『告発の行方』は実話なのか?トラウマレベルの「痛み」を描いた理由

※以下の考察・解説には映画のネタバレが含まれています


羊たちの沈黙』は、『カッコーの巣の上で』以来となるアカデミー主要5部門完全制覇を成し遂げた。この快挙は『羊たちの沈黙』を最後に30年以上成し遂げられていないままだ。
この主要5部門のうち、特筆すべきは主演女優賞を獲得したジョディ・フォスターだろう。なにしろ彼女はその3年前にもアカデミー賞主演女優賞を受賞しているのだから。
その作品が1988年に公開された『告発の行方』だ。原題は『The Accused』で被告人たちという意味になる。

『告発の行方』

監督はジョナサン・カプラン、主演はジョディ・フォスターとケリー・マクギリスが務めている。レイプ被害をテーマとした社会派の作品だ。

映画はある女性が破れた服と裸足で酒場から飛び出してくる場面から始まる。彼女の名前はサラ。酒場のそばの電話機で警察に電話している男性の声から、彼女が複数の男にレイプされたことがわかる。
今作はある実際の事件に着想を得ている、それがビッグダン酒場事件だ。

ビッグダン酒場事件

1983年3月6日、マサチューセッツ州ニューベッドフォードの酒場ビッグダンで、シェリル・アラウジョという21歳の女性が4人の男に集団レイプされる事件が起きた。
アラウジョは店の奥のビリヤード台で数人の男たちにレイプされたが、誰もそれを止めようとはせず、逆に囃し立て、歓声すら上げていたという。
逮捕されたのは6人。そのうちの4人は実行犯として、そして残りの2人は暴行教唆の罪としてだ。
アメリカでレイプは珍しい犯罪ではないが、この事件が有名になったのは、裁判の様子がテレビで生放送されたからだ。
裁判を生中継するという考えは判事が許可したものだった。おそらくはレイプの実態を広く世に知らしめ、議論を起こすという考えだったのだろうが、世間の流れはそれとは逆に動いていく。
犯行現場がポルトガル系の住民が多く住む地域であったことから、彼らへのバッシングが巻き起こったのだ。だが、ポルトガル系の人々は、バッシングした人々ではなく、被害者に敵意を向けてしまう。「なぜ仲間の恥を晴らすのか?」というわけだ。こうきてアラウジョはやむなくアイオワへ引っ越す羽目になった。

この先を読んでもらえれば、『告発の行方』も大まかにはこの事件をなぞっている事が分かると思う。
脚本を務めたトム・トーパーはシェリル・アラウジョの事件の裁判がニュースになっていることを知り、『告発の行方』の物語を着想したという。トーパーは30人のレイプ被害者と多数のレイプ犯、検察官、弁護人、医療専門家にもインタビューし、話を練り上げていった。

また、ビッグダン酒場事件において、レイプ被害者のシェリルには偏見やセカンドレイプとよべる恥辱の経験が襲いかかるが、それも『告発の行方』では取り上げられている。物語を進めていこう。

共感も同情もされない痛み

サラは病院を診察を受け、傷の状態などをチェックされる。診察の担当者は女性であるが、驚くほど淡々としている。それほどレイプは当たり前に行われていることなのだろう。
ここで注目したいのは同性である女性にもサラのレイプの「痛み」はほぼ共感も同情もされることはないということだ。
事件を担当することになった地方検事のキャサリンは、サラに聞き取りを行い、事件の詳細を調べていくが、加害者側はあくまで合意のもとだったという姿勢を崩さない。キャサリンはサラに当日の様子を尋ね、彼女の前歴を探っていく。するとサラは当日はマリファナを服用しており、酒に酔った状態であったこと、また、過去にはコカインで捕まった前歴もあった。
キャサリンはこのことから、裁判で勝つのは難しいとサラには知らせないまま、独断で司法取引を行ってしまう。その結果、犯人たちは過失傷害というとても小さな罪に落ち着いてしまった。
病院での診察、そしてキャサリンの行動について、今現在の価値観で言えば、あまりにも冷淡な態度と思われてしまうかもしれない。

レイプされるのは当たり前

サラを演じたジョディ・フォスターは当時と今のレイプに関する意識の違いを次のように述べている。
「その当時と現在では状況は変わったと思うけれど、当時この映画を制作したときにも、『彼女はスカートを履いていたのだから、レイプされるのは当たり前だ』と言う人たちがおり、とても苦労した。私が演じたキャラクターの演技についても“まあ、普通だよね”と評価する批評家もいた。映画の世界では『告発の行方』は、女性と暴力について語られるようになった基準になっていると思う」

発情アニマル

ジョディ・フォスターの言うように『告発の行方』以前には真正面からレイプという問題を捉えた映画は少なかった。レイプをテーマにした作品はあったものの、それはどこかにエロを意識していたように思う。
例えば、年に公開された『悪魔のえじき』という映画がある。バスター・キートンの縁戚であるカミール・キートンが主演したホラー映画なのだが、そのタイトルは公開当時は『発情アニマル』と名付けられていた。まるで一見するとポルノ映画かと思ってしまうようなものだ。

脚本を書いたトム・トポールもレイプを描いた映画について、以下のように語っている。
「監督のジョナサンと私はたくさんの古い映画を観たが、レイプというテーマを掘り下げた作品は一つも見つからなかった。レイプを題材にした映画はほとんどなかったんだ。レイプ事件を描いた映画は数多くあるが、『告発の真相』は完全にレイプをテーマにしている。他にテーマはなく、しかも、二人の女性の話で、彼女たちを救いに来る男性もいない。非常に難しいテーマだった」

SNSや週刊誌という私刑

『告発の行方』は40年近く前の話だが、流石にレイプに対する価値観は今とは全然違う。
今の時代は司法より先にSNSや週刊誌が動く。このような性加害行為があれば、世論は一気に被害者への同情に傾くだろう。司法がいかなる判断を下そうと、例え司法そのものが動かずとも、今であればスマホひとつでサラは加害者を社会的に抹殺することもできただろう。
もちろん、法の手によらず加害者の人生を破壊するのは復讐以前に私刑であり、一方的なコメントや噂などでキャンセルにまで発展してしまう今の現状も個人的には問題だと考えてもいるが。

ケリー・マクギリス

話を『告発の行方』に戻そう。キャサリンが司法取引に応じたことに憤ったサラに抗議する。さらに事件現場に居合わせた男にからかわれたサラは、相手の車に自分の車をぶつけ、怪我を負ってしまう。病院に面会に来たキャサリンに、サラは「信じていたのに」とつぶやく。その言葉に深く後悔したキャサリンは、事件当日犯人たちの周りでレイプを唆した男たちを暴行教唆罪で訴追しようと考える。

このキャサリンを演じたケリー・マクギリスだが、マクギリスは当初サラ役にオファーされていた。しかし、マクギリスはそのオファーを断り、このキャサリン役を志望した。ケリー・マクギリスは、自身もレイプ被害者であると告白している。キャサリン役を志望したのはレイプに対する社会の見方を改めることができると考えたからだ。そして役を通して、レイプ被害者であるかつての自分を救い出したかったのかもしれない。
ケリー・マクギリスは24歳の時、突然部屋に押し入ってきた二人組の男にレイプされた。ナイフを突きつけられ、死を覚悟したという。「その20分は20年のように感じられた」レイプは警官が窓を叩く音で終わりになったが、警官が来なければ本当に殺されていただろう。
事件後は「自分が何か悪いことをしたからこんな目に遭ったんだ」と思い込むようになっていたという(のちにマクギリスは自身がレズビアンだと公表するが、マクギリスは「自分がレズビアンだから罰せられたのだ」と感じていたと述べている)。

映画史上最も見るのがつらいシーン

裁判はサラだけの証言では状況を打破するのは厳しく、犯人グループの友人でもあり、あの晩サラがレイプを見ていたケンの証言が重要になる。証言することをためらっていたケンだが、サラと話し、勇気を出してあの夜のすべてを話す。
そこから場面はレイプシーンに入るが、この場面はのちにコンプレックス誌が「映画史上最も見るのがつらいシーン53選」の16位にランクインしたほどだ。レイプ被害者のマクギリスがサラ役を辞退したのも理解できる。

映画を台無しにしてごめんなさい

もちろん、ジョディ・フォスターやその他の俳優にとってもこの場面の撮影は過酷だった。できるだけフォスターを不快にさせないため、リハーサルは緻密に行われたのだが、ジョディ・フォスターは撮影中に泣いて完全に意識を失ってしまうほどだった。
「あなたたちの映画を台無しにしてごめんなさい」
そう、ジョディ・フォスターにとってはこの役の降板を検討するほどの過酷な撮影だった。

ケンの証言が終わり、判決は陪審員に委ねられる。判決の日、レイプを唆した3人はそれぞれ暴行教唆で有罪判決が下され、映画は幕を閉じる。

だが、『告発の行方』の試写の評価は最悪だった。映画を観た人はジョディ・フォスター演じるサラは「レイプされて当然」と感じてしまったという。しかし、女性だけで試写会をするとその評価は最高のものだった。彼女たちのほとんどがレイプ被害、もしくは知り合いがレイプされた経験があったのだ。
『告発の行方』の以下のような言葉で締めくくられている。
「アメリカでは6分ごとにレイプが報告されている。レイプ被害者の4人に1人は複数の加害者から襲われている」

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BLACK MARIA NEVER SLEEPS.

映画から「時代」と「今」を考察する
「映画」と一口に言っても、そのテーマは多岐にわたる。
そしてそれ以上に観客の受け取り方は無限大だ。 エジソンが世界最初の映画スタジオ、通称「ブラック・マリア」を作った時からそれは変わらないだろう。
映画は決して眠らずに「時代」と「今」を常に映し出している。

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