
ホラー映画はあまり得意ではない。それどころか苦手だ。だが、ホラー映画というジャンルに興味がないわけではない。
むしろ、表現という意味では、ホラー映画の方が一般の作品に比べて許容範囲が広いと感じるし、その中にはとても無視できないものも煌めいている。
今回はその中でも少しアダルトな内容でいってみよう。
なぜホラー映画ではセックスした女性が殺されるのかということだ。
ホラー映画はなぜセックスした女性が殺されるのか?
このテーマのきっかけはホラー映画における「ファイナルガール」について書いていた時だ。本来は傍論であったこのテーマがどうしても頭から離れなくなった。
考えれば考えるほど、一筋縄ではいかない複雑さに興味深くなってしまったのだ。
『エルム街の悪夢』や『ハロウィン』など、セックスした女性が殺される展開はホラー映画あるあると言っていいものだが、今回はその代表格として1981年に公開された『13日の金曜日』シリーズを例にとりたい。
ホラー映画の代表的なアイコン『13日の金曜日』と言えば、なんと言ってもジェイソンだ。年に何度か13日が金曜日になる月はあるが、その日はSNSのタイムラインにもジェイソンは多く登場している。今でもそうかはわからないが、ジェイソ[…]
『13日の金曜日』はジェイソンで有名なホラーシリーズだが、第一作目の『13日の金曜日』にはジェイソンはほとんど登場しない。本作の殺人鬼はジェイソンの母親であるパメラであり、幼いジェイソンはキャンプ場で、子供たちにいじめられて溺死したという設定になっている。
ジェイソンが死に至ったのは、キャンプ場の指導員がセックスしていて、溺れているジェイソンに気づかなかったことも大きい。
だから息子を失ったパメラは、キャンプ場を訪れた若者、特にセックスする者たちを殺す。

『13日の金曜日』より。このあと、やはり2人とも惨殺される
『13日の金曜日』は「なぜセックスする女性は殺されるのか」という疑問に独自の答えを用意している。
続編では実はジェイソンはキャンプ場でこっそりと生きていたという設定になり、シリーズを重ねるごとに一般にイメージされる「ジェイソン」の姿へ近づくが、それと同時にセックスと殺される女性もまた定番化していく。本シリーズにおいては、セックスしたものが殺されるのはジェイソン自身の過去の恨みとも受け取れるが、もちろんそんなものは綺麗事の後付けだろう。
なぜポルノがホラーと結びつくのか?
ホラー映画とポルノがいつ接近したかはわからないが、『13日の金曜日』が大きな影響を受けた1971年の映画『血みどろの入江』もまたホラーの中にセックスを描いた作品である。

『血みどろの入江』から。やはりセックスした若者は殺される運命にある
もちろん、それらの描写が男性の劣情を誘うためであるのは言うまでもない。だが、なぜポルノがホラーと結びつくのか?ポルノならポルノ映画というジャンルもあるではないか。
おそらく、ホラー映画がポルノを取り込んだのだろう。
ホラー映画は比較的低予算でも成立させることができる映画ジャンルだ。そのため、処女作や初期作がホラー映画だという映画監督も少なくない。だが、低予算ゆえにそれらのホラーに集客力のあるビッグネームの俳優は使えない。そんな中でいかにして客を集めるかという一つの答えがセックスやヌードなどのセクシャルなシーンを取り入れることだったのだろう(1950年代を中心に低予算映画を撮りまくったロジャー・コーマンは、映画の中に必ずお色気シーンを入れることを指示していたという)。
加えて、1950年代から1960年代にかけてはまだヘイズコードも残っていたはずだ。
ヘイズコードとは、戦前にキリスト教団体からの要請を受けて、映画業界が過激な表現に対してかけた自主規制のことだ。その中には当然性的なシーンも含まれる。
しかし、マイナーでインデペンデントな映画はヘイズコードの影響からは外れていた。つまり、性的なシーンを取り入れられるのは低予算なマイナー映画しかなかったとも言えるのだ。
さて、ここまではなぜホラー映画にはセックスシーンが多いのかを考察してきた。
だが、ここからが本題だ。なぜセックスした女性は殺されるのか。
私的な考えを述べさせてもらうと、それは恐らく「色欲」に対する「罰」でだと思う。
「色欲」と「罰」
キリスト教において、色欲は七つの大罪の一つを構成する罪である。
一方、ホラー映画で生き残る「ファイナルガール」は処女もしくは性的な描写がほとんどないことも多く、言ってしまえば「処女性の勝利」と呼べなくもない。当然そこには聖母マリアのイメージも重なる。
スプラッター映画が隆盛を極めた1980年代のアメリカにおいて、キリスト教保守派も大きな力を持っていたことを忘れてはならない。
1976年に大統領となったジミー・カーターは、政教分離を貫いたが、キリスト教福音派の牧師であるジェリー・ファルエルはそんなカーターに反発し、全米でも有数の規模を誇るロビー活動団体「モラル・マジョリティ」を設立し、政治への介入を強めていく。そして1980年の大統領選でカーターの対抗馬となったロナルド・レーガンを強力に後押しした。レーガンの当選は彼の後押しなしでは難しかったとも言われている。
ちなみにこれは余談だが、女子高生が遊び半分で男友達とセックスして妊娠するコメディ映画『JUNO/ジュノ』。
内容からしていかにもキリスト教保守派から反発を食らいそうな作品だが、意外にも彼らはこの映画を支持したという。なぜか。主人公のジュノが中絶を選ばなかったからだ。
キリスト教、とりわけカトリックの保守派にとって、人は受精した瞬間から人なのだという考え方がある。この考えにおいて、中絶は殺人罪と同じだ。だから一見不道徳に見えても、「産む」という決断をしたジュノは支持されたのだ。

『JUNO/ジュノ』から主役のジュノを演じたエレン・ペイジ。現在はエリオット・ペイジとして活躍中
さて、セックスしたら殺されるというホラー映画の定型は「罰」ではないかと書いたが、その過程を見ていくと罰の一言だけでは片付けられない側面も見えてくる。
『13日の金曜日』シリーズでは、しばしば視点が犯人側からのものが映し出される。

クリスタル・レイクに集う若者を見つめるアングル
これは『血みどろの入り江』も同様だ。下記がその一例だが、『13日の金曜日』がいかに『血みどろの入江』に影響を受けているかがわかるだろう。

『血みどろの入江』から。湖畔の若者を見ているという構図が酷似している。
犯人側からの視点ー。「罰」という、正義を描く一方で、これは鑑賞者のサディズムを刺激するような作りではないのか。
今作だけではない。『悪魔のいけにえ』では、レザーフェイスの恐怖に慄く女性たちの顔がこれでもかと映し出される。

『悪魔のいけにえ』でマリリン・バーンズ演じるサリーは「ファイナルガール」でもある
そこには、セックス以上に相手を支配する行為=相手の命を支配することへのサディスティックな憧れが内包されているようにも見えるのだ。宗教的正義と性欲。その2つは一見関わりのないように見えるが、実際、神父が子供へ性的虐待をするケースは古くから往々にして起きており、 2002年にはアメリカでそれらの行為が公になり社会問題化した。また、それに連動して、欧州を中心に各国のカトリック教会でも同様のことが起きていたのが明らかになる。
ホラー映画で、なぜセックスする女性たちは殺されるのか。
それは宗教的な正義でもあり、サディスティックな欲望でもあり、劣情の高まりでもある。それらが互いに絡み合って、ホラーの定番を作り上げているのだ。