ゴジラはなぜ変質していったのか?本多猪四郎と円谷英二の「ゴジラ観」の違い

 

1971年に公開された『ゴジラ対ヘドラ』は原点回帰を目指した作品だと言われる。
ここでいう原点回帰とは、社会的なメッセージを持った作品ということだ。
今回は、ゴジラがなぜ変質していったのかを考えてみたい。

ゴジラの原点

第一作目の『ゴジラ』は水爆をはじめとした核兵器のメタファーだった。『ゴジラ』の公開は1954年。その年のはじめには、第五福竜丸の被爆事故があった。アメリカがビキニ環礁で行った核実験により、その近海で操業していたマグロ漁船、「第五福竜丸」の乗組員たちが死の灰を浴びたのである。
第五福竜丸船長の久保山愛吉は被爆から半年後に「原水爆による犠牲者は、私で最後にして欲しい」の言葉を残して亡くなっている。

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ゴジラ』は確かに、のちのゴジラ映画に代表されるような怪獣プロレスエンターテインメント作品とは一線を画している。
ゴジラは復興し始めた東京の街を再び火の海にする。自衛隊(製作当時はまだ自衛隊発足前であり、正しくは保安隊)の攻撃もゴジラには効かず、病院は傷病者で溢れかえる。そして何より、彼らはゴジラのまき散らした放射能に被爆しており、ガイガーカウンターが鳴り止まないのである。

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監督の本多猪四郎は戦時中は三度も招集され、累計8年間を軍隊で過ごした。『コジラ』はプロデューサーである田中友幸、また特技監督をと務めた円谷英二、ストーリーを担当した香山滋、それぞれの想いやアイデアが結合して生み出されたには違いないが、作品のテーマというのであれば、本多猪四郎の想いが色濃いのではないかと思う。

『ゴジラの逆襲』という転換点

『ゴジラ』は空前の大ヒットとなるが、その翌年に公開された続編の『ゴジラの逆襲』からすでに「反核」のメッセージは消え失せ、敵怪獣のアンギラスと第一回の「怪獣プロレス」が始まった。この時点ですでにゴジラはキャラクター単体としても人気が出ていたのだ。

「核の恐怖」が消え去った『キングコング対ゴジラ』

『ゴジラの逆襲』の次作である『キングコング対ゴジラ』では、再び本多猪四郎が監督を務めているが、もはや水爆の恐怖の象徴としての役割はみじんも感じられない。
『キングコング対ゴジラ』の公開は1962年。『ゴジラの逆襲』の翌年、1956年には「もはや戦後ではない」と謳われ、高度経済成長期の中で「核の恐怖」はすでに過去のものになっていたのだろう。

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だが、本多猪四郎は『キングコング対ゴジラ』からゴジラが「変質」していったという意見には同意しており、内心作品のゴジラの描かれ方には抵抗があったという。
本多猪四郎の著書『「ゴジラ」とわが映画人生』では、「東宝の怪獣ものの路線の作り方っていうのは、こういうことだと。戦わせたら面白いというだけのものでしょう。ただし、こういうものであっても、監督というのは自分の作品になるからね。それで手を抜くことにはならないんですよ。手を抜いたら、そんなものできるはずないんですよ」と述べている。
しかし、『キングコング対ゴジラ』が当時シリーズ最高の興行収入を記録したことから、この「対決モノ」はゴジラ映画の定番となっていく。

エンターテインメントとしてのゴジラ映画

反戦・反核としての社会的なメッセージを帯びたゴジラを目指したのが本多猪四郎だとしたら、エンターテインメントとしてのゴジラを追求したのが円谷英二ではないだろうか。
『キングコング対ゴジラ』では、ゴジラが岩をスポーツのように蹴るシーンがあるが、後にゴジラ映画で特技監督を務める中野昭慶は、円谷英二のこのアイデアを絶賛している。他にも円谷英二は『怪獣大戦争』で当時『おそ松くん』が流行っているからという理由でゴジラに『おそ松くん』の当時人物であるイヤミのシェーのポーズをさせている。円谷英二のアイデアにゴジラを演じた中島春雄をはじめとしてスタッフは猛反対したというが、円谷英二は「この方が子供が喜ぶ」として押し切ってしまった(このシーンは『ゴジラ対ヘドラ』の空飛ぶゴジラとともに未だに賛否両論の名シーンとなっている)。

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子供に寄り添い続けた円谷英二

円谷英二は常に「俺たちの作る映画は誰が観るか知っているか、子供が観るんだよ」と言っていたという。
東宝もゴジラ映画の低年齢化を後押ししていたが、背後にはテレビの普及に押されて斜陽となっていく映画業界の事情もあるようだ。

サンダ対ガイラ』の解説でも書いたが、斜陽期の東宝にとってゴジラ映画は外貨獲得のツールでもあった。アメリカの映画製作会社ベネディクト・プロを率いていたヘンリー・G・サパースタインは、1960年頃にアメリカのテレビ局がSF映画を欲しがってあることを知り、日本の東宝にアプローチをかける。交渉の結果、サバースタインはゴジラ映画のテレビ・劇場配給権とマーチャンダイジング権の取得に成功する。
これによってゴジラ映画は海外に売れる「商品」になった。
ゴジラが世界的な知名度を持つのもこの時期の海外配給があったからだろう。1960年代中盤からゴジラは子どもたちのヒーローへとそのキャラクターが変容していくが、これにはサバースタインによる東宝への働きかけもあったようだ。

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さて、円谷英二はテレビを一段下に見ていた映画人とは対照に、『ウルトラマン』を始めにテレビの世界に可能性を見出していく。
一方、本多猪四郎は、作を増すごとに子どもたちのヒーローへと変質し、擬人化していくゴジラのあり方には否定的だったと言うが(『三大怪獣 地球最大の決戦』でも、すでにゴジラたち怪獣が対話するという擬人的な描写があったが、割り切って演出したと述べている)。

『太平洋の鷲』が映し出す、本多猪四郎と円谷英二の違い

実はこの二人のスタンスの違いは1953年に公開された戦争映画『太平洋の鷲』によく現れている。
『太平洋の鷲』は『ゴジラ』に比べると一般にはほぼ認知されていない作品だが、公開当時は大ヒットを記録した映画だ。

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主人公は日本帝国海軍大将の山本五十六。作品の前半はアメリカと開戦せざるを得ない状況に思い悩む山本五十六の苦悩が描かれる。それは本多猪四郎への戦争への想いが託されている。

ちなみに、本多猪四郎の妻の本多キミによると、戦後復員した本多猪四郎の元には戦争そのものをテーマにした映画の話(たとえば1950年に公開された『きけ、わだつみの声』など)の監督のオファーの話もあったそうだが、ストレートに戦争を描いた作品は自身の戦争体験のトラウマから断っていたという。

太平洋の鷲』だが、前半の山本五十六の苦悩に比べて後半の戦争の場面になると一気にエンターテインメントに作品が傾き、山本五十六の内面は途端に薄くなる。後半の戦争の場面の特撮を担当したのが円谷英二だ。このように『太平洋の鷲』は本多猪四郎と円谷英二のスタンスを明確に示している。
ただ、誤解してほしくないのは、この二人は確かな信頼関係で結ばれていたということだ。
本多キミの著書『ゴジラのトランク』には、前述の本多猪四郎の復員後の映画との関わりの他にも、円谷英二に本多猪四郎との仕事はどうかと質問した時のやりとりが紹介されている。

「イノさん(本多猪四郎)との仕事はほかの監督さんとはどこが違いますか」
「イノさんが欲しがってるシャシンは手に取るように俺にはわかるんだな。できるだけ自分の撮った特撮のフィルムを生かそうとしてくれているイノさんの姿勢、たまらんよ。イノさんの編集は複雑でパターン化しないカット割にあふれているし、特撮だの本編だの区別しないでやってくれるから楽しいよ。イノさんに預けたらどんなふうに料理してくるのかって考えてさ、面白いねぇ」

本多猪四郎、円谷英二それぞれの「ゴジラ」

ゴジラとは何か。その答えは本多猪四郎、円谷英二それぞれで異なるだろう。だが、両者が互いに信頼し合っていたことは揺るぎない。
円谷英二は1970年に狭心症で亡くなるが、その際に弔辞を読んだのは本多猪四郎だった。

もし、ゴジラ映画が最初から子供向けの映画だったら、今日のような評価はなかっただろう。一方で、ゴジラ映画が子供向けにならなければ、今日のような知名度はなかったはずだ。
ゴジラ映画は常に社会を映しながら、二本の手綱で、今まで歩みを刻んできた作品たちなのだ。

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