2024年3月に開催された第96回アカデミー賞では、『オッペンハイマー』が作品賞に輝いた。やはり、アカデミー賞の各部門の中で作品賞が一番の華だろう。
加えて『ゴジラ-1.0』のアジア圏で初となる視覚効果賞の受賞も大きなニュースになった。
そしてもう一つ目立ったのが『関心領域』という作品だ。
『関心領域』
第96回アカデミー賞では国際長編映画賞と音響賞受賞し、第76回カンヌ国際映画祭ではグランプリを獲得するなど作品の評価も高い。
『関心領域』ってどんな作品だろう?個人的にはそのタイトルからアジア圏の映画だと勝手に思い込んでいた。
しかし、実際はナチス・ドイツのホロコーストをテーマにした作品だった。監督はジョナサン・グレイザー、主演はクリスティアン・フリーデルが務めている。タイトルの『関心領域』とはアウシュヴィッツ収容所を取り囲む40平方キロメートルの地域のことだ。ナチスはそこを「The Zone of Interest(=関心領域)」と名付けていた。
『関心領域』はアウシュヴィッツ強制収容所に隣接した場所で平和に暮らす、所長のルドルフ・ヘスとその家族の日常を映している(注:ルドルフ・フェルディナント・ヘスのこと。ナチスの副総統のルドルフ・ヘスとは別人)。しかし庭の壁を1枚隔てた向こうでは虐殺が行われている。
ホロコーストを扱った映画たち
ホロコーストを扱った作品は戦争映画のサブジャンルとしてもいいほど数多く作られている。有名なもので言えば1993年に公開された『シンドラーのリスト』、そして同じくアカデミー賞外国語映画賞を受賞した『ライフ・イズ・ビューティフル』だろう。
また、このサイトでも解説している『顔のないヒトラーたち』、『ハンナ・アーレント』、『愛を読むひと』などの作品は舞台が戦後になるため、直接ホロコーストを描いているとは言えないものの、ホロコーストをテーマにした作品とは言えるだろう。
さて、ホロコーストを扱った映画はユダヤ人が主役であったり、収容所の非人道的な光景を見せることで、観客に囚人たちに同情や共感を抱かせるものが多い。
『シンドラーのリスト』では狩猟のようにナチスの高官であるアーモンがユダヤ人を遊び感覚で撃ち殺す。
『ライフ・イズ・ビューティフル』は主人公が幸せな家庭を築くまでを映画前半の時間を使ってハートフルに細かく描いていくため、余計に後半の収容所の生活が切なくなる。
だが、『関心領域』はそうではない。虐殺や殺人はおろか、収容されている人物の一人すらこの映画には出てこない。それどころか、盛り上がりを見せるストーリーや明確な起承転結すらない。「楽しさ」や「感動」、「面白さ」といった、優れた映画に不可欠であろう要素をこの作品は放棄している。
『シンドラーのリスト』以来、最高のホロコースト映画
それでも『関心領域』は凄い作品だ。
まず圧倒されるのはオープニング。タイトルが映し出されてから、3分間スクリーンは真っ黒のまま、ただ不協和音だけが流れる。これから私達は何を観せられるのか。その不安と恐怖が黒のみを映す時間の中で緊張感として増していく。だが、それは呆気なく終わる。ヘスの家族の平和な水遊びのシーンからこの映画は始まっていく。
しかし、すぐに緊張感と重苦しさはスクリーンに復活する。ヘス一家の何気なく退屈な日常を映しながら、その背後では絶え間なく何かのエンジン音や重機の音、悲鳴、怒号、銃声が聞こえる。だが、それは小鳥のさえずりのような当たり前のものであり、家族の誰も関心を抱いていないように見える。
映画監督のスティーヴン・スピルバーグは『関心領域』について「『シンドラーのリスト』以来、最高のホロコースト映画だ。この映画は、特に凡庸な悪についての認識を高める上で、多くの良い仕事をしている」と絶賛している。
本作を監督したジョナサン・グレイザーは、 「我々が作った映画は、男とその妻を描くファミリードラマ。しかし彼はナチスのアウシュヴィッツ強制収容所の所長でもある。ここから傍観者的な虐殺というテーマが生まれたが、ある意味では我々を描いた物語でもある」と述べている。
確かにこの映画から音響を除けば、特にドラマのないホームビデオのように感じるかもしれない。
ソラ川の灰
ただ、彼らの生活もホロコーストの犠牲と密接に結びついている。
ヘスがより大量のユダヤ人を処分するための焼却炉の説明を受けているシーン、また、妻のヘートヴィヒが友人等に毛皮のコートをカナダで手に入れたと話すシーン(ここでいうカナダとは国のことではなくとは強制収容所のガス室で死亡したユダヤ人たちの荷物の格納倉庫の事だ)もそうだ。
また、ヘスと子どもたちが川で水遊びをしていると、ヘスは川の中なら遺骨を見つける。そして上流から徐々に濁った水がやってきて、ヘスは慌てて子どもたちを川から上げるシーンがある。これはなぜだろうか?
その濁った水は毒ガスで殺されたユダヤ人たちの遺灰だからだ。家に帰った子どもたちは何度も体を洗われる。
2015年に在独ジャーナリストのシュピッツナーゲル典子氏がヘスの子供の一人のインゲブリギット・へスにインタビューしたレポートがYahooニュースで公開されている。ここから、この記事ではそれも参考にしていこうと思う。
子供の頃のインゲブリギットにとっても『関心領域』で描かれる川遊びや、そこに流れてきた遺灰は70年経っても忘れられない記憶になっている。
「子供の頃の思い出といえば、家の近くにあった澄みき切ったソラ川。川岸でカエルを観察したり、兄や姉たちと一緒に戯れたり、楽しい時間を過ごした。父が休みの時は家族みんなで川沿いで乗馬やピクニックした思い出も心に残っている」
もちろん思い出を辿ると、そこには思い出したくない記憶も浮かんでくる。
「ソラ川が一気に黒くなった。強制収容所で虐殺されて火葬されたユダヤ人の灰を川に流したから」
また、ヘスには息子が二人、娘三人の子供がいたが、息子たちは毒ガス室に閉じ込める遊びをしている。幼いインゲブリギットが睡眠時遊行症になっている描写もある。その時、バルコニーからはアウシュヴィッツで遺体を焼く焼却炉からの煙や、有刺鉄線、監視ランプなどの光が見えたという。
「無意識に、そんな光景を目にした後は、またベッドに戻って眠りについた」
一番下の子供であるアンネグレットは赤ん坊だが、常に泣き叫んでいる。確実にアウシュヴィッツからの死の音は彼らの精神を蝕んでいる。
劇中でヘートヴィヒの母がヘスの家を訪れる場面がある。最初はその快適な暮らしぶりを喜ぶ母だが、夜に窓を照らす遺体を償却する炎の明かりや、鳴り止まない悲鳴や銃声に耐えきれず、黙って家を去る(こうした部分もあえて説明せずに観客の想像に全て委ねている所も凄いと思う)。
「理想の暮らし」
ある時、ヘートヴィヒはヘスからアウシュヴィッツを離れなければならなくなったと告げられる。
ヘードウィヒは今の家の暮らしを「夢のような暮らし」と言い、理想的な生活だとしてここから離れるつもりはないという。個人的にはこの映画の中で一番恐ろしいと感じた場面だ。ヘードウィヒの関心領域はあくまで家と庭、自宅の敷地内のみであり、虐殺されるユダヤ人に関しては徹底的に関心を抱かないことだ。月並みな表現だが、ゴキブリなどの害虫程度にしか思っていないのだろう。そう考えると、自分の家には決して侵入することのない虫に関心を抱くというのはそもそも難しいのかもしれない。
監督のグレイザーがホロコーストについての映画を撮ろうと思い立ったのは『アンダー・ザ・スキン 種の捕食』が完成したときだった。
「前作を完成させた時に、本作のテーマが持ち上がった。これは私が人生のある時点で常に挑戦しようとしていたものだったと思う」
グレイザー自身もユダヤ人であり、先祖はロシア・キシネフでの大虐殺を逃れて20世紀初頭にイギリスにやってきたというルーツを持つ。
『関心領域』映画化まで
原作はマーティン・エイミスが2014年に出版した同名小説だ。小説では物語は、将校のアンジェラス・トムセン、アウシュヴィッツ所長のポール・ドール、ユダヤ人ゾンダーコマンドのシュムル・ザカリアスの三人の架空の人物となる語り手によって語られ、ポール・ドールが自身の妻を囚人に殺させようとする話もあり、物語性も高い。
だが映画化にあたっては大きな改変が加えられている。架空の名前であった収容所の所長夫妻の名前を映画では実在の人物であるルドルフ・ヘスとその妻のヘートヴィヒに置き換えており、かつその暮らしも実際の暮らしに近いものだ。
「原作を読むまでは、この映画の視点について考えたことはなかった。そして物語の片隅に記されていたルドルフ・ヘスと妻のヘートヴィヒについて、彼らがアウシュヴィッツでどのように暮らしていたかについてを調べ始めた」
グレイザーはアウシュヴィッツについて徹底的に調べたという。
「脚本を書き始める前に、2年間調査した。映画のスタッフにはアウシュビッツ=ビルケナウ博物館の研究者にも参加してもらった。彼らの仕事は、被害者や生存者の何千、何万もの証言である『黒い帳簿』をすべて調べることだった」
そしてヘスとその家族についても細かく情報を集めていった。『関心領域』の劇中でルドルフの転勤についてヘートヴィヒが激怒するという、本作の骨子の部分も実際の証言の中から発見されたエピソードだ。
「アウシュヴィッツについて調べているうちに、私たちはヘス一家という実在の家族を発見した。彼らの庭の写真も見た。水遊び用のプールに入ったり、芝生の上でおもちゃで遊んだりする子供たち」
それが啓示だったとグレイザーは言う。プロデューサーの意見もあり、映画はヘスと家族の日常を淡々と映し出す。
ちなみに撮影にあたっては実際のレスの家は保存状態も悪く、なおかつ世界遺産に登録されているなどの事情から、収容所近くの廃屋をリノベーションして撮影に用いたという。
そこではカメラが定位置に多く仕組まれており、俳優たちはカメラを意識せずに役を演じることができるようになっている。また照明もすべて自然光にこだわり、それぞれの人物の内面を彩るような見せ方にはしていない。
それらも全て、ヘスや家族については映画が主観的なイメージを打ち出すのではなく、観客自身にフラットな状態で考えさせるためだ。
例えば、いい父であるはずのヘスがアウシュヴィッツ強制収容所へつながる地下通路に召使いを呼び出し、セックスする場面がある(ちなみに彼女はユダヤ人であることを示唆するような場面があるものの、実際はエホバの証人の収容者だという)。
また、映画のエンディングではヘスが一人で嘔吐する場面もある。
そして、唐突に現在のアウシュヴィッツ強制収容所の様子が描かれる。現在のアウシュヴィッツ強制収容所はホロコーストの資料館として収容者達の遺物や写真が展示してある。改めて、ナチス・ドイツが行ったホロコーストが映画の話ではなく現実のことなのだと我々に突きつけられたようにも感じる。
そして、映像は再びヘスを映す。
ルドルフ・ヘスの実体とは?
『関心領域』はヘスを善人とも悪人とも断定はしていない。その判断は観客に委ねられている。
例えば、ユダヤ人の「大量処分」方法を思いついたヘスは自著にその時の気持ちをこう書いている。
「アイヒマンも私も、こうした未知の大量殺害の方法が思いつかずにいた。ガスを用いることは決まっていたが、そのガスの種類と方法をどうするかは決まっていなかった。だが、今我々はそのガスと方法をも発見した」
一方で、回顧録には次のような言葉もある。
1941年8月にヘスがヒムラーからアウシュヴィッツをユダヤ人抹殺センターに改築せよとの命令を受けた時のものだ。
「この命令には、何か異常な物、途方もない物があった。しかし命令という事が、この虐殺の措置を、私に正しい物と思わせた。当時、私はそれに何らかの熟慮を向けようとはしなかった。私は命令を受けた。だから実行しなければならなかった」
娘のインゲブリギットに宛てた手紙にはこのような言葉も残している。
「ヒムラーに会って、『自分の任務は自分に適していない、遂行できない』と訴えるべきだった」
「ユダヤ人を殺害することは間違いだった。大きな間違いだった。大量虐殺でドイツは世界中から嫌われてしまった」
インゲブリギットもまた父の立場を慮っている。
「父は家族を守るために命令を遂行した。『国家命令・ヒトラーの命令に背けば、家族や親族全員が殺害される』。そんなしがらみの中で父は一体どう対応したらよかったというのか」
「思考を放棄すると、平凡な人間でも残虐行為に走る」
戦後、ヘスの家族は捕らえられ、長男はヘスの居場所を見つけるために連合軍に激しい拷問を受けたという。ルドルフ・レスだけは逃げ続けていたが、妻は耐えきれなくなりヘスの居場所を明かし、ヘスは逮捕される。
1946年5月25日、ヘスはワルシャワへ移送され、ポーランド政府に身柄を引き渡された。そこで裁判にかけられ、1947年4月2日に死刑を宣告された。1947年4月16日、ヘスはアウシュヴィッツで絞首刑に執行された。
ヘスの罪状は殺人罪だ。またヘスにユダヤ人の虐殺を命じたアドルフ・アイヒマンも1960年に南米でモサドにより拘束されている。自らも収容所に収容された経験を持つ哲学者のハンナ・アーレントはアイヒマンの裁判を傍聴し、「思考を放棄すると、平凡な人間でも残虐行為に走る」という言葉を残している(ハンナ・アーレントとアイヒマンに関しては2012年に公開された『ハンナ・アーレント』に詳しい)。
ハンナ・アーレントの言葉は現在にも通じる警鐘を鳴らしているように思う。
グレイザーは『関心領域』における作り手の思いをこう語る。
「私たち作り手の選択はすべて、“今”を映し出し、対峙するためにしたものだ。『あの時彼らが何をしたのかを見ろ』と言うためではなく、『いま私たちが何をしているのかを見ろ』と言うためのものだ」
現在にも消えない「関心領域」
ここで1つの作品を紹介したい。『帰ってきたヒトラー』という作品だ。今作は今もまだ私たちの心に「関心領域」があることを示す好例だ。
『帰ってきたヒトラー』は1945年自殺を試みたヒトラーが死なずに現代(2015年)のドイツにタイムスリップしてしまうというブラック・コメディ。だが、本当の見どころはヒトラーが町中を出歩き、広く人々からの意見を求める場面だ。
実はこのシーンは台本もないゲリラ撮影。市民も実際にそこで暮らしている一般人だ。
監督は万が一に備えてヒトラーを演じた、オリヴァー・マスッチの周りにボディーガードを配置していたらしいが、 マスッチ が襲われることはなく、逆にスターのように扱われたという。
「移民をどうにかしてほしい、彼らのせいで職が奪われている」
「ヒトラー万歳!」
皆、口々にヒトラーへの期待を口にする。
本編ではカットされているが、マスッチ演じるヒトラーが「強制収容所」をまた作るか?との問いに「いいね!」とさえ答えた市民もいたそうだ。
監督のデヴィッド・ヴェンドもこう述べている。
「そもそもユダヤ人の迫害を可能にしたのはドイツ国民だ。進んでヒトラーに投票する民衆がいなければ、彼が政権を握ることはなかったはず」
ユダヤ人を迫害したのはナチス・ドイツが初めてではない。ユダヤ人はホロコーストの前から差別され続けてきた。もちろん、そこにはある程度の理由もあるのだろう。だが、その空気がホロコーストに結びついたのではないか。ナチス・ドイツ政権当時であっても、ホロコーストの事実を知っていれば、ドイツ国民はユダヤ人虐殺に反対しただろう。『顔のないヒトラーたち』では戦後、ホロコーストの事実をほとんどのドイツ人が知らなかったという事実が明かされる。
アレクサンドラのリンゴ
『関心領域』では、夜毎にアウシュヴィッツ強制収容所に忍び込み、囚人のためにリンゴを埋めていく少女が映し出される。彼女グレイザーが本作の準備として取材活動していた時に出会った90代の女性の若い頃がモデルになっているという。
彼女はそこで偶然にある楽譜を拾う。それを持ち帰り、自宅のピアノで弾く時にヨセフ・ウルフの詩が重ねられる。
「ここに収容された我々は覚醒めている、夜の星空のように。
魂には火がともっている、燃え盛る太陽のように。
痛みに引き裂かれながら、近いうちに旗を振るために、まだ見ぬ自由の旗を」
ヨセフ・ウルフは実際にアウシュヴィッツ収容所に収監されていた。
先にも紹介ように、ジョナサン・グレイザーは本作につい「我々が作った映画は、男とその妻を描くファミリードラマ」と述べている。この言葉には続きがある。
「この物語に自分自身の姿を見出すか、自分自身を見ようとするか、しかし我々が最も恐れているのは、自分たちが彼らになってしまうかもしれないということです。彼らも人間だったのですから」
ルドルフ・ヘスは次のような言葉を残している。
「世間の人たちは私を大量殺人を手がけた冷酷で残忍なサディスト、血に飢えた獣と見なすだろう。アウシュヴィッツの所長と聞いて、そう想像するのも仕方がないことだ。だが、彼らは私が1人の人間として心を持ち、悪人ではなかったということは決して理解できないだろう」
その時代の空気の中や、人間関係、環境の中でも個の正義を貫くことは難しい。だが、それでも考え行動することが人間性を保つ勇気ではないだろうか。
『関心領域』は80年前のアウシュヴィッツにリンゴを埋めた少女、アレクサンドラ・ビストロン・コロジエイジチェックに捧げられている。