
※以下の考察・解説には映画の結末のネタバレが含まれています
『ローマの休日』はバッドエンド?
『ローマの休日』でネット検索すると、サジェストに「バッドエンド」と表示されることがある。
『ローマの休日』の解説でも書いたが、個人的にはあのエンディングには単なる恋愛映画を超えた大きな意味があると思う。
だが、あくまでアンとジョーのカップルの幸せな結末を期待した人にとっては確かにバッドエンドだろう。
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そんな人にこそオススメしたいのが今回紹介する『ノッティング・ヒルの恋人』だ。
『ノッティング・ヒルの恋人』
『ノッティング・ヒルの恋人』は1999年に公開された、ヒュー・グラント、ジュリア・ロバーツ主演のロマンティック・コメディ映画。
主人公はバツイチで冴えない旅行書専門書店の店長ウィリアム・タッカーだ。彼の店は赤字と万引き客に悩まされてなかなか売り上げも上がらない。そんな中、店にある女性が入ってくる。サングラスと目深に被った帽子にレザージャケット。

冒頭の場面。アナはザ・芸能人といったファッションをしている
トルコの旅行本を眺めている彼女に、ウィリアムは声をかける。
「その本はよくない、お金のムダだ」
「トルコの本をお探しならこれがオススメ。著者は実際にトルコへ行っているし、ケパブ料理や面白い体験談も載ってる」
実はこの本は実在する。ジョン・フリーリーの『イスタンブール:帝都』という本だ。
ウィリアムは彼女に著者は少なくともイスタンブールに行ったことがあると述べているが、実際にフリーリーは「行ったことがある」どころか、イスタンブールのボアジチ大学で生徒たちには教鞭をとり、遺した40冊以上の著作の多くがイスタンブールとトルコの歴史に関するものだ。
リチャード・カーティスの思い付き
『ノッティング・ヒルの恋人』の脚本を務めたのはリチャード・カーティス。カーティスは後に、『ブリジット・ジョーンズの日記』や『ラブ・アクチュアリー』などのロマンティック・コメディの名作を次々にヒットさせていくが、『ノッティング・ヒルの恋人』を観ればその理由も納得のはずだ。
『ノッティング・ヒルの恋人』はリチャード・カーティスが、夜眠れないときにあることを思いついたことがきっかけだった。
「ごく普通の人が信じられないほど有名な人と付き合うこと、そしてそれが彼らの生活にどう影響するのだろうか」
ちなみにこの発想はまったくの創作というわけでもなく、ヒュー・グラントによると、リチャード・カーティスの友人の一般人が普通の店で世界的に有名なセレブと出会い、交際するようになったという逸話を下敷きにしているという。
もちろん、著名人と一般人が恋に落ちる作品は古くからロマンティック・コメディのひとつの定型でもある。
身分違いの恋の原点
冒頭で『ローマの休日』を引き合いに出したが、『ローマの休日』自体も1935年に公開されたフランク・キャプラ監督の『或る夜の出来事』に大きな影響を受けている。
『或る夜の出来事』はが同じバスに乗り合わせ、恋に落ちるという作品だ。当時の大スターである、クラーク・ゲーブルと共演した本作はアカデミー賞で初めて主要5部門(作品賞、監督賞、主演男優賞、主演女優賞、脚本賞)を独占した作品としても知られている。ちなみに今のところ、主要5部門を独占した作品は『或る夜の出来事』の他には『カッコーの巣の上で』と『羊たちの沈黙』しかない。
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さて、こうした「身分違いの恋」に『ノッティング・ヒルの恋人』はどう落ちていくのだろうか。続きを見ていこう。
キスの意味
ウィリアムがオレンジジュースを手に店に戻ろうとすると、曲がり角でアナとぶつかってしまう。オレンジジュースまみれになったアナの服を洗うために、ウィリアムは自宅へアナを招待する。
期せずして再びの再開となった感激をウィリアムが、アナに伝えると、アナはウィリアムに唐突にキスをする。

このキスから二人の関係は動き出していく
このキスの意図は何だろうか?恐らくアナ自身もわかってはいない。だが、映画にとって、これは一つのメッセージであり、合図でもある。
そう、恋は理屈ではないということと、これから現実離れしたなファンタジーが始まっていくという合図だ。
一方でリチャード・カーティスはノッティング・ヒルを舞台にした理由について次のように述べている。
「貧しい者から金持ちまで様々な人間が住んでいる。あらゆる人種が共存する様子を描くには最適の街だ」
「別世界の男女が出会っても不自然じゃない。だからウィリアムが住む街でアナが買い物をしている」
ウィリアムは取材などのスケジュールに追われているアナに、『馬と猟犬』の記者という名目で再び接触することに成功する。

取材と称してアナに再会するウィリアム。アナのメンズライクな着こなしは、彼女のスキのない「強さ」を感じさせる
キスの件を詫びるアナにウィリアムは「気にしないで」と言い、逆に今夜は空いていないか尋ねる。
一度はウィリアムの誘いを断ったアナだが、少し考えた後、ウィリアムの誘いを受け入れる。しかし、その日はウィリアムの妹の誕生日だった。しまった!と落ち込むウィリアムにアナは「私も行ってもいい?」と声をかける。
ウィリアムの友人たちと妹が集まるパーティーにアナも同席する。
実はこのシーンは『ノッティング・ヒルの恋人たち』の出発点でもある。リチャード・カーティスは「一般人と有名人が付き合ったら?」という発想について、次のように述べている。
「週に一度夕食を共にする友人の家に、当時一番有名な人、例えばマドンナとか誰かと一緒に突然現れたらどうなるだろう、と時々考えていました。すべてはそこから始まったんです。友人たちはどんな反応をするだろう?誰がクールに振る舞おうとするだろう?どうやって夕食を乗り切るだろう?食後にはどんなことを言われるだろう?ってね」
ここで、ウィリアムの友人たちがアナにどんな反応したのか、逆にアナがどう振る舞ったのかは実際に映画を観てみてほしい。
プライベートガーデン
パーティーが終わった後、2人きりになったアナとウィリアムはプライベートガーデンに忍び込み、キスを交わす。プライベートガーデンとは、そこの住民だけが使える公園みたいな場所だ。そんなことはお構いなしに颯爽と柵を乗り越えていく一方で、ウィリアムはやっとのことで柵に登る。これはこのラブストーリーが女性主導で進んでいくことを示してもいる。

アナの後ろでウィリアムは柵を超えられずにいる
ちなみにこのキスシーンで流れる曲は『When You Say Nothing at All』。これはローナン・キーティングによるカバー曲だが、オリジナルはキース・ホイットリーによって1987年に発表されている。
「その笑顔が “そばにいるから”と
その瞳が “きっと大丈夫”と
触れた手が言っている “愛している”と
わかるよ、何も言わずに」
後日。アナとウィリアムが食事をしていると、隣のテーブルで男性会社員が、そうとは知らずアナの話題で盛り上がる。
「アナ・スコットは良い」
「新作映画はひどいものだったが、彼女さえ出ていればそれでいい」
「アナはタイプじゃないな。俺はブロンドより可愛い子のほうが好きだ。何て名前だっけ?ダイナーでイったシーンを…」
それはロブライナー監督の『恋人たちの予感』のワンシーンだ。
食事中、今まで付き合ってきたすべての女性を満足させてきたと語るハリーに、サリーは「女は誰だって一度はオーガニズムに達する演技をしたことがあるのよ」と言う。
「僕とはない」
「当然そう思うわよね、男だもの」
「どういう意味?」
「男は皆そう思っていて、女性は皆その経験があるということよ」
そう答え、オーガニズムを演じて見せる。
「…感じちゃう!イエス!イエス!」
その演技は店中の客の視線が一気に二人のテーブルに集中してしまう。
偽のオーガニズムに達したサリーは平気な顔でバストラミ・サンドを食べる。その様子を見ていた老婦人が店員に「あれと同じものを」とオーダーするオチがつく(ちなみにこの老婦人はロブ・ライナーの母親である)。

『恋人たちの予感』より。フェイクオーガニズムで絶頂に達したサリーをメグ・ライアンが演じている。
映画館で女性客は爆笑し、男性客は凍りついていたという。このシーンは脚本を担当したノーラ・エフロンが「男性の知らない女の世界」の象徴として脚本に入れたものだ。
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人気女優の世代交代
『恋人たちの予感』でメグ・ライアンはそのコメディエンヌとしての才能と愛らしさをいかんなく発揮した。ヒュー・グラントは「ラブコメの帝王」と呼ばれているが、メグ・ライアンも「ラブコメの女王」と言われていた。一方でジュリア・ロバーツも『プリティ・ウーマン』のヒットで女優として頭角を現していた。『ノッティングヒルの恋人』の前には『ベスト・フレンズ・ウェディング』、『プリティ・ブライド』などのラブコメにも出演している。
そんな中でこの場面は人気女優の世代交代を宣言しているようにも思える。
実際、翌年に『エリン・ブロコビッチ』でジュリア・ロバーツはオスカーを受賞する一方で、メグ・ライアンは演技派への転向を図って2003年に『イン・ザ・カット』へ出演するが、この作品の失敗が彼女のキャリアを終わらせることにもなった。
「バイオリンを弾くヤギがいなければ、幸せは幸せじゃない」
その後、アナはウィリアムを部屋に誘うが、アメリカから密かに恋人のジェフ・キングがアナを追ってきていた。ウィリアムはとっさにルームサービスを装うが、目の前でキスを交わすアナとキングの姿を見て、ショックを受けながらアナと別れる。アナの恋人のジェフ・キングを演じたのはアレック・ボールドウィン。今作にはノンクレジットで出演している。
ウィリアムは傷心の日々を過ごすが、半年後アナが突然ウィリアムの前に現れる。
過去に撮ったヌード写真が流出し、一大スキャンダルとなっていたのだ。アナをマスコミから隠すために、ウィリアムは彼女を家に匿う。
このシーンでウィリアムとアナは一線を越えるわけだが、本当に重要なのはそこではない。ウィリアムの家にあったシャガールの絵を見て、アナはこう言う。
「バイオリンを弾くヤギがいなければ、幸せは幸せじゃない」
この言葉の意味は何だろうか。今は一旦物語を先に進めよう。
上手くいくかに思われたアナとウィリアムだが、スパイクの失言により、マスコミにウィリアムとアナの関係がバレてしまう。アナは再びウィリアムの元を去る。傷心のウィリアムは傷を無理やり塞ぐべく、女性たちとデートを重ねる。ここはエキセントリックな女性たちの描写が楽しいパートでもあるが、最後のデート相手に美人でかつスマートな女性を持ってきたところが心憎い。彼女ほどの人物でもアナには敵わないことが示せるからだ。
1年後、アナは再び映画の撮影でロンドンを訪れる。ウィリアムはアナに会いに行くが、アナと共演者の会話のなかでアナが自分のことを「過去の人」と呼んでいることを知り、その場を後にする。
翌日、アナがウィリアムの元を訪れる。アナはウィリアムに交際したい気持ちを伝えるが、ウィリアムは住む世界が違うと言い、その申し出を断る。
「僕の打たれ弱いハートはこれ以上耐えられない。君にまた去られたら、僕は再起不能だ」
そんなウィリアムにアナは「本当にノーってことね」とその返事を受け入れつつも、「忘れないで。私だって好きな人の前では愛されたいと願うただの女なのよ」と一人の女性としての想いを打ち明ける。

アナは悲しみをこらえて笑顔を見せるが、ウィリアムはそれが本心か演技かわからない
この時のアナのファッションに注目したい。淡いブルーのカーディガンにカジュアルなデニムスカート、柔らかなでナチュラルな装いは、レザーとサングラス姿で初めてウィリアムの店を訪れた時とは対照的だ。
実はこのファッションは衣装ではなく、ジュリア・ロバーツの私服。その日着ていた服のままで撮影を行っているのだ。実際、このシーンのための衣装が用意されていたが、ジュリア・ロバーツはアナ・スコットの内面を表現するにあたって、ありのままの姿で演じるべきと考えたのだろう。
シャガールの『花嫁』
ここで注目すべき点がもう一つある。アナが別れ際にウィリアムに贈った、マルク・シャガールの絵画だ。絵のタイトルは『花嫁』。シャガールが1950年に描き上げた作品で、ダークブルーの背景のなかで赤の衣装を纏った花嫁が強烈な印象を与える。
この絵が選ばれのは、リチャード・カーティスがシャガールのファンだったこと、そして『花嫁』が「失われた何かへの憧れ」を表していることが理由として挙げられている。
シャガールは1944年に最初の妻、ベラを亡くしている。シャガールの作品はどれもベラへの想いを描いたものとされているが、『花嫁』もまた失われたベラへの想いに溢れている。
と同時に、この絵はアナの想いも代弁しているようだ。この花嫁はアナ自身であり、「バイオリンを弾くヤギがいなければ、幸せは幸せじゃない」と語ったように、恋愛も浮気やDVなどのスキャンダラスでゴシップめいたものではなく、周囲の人に温かな祝福を受ける、穏やかな愛を望んでいるのだろう。それがアナにとっての「幸せ」だ。
そして、ウィリアムを救うのもまた仲間だ。アナとの顛末を友人に報告したウィリアム。慰めを受ける一方、スパイクだけは「お前は大バカ者だ」とウィリアムを叱咤する。
その言葉に自分の過ちを思い知ったウィリアムは、アナが記者会見を行うホテルに友人とともに駆けつける。そして、『馬と猟犬』の記者として、自らの過ちを悔い、アナに許しを請う。

ウィリアムの言葉に、アナは笑顔で応える
リチャード・カーティスは『ローマの休日』を観たことがないと語っているが、身分違いの恋、そして最後の場面が会見の場というのは『ローマの休日』とシンクロしている。実際、ジュリア・ロバーツのエージェントは本作のオファーがあった際に「『ローマの休日』への素晴らしい賛辞」という印象を持ったという。
『ローマの休日』は悲恋に終わるが、『ノッティング・ヒルの恋人』はハッピーエンドだ。
ウィリアムとアナの結婚式の場面でケーキにヤギが描かれていることに気づいただろうか?
マルク・シャガールは次のような言葉を残している。
「愛とファンタジーは表裏一体」