『サブスタンス』衝撃のルッキズム・ホラー

※以下の考察・解説には映画のネタバレが含まれています


X(旧ツイッター)が面白い。主に映画好きな方々のアカウントをフォローさせてもらっているが、流石は映画好きを自認するだけはある。
間違っても私のタイムラインが『名探偵コナン』で埋め尽くされることはない。
いわゆる大作や超メジャーではないものの、確かな面白さを持った作品を教えてくれる。勝手気ままにつぶやくSNSだから、忖度などあるはずもない。
例えば、ここで紹介している『侍タイムスリッパー』もXをきっかけに映画館へ足を運んだ作品だ。

さて、最近また面白そうな作品がタイムラインに多く流れるようになった。

それが今回紹介したい『サブスタンス』だ。
監督はコラリー・ファルジャ、主演はデミ・ムーア、マーガレット・クアリーが務めている。

ルッキズム・ホラー

女性誌の『CREA』が本作を指して「ルッキズム・ホラー」と名付けていたが、実に的を得たネーミングだ。

主人公はエリザベス・スパークル。かつてはハリウッドで人気の映画スターであったが、50歳となった今ではそれも見る影がないほどであり、レギュラーは長年務めてきた朝のエアロビ番組だけになっていた。
しかし、ある日、番組プロデューサーのハーヴェイが密かに番組からエリザベスを降板させるつもりであることを知ってしまう。
「50歳を過ぎた女に何の用がある?」
とは言え、エリザベスを演じたデミ・ムーアは本作の撮影時には60歳。実年齢よりかなり若く見えるのは確かだ。

ハーヴェイ・ワインスタイン

さて、ここでハーヴェイと聞いてハーヴェイ・ワインスタインを思い出さない人はいないだろう。

ハーヴェイ・ワインスタインはかつてハリウッドで絶大な権力を振るったプロデューサーだが、2017年に長年の性加害やセクハラが明るみになり、ハリウッドを追放。現在は禁固16年の懲役
刑を受けている(2022年の映画『SHE SAID/シー・セッド その名を暴け』では、ハーヴェイ・ワインスタインの性加害を公にしようと奮闘する記者の攻防が描かれている)。

そして後日、その言葉通り、エリザベスはハーヴェイから解雇を言い渡される。街に貼られた大きなエリザベスの看板も剥がされていく。
エリザベスは運転中、その様子に気を取られ、交通事故を起こしてしまう。幸い軽傷で済んだものの、ショックで涙が止まらない。
その様子を見た若い医師はそっとあるUSBメモリを手渡す。
そこには「SUBSTANCE」の文字と連絡先が書かれていた。

女性と年齢差別

自宅に帰ったエリザベスは、USBを再生する。観終わったら、そのままそのUSBをゴミ箱に入れてしまうのだが、新聞で「次のエリザベス・スパークル募集」の広告を見て、思わずサブスタンスの業者へ連絡し、薬品の使用を開始する。

魔女がいっぱい』の解説でも書いたが、ハリウッドにも女性に対する露骨な年齢差別は根強く残っている。
例えば、ハリウッドにおける年齢差別をメリル・ストリープはこう言い表している。
「40歳になったとたん、魔女の役を3つもオファーされた」
「40歳を越えた女はハリウッドではグロテスクなものと見なされるのよ」
40歳を超えた男性は主役として若い女性とラブロマンスを演じているのに、である。
この年齢差別という問題は今現在においても存在するようで、マギー・ギレンホールも「37歳になったとき、プロデューサーから相手の恋人役には年を取りすぎていると言われた」と述べている。男性の方の年齢は55歳だったらしいが。だが、『魔女がいっぱい』では、そんな年齢差別を皮肉るように40歳を迎えたアン・ハサウェイが嬉々として魔女役を演じている。

アン・ハサウェイには自分自身に対する世間からのイメージを役柄に転化させてしまう強かさがある。
2016年に公開された『シンクロナイズド・モンスター』では、世間から嫌われていた時期をセルフパロディにするかのように、ネットで炎上して職を失くしたウェブライターを演じている。

『サブスタンス』のデミ・ムーア

『サブスタンス』におけるデミ・ムーアもそうだ。実際、デミ・ムーアもエリザベスのように落ちぶれたスターのひとりだった。
例えばデミ・ムーアと同年代の俳優ではブラッド・ピットやトム・クルーズが挙げられるが、彼らが近年においてもコンスタントにヒット作を世に送り続けているのとは対称的だ。

ブラッド・ピットやトム・クルーズの最近の作品は少しなら答えられる人も多いだろうが、デミ・ムーアの最近の代表作は?
個人的には出演作というよりも、アシュトン・カッチャーとの年の差婚と離婚などのゴシップ系の話題しか思い出せない。
デミ・ムーアで覚えているリアルタイムだった出演作と言えば、小学生の時に公開された『G.I.ジェーン』くらいしか記憶にない。その印象も「シガーニー・ウィーバー以外にも坊主にする女優さんがいたんだ」くらいのものである(実際『G.I.ジェーン』の一般的な評価も決して高いものではない)。

ウォーク・オブ・フェイム

『サブスタンス』の冒頭ではエリザベスの人気の衰えが、ハリウッドのウォーク・オブ・フェイムを通して語られる。
エリザベスの名前が刻まれた当初はそこに多くの人が集まり写真を撮るなどの人気スポットになるが、次第にエリザベスの名前も「なんか聞いたことある」程度になり、最終的にはマンホールの蓋のように誰も気にも留めない存在になっている。

ここまでとは言わずとも、デミ・ムーアのキャリアも同じような流れだったのではないか。
代表作といえば1990年に公開された『ゴースト/ニューヨークの幻』。以降はそれに比肩するようなヒット作には恵まれず、演技的にも評価されることはなかった。
また、若い頃には麻薬とアルコール依存にも苦しみ、2003年に公開された『チャーリーズ・エンジェル フルスロットル』に出演した際には数千万円かけて全身整形したのではないかという噂が流れるほど、美しさに固執していた。

ニューヨークタイムズのインタビューでは若い頃を振り返って「自分の価値は見た目がすべて、自分を犠牲にしなければ愛されない」と思っていたと明かしている。

その価値観は『サブスタンス』のエリザベスそのままでもある。

サブスタンスのルール

サブスタンスは、自分自身を母体として、もう一つの若く美しい自分を生み出す違法薬物だ。その使用方法には厳しいルールがある。

・この最初の分裂は1回のみしか試してはならない
・7日間で必ず分裂した方と母体は入れ替わらなければならない
・分裂しても両者は自分自身であり、あなたはひとつであること

エリザベスはサブスタンスを試す。すると背中が裂け、その中から若く美しいもう一人の自分が生まれた。彼女は自分をスーと名乗り、エリザベスの後任としてエアロビ番組のインストラクター役に就任。あのハーヴェイもスーに夢中になり、番組の人気も天井知らずとなる。

外見を求める人々

個人的に気になるのはここでエアロビクスの振り付けが露骨に性的なものになっていることだ。それはスー自身がそう決めたのかは分からないが、少なくともそれを嫌がっている素振りはない。
スーの中身がエリザベスだ。彼女は長年の経験から、どんな振り付けをすればより人気が獲得できるのは分かっていたのだろう。ましてその体は20代のもので、張りや艶もエリザベス本人とは比べものにならない。
例えば、ここで性的な振り付けを強調され、それを拒否するなどの流れであれば、いかにも最近の「流れ」に乗った作品だと言えるが、本作では美しさに加えセクシーさ、性までも自分の武器としていることは注目しておきたい。

監督のコラリー・ファルジャは前作『REVENGE リベンジ』の中でも同様の演出をし、主演のマチルダ・ルッツにセクシーなダンスを踊らせている。それも男性が望んだことではなく、彼女なりの自己アピールとして演出している。『REVENGE リベンジ』は自身をレイプした男性たちへの復讐を描いた、いわゆるレイプ・リベンジ・ムービーと言えるものなのだが、『サブスタンス』を取り巻く状況はより複雑だ。
ちなみにコラリー・ファルジャによれば、このエクササイズのセクシーさは、世の中のシステムが男性によって形作られていることを指摘したかったのだという。個人的にはルッキズムを強制するのは男性ばかりではないとも思うのだが。

『シャイニング』と『2001年宇宙の旅』

やがてスーとして数々の人気番組に出演。ついには大晦日の特番の司会にまで抜擢されるようになる。それと並行して、徐々に7日間で元の体と入れ替わるというルールは破られるようになっていく。人気でいることへの執着、承認欲求、自己実現など、エリザベスがスーとして叶えている「美しさ」には多くの価値と意味がある。
その代償として、エリザベスの指や足は少しずつ老婆のように醜く老いていく。

『サブスタンス』のプロットは独創的であると同時に非常に寓話的だ。一人の人格が二つに別れていく様は『ジキルとハイド』、片方が若さの代償を支払うという設定は『ドリアン・グレイの肖像』を彷彿とさせる。
スーを演じたマーガレット・クアリーも「脚本は非常にまとまっていて面白く、突拍子もなくめちゃめちゃなおとぎ話のようであり、同時に子供の頃から親しんできた映画からの影響も感じられ、その両方が良かった」と『サブスタンス』について述べている。
そう、『サブスタンス』は過去の名作映画やホラー映画からの引用、オマージュも多い。次にそこを解説していこう。

まずはスタンリー・キューブリック作品からだ。たびたびショットとして引用される左右対称で奥に対象物があるという構図はキューブリックが好んで使っていた構図だ。特にエリザベスとスーが通うテレビ局の廊下のデザインは『シャイニング』のオーバールック・ホテルへのオマージュを思わせるレイアウトとデザインになっている。
そしてエリザベスがサブスタンスを使ってスーとして生まれ変わる場面。ここは浴室という設定だが、『2001年宇宙の旅』のクライマックスでボーマンが足を踏み入れる異星人が用意した白い部屋にそっくりなのだ。浴室のタイルは白い部屋の床模様そのままだ。
『2001年宇宙の旅』ではボーマンはここでモノリスに触れて人類を超越した存在「スターチャイルド」に変貌するのだが、エリザベスとスーはどうなるのか・・・物語の先に進もう。

あなたはひとつ

エリザベスとスーの人格は完全に分かれ、互いが互いを憎むようになっていた。エリザベスはスーが自分の若さを奪い、かつテレビ番組でエリザベスを嘲笑したことに激怒し、またスーはエリザベスの醜い容姿と自己嫌悪で過食に陥っていることを嫌悪していた。
そのうちスーはルールを破り続け、3カ月もの間、エリザベスには戻らずに生活していた。しかし、ある時スーの容姿を保つためにエリザベスから採取していた「安定剤」が枯渇。解決策はエリザベスに戻ることだけだった。

しかし、エリザベスは老いて醜い老婆へと様変わりしてしまっていた。交替のルールを破り続けた結果だった。絶望したエリザベスは業者に電話し、サブスタンスを中止したいと申し出る。終了用のキットを受け取ったエリザベスは、スーの肉体に抹殺用の注射を打ち込むが、もう一度だけスーの肉体と入れ替わりたいと注射を途中でやめて、サブスタンスを試す。
だが、入れ替わりは失敗。目覚めたスーにはスーの人格が、エリザベスにはエリザベスの人格が残ったままになってしまった。スーはエリザベスが自身を殺そうとしていたことを知って激怒し、逆にエリザベスを殺してしまう。

しかし、サブスタンスで忘れてならないのは「どちらも自分自身であなたはひとつ」。
大晦日の特番へスタジオ入りするスーだが、エリザベスを亡くした彼女は徐々にその様子を保てなくなっていく。歯は抜け落ち、爪は剥がれら耳は落ちていく。

『ザ・フライ』

ここはデヴィッド・クローネンバーグ監督のSFホラー『ザ・フライ』からの影響を感じさせる。『ザ・フライ』では、天才科学者のセス・ブランドルが、転送装置に紛れ込んだ一匹のハエが原因で、DNAがハエと融合しはじめ、肉体も精神も徐々にハエに近づいていく恐怖を描いた作品だ。
今作でも爪が剥がれ耳が落ちる描写がある。およそ40年前の作品だが、さすがはクローネンバーグというべきか、その生々しさは『サブスタンス』以上にグロテスクだ。

パニックに陥ったスーは自宅へ帰り、もう一度分裂を試そうとする。最初の分裂は1回のみというルールを破って。

人間を超越する存在

その結果、スーの背中が裂け、奇形の怪物「
モンストロ・エリザスー」へと変貌する。
ここで流れる音楽が『2001年宇宙の旅』で複数回流される『ツァラトゥストラはかく語りき』なのが皮肉が効いている。
スーは怪物として「人間を超越する存在」になってしまったのだ。
個人的にはこの場面も『ザ・フライ』を思い出してしまった。
エンディングでブランドルが無理やり恋人と融合しようとするも失敗、機械と融合してしまい、もはや人間でもハエでもない姿になってしまうの。

しかし、『サブスタンス』の特殊メイクを担当したピエール=オリヴィエ・ペルサによれば、モンストロ・エリザスーにはデヴィッド・リンチの『エレファント・マン』の影響が強いという。
確かに言われてみれば歪に膨らんだ頭部などは『エレファント・マン』のジョン・メリックに似通っている(とは言え、メリックは実在した人間であり、彼のコンプレックスでもあった容姿をモンスターの下敷きにするのはどうかと思ってしまうが)。
『ザ・フライ』では、機械と融合したブランドルが人間として残ったわずかな理性で、自身を殺そうとするかつての恋人の銃をつかみ、自ら自殺を懇願するという、哀しい結末だった。

この時が一番幸せ

エリザスーは怪物となりながらもドレスで着飾り、ピアスを着け、エリザベスの写真を切り抜き顔に貼り、テレビ局へ向かう。
もはや、美しさの基準すら保てず、それでもなおスーとして振る舞おうとする哀しさがそこにはある(異形の外観の中に人間としての純粋な人格が宿っているという意味では確かに『エレファント・マン』とも共通している)。

だが、そんなスーの自意識とは逆に周囲の人々からすればとても許容できない、グロテスクなモンスターにそれは他ならなかった。エリザベスーの言葉「It’s still me(わたしよ)」というセリフは監督もこだわった部分だという。

ピエール=オリヴィエ・ペルサはエリザスーになってから、彼女は最も心の平穏を手に入れているのではと述べている。ここでは今まで必要以上に美しさに執着してきたエリザベスのキャラクターが反転しているのが興味深い。

「彼女はこの時が一番ハッピーだったんじゃないかな」

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では、ここで一つクイズを出そう。
主人公の一番ハッピーな瞬間が一瞬で反転するホラー映画は?

『キャリー』

正解はブライアン・デ・パルマ監督の『キャリー』だ。
『サブスタンス』は観客やスタッフがエリザスーを怪物と呼び、殺そうとする。しかし、エリザスーは頭部を刎ねられても再生し、それどころか腕から大量の血を噴き出し、人々を血まみれにする。まるで幸せの絶頂で豚の血を被らされたキャリーが激昂して皆を殺戮したように。

会場の外へ出たエリザスーだが、細胞分裂は止まらずに、ついには体は崩れ落ち四散してしまう。そしてアメーバ状になったエリザスーは自らのウォーク・オブ・フェイムの場所まで這っていき、皆からの賞賛を浴びる幻想の中で息絶える。

翌朝、エリザスーの血痕を清掃業者が何事もないかのように清掃機で拭いて、映画の幕は終わる。

ありのままの自分を受け入れること

還暦にしてヌードや特殊メイクも辞さず、美に執着して身を滅ぼすデミ・ムーアの演技は大絶賛されている。
それはアカデミー賞主演女優賞にノミネートされたこと、ゴールデン・グローブ賞の主演女優賞を受賞したことからも分かるだろう。どちらも彼女のキャリアの中で初めてのことだった。
デミ・ムーアはゴールデン・グローブのスピーチでかつての自分についてこう述べている。

「30年前、あるプロデューサーから“君はポップコーン女優”だと言われた。当時私は自分がこの賞をもらうことはないんだと決めつけていた。ヒットして大金を稼ぐ映画には出られても、演技が認められることはない。そう思い込み、信じていた」

だが、それは大きな間違いだった。
『サブスタンス』のメッセージは、「ありのままの自分を受け入れること」。
デミ・ムーアもコラリー・ファルジャもそう述べている。

今作でデミ・ムーアはカメラの前でたるんだお尻までさらけ出した。「もう嫌になる」と苦笑しつつも、彼女はそのカットの削除は求めなかった。

「私たちは、自分に欠けているものばかりに目を向けてしまう。でも本当に大切なのは、“今ここにある自分の美しさ”を見つめること。
私は今、自分の体を愛している。それは外見の話ではなくて、自分の体が私のためにしてくれることに感謝しているという意味。目尻にシワが増えるほど、私はこれまで生きてきた人生を美しいと感じるし、自分を優しく受け入れられるようになった」

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BLACK MARIA NEVER SLEEPS.

映画から「時代」と「今」を考察する
「映画」と一口に言っても、そのテーマは多岐にわたる。
そしてそれ以上に観客の受け取り方は無限大だ。 エジソンが世界最初の映画スタジオ、通称「ブラック・マリア」を作った時からそれは変わらないだろう。
映画は決して眠らずに「時代」と「今」を常に映し出している。

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