『フィラデルフィア』偏見や差別は何から生まれるのか?

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※以下の考察・解説には映画のネタバレが含まれています


1991年に公開された『羊たちの沈黙』はアカデミー賞主要五部門全てを受賞した数少ない映画だ。これまでに主要五部門全てを受賞した作品は1934年に公開されたフランク・キャプラ監督の『或る夜の出来事』、1975年に公開された『カッコーの巣の上で』の2作品しかなく、加えてサイコ・スリラーの映画がこうした偉業を成し遂げるのはもちろん史上初だった。

『羊たちの沈黙』への批判

ただ、『羊たちの沈黙』に批判の声がなかったわけではない。そのひとつが連続殺人犯として登場する「バッファロー・ビル」の人物設定だ。
「『羊たちの沈黙』は一部から”同性愛を差別する映画”と非難を受けた。『羊たちの沈黙』はゲイを悪者扱いし、笑いものにした典型的な映画とみなす人がいたんだ。映画におけるゲイの描き方がいかにワンパターンだったか、かえって思い知らされた。」『羊たちの沈黙』を監督したジョナサン・デミはそう述べている。

GLAAD(同性愛者の名誉を守る同盟)のニック・アダムスは「『羊たちの沈黙』を観る人は、ハリウッドがトランスジェンダーや(典型的なジェンダーの規範に当てはまらない)ジェンダー・ノンコンフォーミングの人を悪者や被害者、からかわれる変人として描いてきた歴史を認識するべきだ」とニューズ・ウィーク誌で発言している。

デミ自身も『羊たちの沈黙』へのそうした批判の声に自ら答えた。それが『フィラデルフィア』だ。

『フィラデルフィア』は1993年に公開されたエイズ差別をテーマにした作品だ。
主人公のベケットは大手法律事務所であるウィラー法律事務所に務める優秀な弁護士だが、ある日エイズに罹患していることを告げられる。彼の顔にはカボシ腫瘍が表れており、それをエイズの兆候だとした法律事務所側によって、あらぬ罪を着せられ解雇される。
解雇の原因が自身のエイズ感染によるものではないかと考えたベケットは、勤務先であったウィラー法律事務所を訴えようとするが、どの弁護士も彼の依頼を聞き入れようとはしなかった。
かつてベケットと法廷で争った黒人の弁護士ミラーもその一人だった。彼もまたゲイやエイズへの偏見を持っていたのだった。

ゲイやエイズへの偏見

同じくエイズが発見されて間もない時代を描いた2014年公開の映画『ダラス・バイヤーズクラブ』はエイズに感染し、余命30日の宣告を受けたロン・ウッドルーフの実話を取り上げた作品だ。この作品からも80年代のエイズへの偏見がどのようなものであったのか垣間見ることができる。
マシュー・マコノヒー演じる電気技師でロデオ・カウボーイのロイはエイズに感染していると告げられる。ロイ自身、ブルーカラーの多い南部の人間であり、エイズはゲイの病気だと思っていた。そんな自分がエイズ?
仲間からも奇異の目を向けられ、ロイはそれまで持っていた偏見に自分自身が苦しめられることになる。

『フィラデルフィア』ではエイズへの偏見、同性愛への偏見をテーマにしている。
エイズや同性愛への嫌悪を強く持っていたミラー。言うなれば彼は当時の一般的なアメリカ人の内面を具現化したキャラクターでもあるだろう。

『フィラデルフィア』の脚本を書いた ロン・ナイスワーナーは初めてエイズについて知ったのは1981年だという。その時ナイスワーナーはエイズについて「ゲイだけに感染するガンのような病気」だと友人から聞いたと述べている。また監督のジョナサン・デミは妻とともに列車に乗っている途中、偶然エイズ患者に出くわし、感染するのではと不安になったことを明かしている。
「80年代半ばから後半にかけて絶望が支配していた。明るい未来は描けなかった」とナイスワーナーは言う。ナイスワーナー自身もゲイであり、エイズに対する恐怖はゲイへの偏見や差別にもつながっていっただろう。ジョナサン・デミは妻の友人がエイズに感染したことがこの映画の企画の元になったと言う。彼女への偏見や差別を知ったデミは映画を通してゲイやエイズへの偏見を解消することに貢献できるのではないかと考えたからだ。

今では考えられないことだが、当時エイズは「同性愛者への天罰」だという意見があった。この考えを主張していたのがキリスト教福音派の牧師として政治的に絶大な影響力を持っていたジェリー・ファルエルだった。ジェリー・ファルエルは1979年にロビー活動団体「モラル・マジョリティ」を設立し、1980年の大統領選挙では保守主義者であるロナルド・レーガンを強力に後押しした。
ロナルド・レーガンもファルエルと同じ考えだったのかは不明だが、大統領となったレーガンはエイズに対して有効な政策を打つことがなく、ワクチンすら認可しなかった。

ミラーはベケットがエイズだとわかると、事務所内で彼が触れたものを消毒しようとする。また人前では言わないものの、家庭内では同性愛への嫌悪を露骨に表す。
しかし、ミラーはある日図書館でベケットが一人で訴訟の準備をしているところに遭遇する。ベケットは大きな机に一人で訴訟に関する調べものをしている。周りの人は決して彼に近づこうともせず、遠巻きにぞの様子を観察している。

それは計らずもエイズ患者を社会がどれほど差別し冷遇しているのかをミラーに見せつけることになった。
いたたまれなくなったミラーはベケット声をかけ、二人で訴訟を戦うことを決める。

フィラデルフィアというタイトルの意味

フィラデルフィアというタイトルには深い意味がある。単にベケットとミラーが暮らしている場所というだけではない。
フィラデルフィアはアメリカ合衆国の最初の首都であり、また独立宣言が書かれた場所でもある。 その名前が意味するのは兄弟愛だ。

初公判を終えたベケットとミラーが裁判所を出るとそこには多くのメディアと民衆が集まっていた。「エイズはホモの治療薬」「ホモ嫌いの偏見をなくせ!」「男色に権利なし!」様々な声があふれる中をベケットとミラーは歩いていく。
「ホモは特別扱いを受けるべきだと?」リポーターにそう問われたミラーはこう答える。
「フィラデルフィアは兄弟愛の街だ。自由の誕生の地だし、独立宣言がなされた街だ。
独立宣言の言葉は”普通の人間が平等”ではなく”人間は皆平等”だ。」

もともとフィラデルフィアはイギリスから迫害されたクエーカー教徒が入植したことで歴史が始まった街だ。イギリスではプロテスタントの一派であるクエーカーは法で禁じられ、逮捕などの激しい弾圧を常に受けていた。クエーカー教徒は世俗的なキリスト教を否定し、自分の心の中にある光こそ重要であると説いたからだ。ペン・ウィリアムズもそんな迫害を受けていたクエーカー教徒の一人だ。
ペンは取り締まりの激しくなるイギリスを抜け出し、チャールズ2世から特許を得て新大陸へむかった。新大陸でペンが統治した場所こそ、ペンシルバニアであり、その首都がフィラデルフィアだったのだ。(ちなみにペンシルバニアとは「ペンの森」という意味だ。)
アメリカでは多くの先住民が迫害され、虐殺された歴史があるが、フィラデルフィアのクエーカー教徒は先住民とも友好な関係を築いた。また、18世紀のアメリカでは奴隷制は一般的に行われていたが、初めての奴隷制度廃止運動団体である「非合法に拘束された自由黒人の救済のための協会」が結成されたのもフィラデルフィア。そこに住むクエーカー教徒によってなされたものだ。

裁判の途中でベケットは倒れる。治療よりも裁判を優先してきたベケットに残された命は短かった。見舞いに訪れたミラーはベケットの頬を優しく撫でる。エイズやゲイに対する偏見を持っていたミラーも、ベケットと共に戦う中で、それらが当事者をどれだけ傷つけるかを身をもって知っていった。

当初、本作のタイトルは「私たちと変わらぬ人々」が有力候補だったが、ロケ撮影で現場に入った時に『フィラデルフィア』というタイトルが浮かんだそうだ。
兄弟愛の街にも他の都市と同じように差別があるではないか。そんな反語的な意味もデミは『フィラデルフィア』のタイトルに込めたという。

偏見や差別は何から生まれるのか

エイズ治療は『フィラデルフィア』の頃より格段に進歩した。エイズ=死に至る病気という従来のイメージは今や古いものであると言える。
もちろん、エイズを発症した場合の致死率は高いものの、エイズ発症前のHIV感染の段階であれば、HIVの増殖を抑え、エイズの発症を防ぐことが可能だ。

しかし今も不確かな情報に惑わされてあらゆるところで無用な差別や偏見が生まれているのは確かだ。これはエイズに限った話ではない。

『フィラデルフィア』はエイズをテーマにしてアメリカに潜む差別を浮き彫りにした。
ジョナサン・デミは「『フィラデルフィア』が興行的に成功したことで映画におけるゲイの描き方は改善された」と述べている。

偏見や差別をなくすことは難しい。正しい情報を知るのは重要だが、それだけでは十分ではないだろう。今一度ミラーの言葉を引用しよう。

「フィラデルフィアは兄弟愛の街だ。自由の誕生の地だし、独立宣言がなされた街だ。
独立宣言の言葉は”普通の人間が平等”ではなく”人間は皆平等”だ。」

ジョナサン・デミが『羊たちの沈黙』に向けられた批判への回答として示したものは多様性と博愛への礼賛だった。

『フィラデルフィア』が発信し続ける兄弟愛のメッセージはいつの時代にも通じる福音なのだ。

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BLACK MARIA NEVER SLEEPS.

映画から「時代」と「今」を考察する
「映画」と一口に言っても、そのテーマは多岐にわたる。
そしてそれ以上に観客の受け取り方は無限大だ。 エジソンが世界最初の映画スタジオ、通称「ブラック・マリア」を作った時からそれは変わらないだろう。
映画は決して眠らずに「時代」と「今」を常に映し出している。

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