『トイ・ストーリー3』おもちゃたちの地獄めぐり

※以下の考察・解説には映画の結末のネタバレが含まれています


もともと『トイ・ストーリー』にはそこまで思い入れがあったわけではなかった。日本公開が1996年だから、初めて観たのは恐らく10歳ごろ。母親に連れられて行った美容院のテレビだったと思う。
当時の私はゴジラ映画を卒業しかけていて、『エイリアン』シリーズにハマりかけていた。
確かに『トイ・ストーリー』は面白かったが、どこかで「子供向けの映画」と捉えてしまってもいた。

関連記事

これを書いている2026年は『トイ・ストーリー』日本公開30周年だという。アメリカで『トイ・ストーリー』が公開されたのは1995年だが、日本では翌年の1996年に公開されたのだ。2026年には『トイ・ストーリー5』が公開された。[…]

それが変わったのは2012年。テレビで『トイ・ストーリー3』をたまたま観た。図らずも号泣してしまった。
人は誰も大人になる。一つ一つ世の中の仕組みを知れば子供のままで生きていくことはできない。アンディは『トイ・ストーリー3』で大学生になるが、私も学生という「子供時代」を捨て、社会人にならねばならなかった。恐らく私が泣いてしまったのはウッディやバズ・ライトイヤーたちのおもちゃとの別れが悲しかったのではないと今ならわかる。アンディのおもちゃ達は、私にとっての「子供時代」なのだ。
純粋で何にでもなれると信じていた、無邪気さと可能性に溢れた時代と別れなければならないことが切なく、止めどなく私の琴線を鳴らし続けた。
以来、『トイ・ストーリー』シリーズの大ファンだ。

『トイ・ストーリー3』

『トイ・ストーリー3』の舞台は前作から数年後。アンディは大学進学を間近に控え、おもちゃたちは箱のなかに追いやられ、もはや遊ばれることはなくなっている。前作のラストで「また、新しい家族ができた!」と、喜んでいたジェシーとブルズアイだが、今作では再び箱の中に追いやられる瀬戸際まできている。

『トイ・ストーリー』の生みの親であるジョン・ラスターはおもちゃの在り方について以下のように述べている。

「実際におもちゃたちが生きていれば、心があれば、子供たちと遊びたいという気持ちを持っているはずだ。ところが、レアもの、コレクターの方が集めているようなレアなおもちゃであれば、棚に飾られたりガラスケースの中に入れられ、一生、子供たちに遊んでもらえないし、触ってももらえないと思う。果たして、それはおもちゃにとってどういう人生なんだろうと思った」

この考えは『トイ・ストーリー2』の元になった。
カウガール人形のジェシーはかつてエミリーという子供の宝物であったが、エミリーは次第に成長し、おもちゃから関心が離れていく。いつしかジェシーはベッドの下で何年も忘れ去られ、そして、ある日、不要品として寄付に出されてしまう。

関連記事

『トイ・ストーリー』の解説で、『トイ・ストーリー』のルーツには日本にある「ブリキのおもちゃ博物館」の存在があると書いた。[sitecard subtitle=関連記事 url=https://blackmaria-never[…]

『トイ・ストーリー3』は、この子供の成長と、おもちゃとの別れについて真正面から向き合っている。

屋根裏からサニーサイドへ

アンディは大学にはウッディだけを連れて行くことに決め、他のおもちゃたちは屋根裏へしまうことにする。
しかし、アンディがおもちゃたちを一時的にゴミ袋に入れていたせいで、アンディの母がゴミと勘違いして捨ててしまう。なんとかゴミ収集車に回収されるまえに逃げ延びたおもちゃたちは、アンディに捨てられたと勘違いし、アンディの母の車に積んであったサニーサイド幼稚園へ寄付する段ボールへ乗り込む。
必死で仲間を追いかけてきたウッディは、ジェシーをはじめとするおもちゃになんとか誤解を解こうとするも、彼らは自分ちはアンディに捨てられたと言い張り、サニーサイドを新たな居場所として、意気揚々と乗り込む。

ロッツォの恐怖支配

一見、楽園のように思えたサニーサイド幼稚園だったが、サニーサイドのリーダー、ロッツォによって、バズら新入りのおもちゃは乳幼児のクラスである「いもむし組」に配属されることになる。「いもむし」の子供は悪人ではないが、まだ幼すぎて、おもちゃの正しい遊び方を理解できない。ボロボロに酷使されたバズ達おもちゃは、ロッツォに教室を変えてくれるように頼む。
しかし、ロッツォはそれを拒み、反抗してきたジェシーらを牢に入れる。実はサニーサイドはロッツォの支配下にあり、彼の恐怖政治によって運営されていたのだ。ロッツォはバズの設定を初期化し、部下として使役する。

一方のウッディは、アンディの元に帰るために、早々とサニーサイドから脱出していた。だが、ひょんなことから、サニーサイドの幼稚園生、ボニーに拾われることになる。ボニーの自宅で久しぶりに「遊んでもらう感覚」に浸るが、ボニーのおもちゃ達からサニーサイドの真実を知る。

サニーサイドの真実

かつて、ロッツォは一人の少女から非常に大切にされていた。だが、ある日のお出かけの際に、ロッツォはほかのおもちゃたちとともに忘れられ、置いてけぼりにされた。
取り残されたロッツォとおもちゃたちは、なんとか少女の家までたどり着くが、そこで見たのはすでに、その少女がすでに新しい「ロッツォ」を手に入れて、可愛がっている姿だった。
ロッツォはこのことから「おもちゃはいずれ捨てられるゴミだ」と悟り、特定の持ち主を持たず、ほかのおもちゃを支配するような冷徹な性格へと変わっていった。

サニーサイド幼稚園の真実を知ったウッディは、仲間を救うために、再び幼稚園へと戻っていく。

だが、当初のストーリー案では公開版とは全く異なるアイデアが採用されていた。

バズの死

当初の案では、バズが故障し、死の危機に瀕するという内容だった。

ウッディらおもちゃと日常を過ごしていたバズだが、たびたび機能に不具合が起きるようになる。ウッディやジェシーはその原因がバズの内蔵チップにあると考え、バズの意思に反しても、台湾のおもちゃ修理工場へ送る。バズはそこで、かつては持ち主に愛されていたが、今は捨てられたおもちゃたちと出会う。

一方でバズの不具合は同型のおもちゃの多くで発生していることが明らかになる。おもちゃは修理されるのではなく、リコール対象として回収され、子供達には新品を送る一方で、回収されたバズ・ライトイヤーは破棄されている事が判明する。
それを知ったウッディやジェシーらおもちゃたちはバズの救出へ向かう。

この物語の結末は、粉砕機に脚を砕かれたバズが、ウッディの助けによって新たな脚と内蔵チップを取り付けられる。
脚を砕かれたことで気絶していたバズは、なんとか一命は取り留めるものの、記憶を無くしてしまう。
それでも最後にはウッディやジェシーら他のおもちゃとともにアンディの家へと生還するという物語だった。

結局この案は廃棄され、現在の公開版の物語が採用されたわけだが、この2つには共通点もある。

それが、おもちゃがゴミとして処分されるという点だ。

ウッディの救出劇

サニーサイド幼稚園へ舞い戻ったウッディは仲間と再会を果たし、彼らと共にサニーサイドを脱出するが、成功を目前にしてロッツォとその仲間たちに見つかってしまう。
だが、ロッツォの過去の真実をウッディが暴露したことにより、ロッツォは手下に裏切られ、ゴミ収集車に回収される。ウッディもまたロッツォの巻き添えを食うかたちでゴミ収集車の中へ紛れ込んでしまう。ジェシーやバズもウッディを助けにゴミ収集車へ乗り込むが、収集車はゴミ処理場にゴミを廃棄。ウッディらは巨大な焼却炉に飲み込まれまいと焼却場へ向かうベルトコンベアを必死に走るが、ロッツォの裏切りもあり、焼却炉の層に落ちてしまう。

おもちゃたちの地獄めぐり

本作はイタリアの詩人であるダンテの代表作『神曲』に例えられることもある。『神曲』では、愛する女性ベアトリーテェを失ったダンテが深い悲しみの末に森の中で目覚めるところから始まる。古代ローマの詩人ウェルギリウスに連れられて、ダンテは死後の世界を地獄、煉獄、天国と順に巡っていき、世界の真実を見つけようとする。
『トイ・ストーリー3』は言わば『神曲』の「地獄篇」だ。
ベアトリーチェの立場はそのままアンディに当てはまるだろう。アンディの成長は、ベアトリーチェの死に匹敵する。もはや遊ばれなくなったおもちゃたちの日々こそ地獄の一歩目だ。その後もサニーサイドの子どもたちからの乱暴な取り扱い、ロッツォによる監禁、ゴミ処理場での命の危機。ここまで多くの危機を描いたのはシリーズ中でも群を抜いている。

 

あわや焼却炉の炎に飲み込まれるかという刹那、グリーンマン達がクレーンを操作しウッディらを救出する(この場面はもともとグリーンマンがクレーンゲームの景品として運ばれる存在だったことと対を成している)。
辛くも焼却場を脱出したウッディらは、アンディの家に戻る。だが、屋根裏に仕舞われる運命の他のおもちゃたちのこれからを思い、ウッディはその段ボールにある名前を書く。そして自分自身も大学行きの荷物の中から、仲間たちのいる段ボール箱に入り込む。

そして、その段ボールに書かれた名前を見たアンディはある決断をする。

後日、アンディはボニーの家を訪れる。

「君はおもちゃを大事にする子だって聞いてね」

そうやって、アンディはおもちゃを一つ一つ手にとって紹介し、ボニーに手渡す。
全てのおもちゃを手渡したその後、ボニーは段ボールの中に最後の一つを見つける。

「あっ、私のカウボーイ」

そこにはウッディの姿があった。

「どうしてここにあるんだ?」

訝しがるアンディをよそにボニーはウッディに手を伸ばす。それに気づいたアンディが反射的に手を引っ込めるのが切ない。どれほどウッディを大事にしているのかがわかるシーンだ。
だが、ウッディの表情を見て、アンディは気持ちを決める。

「ウッディは覚えてないくらい昔からの友達なんだ。
強いカウボーイで勇気があるんだ。優しいし、賢いし、でもウッディの一番すごいところは、友達を見捨てないってとこ。
何があってもそばにいてくれるんだ」

「ウッディとも遊んでくれるかい?」そう言ってアンディはボニーにウッディを託す。

なぜウッディはアンディを選ばなかったのか

なぜウッディはアンディと共に行くことをしなかったのか。
『トイ・ストーリー3』では、おもちゃだけでなく、人間側のドラマも描かれる。それまでは人間側の登場人物はアンディやシド、アルなどおもちゃに直接関わる人物以外は顔は極力映さないようにされていた。
だが、本作ではアンディの母の顔も同じよように映されている。アンディの母もストーリーの上で重要な役割を負っているからだ。

アンディがいよいよ引っ越す日、母はアンディと別れのハグを交わす。
その様子を見ていたウッディは、別れは誰にでも必然であること、そして、おもちゃにとっての本当の幸せとは、アンディとともにいることや、ましてや屋根裏ではなく、子どもたちを幸せにすることだと気づく。

それはダンテの『神曲』の最終章「天国篇」でベアトリーチェと再会したダンテがベアトリーチェそのものではなく、彼女から教わったものを胸に、再び現世を生きる勇気を得たように。

ダンテがベアトリーチェから教わったもの、それは「愛」がすべての源にあることだ。
ウッディも地獄めぐりの果てに「愛」を見つける。

「あばよ、相棒」

ウッディは去り行くアンディのクルマにそう声をかける。

 

最新情報をチェックしよう!
NO IMAGE

BLACK MARIA NEVER SLEEPS.

【見ればもう一度観たくなる】
そんな映画解説レビューサイト。

「あの映画にこんな意味が?」
ただ観るだけではもったいない!考察・裏側含めて解説しています。

CTR IMG