『果てしなきスカーレット』復讐の意味とは何か?

※以下の考察・解説には映画の結末のネタバレが含まれています


細田守は常に「異世界との関わり」を映画の中で描いてきた。

『時をかける少女』では、真琴はタイムリープを使って、何度も現実を修正し、それまでとは微妙に違う世界を出現させてきた。
『サマーウォーズ』はオズと呼ばれるメタバースの世界で悪意あるアバターと戦う話だ(このメタバースという異世界は『竜とそばかすの姫』でも描かれている)。
『おおかみこどもの雨と雪』は人間である花がおおかみこどもの雨と雪を連れてと都会から田舎へと引っ越す。その中で雪はオオカミとして自然の世界へ入り込んでいくようになる。
『バケモノの子』も人間の子である蓮がバケモノたちの世界へ迷い込む。
『未来のミライ』は主人公のくんちゃんが、現実世界から時空の旅先へ迷い込み、自身の家族や先祖の若いころと邂逅していく。

そして、今回解説する『果てしなきスカーレット』は地獄が舞台だ。

『果てしなきスカーレット』

『果てしなきスカーレット』は2025年に公開された、細田守監督のアニメーション映画。声の出演は芦田愛菜や岡田将生らが務めている。

クローディアスの裏切り

今作の舞台は16世紀のデンマーク。王女のスカーレットは国王である父、アムレットからの寵愛を存分に受けて育ったが、母である王妃ガートルードと国王の弟のクローディアスが結託して、国王を祖国に対する裏切り者に仕立て上げ、スカーレットの目の前で処刑する。

 

スカーレットの目の前で処刑される国王アムレット
© 2025 Sony Pictures Entertainment Japan
スカーレットの父、アムレットの最期の言葉が今作のカギになる

そして、クローディアスは新しい国王となったが、クローディアスは民に圧政を敷き、国内には政治への不満が溜まっていた。
スカーレットは父の復讐を誓い、あるパーティーの席で叔父を毒殺しようとする。だが、彼女もまた毒を仕掛けられていた。スカーレットは無念の中で息絶えていく。

復讐の旅

次の瞬間、スカーレットは目を覚ました。赤黒い血の中で無数の手がうめき声とともにスカーレットの体にまとわりついている。
そこは彼女に言わせると「地獄」だった。地獄は死者たちの世界。
では、父はどこにいるのか?謎の老婆は父は死者の世界でも死んで「虚無」になったという。だが、一方でクローディアスはまだ生きていいて、天国に最も近い「見果てぬ場所」のそばの山頂にいるという。
それを聞いたスカーレットは、無数の手を振り払い、クローディアスへの復讐の旅を開始する。

 

地獄でもスカーレットの復讐は終わらない
© 2025 Sony Pictures Entertainment Japan
地獄でもスカーレットの復讐は続いている

今作はスカーレットの復讐の物語だ。今までの細田守監督作の中では最もファンタジックで、かつシリアスな部類に入るだろう。

物語の着想は、2022年のコロナ禍の時期にまで遡るという。
当時は新型コロナウイルス以外にも、ウクライナ戦争や、イスラエルとパレスチナの紛争などのニュースも世間をにぎわせていた。そんな世界情勢の中で犠牲となった人々を思い、そこから「復讐」というテーマが浮かんできたという。
そして、舞台設定や人物名からも分かる通り、この復讐劇はウィリアム・シェイクスピアの名作『ハムレット』が下敷きになっている。

『ハムレット』から細田守の物語へ

王の死に関しての違いなどはあるものの、王の弟のクローディアスと王妃との結婚や、それによるデンマーク王への即位は『ハムレット』そのままだ。『ハムレット』ではクローディアスが王を毒殺するが、『スカーレット』では娘のスカーレットがクローディアスを毒殺している(映画では少し分かりにくいが)。つまり、現世でのスカーレットとクローディアスの復讐劇は「相討ち」で終わっており、そうした意味では『ハムレット』の結末と同じだ。

シェイクスピアは物語にその結末を与えるにあたって、ハムレットに罪を負わせた。それが「愛する人の父を誤って殺す」というエピソードだ。この悲劇はさらなる復讐を生み、悲劇はさらに拡大していく。この罪があるからこそ、物語には一定の「道理」というカタルシスが生まれるのである。この場合の道理とは因果応報だろう。復讐の過程でハムレットもまた加害者となり、その罪を贖わなくてはならなった。

一方『果てしなきスカーレット』では、相打ちになってなお、復讐劇は終わらない。まさに「地獄の果てまで追いかける」のである。
だが、地獄でのスカーレットの旅は『ハムレット』とは袂を分かち、細田守の物語へと進んでいく。

聖との出会い

地獄でもスカーレットの命を狙ってクローディアスの部下が絶えず襲いかかる(なぜクローディアス側の人間たちがこれほど大量に死んでいるのか疑問だが、個人的にはおそらく民衆のリンチではないかと予想している)。
そんな中でスカーレットは現代の日本で生きていた聖(ひじり)という救命隊員の若者に出会う。聖はここが死者の国とは認めず、自分が死んでいるはずはないと言い切る。

 

聖(ひじり)とスカーレットの出会い
© 2025 Sony Pictures Entertainment Japan
聖(ひじり)とスカーレットの出会い

砂漠のような荒涼とした世界(おそらくドゥニ・ヴィルヌーヴの『DUNE/デューン 砂の惑星』がモチーフだろう)の中で、二人はスカーレットの命を狙う刺客や、強盗団の来襲などの危機に見舞われる。
それでも争いを望まず、平和を訴える聖をスカーレットは「いい子ちゃん」と揶揄するが、敵味方を問わず傷ついた者を助け、人々と分け隔てなく交流を深めていく聖の姿勢を徐々に認めていくようになる。
スカーレットの旅に関してはダンテの『神曲』もモチーフとなっているという。

ダンテの『神曲』

『神曲』は中世イタリアの詩人ダンテが古代ローマ時代の詩人、ウェルギリウスと出会い、彼に導かれて地獄、煉獄、そして天国を巡る物語だ。ウェルギリウスは地球の中心部で魔王の幽閉されている領域までダンテを案内する。そして、二人は煉獄山に辿り着く。山を登るにつれて、ダンテは罪が清められていくのを感じ、その頂上でウェルギリウスと別れる。ダンテは愛した女性、ベアトリーチェと再会し、彼女の導きで天上へと昇っていくのである。
そのままスカーレットの旅が地獄めぐりであることも、山の頂上を目指すのも『神曲』と重なっている。
だが、ダンテは山へ登る途中で自身が清められるのを感じている。果たしてスカーレットはどうだろうか?
ここから、本来のテーマである「復讐」に迫ってみよう。

復讐の否定

復讐について、細田守監督は復讐は何も生まないと明言している。どこかでそれを止めねばならないと感じたと語っている。
『果てしなきスカーレット』は極論するとその答えに向かっていく物語なのだ。

地獄の血の中で目覚めたスカーレット、これは「出産」「誕生」のイメージだ。地獄でスカーレットの新しい人生が始まる。その目的は言わずもがな父の復讐である。この始まりから、「復讐の否定」という結末までの出来事や行動はすべて、その答えに必要なパーツでしかない。
正直に言えば、個人的には「復讐の否定」というのは「世界平和」と同じくらい理想主義的な言葉だと思う。「戦争」が海の向こうの遠くの国の出来事だから、「復讐」を「否定」できるのではないかとさえ思ってしまうのだ。

「許せ」

さて、序盤でスカーレットの心を動かす出来事が二つ起きる。その一つは先にも述べた聖との出会い。そしてもう一つは刺客の一人であり、父を処刑した死刑執行人の一人でもあるヴォルティマンドだ。から聞かされた、父の最期の言葉だ。そのメッセージは「許せ」。
ヴォルティマンドはその解釈について「弟を許せ」ということではないかとスカーレットに伝える。これらも後にスカーレットが復讐を放棄することへの布石になる。

 

ヴォルティマンドを問い詰めるスカーレット
© 2025 Sony Pictures Entertainment Japan
ヴォルティマンドを問い詰めるスカーレット。ヴォルティマンドは父を処刑した一人でもある

後半ではスカーレットは髪を切る。そして一人の少女との出会いがある。その少女はスカーレットを見て「お姫様?」と尋ねる。スカーレットは否定するが、少女は、もしお姫様だったら飢えて死ぬ子供を無くしてほしいと言う。
スカーレットはここで王女としての自分の本当の使命を知る。それは復讐ではなく、平和を築くことだった。目の前の少女、こんな幼い子供を死者の国へ送ってはならない。これも布石だ。

 

少女とスカーレットの出会い
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この出来事もスカーレットを変える大きな出会いになる

王女が髪を切り、異世界の中で本当の使命に気づくという展開は『ローマの休日』を思わせる。オードリー・ヘプバーン演じるアン王女もまた、ローマという異国で、かつ庶民の暮らしという異世界の中で愛を知り、王女としての使命に目覚めていく。

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分断

クローディアスはへ自らを信奉する者のみ(それでも数十万人はいるが)を「見果てぬ場所」に連れて行くと宣言する。そして、それ以外の民衆たちとの間には壁を築いている。これほど分かりやすい「分断」のイメージもないだろう。ドナルド・トランプはメキシコとの間に壁を築くと宣言した。だが、民衆たちは壁を壊しクローディアスの信奉者と戦い、よりよい世界へ向かおうとしている。この中にはスカーレットと聖もいる(いつの間にここまで移動したのかを示すカットがないため、ここはかなり唐突な印象を受ける)。

 

民衆を扇動するクローディアス
© 2025 Sony Pictures Entertainment Japan
クローディアスはデンマーク国王から死して地獄の王となる

そして、スカーレットはクローディアスの臣下であるローゼンクランツ、ギルデンスターンの二人と対峙する。
聖はスカーレットを助けるために、ローゼンクランツに向けて弓を引く。だが、一向に討つ気配のない聖にローゼンクランツが襲いかかる。その時、討ったのは聖だった。聖に襲いかかるローゼンクランツの姿に、聖は現世で自分に向かって来た通り魔の姿を重ねていた。ローゼンクランツは「虚無化」し、消えていく。

なぜ聖は相手を殺したのか

実はこの場面を観て、私自身、改めて「復讐の否定」は理想主義だと感じた。
これまで、聖は争いや殺人を否定してきた。事実、スカーレットが絶体絶命の危機にある時でさえ、威嚇や相手の気を逸らすためにしか武器を使わなかった。しかし、今回は相手を殺している。それは自分に襲いかかってきた通り魔の記憶がフラッシュバックしたからだ。
目の前に「死」が迫ってなお、争いを否定する覚悟があれば、真の平和主義者だと言える。しかし聖はそうではなかった。

なぜ聖は相手を殺したのか。正当防衛か、それともかつての通り魔への復讐なのか。
復讐の否定の根拠にあるのは、ネガティブはネガティブを生むという考えだ。だとすれば、聖の殺人という行動はは正当防衛にしろ、復讐にしろ、「復讐の否定」と相反することではないか。

「復讐の否定」が阻害する「感情」

ここからの流れもまた唐突なのだが、民衆とクローディアス側の人々との争いは、火山の噴火によって有耶無耶になってしまう。

 

唐突な噴火
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火山の噴火によって争いはうやむやに・・・

なぜこのようなことをしてしまうのかと言われれば、おそらく物語の本来持つエモーションが「結末」には不要だったからだ。

今回は概念的な話が多くなってしまった。わかりやすく説明していく。
例えば「復讐」や「自由」は感情的だ。

愛する人が理不尽にも奪われたら?
誰に教えられずとも復讐してやりたいと思うだろう。
いきなり横にもなれないほど狭い部屋に閉じ込められたら?
自由が欲しいと思うだろう。

感情的とはそういうことだ。

一方で結末として用意された「復讐の否定」は理性的だ。役割は「感情的」を抑え込むことだ。なぜならそれが理論的な正しさを持つからだ。
だが、多くの人は理性ではなく感情に動かされる。だからこそ、自由を求める民衆や、刺客へ単身で斬り込むスカーレットにはなんとも言えない魅力があり、理由なく惹き込まれてしまうのではないか。

 

復讐に駆られて単身で敵の中へ斬り込むスカーレット
© 2025 Sony Pictures Entertainment Japan
復讐に駆られて単身斬り込むスカーレット。この狂気は監督がこだわったポイントでもある。

しかし「復讐の否定」を結末に設定してしまった以上、それらは物語のどこかで無理やりにも断ち切らねばならない。

もう一人のスカーレット

話をストーリーに戻そう。スカーレットと聖は「見果てぬ場所」へ続くと言われる山の頂へ辿り着く。しかし、そこにはクローディアスの姿はなかった。
コーネリウスやヴォルティマンドの助力もあり、最後のクローディアスの部下2人は頂から滑落。
スカーレットは「見果てぬ場所」へつづく透明な階段を登る。ここは『神曲』でダンテが天上へと昇っていく場面と重なる。だが、決定的に違うのはスカーレットはまだ憎しみを抱いているということだ。

階段を登り終えると、閉ざされた扉の前にクローディアスがいた。クローディアスのどんな言葉でもその扉は開かない。
「見果てぬ場所」への最後の扉を開く鍵・・・クローディアスはついに懺悔を始める。民衆の幸せを実現するために王を殺してしまった・・・その言葉を聞いたスカーレットは復讐を止め、クローディアスを赦す。この時のクローディアスの姿はスカーレットにはもう一人の自分自身に見えたことだろう。「復讐」という正義のために、王女としての生き方を放棄していたのだから。

しかし、それはクローディアスが扉を開くための嘘だった。クローディアスはスカーレットに襲いかかる。その時だ。

父の本当の願い

スカーレットは父の霊体と出会う。父の最後の言葉「許せ」その本当の意味は、スカーレット自身のことだった。復讐だけがスカーレットの人生ではない。自分の本当の人生を歩むことを許せ。自分自身を許せ。それが父の本当の願いだった。

何度も言うが、この物語の結末は「復讐の否定」である。そのためにあらゆる出来事、キャラクター、その他すべては「パーツ」として存在している。「許せ」もその一つ。本来であれば、「復讐にとらわれずに自分の人生を生きろ」こちらの方がストレートに伝わるだろう。敢えて「許せ」にした意味は作品全体に謎を与えるためにほかならない。つまりはこの言葉もパーツの一つであるということだ。

パーツと言えば聖もだ。実はエンディングで聖は通り魔から子供たちを守る盾になって死んでいたことが明らかになる。
「実は死んでいた」それはあまりに衝撃的な事実のはずだが、聖は何も動揺していない。あれほど死んでないと言い切っていたのに、この描写は不自然だ。

ネタバレになってしまうが、新海誠監督の『君の名は。』では、主人公の三葉が、聖と同じように、実は自分は死んでいると気づくシーンがある。「私、死んだの・・・」三葉はその場に崩れ落ち、深く慟哭する。

 

慟哭する三葉
© 2016 TOHO CO., LTD.
『君の名は。』より。瀧の姿だが、中身は三葉です

クローディアスは死にたくないとスカーレットに縋り付きながら虚無化していく。

しかし、聖には絶望も後悔も感じられない。現世の人生に何の名残惜しさも感じさせないために、聖にはどういう友達がいて、何が好物で趣味は何かなど、聖がどういう人間だったのかが全く見えてこないのだ。
ここからも聖のキャラクターもまた結末のために作られたパーツでしかないことが分かる。

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復讐には意味がある

スカーレットは父の言葉であっさり復讐を捨てるが、そこにリアリティはあるのだろうか?
復讐には意味がある。個人的にはそう思う。
前述の通り、細田守監督は復讐は何も生まないと明言している。どこかでそれを止めねばならないと感じたと語っている。だが、それは遠い国で起こっている争いだからこそ、そう感じられるのではないか?
もし、自分の家族が理不尽にも奪われたら?それでも復讐を否定するのか?もし友人の子供が殺されたら、その友人に面と向かって「復讐は無意味だ」と言えるのか?
多くの殺人事件の裁判で遺族は加害者に極刑を望んでいる。日本では復讐は禁じられているが、死刑は国家による個人の復讐の代替行為でもある。

復讐からは何も得られない、という声もある。いや、復讐する者は何かを得ようとしているのではない。ただ、奪った者が何の咎めもなく生きているのが許せないのだ。
その意味では復讐は亡くなった人のためというのは建前であり、その実は復讐者自身のために存在するものだと思う。

生きていたのは

さて、物語に戻ろう。スカーレットはクローディアスを許すが、天の竜がクローディアスに雷を落とす。

 

『果てしなきスカーレット』の竜(ドラゴン)
© 2025 Sony Pictures Entertainment Japan
竜にはいくつもの矢が刺さっている。地獄でも人間は神殺しを試みたのだろうか?

クローディアスは死にたくないとスカーレットに縋り付きながら虚無化していく。

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そして謎の老婆が再び現れ、ここは死者の国ではないという。生も死も過去も未来もすべてが混ざり合う場所。そしてこの中に1人だけまだ死んでいない者がいるという。スカーレットは聖のことだと言うが、聖は先に述べたように、もう自分が死んでいることに気づいていた。
実は生きていたのはスカーレットだった。スカーレットは虚無化していく聖に平和な世界を作ることを約束し、現世へと帰っていく。

 

スカーレットと聖の別れ
© 2025 Sony Pictures Entertainment Japan
生きていたことが分かったスカーレット。彼女はもう聖と同じ世界にはいられない

現世で目覚めたスカーレットは王女となり、民衆の前で平和な世界を作ることを誓うのだった。

スカーレット

 

『果てしなきスカーレット』のスカーレット
© 2025 Sony Pictures Entertainment Japan
本作のヒロイン、スカーレットの意味は炎の色でもある

さて、スカーレットはもともと「緋色」のこと。緋色とは黄色がかった赤のことで、「炎の色」とも言われる。果たして、スカーレットに炎の強さはあったのだろうか?
復讐というテーマは確かに難しい。感覚的に作れるものではない。『果てしなきスカーレット』の画は感動するほど美しい。しかし、物語に関しては理屈で考えて作られている分、やはりエモーショナルな勢いは確実に削がれているように感じる。

最後に、「復讐の否定」について、一つのデータを提示しておこう。
内閣府が令和6年に発表した世論調査の結果では、死刑制度に関して、「死刑は廃止すべきである」と答えた者の割合が16.5%、「死刑もやむを得ない」と答えた者の割合が83.1%となったそうだ。

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BLACK MARIA NEVER SLEEPS.

映画から「時代」と「今」を考察する
「映画」と一口に言っても、そのテーマは多岐にわたる。
そしてそれ以上に観客の受け取り方は無限大だ。 エジソンが世界最初の映画スタジオ、通称「ブラック・マリア」を作った時からそれは変わらないだろう。
映画は決して眠らずに「時代」と「今」を常に映し出している。

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