本当の悪は誰か?『映画ちいかわ』と『七人の侍』の関連性

※以下の考察・解説には映画の結末のネタバレが含まれています


映画ちいかわ 人魚の島のひみつ』が興行収入100億円を超えようとしている。もはや子供向けとは言えない、全世代を巻き込んだ社会現象にすらなりつつある作品だと思う(すでにそうなっているかもしれないが)。
さて、この『映画ちいかわ』だが、確かに作品自体も子供向けとは言い難い部分がある。分かりやすい勧善懲悪の世界観ではないからだ。その点で子供よりむしろ大人の方が活発に考察や私見をSNSなどで発信しているのは当然のことかもしれない。

『映画ちいかわ 人魚の島のひみつ』

映画ちいかわ 人魚の島のひみつ』の内容を簡単に紹介すると、「報酬100倍のカンタンな討伐と島の名物が無料」というチラシに惹かれたちいかわたちが、ある島を訪れる。そこではヒトハやフタバをはじめとする島の住民から歓待を受けるが、一方で自分たちの何倍もの大きさの人魚「セイレーン」が、仲間を殺された復讐として、島民を襲い、食い殺すという惨事が発生していた。
ちいかわたちはひょんなことからそうとは知らずにセイレーンと知り合うが、島民たちはちいかわたちにセイレーン討伐を任せてしまう。ちいかわたちを敵とみなしたセイレーンは、ちいかわの仲間を捕らえ、歌声で島の植物を操り、ちいかわたちに襲いかかる。

本当の悪役

だが、本作のヴィランはセイレーンでいいのだろうか?物語の大筋は確かにセイレーンをどう倒すかなのだが、本来見るべき部分が、大筋の影に巧みに隠されているように思う。個人的には『映画ちいかわ 人魚の島のひみつ』における本当の悪役は島民たちだ。言っておくが、人魚を殺したヒトハだけを指しているのではない。ちいかわたちを招き、歓待した島民そのものが本当の「悪」だったのではないか。自分たちの生活を脅かす外敵を退けるために、自分たちは戦うことなく、外部の人間(ちいかわたちは人間ではないけれど)に助けを求める。あなたはこれと同じような内容の名作映画を思い出せただろうか?

『七人の侍』との関連

その作品とは黒澤明監督の『七人の侍』だ。日本が世界に大きな影響を与えた数少ない映画の一つであり、映画史に輝くマスターピースでもある。
話の舞台は戦国時代末期、とある村の百姓たちは、毎年村を襲う野武士たちを退治するために、侍を雇おうとする。
だが、この農民たちは一般にイメージされるような、か弱く純粋な存在ではない。むしろ侍以上にしたたかな存在でもある。

三船敏郎演じる菊千代は侍の身分ではなく、実は農家の出身だった。だからこそ、菊千代は農民のリアルを知っている。

「いったい、百姓を何だと思ってたんだ?仏様とでも思ってたか、ああ?笑わしちゃいけねえや!百姓ぐらい悪ずれした生き物はねえんだぜ!」

そして菊千代はこう続ける。

「米出せって言や、ねえ。麦出せって言や、ねえ。何もかもねえって言うんだ。ところがあるんだ。何だってあるんだ。床板ひっぺがして掘ってみな。そこになかったら納屋の隅だ。出てくる出てくる。瓶に入った米、塩、豆、酒。
山と山の間へ行ってみろ。そこにゃ隠し田だ。正直面して、ペコペコ頭下げて、うそをつく。何でもごまかす。どっかに戦でもありゃ、すぐ竹槍作って落ち武者狩りだい!
よく聞きな!百姓ってのはなあ、けちんぼで、ずるくて、泣き虫で、意地悪で、間抜けで、人殺しだ!ちくしょう!おかしくって涙が出らあ!」

実はこの菊千代の台詞そのものが『映画ちいかわ』のテーマとぴったり重なってくる。この台詞は次のように続く。

「だがな、こんなケダモノ作りやがったのは、一体誰だ?おめえたちだよ!侍だってんだよ!戦のためには、村焼く、田畑踏んつぶす!食い物は取り上げる!人夫にはこき使う!女あさる!手向かや殺す!一体百姓はどうすりゃいいんだ!百姓はどうすりゃいいんだよ!」

映画ちいかわ 人魚の島のひみつ』もまた、復讐という終わらない負の連鎖が描かれている。以下は一連の流れを事件の真相を交えて書き記したものだ。

まず、セイレーンが不注意でフタバに瀕死の重傷を(そうとは気付かず)負わせてしまう。フタバの回復を望むヒトハは、セイレーンの仲間の人魚を殺し、その肉(人魚の肉には不老不死の効能があるとされている)をフタバに与える。
回復したフタバは不老不死になったことに愕然とし、ヒトハにも肉を食べさせて不老不死の道連れにする。そして、人魚を殺されたセイレーンは、島民を襲うようになるという流れだ。

これだけ見ると、セイレーンに襲われる島民は巻き添えを食っただけかもしれない。
だが、自分たちの手を汚さず、危険な討伐をちいかわたちに押しつける島民たちをよもや善人とも言えない。さらに言うと「報酬100倍」も誇大広告であり、実際にはそれを支払う財源もなく、無料の島の名物が「報酬100倍」のことだと説明する有り様だ。
映画ではセイレーン退治には一応成功するものの、もしちいかわたちがセイレーン退治に失敗していたらどうだろうか。どうしても島民たちがちいかわらを悼み、涙を流して祈り、喪に服すとは思えない。またチラシに釣られた「愚か者」を討伐隊としてセイレーンの生贄とするのではないか。そう思えてならないのだ。

『七人の侍』では、農民に雇われた侍たちは菊千代をはじめとして半分以上が野武士との戦いで命を落とす。
ラストシーン、志村喬演じる勘兵衛は生き残った侍の一人としてこう呟く。

「今度もまた、負け戦だったな。
勝ったのはあの百姓たちだ、わしたちではない」

そう考えると、『映画ちいかわ 人魚の島のひみつ』はちいかわの物語ではなく、島民たちの物語だ。
なんとなくのハッピーエンドに騙されそうになるが、島は何も変わらず、また困難があれば、誰かを生贄に捧げるだろう。
エンドロール後のエンディングでは、復讐もまだ続くことが示唆されている。

悪は消えずに構造を変えていつまでも続いていく。『映画ちいかわ 人魚の島のひみつ』そんな現実を隠し味のスパイスのように含んでいるのだ。それこそがこれだけの大ヒットの秘密かもしれない。

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BLACK MARIA NEVER SLEEPS.

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