『ソナチネ』はなぜ名作と言われるのか?「琉球ピエロ」とゴダールの影響

北野武の映画と言えば、バイオレンスをイメージする人も少なくないだろう。『アウトレイジ』シリーズはセリフとセリフの間を極限に詰め、まるでしゃべくり漫才のようなテンポで怒声が飛び交う。北野武は『アウトレイジ』シリーズについて、「高倉健さんの任侠もの、深作(欣二)さんの『仁義なき戦い』の流れの次に来る映画だと思う」と自負している。とは言え、個人的には『アウトレイジ』シリーズは芸術としての北野映画ではなく、エンターテインメントとしての北野映画だと思う。

北野武が映画監督として評価されたのは、その芸術性に負う部分が大きい。日本国外では北野武は映画監督としての認知が高い。中には北野武が日本ではビートたけしというコメディアンであることを知らないばかりか、北野武とビートたけしを全くの別人だと信じているファンもいたそうだ(たけし自らがファンをテレビの収録スタジオに連れていき、同一人物であることを説明したら、彼らは頭を抱えていたらしい)。

『ソナチネ』

そんな北野武が国外で評価される契機になった作品が、今回紹介したい『ソナチネ』だ。
国内では上映開始からわずか1週間で公開終了になる映画館もあるなど、惨敗した本作だが、映画そのものは非常に高く評価されており、北野映画の最高峰として本作を挙げるものも少なくない。
私が初めて本作を観たのは10年くらい前だろうか。正直に言えば奇妙で怖い映画だった。ヤクザ映画だが、テンポは妙に間延びしており、中盤では大人たちがのんびり遊んでばかりいる。かと思えばいきなり銃声が響き、登場人物が淡々と死んでいく。先日久しぶりに観直してみたが、圧倒的な芸術性と演出に驚かされた。そして、なぜ黒澤明をはじめとする世界的な映画監督、映画人から評価されているのかもおぼろげながら見えてきた。
今回は自分なりに『ソナチネ』という映画を解説してみたい。その柱は、「芸術性」「物語」「暴力性」の三つだ。

『ソナチネ』は初期の北野映画の集大成とも言われる。それはたけし自身が今作をもって映画監督からの引退を考えていたからで、たけし自身も「やりたいことを全部やってやろうと思っていた」と語っている。

琉球ピエロ

さて、まずは『ソナチネ』の芸術性に目を向けてみよう。本作に関して、企画段階でのタイトルは『琉球ピエロ』だった(『沖縄ピエロ』という説もある)という有名な話がある。これはジャン・リュック・ゴダールの『気狂いピエロ』からの引用だと言われている。北野武自身は本作の撮影前に『気狂いピエロ』を観ていないと述べたという話もあるものの、この2つの作品を比べてみると、とてもその話をそのまま信じることは難しい。

『気狂いピエロ』は「ピエロ」というあだ名を持つ男、フェルナンドが、昔の恋人のマリアンヌとともにギャングから逃げる話だ。しかし、そこにほとんどサスペンス性はない。フェルナンドは逃避行の間でゆっくりした時間を楽しんでいくが、一方のマリアンヌはフェルナンドとの無為な日々に退屈さを隠せなくなっていく。そういった男女の心のすれ違いがこの映画の主でもある。
『ソナチネ』も沖縄での逃避行の要素はある。ビートたけし扮する村川は、村川組の組長だが、上部組織の北島組から、友好組織の中松組とその敵組織である阿南組との抗争を収めてほしいと言われ、現場である沖縄へ向かう。しかし、村川が沖縄に乗り込んだことで抗争はかえって激化、村川組の組員を多数失うこととなる。村川は残った組員らとともに沖縄の隠れ家で過ごすことになるが、彼らは死を待つ中、沖縄で子どものような遊びに興じる日々を過ごす。
ラブストーリーの要素の有無という違いはあるものの(北野武はバイオレンス映画においてはほとんど男女を描かない)、大まかな輪郭は共通していないだろうか?
『気狂いピエロ』は自棄になったフェルナンドが自らの顔にピエロのペイントをし、ダイナマイトを巻き付け、導火線に火を付ける。その直後に我に返り、消そうとするものの、間に合わずに爆死する。

フェルナンドは海を臨む崖の上で死ぬが、『ソナチネ』では同じようなショットが車の爆破シーンで再現されている。
この構図や、カメラが海まで捉えるところなど『気狂いピエロ』に酷似しており、ただの偶然とはとても言い難いのだ(ちなみに『気狂いピエロ』は完全に海の方へカメラを向けている。このエンディングはゴダールが敬愛する溝口健二監督の『山椒太夫』へのオマージュと言われている)。

また『気狂いピエロ』と『ソナチネ』にはカットの美しさという点でも共通している。
北野武は映画について、「究極の映画とは、10枚の写真だけで構成される映画であり、回ってるフィルムをピタッと止めたときに、2時間の映画の中の何十万というコマの中の任意の1コマが美しいのが理想だと思う」と述べているが、既に『ソナチネ』でその域に近づきつつあるのではないかとさえ思う。

物語

次は物語についてだ。本作はヤクザ同士の抗争と裏切りが描かれており、それ自体はありふれたものだ。
たけし自身によれば『ソナチネ』は「よくあるヤクザ映画のストーリーをそのままどうやって崩せるかという勝負だった」とのことだが、ここで注目したいのはなぜ「遊ぶ場面」に映画が多くの時間を割いているのかという点だ。
また、遊びの大部分の舞台は砂浜であり、映画全体を通して、「海」が背景の多くを占めている。北野武は監督二作目の『3‐4X10月』の沖縄の要素、その次の作品である『あの夏、一番静かな海。』の海の要素を取り入れている。
なぜ遊びにそこまでの時間を割いているのか、なぜ沖縄なのか、なぜ海なのか。次は物語のこの三つの要素をみていきたい。

北野武は1986年12月に起こしたフライデー襲撃事件による謹慎期間中を沖縄で過ごした。そこへは盟友である島田洋七も訪れており、裁判を待つまでの間、二人で無為に遊ぶ日々を過ごしたという。
とうの裁判は執行猶予三年、懲役六カ月という処分だったが、たけし自身は刑務所で服役することも覚悟していた。しかし、そうなれば芸能人としてはほとんど死んだも当然だ。言わば、沖縄で無為の日々を過ごしながら死を待つ村川はかつてのたけし自身だと言っていいだろう。そもそも村川ら砂浜でが遊んでいた人間紙相撲はかつてたけし自身がコント番組で行っていたものだ(ちなみにこのシーンの動きはたけしが綿密に演出しており、寺島進はこのシーンがこの映画で最も難しかったシーンだと述べている)。
ジャンルとしてはヤクザ映画に分類されるものながら、中身は北野武自身の実体験や、お笑い番組のエッセンスが散りばめられており、非常にパーソナルな部分も持つ作品だと言える。

海に関しては、昔から海に憧れがあることを北野武は著書で明かしている。その理由としてはやはり生命が海から誕生したことから遺伝子的に刷り込まれたものだろうとしつつも、若い日はジャン・コクトーのような海洋学者へ憧れたり浜辺に別荘を持ちたいという希望もあったようだ。映画的なことで言えば、海は背景が絶えず動くため、気に入っているという話もある。
また物語の話をすれば、『ソナチネ』の唐突で絶望的なエンディングも、この一年後にバイク事故を起こすことを予見させるかのような結末だと言える。

1994年、北野武はバイクで自損事故を起こし、生死の境を彷徨うこととなった。看護師が免許証を調べるまでは、誰もビートたけしだと気づかなかったらしい、顔はグチャグチャになり、医者も助からないと思ったくらいの重体だったという。バイク事故について北野武は「一種の自殺のようなものだったかもしれない」と述べており、事故後は生きていることにそれほど執着しなくなったとも語っている。『ソナチネ』では「あんまり死ぬのを怖がっていると、逆に死にたくなってしまう」という有名な台詞があるが、実際に生と死は一つの環で繋がっており、メビウスの輪のように表裏一体とも言えるだろう。
これは余談だが、前述の通り『ソナチネ』の国内興行成績は惨敗であり、いくら映画を作っても一般大衆に理解されないという悩みもバイク事故の遠因となったとの話もある。そう考えると『ソナチネ』とは何とも皮肉な作品だろうかとも思う。

暴力性

最後は『ソナチネ』の暴力性だ。とは言っても北野映画の暴力描写の革新性は『ソナチネ』以前から今に至るまで、北野映画を北野映画たらしめる一貫した特徴でもある。
「世界のクロサワ」黒澤明からも北野武はその才能を高く評価されていた。黒澤明曰く「余計なシーンがないから良い」とのことで、黒澤の最晩年には「日本映画を頼む」との言葉を託されている。
北野映画は暴力描写も無駄がない。決め台詞や脅しなどの「爆発までのステップ」がないのだ。いきなり始まって、あっという間に終わる。
たけし曰く、生まれ育った足立区ではヤクザやチンピラの喧嘩は日常茶飯事であり、本物の喧嘩は映画やドラマとは全く違っている。それを映画に持ち込んだだけだという。
黒澤明が北野武に共感したのは、その暴力描写も大きいのではないかと思う。なぜか。黒澤明自身が、暴力描写に革新を起こした一人だからだ。

かつての時代劇は歌舞伎のような様式を受け継いだ一種の演舞であった。主人公は斬った後に見栄を切り、斬られ役にも作法があった。血も出なければ、腕が切り落されることもない。
そんな時代劇の常識を打ち破ったのが、黒澤明の『七人の侍』だ。三船敏郎演じる菊千代はめちゃくちゃに刀を振り回し、泥だらけになって斬りあい死んでいく。菊千代は侍ではなく百姓という設定もあるのだが、黒澤明はその後も『用心棒』や『椿三十郎』で本物の斬り合いを追求していく。
それまでの様式を無視し、本物を追求するというかつての自らの姿を黒澤明は北野武の中に見たのではないか、そんな気がするのだ。

『ソナチネ』はイギリスのBBCによる「21世紀に残したい映画100本」に選ばれている。

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BLACK MARIA NEVER SLEEPS.

映画から「時代」と「今」を考察する
「映画」と一口に言っても、そのテーマは多岐にわたる。
そしてそれ以上に観客の受け取り方は無限大だ。 エジソンが世界最初の映画スタジオ、通称「ブラック・マリア」を作った時からそれは変わらないだろう。
映画は決して眠らずに「時代」と「今」を常に映し出している。

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