『プレデター』なぜシュワルツェネッガーはSFモンスター映画に出演したのか?

『プレデター』は奇妙なSF映画だ。異星人との遭遇を描いた映画だが、宇宙船(UFO)はほとんど登場しない。物語の舞台も人工物が何もないジャングルだ。異星人との遭遇ならば、例えば『エイリアン』は人間が宇宙まで活動域を広げた未来を舞台にしている。また『インデペンデンス・デイ』、『メッセージ』、『未知との遭遇』の舞台は現代だが、UFOも登場明社会の中で異星人と接触していくことになる。

ロッキーは次に誰と戦うのか

『プレデター』のそもそもの着想のきっかけは、ロッキーは次に誰と戦うのか、次の対戦相手は異星人しかいないのでは?というハリウッドで流れていたジョークだった。当時は『ロッキー4/炎の友情』まで製作されており、その『ロッキー4』はロッキ・バルボアがソ連で最強のボクサー、イワン・ドラゴと戦うという物語だ。ドラゴはそれまでロッキーのライバルであったアポロ・クリードを完膚なきまでに打ちのめし、死に至らしめている。
言うまでもなく『ロッキー4』はアメリカとソ連の冷戦対立が作品のベースになっている。ソ連を倒したロッキーの次の相手は異星人くらいしかいないのではないか?それが『プレデター』の原点だ。

『プレデター』

『プレデター』は1987年に公開されたジョン・マクティアナン監督、アーノルド・シュワルツェネッガー主演のSFアクション映画。地球に狩りをしにやってきた異星人と、狩られる側の特殊部隊員の戦いを描いている。
今作の公開後も5作の続編と2作のクロスオーバー作品が製作されるなど、今や『エイリアン』シリーズのゼノモーフと並ぶ2大異星人モンスターとして幅広い人気を誇っている。

バル・ベルデ

物語の舞台は南米に位置するバル・ベルデという架空の国家。実はこの国は『コマンドー』にも登場している。『コマンドー』では、バル・ベルデの現大統領を支援したのはアメリカという設定だが、今作ではアメリカとの間に国交はないという設定に変更されている。バル・ベルデで共通するのは、『コマンドー』においてもそうだが、政情が不安定な国家だということだ。『プレデター』では『コマンドー』ほど政治的な側面は描かれていないが、当時の中南米国家の社会主義化が映画の中に反映されていると言っていいだろう。そこへ政府要人を乗せたヘリが墜落、現地のゲリラに拉致されたとのことで、アーノルド・シュワルツェネッガー演じるダッチ率いる特殊部隊が救出活動へ向かうことになる。
彼らを先導するのがCIA職員でもあるディロンだ。演じるのは『ロッキー』シリーズのアポロ・クリード役で有名なカール・ウェザース。今作でも見事な肉体美を披露している。

ベイビー、今夜は楽しくなりそうさ

彼らが救出に向かうヘリの中で流れている音楽はリトル・リチャードの代表曲である『のっぽのサリー』。1956年に発売されたこの曲は彼らの少年時代に流行したと言えるだろう。

Baby, havin’ me some fun tonight yeah
ベイビー、今夜は楽しくなりそうさ

だが、それは悪夢の始まりでもあった。バル・ベルデのジャングルに到着した一行は捜索を開始する。だが、彼らが見つけたものはは全身の皮を剥がされ、逆さ吊りにされた別の殊部隊員の死体だった。残虐かつ手間のかかる処刑方法だが、ゲリラの仕業だろうか?
その後、一行らはゲリラの拠点を発見し、彼らを急襲、壊滅に成功する。しかし、そこに要人たちの姿はなかった。実はこれはディロンの罠であり、本当の目的はゲリラ部隊の機密情報を回収することだった。
一行はゲリラの生き残りの女兵士であるマリアを加え、脱出ポイントを目指すが、正体不明の敵に一人ずつ殺されていく。

プレデターのキャラクター

私が初めて『プレデター』を観たのはいつだろうか。恐らく『プレデター』より『プレデター2』を先に観たと思う。
プレデターの種族としての習性や規律などは『プレデター2』の方が詳しく描写されているが、全身を透明化出来るという設定はもちろんのこと、人類を凌駕する科学技術や知性を有していながら、好戦的で野蛮というキャラクターの斬新さがすごく印象的だった。『エイリアン』シリーズにおけるゼノモーフにも知性はあるものの、それはあくまで動物ベースの知性であり、例えるならば私たちがチンパンジーが道具を使うのを見て「頭がいい」と感じるのと同じことだと思うのだ。

逆に人類を圧倒するような科学技術を持つ異星人は友好的であるが、組織的な侵略者であるかのいずれかのパターンがほとんどがだっただろう。前者の代表例が『地球の静止する日』のクラトゥ、後者だと『宇宙戦争』『インデペンデンス・デイ』だろうか(元々『インデペンデンス・デイ』のコンセプトは現代の『宇宙戦争』でもあるのだが)。
しかしプレデターはどちらでもない。狩りに来ているのだ。
よくよく考えれば、これは最も恐ろしいことでもある。友好的な場合はもちろん、侵略にしても(宣戦布告などあれば)少なくともある程度人類を対等の存在として認識しているのに対して、狩りの対象ならば、私たちが魚や野菜に向けている感情とそう変わらないのだ。もっと言えば、かつてアングロサクソンが先住民たち行っていたことでもある(オーストラリアではスポーツハンティングとして先住民狩りが行われていた)。

先住民の復讐

プレデターの造形を手がけたのはスタン・ウィンストン。それまでのプレデターの造形案はマクティアナンを到底納得させ得るものではなく、シュワルツェネッガーの推薦でスタン・ウィンストンがプレデターの造形を手がけることになったという(『ターミネーター』の特殊メイク担当としてシュワルツェネッガーとは既に仕事を行っていた)。
ウィストンがプレデターのモチーフとしたのはジャマイカの戦士だという。監督のマクティアナンはそれに深い意味はないと公言しているが、見方によってはかつて狩りの対象とされていた先住民の復讐のようにも思える。
余談だが、プレデターの素顔に関しては、日本へ向かう飛行機でウィストンの横に座っていたジェームズ・キャメロンの節足動物を参考にしたらどうかというアドバイスが活かされている。このプレデターの素顔だが、マクティアナンの話によると10名のスタッフが顔の各部位の操作を行い、表情を作っているそうで、終盤までプレデターがマスクを取らないのは、この表情を作る手間を省く目的もあったという。
ちなみに、マクティアナンは『エイリアン』のゼノモーフのデザインのクオリティは特別であり、あれには敵わないと述べている。またこれは余談だが、ジェームズ・キャメロンの監督した『エイリアン2』については「予想した通りの内容」と評しており、「あれなら作らないほうがよかった」とバッサリ切り捨ててもいる。

なぜシュワルツェネッガーは出演したのか?

話を戻そう。『プレデター2』でプレデターに強いインパクトを受けたのはその通りだが、その後に観た『プレデター』には違う意味で衝撃を受けた。
それはアーノルド・シュワルツェネッガーが主演しているということだった。まだ私が小学生だった当時は1980年代のマッチョヒーローの残り香が残っていた。「あのシュワルツェネッガーがこんなモンスター映画に出ているなんて!」そう思った。
当時のイメージは『エイリアン』のようにモンスター映画においては主役はモンスターであり、俳優には大スターではなく、脇役か無名の俳優を起用するのが当たり前だと思っていた。だが、そこにきてシュワルツェネッガーである。シュワルツェネッガーのキャリアにおいても、モンスターと戦うような映画は今作のみではないだろうか。
『プレデター』はまず何よりもそのギャップが印象に残った。今回数年ぶりに観返してみて、なぜシュワルツェネッガーが本作に出演したのか、その理由を考えてみたくなった。

1980年代、アーノルド・シュワルツェネッガーとシルヴェスター・スタローンは強烈なライバル関係にあったという。
そのことについて、シュワルツェネッガーは後にこう述べている。
「1980年代、スタローンとはただのライバルだった。とにかくどちらがより大きな映画に出られるか、どちらの筋肉が素晴らしいか、どちらの映画がヒットするか、ひたすら競い合っていた。どっちが映画の中でより多くの人を殺したか、どっちの殺し方がよりクリエイティブだったか、どっちのナイフや銃が大きかったかというようにどんどんエスカレートしていって、最終的にはヘリコプターや戦車にしか搭載されないようなサイズの銃をもって走り回るようになっていた」
このことを念頭に置いて『プレデター』を振り返ると、スタローンの主演作といくつかの共演点が見えてくる。

スタローンの主演作との共演点

まず、カール・ウェザース。ウェザースが『ロッキー』のアポロ役というのは先に述べたが、『プレデター』では『ロッキー』シリーズ同様、主人公の盟友というのは同じだが、『ロッキー』と違い、主人公にとっての好敵手ではない。ロッキーはアポロに勝つために厳しいトレーニングを積んでいくが、ダッチはディロンに会うなり、腕相撲を挑み、ディロンに早々に勝っている。
スタローンはウェザースと一進一退の熱戦を繰り広げるが、シュワルツェネッガーはウェザースにあっさり勝つ。

また、最終的にプレデターとの戦闘がゲリラ戦になるのも興味深い。これはスタローンの映画で言えば『ランボー』をイメージせずにはいられない。
『ランボー』はベトナム帰還兵のジョン・ランボーが主人公だ。戦友の家を訪ねた帰りに、とある街に立ち寄ろうとしたランボーは、その小汚い身なりを不審に思った保安官に止められる。それでもなお街に向かおうとするランボーを保安官は逮捕し、警察署で拷問まがいの取り調べを行う。ついにベトナムでの記憶が噴出したランボーは衝動的に警官たちを倒し、山へと逃げ込む。ランボーの戦う相手はディーゼルや警官隊たちだが、ダッチの戦う相手はそれらを遥かに上回る戦闘力のプレデターだ。
まさに「お前に出来ることは俺にも出来る」という思いではなかったのだろうか。『ロッキー』のアポロ、『ランボー』のゲリラ戦など、『プレデター』はそれぞれの要素を含みながら、スタローンが戦ったものよりも遥かに強い敵を倒す物語になっている。

『刑事ジョー ママにお手あげ』

お互いが張り合っていたことを証明するエピソードとして、後年シュワルツェネッガーはスタローンを騙してある映画に出演させたことを明かしている。
それは1992年に公開された『刑事ジョー ママにお手あげ』という作品だ。敏腕刑事が過保護な母親と同居するハメになり、何かと出しゃばる母親に振り回されるというコメディ映画だ。だが、実はこの作品のオファーはスタローンより先にシュワルツェネッガーに届いていたという。しかし、脚本を読んだシュワルツェネッガーは「こいつはクソ映画だ!」とオファーを断り、その上でスタローンには「最高の映画になりそうで、出演を考えている」と真逆のことを伝えたという。
既に『ツインズ』でコメディ俳優としての才能も発揮していたシュワルツェネッガーへの対抗心もあったのだろう、スタローンは『刑事ジョー』への参加を決断。しかし、出来上がったものは銃撃戦の中をオムツを履いたスタローンがママ~と泣きながら歩くというポンコツ映画となってしまった。
同時期にシュワルツェネッガーは『キンダガートン・コップ』という映画に出演している。こちらは潜入捜査のために身分を隠して幼稚園で先生として働くことになった敏腕刑事が幼稚園児に振り回されるというコメディ。
幼稚園児か母親かという違いはあるものの、刑事が善意の第三者に振り回されるという枠組みは非常に似通っており、シュワルツェネッガーにとっては、コメディ映画においてスタローンとの差を見せつけることができたのではないだろうか。
その後もシュワルツェネッガーは『ジュニア』『ジングル・オール・ザ・ウェイ』などのコメディ映画への出演を続け、スタローンは『ランボー3/怒りのアフガン』『ランボー4/最後の戦場』などの政治的な作品への出演が目立つようになる。
ちなみに今では両者ともに、親友ともよべる絆と信頼を寄せ合う関係であることは述べておきたい。

シュワルツェネッガーを唯一超えたキャラクター

そんなシュワルツェネッガーだが、2000年代以降はヒット作にほぼ恵まれていないのが実情だ。唯一の例外は『ターミネーター3』くらいだろうか。シュワルツェネッガーが出演しなかった『ターミネーター4』の興行成績のガタ落ちを見ると、改めてよくも悪くも『ターミネーター』シリーズはシュワルツェネッガーありきの作品なのだと思い知らされる。

しかし、『プレデター』だけはシュワルツェネッガー無しでも続編が作られ続ける唯一の作品だ。スタローンと違い、演技面では評価を受けることの少ないシュワルツェネッガーだが、それでも唯一無二のスター性がある。『プレデター』を観ていても、それはよく分かるのだが、ある意味でそれを上回るスター性、キャラクター性を得たのがプレデターというモンスターではないだろうか。

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BLACK MARIA NEVER SLEEPS.

映画から「時代」と「今」を考察する
「映画」と一口に言っても、そのテーマは多岐にわたる。
そしてそれ以上に観客の受け取り方は無限大だ。 エジソンが世界最初の映画スタジオ、通称「ブラック・マリア」を作った時からそれは変わらないだろう。
映画は決して眠らずに「時代」と「今」を常に映し出している。

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