
マイケル・ジャクソンの死
マイケル・ジャクソンが亡くなった日のことは今でもよく覚えている。誰もがその名を知るスーパースターの突然の死。私は当時大学生だった。バイト先のスーパーのおばちゃんにそのことを伝えると、「!?ウソでしょ?!」としばし絶句していた。おそらくは、若い頃にマイケル・ジャクソンの圧倒的な人気をリアルタイムで体験していたのだろう。
私にとって、ミュージシャンとしてのマイケル・ジャクソンは「過去の人」だった。スーパースターとしてよりも高校生の頃にニュースを騒がせた「マイケル・ジャクソン裁判」の印象が強い。
批判を覚悟の上で言うが、あの当時、ほとんどの日本人がマイケル・ジャクソンは有罪だと思っていたはずだ。少なくとも、スーパースターを犯罪者に引きずり落とす「娯楽」をほとんどの人は楽しみながら見ていただろう。もちろん、私もその一人た。
ゴリケル・ジャクソンの真実
当時、『ワンナイR&R』というお笑い番組で、DonDokoDonの山口智充と、ガレッジセールのゴリ、元雨上がり決死隊の宮迫博之が中心となって『ゴリケル・ジャクソンの真実』という、マイケル・ジャクソンのゴシップを元にしたコントが放送されていた。
内容を簡単に言えば、山口智充扮する、グッチー・バシールはマーティン・バシールをイメージしたキャラクターが、スーパーすたーであるゴリケル・ジャクソン(もちろんマイケル・ジャクソンをイメージしている)の疑惑について追及していくものだ。さすがに性的虐待疑惑が出てくることはないが、グッチー・バシールが主に指摘するのはゴリケルの整形疑惑、特に鼻についてだ。もちろんゴリケルの鼻はコント用の付け鼻だが、それがアクシデントで外れてしまったことをきっかけに、あえて鼻を外し、笑いを取っていくというスタイルに変化したと記憶している。
さて、このコントでは、グッチー・バシールが常識人であり、ゴリケルは屁理屈でも息子のプリンスや自身への疑惑を否定するという役回りだった。今のご時世、恐らくコンプライアンス的に制作できないコントだと思うが、当時は許されていた。ほとんどの人がマイケル・ジャクソンは有罪だと思っていたからだ。その空気がなければ成立しないコントだったのた。
ところがどうだろう、マイケル・ジャクソンが亡くなった途端、彼は一瞬にして悪魔から神へとなった。マイケルに関するゴシップを好き放題流していたメディアは、マイケルを聖人のごとく褒めそやした。いきなり多くの著名人が「マイケル・ジャクソンは憧れだった」と言い出した。本当にそうなら、生きていたときにゴシップに対して「マイケルはそんな人ではない」と一言言えなかったのか。
私は当時21歳だったが、この世間のあまりの変節を白々しい思いで見ていた。だが、ミュージシャンとしてのマイケル・ジャクソンの姿がテレビなどで映し出される度に、徐々にその稀代の才能に圧倒されるようになってきた。
ボーカリストとして、パフォーマーとして、ダンサーとして、文句なく一流だった。もちろん、本人の超人的な努力はあるだろうが、よくも神様はこれだけの才能を一人の人間に集約させたものだ。
『THIS IS IT』
この流れで今回紹介したいのは、マイケル・ジャクソンの最晩年を映したドキュメンタリー映画『THIS IS IT』だ。
マイケル・ジャクソンの不世出のエンターテイナーとしての姿と、一方でマイケルを蝕んでいたものについても考察していきたい。
「10時間かけて、オーディションを受けに来た」
『THIS IS IT』のオープニングでは、以下に若い出演者たちにとってもマイケル・ジャクソンが特別な存在であるのかを見せつけられる。「キング・オブ・ポップ」とマイケル・ジャクソンは呼ばれるが、『THIS IS IT』ではその裏側のマイケル・ジャクソンの真実の姿が映し出される。それは一人の卓越したパフォーマーとしての姿であり、音楽を究めようとする姿だ。テンポや小節の流さ、その微妙な違いを鋭敏に感じ取り、一流のミュージシャンに指示を出していく。その様子はスーパースターというマイケル・ジャクソンのイメージとは個人的には少し違って見えた。ここまで細かく一つ一つを把握しているとは想像していなかった。
また、ミュージシャンを見つけ出す才覚、嗅覚の鋭さにも驚かされる。『THIS IS IT』が公開されて最も脚光を浴びたのはギタリストのオリアンティだが、マイケル・ジャクソンはこれまでにもスラッシュやエディ・ヴァン・ヘイレン、スティーヴ・ルカサーなど、ハードロック出身の今や伝説と呼べるギタリストをその都度起用している。
パフォーマンスに関しては一流のダンサーと並んでも全く引けを取らないどころか、リズムと体が高度にシンクロしているような印象さえ受けた。恐らくマイケル・ジャクソンがそのショーの中で一番魅せたかった部分は歌ではなくダンスであり、そのために演出が存在していたのだと思う。マイケル・ジャクソンは1990年代からはコンサートでは口パクを利用する事も増えてきていたと言われる。そのため、『THIS IS IT』で流れるマイケル・ジャクソンの歌声が本当にマイケルがその場で歌っていたものかどうかはわからない。
だが、時折フェイクで聞くような澄み切った高音がもし生の歌声であれば、マイケル・ジャクソン自身も日常的に相当努力していたことがうかがえる。ボーカリストが年を取って声が出なくなるのは、喉の筋肉が落ちるからだ。
マイケル・ジャクソンがボーカリストとしても、変わらぬ技量を維持していたのならば、スキャンダルとゴシップの洪水のような日々の中でも、ミュージシャンとしての自分を人知れず保ち続けていたことがわかるのだ。
マイケル・ジャクソンは誰に殺されたのか?
マイケル・ジャクソンは最後のツアー『THIS IS IT』の開幕を待たずにこの世を去ってしまう。
公式な死因は当時のマイケルが雇っていた医者によるプロポフォールの大量の投与だが、そこには計り知れないほどの苦悩や悩み、トラブルを常に抱えていたから故だ。その意味では、マイケルを殺したのは、彼のゴシップを娯楽として消費した私たちかもしれない。
マイケルにはとんでもない資産があったが、どんな人物でも、人間一人が支払える「有名税」には限りがあるのかもしれない。今でも死によって汚名が消え、「列聖」されたスターは大勢いるが、マイケル・ジャクソンもその一人かと思うと、どうにもやりきれなさが残るのである。