リドリー・スコットはなぜ『オデッセイ』を撮ったのか?

『オデッセイ』

『オデッセイ』は2015年に公開されたリドリー・スコット監督、マット・デイモン主演のSF映画だ。原作はアンディ・ウィアーが手がけた長編小説『火星の人』。
映画の方でも原題は小説と同じ『THE  MARTIAN』なのだが、主人公が長く一人で火星で生き残るという内容から、邦題はホメロスの叙事詩『オデュッセイア』及びその主人公オデュッセウスに由来する『オデッセイ』に変更されている(「オデッセイ」は、「長期の放浪・冒険」を意味する)。

『オデッセイ』の解説は今までに何度かチャレンジしている。個人的には大傑作とは言わないまでも、普遍的な面白さを持った良作だと思っている。
「面白い」だからこそ、それ以上のことが思い浮かばずに、何度も執筆を諦めてきたというわけだ。

『プロジェクト・ヘイル・メアリー』と『オデッセイ』

だが、『プロジェクト・ヘイル・メアリー』を観て、再び『オデッセイ』に挑戦できるかもと思えるようになった。

『プロジェクト・ヘイル・メアリー』は中学校教師のグレースが主人公だ。彼はかつて研究者として生命体に関して独自の説を展開したが、その考えは「異端」として、その世界から排斥された過去を持つ。その頃、宇宙ではある生命体が太陽の働きを弱めていた。このままでは地球は氷河期レベルまで気温が下がってしまう。
その生命体の特徴がグレースがかつて主張していた説に合致するため、グレースはその生命体(グレースは「星を喰うもの」として「アストロファージ」と命名)の研究者に任命される。

アストロファージは太陽のみならず、その周辺の星を次々に侵食していた。しかし、宇宙の星々のなかでアストロファージの影響を受けない惑星がただ一つ見つかる。それはタウ星と呼ばれる惑星だった。なぜ、タウ星は無事のままでいられるのか?

グレースは「ヘイル・メアリー(イチかバチかを意味する)」と名付けられた宇宙船でその謎を解明する羽目になる。ヘイル・メアリー号は燃料を微量でも爆発的なエネルギーを出すことのできるアストロファージとする一方で、往復の燃料の生成を待つ時間はなく、片道の燃料だけで、ヘイル・メアリー・プロジェクトは一度出発すると二度と帰還できないプロジェクトでもあった。

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『オデッセイ』は火星探査チームの一員である、マーク・ワトニーが主人公だ。マークは火星探査ミッションの「アレス3」のクルーである(アレスとはギリシャ語で火星を意味する)。
本来であれば火星で31ソル(ソルとは実際の火星での日単位。映画だけの設定ではありません!)にわたるミッションを行う予定だったが、クルーらは6ソル目に猛烈な砂嵐に襲われ、ミッションを中止して引き上げることになる。その中で折れたアンテナがマークを直撃。船長はマークを死んだと見なし、他のクルーの安全を優先してそのまま火星を後にする。
しかし、マークは生きていた。

一人火星に取り残されたマークは、植物学者としての知識とエンジニアとしての技術力を駆使して、次の有人探査船「アレス4」が火星に到着までの4年間、どう生き延びるかを考えていく。その中でクルーや自身の排泄物を利用したジャガイモ栽培やNASAとの通信を復旧させるなど、生きるために様々な課題に立ち向かっていく。

「Tech is always Good」

どちらの作品も、原作はアンディ・ウィアーだ。ウィアーは自らを「楽観的な人間だ」と自称している。『オデッセイ』のマークも『プロジェクト・ヘイル・メアリー』のグレースもまた、前向きで楽観的な人物として描かれている。どちらもウィアー自身の投影なのだろう。
また、どちらの作品でもテクノロジーを好意的に描いていることも特徴だ。ウィアーは科学技術について、「Tech is always Good」と述べている。これに関してはの両親を持ち、ウィアー自身も長年プログラマとしてキャリアを積んできたことが影響しているのだろう。

リドリー・スコット監督作としての『オデッセイ』

一方で、『オデッセイ』をリドリー・スコットの作品としてみると、その意外性に驚かされる。
言うまでもなくリドリー・スコットとSF映画の親和性は高い。『エイリアン』や『ブレードランナー』ではその卓越した映像センスを遺憾なく発揮してみせた。もちろん、『オデッセイ』でもそのビジュアルセンスは健在だ(火星の背景にはヨルダンの砂漠地帯の映像が使われている!)。リドリー・スコットの監督作品の中でも『ブレードランナー』は以後のSF映画に大きな影響を与えた。
と同時に、そこには機械に対しての複雑な問いかけが存在しており、アンディ・ウィアーの言うような「Tech is always Good 」には程遠い内容なのである。

『エイリアン』ではアンドロイドクルーのアッシュが登場するが、アッシュは人間のためというよりも、創造主であるウェイランド・コーポレーションのために存在し、そのためたら、乗組員を犠牲にすることも厭わない。いわゆる「ロボット三原則」が存在しないアンドロイドだ。

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一転して『ブレードランナー』では、人間の都合により、4年後という寿命が設定されたアンドロイド(レプリカント)たちが登場する。
感情が生まれ、自我が芽生えた彼らレプリカントと人間の違いとは何か?過酷な環境から脱走したレプリカントを処刑する役割を負った専任捜査官(ブレードランナー)であるデッカードは、彼らを追ううちにアンドロイドと人間の違いに苦悩したいくことになる。

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前述のように、『オデッセイ』にはそうした技術に対する葛藤はみられないものの、一方でマーク・ワトニーというキャラクターとリドリー・スコット自身には共通点もある。

元々リドリー・スコットは映画監督になる前、CMディレクターとしても華々しい地位築いていたが、『デュエリスト/決闘者』で映画デビューした当時はすでに42歳。スコットは40歳前にすでにメガホンを取っていた監督に憧れたと語っている。そこにある焦燥と情熱はマーク・ワトニーというキャラクターともシンクロする。

リドリー・スコットはなぜ『オデッセイ』を撮ったのか?

ここからは少し個人的な考察をしてみたい。スコットにとって『オデッセイ』の前作となる作品は『エクソダス: 神と王』そしてその前が『悪の法則』だった。
『悪の法則』は、内容的には全くの真逆で陰惨かつ、人間の愚かさ、残酷さを全面に出した作品であった(脚本を手掛けたのは『ノーカントリー』の原作者でもあるコーマック・マッカーシー)。

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だが、『悪の法則』の制作中にリドリー・スコットの弟で映画監督でもあるトニー・スコットの自殺という事件が起きる。
このような悲劇の後に製作された『エクソダス: 神と王』と『オデッセイ』には、「あきらめない強さ」という共通点がある。
もう一度リドリー・スコットは『オデッセイ』を通して、人間の強さを、希望を真正面から描いたのではないだろうか?

『オデッセイ』で、マーク・ワトニーはクルーが遺していった木彫りの十字架を削って、水を得るための燃焼物として利用していく。
キリスト教はすべてのものはあらかじめ決められているという「予定説」の考え方がある。一人残された、火星で何も行動しなければ、ただ飢えて死を待つしかなくなる。未来は自分自身で切り拓いていくものだ。燃やされた十字架の意味を思うと、『オデッセイ』は個人の可能性と生きていく強さを描いた作品であることが改めて浮き彫りになってくる。

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