※以下の考察・解説には映画のネタバレが含まれています
文書の書き出しはいつも悩む。何かしらの思いがけない入口から紹介する映画に辿り着くようにとヒネったりもするのだが、それでも上手い書き出しが常に見つかるわけでもない。
今回紹介する『アメリ』もそうだ。
『アメリ』
『アメリ』は2001年に公開されたジャン=ピエール・ジュネ監督、オドレイ・トトゥ主演の恋愛映画。
『アメリ』の書き出しは全く思い浮かばなかった。そもそも『アメリ』のことを書こうと思ったキッカケがキッカケだったからだ。
とあるサイトを見ていたら、『アメリ』についてこう書いてあった。「監督のジャン=ピエール・ジュネは『アメリ』をサイコサスペンス映画として撮った」
『アメリ』と言えば恋愛映画の名作として有名だが、それって本当?
ジャン=ピエール・ジュネの作風
まぁ確かにジャン=ピエール・ジュネの作風を思うとデビュー作となった『デリカテッセン』は核戦争後のパリを舞台にした人肉を提供する肉屋が舞台であったし、『ミックマック』など、独特のブラックで奇妙な持ち味がある。
実際に『アメリ』もその要素はふんだんにある。まず、受精シーンを生々しく見せる冒頭に始まり、母親の死を身投げしたカナダ人観光客とぶつかったからとして、ギャグテイストで唐突に描く序盤などはそうだろう(ちなみにこれは実際に起きたニュースからの引用だという)。
『アメリ』をサイコサスペンス映画として撮ったという、その真偽はわからない(ちなみに主演のオドレイ・トトゥの次作は『愛している、愛してない』という正真正銘のサイコサスペンスだった)。もっともジュネは『エイリアン4』で慣れないハリウッドでの仕事に疲れたらしく、素朴なフランス映画が撮りたいと思っていたそうだが。
ホラー映画だと勘違い?
しかし『アメリ』を日本の配給会社がホラー映画だと勘違いして買い付けたエピソードは本当だ。この映画を買い付けたのは当時アルバトロスに在籍していた故・叶井俊太郎氏。
アルバトロスは元々フランスのアート系映画を配給していたのだが、叶井氏の猛プッシュによって『ネクロマンティック』や『人肉饅頭』などのB級ホラーを手掛けるようになった。
叶井氏がロサンゼルスのアメリカンフィルムマーケットで『アメリ』を買い付けた際には、キャスト名と映画の内容が書かれたメモしかなく、ジャン=ピエール・ジュネが『エイリアン4』(『エイリアン』シリーズの中でも最も残酷描写が凄まじい作品でもある)や『デリカテッセン』などのホラー映画を手掛けた監督というイメージから、『根暗な少女が周囲を巻き込んで騒動を起こす』という内容を「少女が周りの人を次々に食べていくホラー映画」と思い込んで買い付けたというエピソードがある。
買い付けたのがアルバトロスということで他の配給会社は『アメリ』をエログロ映画だと勘違いしてしまい手を出さなかった。そして配給はアルバトロスに決まったわけだが、叶井氏は試写を観て『アメリ』が恋愛ファンタジーだったことに唖然としたという。
しかし、『アメリ』は本国フランスで大ヒット。一週間で120万人を動員(ちなみにジュネいわくこの数は『デリカテッセン』の観客動員数より多いらしい)、5ヶ月を超えるロングラン上映になった。監督のジャン=ピエール・ジュネの元には数百通ものファンレターが届き、その数は『エイリアン4』公開時の時より遥かに多かったという。『アメリ』は日本でも大ヒット。
叶井氏曰く「いろんな媒体が勝手に特集を組んでくれ、女性誌とか映画ライターとか、アルバトロスの作品なんか普段見向きもしないような人たちが、試写会にどっと押し寄せた。いつも案内状は送ってるけど、ホントは架空の人物なんじゃないかって怪しんでいた人まで来たほどだ」(叶井 俊太郎・倉田 真由美 著『ダメになってもだいじょうぶ: 600人とSEXして4回結婚して破産してわかること』より)
『アメリ』は日本でも興行収入16億円の大ヒットとなった。2016年に『最強のふたり』が公開されるまで、フランス映画としては興行収入1位の座を維持し続けていた。
ちなみにこのヒットでアルバトロスは再びアート系映画を配給することにもなったという。
確かに『アメリ』がオシャレというのはわかるし、オドレイ・トトゥも可愛い。
だが、普通に考えてそこまで一般ウケするような作品だろうか。
『アメリ』は怖い?
ネットを見ていると「『アメリ』は怖い」という感想もちらほら目にする。
まぁわからなくもない。『アメリ』はコミュニケーション不全の女の子を描いたファンタジーなのだが、コミュ障ゆえに、人との関わり方が唐突かつ遠回りなもので、いわゆる「ストーーカー気質」と重なる部分もある。
それとジュネの作風であるダーク・ファンタジーも相まって「怖い」という評価になってもいるのだろう。
『アメリ』はラブストーリーなのか?
個人的には『アメリ』は正直に言えばそこまで面白いと思ったことがない(だからこそ中立な解説が書けるとも思っているが)。
いわゆる起承転結のストーリーではなく、王道のラブストーリーでもないと感じている。
あくまでラブストーリーはアメリの成長を描く一つの軸でしかない。
『アメリ』の原題は『アメリ・プーランの素晴らしい運命』。
つまりはアメリがどう自分の手で運命を切り開いていくのかの物語だ。
アメリの金魚
その象徴としてよく語られるのがアメリの金魚。
子供の頃のアメリは金魚を飼っていたが、ある時金魚鉢から飛び出して「自殺」してしまう。洗濯機の中から両親が金魚を助け出したものの、金魚は結局近所の池に放すことになった。
『アメリ』のレビューではこの金魚はアメリ自身のメタファーであると言われている。つまり、ガラスの中の金魚のように外に出ていくと失敗する。そのことを恐れているのだと。
ガラスが表すもの
前述の母の死のあとはアメリが大人になってからのストーリーになるのだが、確かに劇中を通して、アメリはお手伝い程度のことはしても、他者と本気で交わることは避けている。
それを端的に表しているのがガラスだ。まず、アメリは自宅の壁の中から誰かの少年時代のコレクションを発見、それを持ち主に届けようとする。しかしアールは直接手渡しするのではなく、コレクションをテーブルの上に置き、持ち主がそれ気づき、喜ぶ様子を少し離れたところから窓ガラス越しから見ているのだ。
他の場面でもアメリはガラス越しに他者を見ている。それはアメリが周りの人と深い人間関係を築くことを躊躇していることの表れだ。
ルノワールの『舟遊びの人々の昼食』
しかし、ここでポイントになるのは、一人だけそうではない人がいるということ。
それが同じアパートに住む老人のレイモン。レイモンは骨が脆くなる病気で、何年も外出せずにルノワールの『舟遊びの人々の昼食』を模写している。
ジュネによると、ここでルノワールを選んだのは、ルノワールが『アメリ』の舞台であるモンマルトルと縁の深い画家であったからだという。
モンマントルはパリの中でも物価が安く、ピカソ、モディリアーニ、ゴッホなど、多くの芸術家が暮らしていた場所でもある。そして、ルノワールもその中の一人としてモンマントルに暮らしていた。
さて、『舟遊びの人々の昼食』の絵画は『アメリ』をよく象徴している。この絵画の登場人物は互いに視線が合っていない。ギクシャクした人間関係がそのまま目線として表れているようでもある。その中でもひときわ孤独に映るのが真ん中に控えめに描かれている女優のエレーヌ・アンドレ。その姿は周囲に溶け込めすにいるアメリのようでもある。
レイモンはいわばアメリの守護天使のような存在で、彼女の背中を押し、前へ進む勇気を与えている存在だ。レイモンは理由こそ違うものの、アメリと同様に外に行くことはできない。そんなレイモンから見ると、アメリはほんの小さな勇気で自らの世界を変えることができる可能性に満ちているのだろう。
『アメリ』が映す世界
『アメリ』は確かにオシャレさもその魅力の一つではあるが、決してきらびやかなパリを描いた映画ではない。まず、モンマルトル自体が所得の低い人々が多く暮らす街だということ。劇中に登場する、野菜売りの青年もモロッコ系の人物だ。
また、フランスではアメリのようなウェイトレスは学歴のない人がするものという認識が一般的なようだ(ニノの仕事にも同じことが言える)。
フランスでのヒットには、そのような環境の中で暮らすアメリとその孤独への共感もあっただろう。
ジュネ自身もファンレターの中で「アメリは自分自身のようだ」という内容のものをもらったことがあるという。
日本でそんな『アメリ』の設定やイメージが公開当時にどこまで観客に伝わっていたのかはわからない。物珍しさもあっただろうし、ヒットしているらしいからとりあえず観てみるという人もいただろう。
だが、不器用な女の子が勇気を出して世界を飛び込み、幸せになるというハッピーエンドは多くの人の共感と憧れを掴んだはずだ。
レイモンは自分の扉を開けることに躊躇しているアメリにこう声を掛ける。
「君の骨はガラスでできているわけじゃない。君は人生にぶつかっても大丈夫だ」