『REVENGE リベンジ』「サブスタンス」に続くコラリー・ファルジャの作家性とは?

※以下の考察・解説には映画のネタバレが含まれています


コラリー・ファルジャ監督の『サブスタンス』は抜群に面白かった。ジャンルはホラーなのだが、美と若さに取り憑かれた主人公を通して、社会に蔓延する内容で、その表現にも一切の妥協がなかったように思う。
個人的に、優れた映画というものはどんなジャンルであれ、社会への鋭いメッセージが隠されていると思う。
『サブスタンス』を観終わって、もっとこの監督の作品が観てみたいと思った。
とは言っても、コラリー・ファルジャの長編作品は2025年時点では『サブスタンス』とデビュー作の二つしない。

『REVENGE リベンジ』

それが2017年に公開された『REVENGE リベンジ』だ。主演はマチルダ・ルッツが務めている。不倫相手の友人にレイプされ、不倫相手に殺されかけた女性が、彼らに復讐していく、いわゆるレイプ・リベンジ・ムービーだ。

主人公はマチルダ・ルッツ演じる若く美しい女性ジェニファー。彼女は不倫相手のリチャードとの逢瀬を楽しむためにリチャードの所有している砂漠地帯の別荘を訪れたのだ。
しかし、予定よりも1日早くリチャードの狩猟仲間であるスタンとディミトリも別荘に来てしまう。リチャードは不倫相手であるジェニファーの存在を内緒にしておきたかったのだが、友人とジェニファーが鉢合わせしてしまい、仕方なく「友人」として彼らにジェニファーを紹介する。
その晩4人は酒を飲んで盛り上がる。ジェニファーは挑発的なダンスで場を盛り上げる。翌日、リチャードは出かけており、ディミトリは二日酔いでつぶれている。
スタンはジェニファーにアプローチするが、彼女はスタンの誘いを断る。激昂したスタンはジェニファーをレイプする。たまたまその場を目撃したディミトリだが、彼はジェニファーを助けようともせず、その場をあとにする。

ロンギヌスの槍

ジェニファーのレイプの場面まで、何度か青リンゴのショットがインサートされる。誰かがかじった痕にはアリがたかり、リンゴは少しずつ腐っていく。
リンゴは聖書では知恵を司る象徴だ。ヘビにそそのかされて禁断の実であるリンゴを食べたアダムとイヴはエデンを追われ、羞恥心を得てしまうこととなった。
『REVENGE リベンジ』はその逆ではないか。リンゴが朽ちていくほど、男たちから理性が消えていくように見える。
帰宅したリチャードは何が起きたかを知る。ショックを隠せないジェニファーは家に帰ると言い出し、ヘリを呼んでほしいと頼むが、リチャードは煮え切らない。ジェニファーは油断した彼女を断崖絶壁から突き落とす。

木の枝に腹を貫かれ、ジェニファーは動かなくなる。この枝もまた聖書的だ。キリスト死を確認するために、その脇腹に刺されたロンギヌスの槍を思わせる。ジェニファーはレイプという受難を経て、崖から突き落とされる。キリストが磔刑いう死刑を宣告されたように。そしてジェニファーの腹には枝が突き刺さる。それを見てリチャードらはジェニファーの死を確信する。ロンギヌスの槍も死の象徴だったはずだ。
だが、ジェニファーは生きていた。キリストがその死の後に復活したように。ジェニファーは意識を取り戻すと、邪魔な木をライターで燃やして串刺し状態から脱し、復讐のために歩き始める。

レイプ・リベンジ・ムービー

『REVENGE リベンジ』は1976年に公開された『悪魔のえじき』や、そのリメイクである『アイ・スピットオン・ユア・グレイヴ』などと大まかなあらすじは同じなのだが、それらのレイプ・リベンジ・ムービーとは決定的な違いがある。そもそも、レイプ・リベンジ・ムービーは女性の強さを描いた作品ばかりではない。レイプシーンを始めとして、男性へのサービスショットとしか思えない場面も多くある。『悪魔のえじき』が日本公開の際に『発情アニマル』という邦題にされてしまったこと、また『悪魔のえじき』のDVDに「ヘア無修正版」があることからも、ポルノ作品としての側面があることは明らかだ。

だが、『REVENGE リベンジ』はそうではない。こうしたジャンルの大きな見せ場であるはずのレイプシーンでも、女性のヌードがスクリーンに映し出されることはない。
コラリー・ファルジャはレイプを描くことはそれほど重要ではないと語る。それよりも、男たちをレイプに走らせたものは何かを描きたかったのだという。
ジェニファーは川辺にディミトリの姿を見つける。ディミトリはジェニファーが生きていたことに驚くが、逆にジェニファーを溺死させようとする。ジェニファーは咄嗟にナイフをディミトリの右目に突き刺し、ディミトリを殺す。

『ランボー』

コラリー・ファルジャは本作を製作するにあたって、『キル・ビル』や『マッドマックス』、『ランボー』などの作品を参考にしたという。確かに大切なものを奪われた女性の復讐劇という意味では『キル・ビル』に通ずるものがある。だが、最もファルジャが参考にしたのは『ランボー』だという。

『ランボー』は1982年に公開された、アクション映画だ。主人公はシルヴェスター・スタローン演じるジョン・ランボーというベトナム帰還兵。アメリカに帰国したランボーはとある町に立ち寄るのだが、その町の保安官は彼を理不尽な理由で拘束する。警察署での拷問めいた取り調べの際に、ランボーはベトナムでの拷問がフラッシュバックし、警官たちを倒し、町を脱走して山へ逃げ込む。保安官も警官隊を引き連れてランボーを追うが、ゲリラ戦のプロであるランボーは彼らを返り討ちにしていく。

『ランボー』の中で最も有名なシーンが、ランボーが腕の傷を自分で縫合する場面だろう。
長ざく「撮影中のケガを実際にスタローンが手当てしている」という説が濃厚だったが、スタローン自身があれは特撮だったと真相を明かしている。

復讐の戦士

ジェミトリを殺害したジェニファーはランポー同様ジェニファーは、洞窟に身を潜め、幻覚剤をも利用し、自分で腹部の傷の手当てを行っていく。
腹の傷を塞ぐために缶ビールの缶を熱し、腹に押し当てる。ビール缶の柄にあった不死鳥の模様が焼印のようについてしまう。これはネイティブ・アメリカンをはじめとした先住民族の入れ墨を思わせる。
彼らの文化において入れ墨はファッション以上の意味を持っている。大人になった証であったり、戦士である証に彼らは入れ墨を体に刻んだ。ジェニファーは復讐の戦士として覚醒したのだ。
また、ファルジャはジェニファーの焼印は不死鳥の他に鷹を表しているとも述べている。鷹というモチーフは権力の象徴でもある。

『REVENGE リベンジ』はフェミニズム映画でもある。ファルジャいわく、ジェニファーは「何の取り柄もない、ごく普通の女の子であることが重要だった」という。外面がかわいいだけの女の子がスーパーピロインになる。それが『REVENGE リベンジ』の当初からのイメージだったそうだ。
確かにレイプされる前のジェニファーはかわいいだけが取り柄のような存在で、その気なしにセクシーな服装で挑発的なダンスさえ踊ってみせる。ある意味でこの描写は踏み絵だ。「レイプされても仕方ないのではないか?」一瞬でもそう感じた瞬間、自分の中の女性蔑視に否が応にも気付かされることだろう。そこから一歩踏み込んで考えれば、ジェニファーのそうした振る舞いも、男性社会に適応するための一つの処世術だとも言える。
もちろん、男三人の中に女性が一人というシチュエーションは極端だが、ファルジャは女性が暮らす社会がいかに男性の基準で動いているかを表現しかったのだろう。当然そのような世界では権力を持つのはほぼ男性側になる。だが自分の中にある強さに目覚めたジェニファーは自分自身も同じ権力を有していることに気づくのだろう。その象徴が鷹なのではないか。

目には目を

次にジェニファーが狙うのは、レイプの実行犯であるスタンだ。ジェミトリから奪った銃を構え、スタンを狙うが失敗。ジェニファーは逆にスタンに追われる羽目になる。しかし、ここで彼女は罠を仕掛ける。
スタンはジェニファーの銃撃により、足に怪我を負い、片足は裸足だった。ジェニファーは逃げながら地面にガラス片を撒いていく。
スタンの足の裏は裂け、ガラス片は足の深くまで刺さっている。
やっとのことで激痛に耐えてガラスを抜いたスタンは、車に戻ってそのままジェニファーを轢き殺そうとするが、ジェニファーは真正面からフロントガラス越しにスタンの頭を撃ち抜く。

そして彼女は最後にリチャードへの復讐を開始する。別荘に戻って全裸でリラックスしているリチャードの脇腹をジェニファーは撃ち抜く。
さて、ここまでの復讐劇でジェニファーは自分が傷つけられた部分と同じ箇所を傷つけていることに気づいただろうか?
これはリチャードだけではない。レイプを見て見ぬふりしたジェミトリはその目を刺され、ジェニファーをレイプしたスタンは足の裏にガラスが刺さるという深い裂傷を負うが、その描写はレイプによって女性器を傷つけられたことのメタファーになっている。

大量の血の意味

別荘で最後の殺し合いが始まるわけだが、このクライマックスではスプラッター映画かと思うほどのおびただしい量の血糊が使われている。
『サブスタンス』もそのクライマックスでは大量の血糊が使われた(その量なんと2万リットル!)。この大量の血はファルジャの両作品に共通したモチーフだが、そこには何の意味があるのだろうか?
『サブスタンス』では、美を求めすぎて最終的には怪物となったエリザベスが観客に自身の血をこれでもかと浴びせ続けるわけだが、コラリー・ファルジャはこれを暴力の暗喩だとしている。

「観客に血を浴びせることは、『これが、あなたたちが私たちにしていること。もううんざり、いい加減にして』というメッセージでした。
あなたたち全員が、この暴力を生み出すことに加担している。だからこそ、その暴力を突き返しているんだ、と」

『REVENGE リベンジ』の血もそうではないか?その血の主こそリチャードだが、今まで見てきたように、『REVENGE リベンジ』がジェニファーの覚醒を境にして、それまでのことが反転するような作品だとしたら、クライマックスのリチャードのおびただしい血の量も、それまでジェニファーが無意識のうちに受けてきた女性としての差別や蔑視などの痛みに対応するものではないだろうか。
『サブスタンス』と『REVENGE リベンジ』に一貫しているのは、この社会の歪さへの告発だ。個人的にはその全てにおいて男性に非があるとは思わないが、ファルジャはまだまだハリウッドには男性優位の構造が残っているという。
『REVENGE リベンジ』『サブスタンス』と続くコラリー・ファルジャの次回作に期待したい。

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BLACK MARIA NEVER SLEEPS.

映画から「時代」と「今」を考察する
「映画」と一口に言っても、そのテーマは多岐にわたる。
そしてそれ以上に観客の受け取り方は無限大だ。 エジソンが世界最初の映画スタジオ、通称「ブラック・マリア」を作った時からそれは変わらないだろう。
映画は決して眠らずに「時代」と「今」を常に映し出している。

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