
※以下の考察・解説には映画の結末のネタバレが含まれています
映画監督フランク・ダラボンのフィルモグラフィーは4作中3作がスティーヴン・キングの小説を映画化したものだ。
1994年に公開された、デビュー作である名作と名高い『ショーシャンクの空に』は1982年に出版された中編小説『刑務所のリタ・ヘイワース』が原作であり、2000年に公開された『グリーンマイル』は1996年に出版された同名小説が原作となっている。
そして今回紹介するのが、2007年に公開された『ミスト』だ。
『ミスト』
『ミスト』は主演のSFホラー映画。本作の原作は1980年に出版された『霧』。
スティーヴン・キングは日常生活での些細なきっかけから小説のアイデアを発展させることも多い。このサイトで紹介しているスティーヴン・キング原作の映画も多いが、『ミザリー』の原作小説はキングがロンドンへのフライト中に「偏執狂の女が大ファンである小説家を、逃げられないように脚を折ったうえで監禁している」夢を見たことがきっかけだった。
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『ミスト』の着想についてキングは「ある時たまたま地元のマーケットに立ち寄ったんだが、たくさんの人が買い物をしていたんだ。そのとき正面の窓を見て、『もし何か悪いことが起きたら、あの窓は全部崩れ落ちるだろうな』と思った」と語っている。
さて、今回は映画の解説も交えながら、「トラウマ映画」「鬱映画」とも言われる結末についても考察していきたい。ただ、いきなり結末だけ説明しても???となるだろう。
まずは作品全体のあらすじと解説から順に進めていこう。
冒頭は主人公のデヴィッド・ドレイトンが自室でも考察し仕事をしているシーンから始まる。
彼の仕事は映画ポスターの絵画を描くこと。部屋の隅には全体的にブルーで宇宙服のようなものを着た人物が立っている絵が描かれている。
さて、この映画は何でしょうか?
正解は『遊星からの物体X』。
『遊星からの物体X』
『遊星からの物体X』は1982年に公開された、ジョン・カーペンター監督のSFホラー映画。1951年に公開された『遊星よりの物体X』のリメイクにあたる。もともとスティーヴン・キングはオリジナルの『遊星よりの物体X』に強い影響を受けたと語っているが、『ミスト』で用いられているのはそのリメイク版である『遊星からの物体X』だ。
『遊星からの物体X』は南極基地を舞台に、観測隊隊員らが生物に寄生されていく物語だ。グロテスクな人体破壊描写も強いインパクトがあるのだが、誰が寄生されていて、誰が人間のままなのか、お互いが疑心暗鬼になっていく部分に本当の怖さがある。
『ミスト』も同じだ。 デヴィッドはリビングでポスターを仕上げるが、窓の外では激しい風と雷雨となっており、妻のステファニーと息子のビリーとともにその夜は地下室に避難する(ちなみに デヴィッド が描いたのはスティーヴン・キング原作の映画『ダーク・タワー』のポスターだ)。
雷雨の被害
翌朝、ひどい嵐のせいで家の周囲の木々が倒壊。デヴィッドの仕事部屋でもある、リビングの窓を木が突き破り、『ダーク・タワー』のポスターをなぎ倒す。被害はそれだけではない。隣人の敷地内にある木がデヴィッドの家のボート小屋を押し潰したのだ。
デヴィッドは隣人のブレント・ノートンに話をしに行く。ブレントは弁護士であり、デイヴィッドとはかつて敷地の境界線のことで裁判になったこともあった。ブレントの敷地内の木がブレントの車も押し潰しており、デヴィッドはブレントも車に同乗させ、息子のビリーとともに町のショッピングセンターへ向かう。その頃、デヴィッドの家の前の湖には濃い霧が立ち込め始めていた。
その途中で軍の車両が列をなしてどこかへ向かっているのをデヴィッドらは目撃する。
「アローヘッド計画か?」
みな軍のその計画名は知っていても、それがどのような計画かは極秘だった。
霧の中の「何か」
そして一行はショッピングセンターに着く。デヴィッドは妻からの着信に気づいて折り返すが、誰も出ない。
ショッピングセンター内は昨夜の雷雨の影響で人がごった返していたが、みな同じ地域の顔見知りだ。しかし、その和やかさも近所の老人、ダン・ミラーが血まみれで店内に入ってきたことで一瞬にして消えてしまう。
ダン・ミラーは霧の中にいた「何か」に一緒にいたジョン・リーも攫われたという。やがて濃い霧がショッピングセンターの周囲を埋め尽くしてしまった。ほとんどの人々はショッピングセンターに閉じこもり、ひとまず安全を優先して行動ようになる。デヴィッドは発電機を修理するために、店長らと共に倉庫へ向かう。しかし、シャッターの向こうに「何か」の存在を感じてしまう。デヴィッドは外にある発電機の修理は諦めるべきだと主張するが、シャッターを上げた若い店員はシャッターの下から襲いかかってきた触手の犠牲となり殺されてしまう。
デヴィッドは悩んだ末に「外に怪物がいる」という話をスーパーマーケットの人々に伝える。
この異常事態に、店内にいた人々は混乱に陥る。デヴィッドの話を信じる者、信じない者・・・信じない人物の筆頭であるブレントは同じ考えの人々と共に霧の中へ消えていく。そして少し変わった人と思われていたミセス・カーモディは狂信的な本性を現していく。
人間の本性や行動ほど恐ろしいものはない
フランク・ダラボンは『ミスト』を、当時流行していた『ソウ』や『ホステル』のような拷問や切断シーンが多数登場するホラー映画とは対照的に、怪物や未知への恐怖といった古風な魅力を持つ映画だと語っている。確かに外の世界に怯え、スーパーマーケットの中に閉じこもるという状況はホラー映画の古典であるジョージ・A・ロメロ監督の『ゾンビ』を思わせる。
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『ミスト』について、フランク・ダラボンは次のように述べている。
「この作品は窓の外の霧の中にいるクリーチャーがメインではなく、スーパーマーケットの中で人々が経験することについての作品だ。人間の本性や行動ほど恐ろしいものはない。非常に現実的で、非常に不穏なものだ。
だからこそ私はこの作品に力強さがあると思った。それはつまり、恐怖そのものを恐れること、恐怖が人々に何をするのか、どのように人々を動揺させるのか、どのように私たちを駆り立てるのか、ということだ。
それは私たちを結びつけるのか、それとも引き裂くのか、私たちは間違いを犯すのか、そして崖から転落するのか?」
夜になると霧の中から現れた昆虫のような生物がショッピングセンターの中に侵入し、複数人の犠牲者を出す。その様子を見てミセス・カーモディは「自分の予言の通りになった」と主張するのだった。最初は異端視されていたミセス・カーモディにも同調する者が現れ始める。
アローヘッド計画とは?
翌日、昨日の襲撃によって大やけどを負ったジョーを助けるためにデヴィッドと仲間たちはショッピングセンターを出て、薬局へ必要な治療品を取りに行くことを決める。
だが、薬局も「何か」によって襲われた後だった。軍関係者であるМPも糸状のもので絡め取られ、柱にくくりつけられていた。まだ辛うじて息のあるМPだが、「許してくれ」と言った直後にその身体から無数のクモ状の生物が孵化して絶命。数名の犠牲者を出しながらも、生き残ったデヴィッドらは、ショッピングセンターへ戻る。
そこにはさらに信徒を増やしたミセス・カーモディがいた。
「許してくれ」МPのその言葉の意味を知るために、デヴィッドは店内にいた軍人のジェサップに話を聞く。
実はアローヘッド計画とは異次元を観察するプロジェクトだった。だが、何らかのミスで、観察するための「窓」が「扉」へ変わり異次元の生物がこちらの世界へやってきてしまったのだという。ここで、冒頭の倒れた気がデヴィッドの家の窓を突き破る場面が、「何か」がこの世界へやったきたことのメタファーでもあったことに気づくはずだ。
ミセス・カーモディは「何か」の襲来を神の怒りと信じ、怒りを収めるためには「生贄の血」が必要だと説く。そして生贄として指名されたジェサップは信徒の一人にナイフでメッタ刺しにされる。
このミセス・カーモティは映画でよりクローズアップされたキャラクターだ。キングは執筆当時にもカーモティのような人は実際に存在していたと語る(実際に同じくキングが原作の『キャリー』のマーガレットはそれに類するキャラクターだろう)。
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ジョージ・W・ブッシュ
しかし、フランク・ダラボンが否定したかったのは市井の人々ではない。
『ブッシュ』の解説でも述べたが、2007年当時の大統領ジョージ・W・ブッシュはキリスト教原理主義を政治に持ち込んだ。今でこそドナルド・トランプのあまりのエキセントリックな言動にブッシュのやったことなど霞んでしまいそうだが、トランプが国際法違反と言われながらイランに攻撃を仕掛けたように、ブッシュもまた確たる証拠がないまま「大量破壊兵器を所有している」という理由でイラク戦争を始めた。トランプは自らをキリストに模したAI画像をSNSにアップし、世界から顰蹙を買ったが、ブッシュもまた「神の名」を騙って戦争を始めた。
『ブッシュ』において、イラク戦争の本当の目的は中東の石油利権の確保だと描かれている。
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『ミスト』に話を戻そう。デヴィッドは店長ら志を共にする者たちとスーパーマーケットを出ることを決める。ここにいては、「異端者」として生贄にされる恐れが高いからだ。
だが、ミセス・カーモティとその信徒がデヴィッドらの行動を妨害し、乱闘状態になってしまう。ミセス・カーモティはデヴィッドらを「全員殺せ!」と扇動する。店長はやむなくミセス・カーモティを射殺。
スーパーマーケットを出て、デヴィッドは車を探すが、店長は霧の中で「何か」の餌食となる。
結局、デヴィッドの車に乗り込めたのは息子のビリーと、日頃から親交のある女性教師のアマンダ、そして同じく教師のアイリーン、ダンの4名だけだった。
小説と映画の結末の違い
小説と映画ではここから大きく流れが異なる。
小説版のエンディング
小説ではトラックで南へ向かい、霧の端や他の生存者を探し求めるという、やや希望や可能性に満ちた結末となっている。
映画版のエンディング
だが、映画版はデヴィッドが家に寄ると妻は殺されており、霧の中で車もガス欠。希望を無くしたデヴィッドは全員の意思を確かめ、銃に残っていた4発の銃弾で息子を含む全員を射殺。
しかし、その直後に霧は晴れ、米軍の大軍がが「何か」を駆除しながら登場する。自らの判断が全くの誤りであり、息子を含む4人が無駄死だったことに、デヴィッドは泣き崩れる。
これが映画版の結末だ。
なぜフランク・ダラボンはこのような結末にしたのだろうか?
『ミスト』の結末はなぜ変更されたのか?
これは個人的な考察だが、『ミスト』は『ショーシャンクの空に』と表裏一体の作品ではないかと思う。
『ショーシャンクの空に』は冤罪で投獄された元銀行家のアンディが、劣悪な刑務所の環境の中でも希望を失わずに生き抜く作品だが、『ミスト』は逆に過酷な環境の中で最終的には希望を諦めた男の話だ。
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また、スティーヴン・キングはダラボンに対して、『ミスト』もある意味では刑務所映画だと発言している。
ダラボンの言葉を借りると「キングの小説版の結末は弱かった」とのことで、ダラボンが『ショーシャンクの空に』の結末を『ミスト』同様はっきりしたエンディングに変更していることからも、ダラボンの嗜好はある程度掴めるように思う(原作の『刑務所のリタ・ヘイワース』では、仮釈放されたレッドがアンディへ会いに行く場面で終わり、映画のように無事にアンディと再会したかどうかまでは描かれていない)。
人生は、ハッピーエンドばかりではない。
だが、あと10分でも希望を持ち続けていたら、ハッピーエンドになったのに。