなかった原因も、そしてその牧羊犬を殺したのも、全てはこのアダの父親の仕業だったのだ。父親は死にゆくイングヴァルには目もくれず、アダを連れて自然の中へとその姿を消す。

アダの父親の正体

ヴァルディマル・ヨハンソンはカルロス・レイガダスの『闇のあとの光』に強い影響を受けたという。同作には悪魔が登場するが、『LAMB/ラム』に登場する、本当のアダの父親と見た目が似ていることをヨハンソンは否定していない。
となると、アダを連れ去ったのは悪魔になるのか?アダの父親は羊男ではなく、山羊男だとしたら?山羊はキリスト教においては悪魔を象徴する動物だ。
駆けつけたマリアは瀕死のイングヴァルを抱き上げ、何があったのかを訊くが、イングヴァルはそのまま事切れる。
マリアは慟哭し、アダが姿を消した山々の自然を見つめる。

 

© 2022 THE KLOCKWORX Co., Ltd.

やりきれないラストではあるものの、監督のヴァルディマル・ヨハンソンはこれを決して悲劇とは捉えていない。

『LAMB/ラム』のメッセージ

さて、この『LAMB/ラム』という映画は何を伝えたい作品なのだろうか。監督は作品の解釈は観客にまかせると述べているが、個人的には「自然を人間がコントロールしようとすることの愚かさ」ではないかと思う。
例えば、家畜であれば親と子が人間の手によって引き離されるのは珍しいことではない。
そもそもマリア夫妻が営んでいるのは食肉用の羊の畜産業だ。

ここでもヨハンソンの言葉を借りると、アイスランドでは羊は生まれてから山に放牧され、3カ月育ててから屠殺されるという。
たまたまアダが奇跡を連想させる生き物であったから、夫妻の子供として迎えられたわけで、他の羊たちと同じであれば、寿命を全うすることもなく、食肉に加工されていただろう。
一見、本作はマリアとイングヴァル、そしてアダのホームドラマのように見えるかもしれないが、全ては「人間側の倫理」で物語が進んでいく。
その象徴が映画の中で繰り返し使われるキリスト教的なモチーフだ。

これまでにも述べたように、クリスマスの日に厩舎の中で生まれたこと、母親の名はマリアであることなど、アダはまるでキリストのように描かれている。しかし、自然の側から見ると、人間がどのような宗教を信仰していようが関係ないことだ。さんざんキリスト教的なモチーフを含めておきながら、それらがほぼ意味をなしていないことに気づいただろうか。

ヴァルディマル・ヨハンソンは自然ということについてこう述べている。
「自然界で何が起こっているのかは説明できない。でも、明らかに私たちは自然に近いところにいて、自然はこんなにも美しいけれど、残酷で厳しいものにもなり得る。コントロールできないんです。それなのに、人間はすべてをコントロールできると思ってしまう傲慢さがある。まさに、自然を敵に回しているわけです。私たちはもう少し、自然を尊重すべきかなと」

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BLACK MARIA NEVER SLEEPS.

映画から「時代」と「今」を考察する
「映画」と一口に言っても、そのテーマは多岐にわたる。
そしてそれ以上に観客の受け取り方は無限大だ。 エジソンが世界最初の映画スタジオ、通称「ブラック・マリア」を作った時からそれは変わらないだろう。
映画は決して眠らずに「時代」と「今」を常に映し出している。

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