『ルパン三世 ルパンVS複製人間』

※以下の考察・解説には映画の結末のネタバレが含まれています


あれは確か大学1年生の頃だったと思うが、SEAMOの『ルパン・ザ・ファイヤー』という曲がヒットし、SEAMOのブレイクのきっかけにもなった(今はどの曲がヒットしているかなんてチンプンカンプンだが、この頃まではそれなりにヒットチャートを追っていたのだ)。
正直に言うと、私は発売当時からこの曲が大嫌いだった。著作権上、歌詞を載せることはできないが、『ルパン三世』をテーマにした楽曲であるにも関わらず、歌詞がことごとく的外れで、恐らくコアな『ルパン三世』ファンであればあるほど、本作には違和感を感じたのではないだろうか。

この曲に物申せば、それだけで一つのテーマになってしまいそうだが、端的に言うならば「ルパンは金よりスリルや愛を求めるような義賊でも善人でもない」ということだ。
もちろん、TVシリーズにおける『ルパン三世』が、そうしたある種の「正義の味方」として描かれてきた部分は否定できない。だが、原作で描かれるような、悪の魅力を讃えたルパンの姿はSEAMOの歌詞のどこにもない。
別に自分で勝手に作詞作曲する分にはいいが、ここまで他人の褌で相撲をとっておいて(当然SEAMOというブランドよりも、『ルパン三世』というブランドの方が遥かにブランド力は上である)この程度の浅い歌詞というのは「商品」としては存在させてはならないだろう。
恐らくSEAMOは『カリオストロの城』は観ていても、その前作である『ルパン三世 ルパンVS複製人間』は観てはいないのだろう。

『ルパン三世 ルパンVS複製人間』

『ルパン三世 ルパンVS複製人間』は1978年に公開された『ルパン三世』シリーズの劇場版第一作だ。声の出演は山田康雄、増山江威子らが務めている。
改めて、今から50年前近くの作品になるのは驚いてしまう。もちろん、技術としてのアニメーションに関して言えば、現在のアニメには敵わないが、しかし、物語の面白さや作品が持っている熱量は今のアニメを凌駕しているのではとも感じるのだ。

物語はルパンが処刑される場面から始まる。検死報告の結果も紛れもなくルパン三世であることを示すものだったが、たったひとり、銭形だけがルパンの死を信じずに、雨の中クルマを走らせる。その目的地はルパンの墓だ。
墓を暴いた銭形はその中で眠るルパンの心臓に杭を突き刺そうとする。

ルパンを殺そうとする銭形

この「銭形がルパンを殺そうとする」シーンは非常に重要だ。ルパンを殺そうとしているか、そうでないかは原作とテレビ版の『ルパン三世』の大きな違いだからだ。
『ルパン三世』の元々のモチーフは『トムとジェリー』だ。確かにどこまでもいつまでも(いつでも?)ルパンを追いかける銭形の姿は多くの作品でコミカルに描かれてきた。しかし、原作における銭形はもちろんルパンの逮捕に執着しているが、それと同時に「この手で八つ裂きにしたいほど」憎んでもいる。
当然のことながら、処刑されたルパンは本物のルパンではなかった。銭形は喜びの笑いを浮かべた後に改めてルパン逮捕に執念を燃やしていく。

大人向けの『ルパン三世』

次のポイントは峰不二子の登場シーンだ。ここで不二子は乳首も露わに全裸となっている。ちょっと過剰なほどにハダカが描かれるが、つまりはここで本作が「大人向けの『ルパン三世』」であることを宣言したのだろう。
不二子は謎の依頼人に従い、ルパンに盗ませていたお宝、永遠の命を得られるという「賢者の石」を受け取りに行く。
だが、その石はルパンがすり替えた偽物だった。それによってルパン一味は正体不明の敵に狙われることになる。
そしてルパンはまたしても不二子に裏切られ、フリンチという男に引き渡される。そしてとある島出目を覚ます。そこでルパンが見たのはナポレオンやヒトラーと思しき人物たちだった。
それらの全ての黒幕はマモーという老人だった。表向きは謎の大富豪のハワード・ロックウッドであるが、裏では永遠の命を手に入れるためには手段も選ばない冷徹な男でもあった。

『ファントム・オブ・パラダイス』

マモーのモデルは作曲家でもあったポール・ウィリアムズであるが、おそらく、正しくは『ファントム・オブ・パラダイス』でポール・ウィリアムズが演じたスワンをモデルにしているはずだ。
ここで簡単に『ファントム・オブ・パラダイス 』の説明をしておこう。
『ファントム・オブ・パラダイス』はそのタイトルの通り『オペラ座の怪人』をモチーフにしたロック・ミュージカル映画だ。監督は『キャリー』や『スカーフェイス』などのカルト映画も多く手がけている名匠ブライアン・デ・パルマ。

同作の主人公は、ウィンスローという無名ながらも確かな才能を持ったミュージシャンだ。彼はロック界の寵児として大きな影響力を持つスワンの新しい劇場「パラダイス」のこけら落とし公演のオーディションを受けることに。ウィンスローは自分と同じ夢をつかもうとしている歌手のフェニックスに会い、互いに惹かれ合っていく。

だが、オーディションを見ていたスワンはウィンスローの才能とフェニックスを横取りしようと、ウィンスローを無実の罪で投獄する。
スワンはフェニックスとウィンスローの楽曲を我が物とするが、ウィンスローは獄中で自作の曲にスワンが醜悪なアレンジを加えて売り出そうとしているのを知って激怒する。ウィンスローは脱獄し、スワンが社長を務めるデスレコード社に忍び込んで原盤を破壊しようとするが、プレス機に挟まれて顔と声を失ってしまう。

ウィンスローはパラダイスの怪物として、スワンのプロデュースする出演者たちを殺し、フェニックスへの楽曲を書き始める。
そしてスワンに復讐を下そうとするが、逆ににスワンはウィンスローに、フェニックスを主役にする代わりに彼女のために曲を書き続けるという契約を結ばせる。
だが、それもスワンの嘘だった。

『ファントム・オブ・パラダイス』は部分的に『オスカー・ワイルドの肖像』などの古典的な寓話もモチーフとして取り入れられている。
騙されたことに気づき、スワンを殺そうとするウィンスロー。

と、これ以上はストーリーがネタバレになってしまうので『ファントム・オブ・パラダイス』のあらすじ紹介はこれくらいで止めておくが、一つだけネタバレしておくと、後半でスワンの秘密が明らかになる。それは、スワンもまた悪魔と契約し、永遠の若さと成功を手に入れたということだ。
この悪役という部分と社会的に成功を収めている人物、そして永遠の若さを求めるというスワンのキャラクターはマモーとも共通している。

なぜルパンは夢を見ないのか?

マモーはルパンと不二子を捕らえ、ルパンの脳内に侵入し、その深層意識を調べていく。
だが、ルパンの深層には何もなかった

「ルパンは夢を見ない?!」
「やつは白痴か、いや、神の意識か?」

ルパンと言えば、馬面の猿顔だか、原作ではその顔も変装の一つとされ、本当の声も性別すらも、誰にも分からない(普段の顔が変装ということも銭形しか把握していない)。また、惜しくも頓挫した『押井守版ルパン三世』では、「ルパンは最初から存在しなかった」という結末が用意されていたという。

この「深層意識」、つまりはルパンの「核」を映し出すというのは、劇場版第一作のタイミングでは非常に大きなリスクもあっただろう。もしその本質が悪であれば、次作『カリオストロの城』は成立しなかった。もちろん善であってもルパンというキャラクターそのものが成り立たなくなる。

ルパン三世というコンテンツが半世紀以上も愛されたのは、ルパンという男の底が見えないからだ。ルパンというキャラクターを最終的に定義づけるのは観客一人ひとりに委ねられている。
マモーはルパンの対となるキャラクターとして創造された。その目的は永遠の命という壮大で幻想的なものた。その対としてルパンの無があるのだろう。

もっとも監督の吉川惣司は「あんまり深い意味はない。ルパンの潜在意識をいくら探しても、何にも考えてないっていうだけなんですけどね」と述べているが。

ルパンの夢

マモーは空中に浮かび、まるで魔法のように不二子を意のままに操り、ルパンの目の前で不二子を連れ去っていく。
ルパンの挑発に応えるように、マモーは大地震を引き起こす。次元はマモーの力に慄き、マモーの元へ向かおうとするルパンを撃つ。

「俺は、夢、盗まれたからな。取り返しに行かにゃあ」
「夢ってのは、女の事か」
「……実際、クラシックだよ。お前ってやつは」

その夢が何なのか、本編ではついに明かされることはない。あくまで個人的な推測だが、それは「自分自身」ではないかと思う。なんでもありの超能力を使うマモーの存在自体がルパンの存在意義を失わせているのだと考えている。
いくら財宝を手に入れようと、マモーの方がはるかに大きな財力を持つ。いくらスリルを楽しんでも、それは偶発的なものではなく、マモーが仕込んだ「運命」かもしれない。マモーがいる「現実」はルパンにとっては「非現実」なのだ。
ルパンも自身が一流の泥棒であることについて強い自負心がある。しかし、目の前でやすやすと不二子を盗まれた。もちろん次元の言うように、ルパンの言う夢とは不二子のことだという解釈も間違いではないだろう。だが、それだけだと、ここまで意味深な台詞にする理由が見つからない。

やっとのことルパンはマモーのアジトへたどり着く。だが、そこでは青いマントをかぶった謎の男がルパンを殺そうと立ち向かってくる。
しかし、一撃で倒されたマントの男の顔を確かめると、それはボロボロになっています老い衰えたマモーだった。彼らはクローンを複製しすぎたために起きた、

実は永遠の生命を求めながら、生きることに最も苦しんでいたのもマモーかもしれない。
それまでのルパンとマモーの戦いを帳消しにするようにミサイルが降り注ぐ。
監督の吉川惣司によると、『ルパン三世 ルパンVS複製人間』について 「劇場版はもっとアダルトな内容にしようという機運が高まっていた。マモーとルパンの対立があるが、米国とソ連の対立構造の前ではかなわない、という物語がやりたかった」そうだ。

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BLACK MARIA NEVER SLEEPS.

映画から「時代」と「今」を考察する
「映画」と一口に言っても、そのテーマは多岐にわたる。
そしてそれ以上に観客の受け取り方は無限大だ。 エジソンが世界最初の映画スタジオ、通称「ブラック・マリア」を作った時からそれは変わらないだろう。
映画は決して眠らずに「時代」と「今」を常に映し出している。

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