『ターミネーター』シリーズは映画界の中でも特に有名なフランチャイズだ。現在までにリブートを含め、映画は6作、ドラマが1本、他にアニメやゲームも作られている。マーベル映画は別として(個人的にはスコセッシが言ったようにあれは映画ではないと思う)、『エイリアン』シリーズや『スター・ウォーズ』シリーズにも比肩する規模のコンテンツだと思うが、『ターミネーター3』以降の作品はいずれも芳しい評価を得られてはいない。
「本当の『ターミネーター』シリーズは『ターミネーター2』まで」という声も根強い。
『ターミネーター2』は確かに続編としてはこれ以上ない成功作だ。そのあまりに高すぎるハードルは後続の多くの『ターミネーター』シリーズを図らずも苦しめたことだろう。
一般的には認められるレベルの面白さでも、『ターミネーター』シリーズにおいてはなぜかつまらなく感じてじまう。それほどに『ターミネーター』シリーズのハードルは高いのだ。
創造主の復活
しかし、私を含めた『ターミネーター』シリーズのファン達には一縷の望みがあった。それはシリーズの創造者であるジェームズ・キャメロンがシリーズに復帰することだ。キャメロンが手がけたのは『ターミネーター』と『ターミネーター2』まで。実際に高評価を受けているのもその2作のみだ。
『ターミネーター:ニュー・フェイト』でのキャメロンの復帰は『ターミネーター』シリーズにとっての特効薬になるはずだった。
何しろターミネーターの生みの親だ。キャラクターを知り尽くし、エンターテインメントを知り尽くしているキャメロンならばー。
だが、と多くのファンの期待も空しく、その結果も過去作同様に決して芳しくないものだった。
果たして、『ターミネーター』シリーズはすでにキャメロンの特効薬でも回復し得ない致命傷を負っていたのか、それとも『ターミネーター:ニューフェイト』もまた、ファンをガッカリさせる何かがあったのか。この問いを通して、もう一度『ターミネーター:ニューフェイト』を振り返ろう。
救世主の最期
『ターミネーター:ニューフェイト』の冒頭はサラとジョンがグアテマラのビーチでくつろいだ姿が写し出される。審判の日が来なかった世界。だが、サラのファッションがまだ戦いは終わっていないことを暗示させる。そこへ突如T-800が現れ、ジョンを射殺し、去っていく。
『ターミネーター:ニューフェイト』の中で最も賛否の分かれる部分は、冒頭でジョン・コナーが殺害されるこの場面だろう。
製作途中のニュースの中で、『ターミネーター2』でジョン・コナーを演じたエドワード・ファーロングが同役で復帰するという知らせがあり、当然ながら『ターミネーター』ファンは湧いた。
エドワード・ファーロングは『ターミネーター2』で俳優デビューすると、その端正な美少年ぷりで大ブレイクを果たした。その後も『アメリカン・ヒストリーX』や、『デトロイト・ロック・シティ』などの作品に出演していたのだが、成功した子役にありがちのトラブルも抱えるようになり、ルックスも激変。俳優というよりも、ゴシップの話題を飾ることの方が多くなっていた。
そんな現在のエドワード・ファーロングを知るファンはどんな形でジョン・コナーが登場するのか、期待半分、不安半分だっただろう。事前にカメオ出演だという情報が流れていたので、個人的には大人になったジョン・コナーが、窮地に陥ったサラを最後の最後で助けるであるとか、そういったヒロイックな役回りを期待していた。
しかし、冒頭でジョン・コナーはあっけなくT‐800に撃たれて死んでしまう。
衝撃だった。ショックだった。
制作陣より、作品のファンの方がキャラクターへの思い入れが深くなるのはしばしば見られることだ。『ターミネーター』、『ターミネーター2』でジョン・コナーが人類の命運を握る最重要人物として描かれていただけに、この呆気ない幕切れは「ジェームズ・キャメロン復帰作」の期待に水を差してしまった。
もちろんそれ以前にもリブートとなる前作『ターミネーター:新起動/ジェニシス』の中で、ジョン・コナーが人類の救世主ではなく、人類の敵として描かれたことで、ジョン・コナーのシリーズにおける重要性やキャラクターは大いに揺らいでしまったのは間違いない。しかし、だからこそ「『ターミネーター2』の正当な続編」と謳っている本作では、ジョン・コナーの扱いはもう少しどうにかならなかったのかというのが本音でもある。
ジョンの死から20年後、メキシコに二人の人物がタイムスリップしてくる。一人は常人をはるかに超えた身体能力を持つ「強化型人間」のグレース、そしてターミネーター、Rev-9だ。
Rev-9の目的は未来の重要人物であるダニーという女性を殺すこと、グレースはRev-9からダニーを守ることが任務だ。
Rev-9はダニーの父に擬態し、彼女が働く工場に潜入する。銃の照準をダニーに合わせた瞬間、グレースがRev-9を攻撃する。
このシーンは『ターミネーター』のオマージュでもある。『ターミネーター』では、T‐800がクラブに避難していたサラ・コナーを見つけ出し、銃にのスコープから放たれるレーザーでその額へ照準を合わせ、撃たれる刹那にカイル・リースがT‐800を攻撃する。
ダニーの弟のジェイクの機転もあり、激戦の後にRev-9の動きを一時的に封じることに成功するグレース。彼女はダニーらを連れて工場から車で逃げるが、Rev-9もまた大型車でダニーを追跡する。カーチェイスの中でジェイクは死に、グレースとダニーは分裂したRev-9に追い詰められる。
絶体絶命の瞬間、一台の車が猛スピードでRev-9の一体を轢き飛ばす。車から出てきた初老の女性はもう1台のRev-9も撃退し、「I’ll be back」と言い残し、Rev-9の様子を確認しに行く。
『ターミネーター』の制約とハードルの高さ
『ターミネーター:ニューフェイト』のもう一つの不振の原因は『ターミネーター』シリーズの持つ制約とハードルの高さだ。
『ターミネーター2』は実質的に『ターミネーター』のリメイクだ。元々ジェームズ・キャメロンは、ターミネーター役にはひ弱そうな役者を想定していた(実際にランス・ヘンリクセンを元にしたT‐800のスケッチもある)。それか覆ったのは、カイル・リース役を志望していたアーノルド・シュワルツェネッガーと会食した時だったという。『ターミネーター2』では、敵であるT‐1000は細く弱そうな風貌(演じているのはロバート・パトリック)であるし、善玉となったシュワルツェネッガー演じるT‐800の役割は『ターミネーター』のカイル・リースに重なる。
また、『ターミネーター3』も基本的には『ターミネーター2』と構造はほぼ同じ。
ジョンを守るターミネーターと、ジョンを狙うターミネーターが未来ではなく現代でぶつかり合う。
加えて『ターミネーター』シリーズにはシリーズ特有の「お約束」も多い。「I’ll be back」や「Come with me, if you want to live」のセリフはもちろんだが、序盤のカーチェイスや、最終決戦の場が工場などの施設であるなどがそうだろう(『ターミネーター3』の場合は核シェルターだったが)。
そうした多くのお約束や制約を踏まえた上で、どれほど面白いストーリーを作れるのか、
少なくともファンは『ターミネーター』『ターミネーター2』『ターミネーター3』『ターミネーター:新起動/ジェニシス』と同じようなストーリーを見させられていて(『ターミネーター:新起動/ジェニシス』は多少のヒネリはあったが)、最初の2回以外は失望のほうが大きかったわけだ。
いくらキャメロンが正式に復帰するからといっても、既にファンからすらもシリーズは飽きられ始めていたのではないか?
観客へのアピール不足
『ターミネーター:ニューフェイト』は広告宣伝費も含んだ制作費の半分しか回収できない惨敗の作品となった。キャメロンはその原因を新しい観客へのアピールが足りなかったという。
「私たちは正当な続編を作ることができた。当時劇場に見に行った人は、みんなもう死んでいるか、定年退職しているか、廃人になっているか、あるいは痴呆症になっている映画の続編だ。何も新しいことを始めていない映画だった。新しい観客のための要素が何一つなかった」
確かにそうだろう。前述のように、シリーズのファンに向けた「お約束」や演出が多い一方で、シリーズ未見の新規客の取り込みに対する工夫はほぼ見受けられない。強いて言うならば『ターミネーター2』よりパワーアップしたアクションくらいだ。
登場人物もやはり、シリーズのファン向けのようだ。
サラと行動を共にするようになったグレースとダニーが次に向かった場所は「協力者」の場所。正体は不明だが、グレースの腹部にはその場所を示すタトゥーがあり、サラにターミネーターの出現を知らせるメールを送ってきた人物の住所もその場所だった。
途中、メキシコからの密入国者として国境警備隊に捕まり、Rev-9からの急襲を受けるも、無事に国境を越え、テキサスに住むその協力者の下へ辿りつく。その「協力者」はかつてジョン・コナーを殺害したT‐800だった。激しく動揺し、怒りを露わにするサラ。T‐800はジョンの抹殺という任務を終え、自分の意志で人間と関わるようになっていた。その中で家族を持ち、良心が芽生えたことで、ジョンの殺害を後悔したT‐800はサラに生きる目的を与えるためにメールを送り続けていたのだ。
こうして、T‐800を仲間に加え、グレースらはRev-9との戦いの準備を始める。
そのグレース役を演じたマッケンジー・デイビスも『ターミネーター:ニューフェイト』の成績不振について、もはや若い観客は『ターミネーター』シリーズを求めていないと語っている。
「あの映画の制作という経験は素晴らしかった。すでに言ったようにハードで厳しいものだったが、人が素晴らしかった。ティムは才能溢れる監督で、作品をできるだけ最高のものにしようと打ち込み、作品に専念していた。興行収入などは、これは『ターミネーター』の6作目だし、最後の3作品は誰も見てないでしょう。それは理解してる。大丈夫。でもそれは私たちの作品が悪かったということではなく、観客の欲求が枯れてしまったということだと理解している」
日本ならではの敗因とは?
日本においても『ターミネーター3』の興行収入は83億円だったが、『ターミネーター4』では50億円、『新起動』では27億円、そして『ターミネーター:ニューフェイト』では23億円と新作が公開される度に興行収入は右肩下がりの状況だ。
もちろん、そこには日本ならではの理由もあるだろう。個人的には映画を知るきっかけが格段減ってしまったことがこの結果を招いた一因ではないかと思っている。『ターミネーター3』のころにはテレビで洋画を見る機会は多かった。『木曜洋画劇場』『金曜ロードショー』『ゴールデン洋画劇場』『日曜洋画劇場』と、週の半分以上は地上波のゴールデンタイムに映画が流れていたのだ。
私にとって『ターミネーター』は生まれる前の作品であったし、『ターミネーター2』も物心つく前の作品だった。それでもこうしたテレビ番組で『ターミネーター2』を後追いで知り、『ターミネーター』シリーズのファンになっていった。
今、地上波での映画放送がどれくらいあるだろうか?
サブスクがあるじゃないかと言われそうだが、サブスクは基本的に興味のあるものしか観ないだろう。テレビ番組のように「他に観たいものがないから仕方なく観る」ということになりづらいのだ。『ターミネーター』もそういったケースや「テレビをつけたらたまたまやってた」などの形でファンになった人も少なくないのではないだろうか。
今、地上波での映画放送は激減している。ほぼないと言っていい。そんな中で新規のファンを増やしていくチャンスも大きく減っているのではないだろうか。
そもそも本作の一番のアピールポイントであったジェームズ・キャメロンの復帰自体、既存のファン向けのアピールだ(しかしながら、同じく製作を務めた『アリータ:バトル・エンジェル』も興行的には失敗しており、果たしてキャメロンは『アバター』シリーズ以外のプロジェクトに全力で取り組んでいるのか、いささか疑問も感じてしまう)。
とは言え、個人的にはそう悪くない出来の作品だと思っている。確かに既視感はあるし、未来世界の描写はどこか安っぽくもあるが、それでも息子を失ったサラの複雑なキャラクターの創造や、今作でカイル・リース的な役割を担うグレースの内面、大切なものを全て奪われたダニーの怒りや成長など、主要キャラクターについてはきちんと掘り下げられている。だからこそ、クライマックスでは『ターミネーター3』以降にはなかったエモーションを感じることができた。
『ターミネーター:ニューフェイト』のT-800
特に今作で描かれたT-800のキャラクターは特筆すべきだ。これこそがプログラミングされたAIではなく、AIの持つ本来の自由意志と学習のあり方なのだろう。
これは『ターミネーター2』でジョンがT-800に尋ねていた「学習を繰り返して、より人間らしくなることはできる?」という質問の回答でもある。そこには、AIを単なる脅威として描いていた1984年の『ターミネーター』や、AIをどう使うかは人間次第だと投げかけた『ターミネーター2』とはまた違ったテクノロジーに対する提案がある。すなわち「AIはどう進化し、どう共存していくのか」。それはAIが身近になった今だからこそのものだ。
2023年時点の情報だが、ジェームズ・キャメロンは『ターミネーター』シリーズの新作の脚本を執筆中だという。
監督のティム・ミラー、ジェームズ・キャメロンともに自己のイメージする『ターミネーター』を追求しすぎたと語る『ターミネーター:ニューフェイト』。ちなみに『ターミネーター:ニューフェイト』の原題は『Terminator: Dark Fate』だ。
暗い運命を超えて、『ターミネーター』シリーズは起死回生できるのだろうか。