『プラネット・テラーinグラインドハウス』タランティーノの女性嫌悪は本当か?

ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』での演技により、SAG(映画俳優組合)賞を受賞したブラッド・ピットのスピーチは傑作だった。
「レオ、マーゴット・ロビー、マーゴット・ロビーの脚、マーガレット・クアリーの脚、ダコタ・ファニングの脚……。実際、クエンティンはTSA(運輸保安庁)よりも女性に靴を脱がせてますから」と共演者の名前を挙げつつ、タランティーノの「脚フェチ」をイジってみせた。

女性嫌悪

実際、タランティーノが女性の脚に対して強烈なフェチズムを抱いていることは有名だ。しかし一方で、同じくらいタランティーノの作品は女性嫌悪的だと言われてきた。
『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』でもブラッド・ピット演じるクリフ・ブースが自宅に侵入してきたマンソンファミリーの若い女性を殺す場面があるが、顔面を何度も壁やガラスにたたきつけるなどの凄惨なものだ。また、レオナルド・ディカプリオ演じるリックも同じくマンソンファミリーの女性を火炎放射器で焼き殺している!

女性を傷めつけるするという意味では、『イングロリアス・バスターズ』ではブラッド演じる「バスターズ」アルド・レインがイギリスのスパイであるブリジットの銃創を指でほじくり回して拷問する。

『キル・ビル』の撮影

また、『キル・ビル』の撮影中にはユマ・サーマンにスタントを強要し、怪我を負わせていたことをユマ・サーマン本人に暴露されてもいる。それは時速65キロでまっすぐな道を運転するというものだったが、運転な苦手なユマはスタントマンにお願いしてほしいとタランティーノに伝えた。しかしそれを聞いたタランティーノは激怒。結果、渋々運転することにしたものの、実際の道は真っ直ぐではなく、そのために車は木に衝突し、死にそうな思いをしたという。

「彼は私がぐずぐずしているから怒り狂っていた。だけど、私は運転するのが怖かった。しかし彼は『絶対に車には問題ないと約束する。それに道は真っ直ぐだから。ただ、時速40マイル(約65キロ)は必ず出さないといけない。そうしないと髪がなびかないから。だから、なびかなかったらもう1度やってもらうから』と言った。それで、実際に車に乗ったら、それはもう死の箱みたいなものだった。シートはしっかりと固定されていなかったし、道は砂だし、真っ直ぐではなかったから」

『キル・ビル』の撮影中には他にもユマ・サーマンの顔に唾を吐きかけたり、GOGO夕張(栗山千明)の首をチェーンで絞めるシーンなども俳優でなく、監督であるタランティーノ本人が行っていたと告発されている。

これに関してタランティーノは「マイケル・マドセンを信用していなかった。もしマイケル・マドセンがやったら、唾がどこに行くのかわからないから」と述べ、さらにユマ・サーマンには、「私がやらなければならないと思う。2回、多くても3回だけだ。でも、誰かが失敗して台無しにするからといっても、あなたをここで何度も何度も唾をかけて寝かせるわけにはいかない。人に唾を吐くのは難しいことなんだ」と伝えたと釈明している。栗山千明の首を絞めたのも同様の理由からで、本当に絞め殺す気でやらねばリアルにならないという思いからだったという。

ユマ・サーマンによると、ミラマックスやプロデューサー陣は事件のもみ消しを計り証拠を隠滅。タランティーノも事件発生時の映像の提供を拒否してきたという。しかし、後年タランティーノは倉庫の隅まで探し、もう残っていないかと思われたその映像をユマ・サーマンに渡した。
ユマ・サーマンは「タランティーノはこの映像を公開することで自分が損害を被る可能性があることをわかっていました。それでも正しいことをしようとした彼の勇気を誇りに思います」と、すでに和解済であることを表明、一方のタランティーノもこの事故に関しては「人生における最大の後悔」と述べている。

グラインドハウス

いつ頃からタランティーノの作品が女性嫌悪的と評されていたかはわからないが、恐らく2007年に公開された『デス・プルーフinグラインドハウス』、『プラネット・テラーinグラインドハウス』の影響は大きいだろう。こちらは盟友でもあるロバート・ロドリゲスと組んでかつての、エクスプロイテーション映画やB級映画の2本立て(これをグラインドハウスと呼ぶ)を再現したものだ。北米は実際に『デス・プルーフ』と『プラネット・テラー』の2本立てで上映されていたが、それ以外の国ではそれぞれ独立した長編として単独上映されている(当初のグラインドハウスの醍醐味は半減しただろう)。
『デス・プルーフ』はクエンティン・タランティーノが監督絵を務めているが、内容はカート・ラッセル演じるスタントマンの男が車に乗せた若い女性を次々に殺していくというもの。そして極めつけは『プラネット・テラー』だ(個人的にはこちらの作品の方が断然好きだ)。こちらはロバート・ロドリゲスが監督を務めているが、タランティーノは女性をいたぶり、レイプして殺すのが趣味のサディスティックな変態兵士を演じている。

人間は単純ではない

タランティーノが映画のために無理な要求をしてきたことは当然責めを負うべきだろうが、作品の演出と一緒くたにして「女性嫌悪」とはやや言い過ぎではないかと言うのが個人的な気持ちだ。
そもそも、本当に女性嫌悪があるのではあれば、それをカリチュアライズした『プラネット・テラー』のキャラクターなど演じられるものだろうか?
一部の世間がタランティーノに向ける誤解を皮肉ってそういうキャラクターを演じていただけではないかと思う。

現に『イングロリアス・バスターズ』で真の意味で復讐を果たすのはメラニー・ロラン演じる映画館主のショシャナであるし、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』も女性が大変な仕打ちにあるものの、史実ではマンソン・ファミリーは当時妊婦だったシャロン・テートの「子供だけは助けて」という懇願も無視し、子供もろとも殺害している。それを思うと、果たしてクリフやリックの行ったことは確かに過激だが、過剰だろうか?
もちろん、クリフやリックもただの人間だ。聖人君子ではない。間違うこともあるだろう。映画というメディア自体が100年以上に渡って人間という存在の複雑さを描いてきたではないか。
にも関わらず、告発とその後のキャリア崩壊の流れには個人的に強い懸念を感じている。
過去の過ち(もちろん、キャリア程度で償えないものもあるだろうが)によって、私的な制裁が行われ、その人の築き上げてきたキャリアや仕事が全て否定されるのにはどうも違和感を拭えない(タランティーノは今回ここまではいっていないが、問題の本質は同じだと思う)。
黒か白かで容易に判断できるほど、人間は単純ではない。しかし、そうした流れがやまないのは、自分にとって「分かりやすい正義」を簡単に得ることができるからだ。

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BLACK MARIA NEVER SLEEPS.

映画から「時代」と「今」を考察する
「映画」と一口に言っても、そのテーマは多岐にわたる。
そしてそれ以上に観客の受け取り方は無限大だ。 エジソンが世界最初の映画スタジオ、通称「ブラック・マリア」を作った時からそれは変わらないだろう。
映画は決して眠らずに「時代」と「今」を常に映し出している。

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