『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』映画の都にタランティーノが描いた「奇跡」

※以下の考察・解説には映画のネタバレが含まれています


ロックミュージシャンのマリリン・マンソン。その芸名はマリリン・モンローと、チャールズ・マンソンに由来している。
チャールズ・マンソンは60年代にマンソンファミリーと呼ばれるカルト集団を率いていたことで有名だ。そして、マンソンのファミリーのメンバーは1969年に女優でロマン・ポランスキーの妻だったシャロン・テートを殺害する。
ハリウッドとアメリカの犯罪史に深く刻まれた事件だが、クエンティン・タランティーノは『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』でそんな黒いシミさえも自分の色に塗り替えてしまったようだ。

『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』

『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』は2019年に公開されたクエンティン・タランティーノ監督、レオナルド・ディカプリオ、ブラッド・ピット主演のドラマ映画。
個人的には2019年に公開された作品の中でも最も満足できた一本だ。

タランティーノは1963年生まれだが、今作にはタランティーノの1960年代へのノスタルジーが込められている。
「映画の舞台となった1969年当時は僕はロサンゼルスにいた。当時は6歳か7歳だったけれどよく覚えている」
ヒッピーカルチャーや、マカロニ・ウエスタンなど、タランティーノの思う1960年代がこの作品には詰め込まれている。もちろん映画オタクのタランティーノだからマニアックで細かい映画へのオマージュもふんだんに盛り込まれているが、全てを見つけ出し解説していくのは不可能だ。ここではいくつか焦点を絞って見ていきたいと思う。
まずはその時代背景から探っていこう。

1960年代のアメリカ

1950年代、アメリカはパクス・アメリカーナとも呼ばれる絶頂期にあった。確かに人々の生活は豊かになった。だが其処にあったのは保守的な家父長的な価値観による抑圧でもあった。
豊かになりモラトリアムの時間を得た若者たちは父親的な価値観へ反抗していく。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』に登場する若き日のロレインはまさにそうだろう。家では 素直なおとなしい子供を演じてはいるが、素顔は男性に興味津々で、タイムスリップしたマーティに夢中になり大胆にアピールしていく。
伝統的な価値観へ反抗することからカウンター・カルチャーは始まっていく。
60年代に入り、ベトナム戦争が拡大・泥沼化していくと若者たちの間に国家への不信感が広がっていく。彼らは反戦と愛と平和を訴えた。それらとカウンターカルチャーが合体してヒッピー文化が生まれた。彼らは、髪を伸ばし、就職もせず、愛と平和と唱え、ドラッグを試した。
私は60年代にはまだ生まれてもいないが、その当時の世界を思うとなんてエネルギーに満ち溢れた時代だったのかと思う。日本では学生運動が盛り上がりを見せ、フランスでは五月革命が巻き起こった。それぞれの結末はどうであれ、若者が世界を変えると本気で信じていた時代、それが私が1960年代に感じるイメージだ。もちろんそれは当時をリアルタイムで知らない者ゆえのロマンかもしれないが、1960年代には今の時代にはのない眩しさと憧れを感じてもいる。

ハリウッドの転換期

そんな1960年代だが、映画の都ハリウッドはどうだったのか。2023年に公開されたデイミアン・チャゼル監督の『バビロン』では1920年代のハリウッドを舞台に映画がサイレントからトーキーへ移行する変革期を描いているが、1950~60年代のハリウッドはテレビの普及によって、レオナルド・ディカプリオ演じるリック・ダルトンはテレビスターとして成功を収めていた過去があったが、映画スターとして飛躍できずにキャリアは停滞していた。
そんなリックにイタリアから映画出演のオファーがかかる。

この流れをアメリカの映画史の観点から見ていこう。そもそも西部劇というジャンルはハリウッドの成立前から人気だった。エジソンの訴訟の手から逃れるために映画人たちは西へ向かった。そこで彼らは西部劇にふさわしい場所を見つける。温暖な気候と青空と雄大な景色。その場所こそがハリウッドだった。初期の西部劇は東部で撮影されていたが、ハリウッドが映画制作の中心となると、本当の西部で西部劇は作られるようになった。
西部劇は映画製作において、外れのないジャンルだと見なされていた。西部劇がハリウッドを富ませ、アメリカの映画産業を成長させた。だが、60年代になると西部劇の人気は衰える。
ここからはその理由を考察してみたい。

西部劇の衰退とマカロニ・ウエスタン

理由のひとつに、映画館へ足を運ぶ年齢層として若年層が中心になったことが挙げれらる。50年代にテレビが普及したことで、それまで映画館で映画を楽しんでいた高年齢層が家でテレビを観るようになったからだ。
その頃の人気の映画は1954年に公開されたマーロン・ブランドの『乱暴者』やジェームス・ディーンの『理由なき反抗』のように若者文化を描き、若者をターゲットにした作品も多い。
1960年代に入ると、先に述べたようにカウンターカルチャーと結び付いてヒッピー文化が流行する。に公開されたデニス・ホッパーの『イージー・ライダー』は当時のヒッピー文化を反映した映画の代表作だ。と同時に『イージー・ライダー』はアメリカン・ニューシネマの代表作でもある。反体制側の主人公の挫折と敗北を描いた暗い作風のアメリカン・ニューシネマの隆盛には当時のアメリカの世相が反映されている。先にも述べた政府への不信感と抵抗だ。お決まりのハッピーエンドを拒否し、アンチ・ハッピーエンドが支持された。そんな60年代のハリウッドの中で古き時代のアメリカを賛美した西部劇の人気が低下するのも頷ける。
その代わりに西部劇は海を渡ったイタリアで多数製作されるようになった。いわゆるマカロニ・ウエスタンだ。

『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』でも西部劇のテレビスターだったリック・ダルトンはマカロニ・ウエスタンへの出演をオファーされる。西部劇のドラマで人気になったリックは正にぴったりのキャスティングでもあった。だが、リックにとってはイタリアに渡ることは都落ちを意味し、ハリウッドを諦めるということと同じだった。
実際に当時のハリウッドではマカロニウエスタンへの出演は俳優としての自らの格を下げてしまうことと同じだった。
リック・ダルトンのモデルはバート・レイノルズとされているが、タランティーノによるとテレビスターから映画スターへの転身に失敗するエピソードはジョージ・マハリスを参考にしたという。マハリスは『ルート66』というテレビドラマで人気を誇っていたが、映画への転身は失敗続きだった。
リックはマカロニ・ウエスタンへの出演を渋るものの、一方、テレビドラマで人気になった後にマカロニ・ウエスタンに出演、その後アメリカの映画でも成功を収めた俳優もいた。その代表がクリント・イーストウッドだろう。実際にイーストウッドはこのマカロニ・ウエスタンから映画俳優としてキャリアを築き上げ、現代ものの『ダーティ・ハリー』など様々なジャンルに軸足を広げることにも成功し、ハリウッドの伝説とも言える存在になった。

ちなみに今作のタイトル『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』はセルジオ・レオーネ監督の遺作『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』へのオマージュだ。
セルジオ・レオーネはイーストウッドを起用した『荒野の用心棒』や『夕陽のガンマン』などを手掛け、世界にマカロニ・ウエスタンブームを巻き起こした監督でもある 。

リックとクリフのパートナーシップ

次に見ていきたいのはブラッド・ピット演じるクリフ・ブースだ。クリフのモデルはバード・レイノルズのスタントマンだったハル・ニーダムだと言われる。
クリフには第二次世界大戦の帰還兵という設定があるが、ハル・ニーダムも朝鮮戦争に空挺歩兵として参加した経歴がある。
今やスタントマンすらデジタルスタントのフルCGで対応できるが、当時はまだCGもなかった時代。俳優と裏方であるスタントマンの結び付きも今以上に強いものだったに違いない。
クリフを演じたブラッド・ビットもこう答えている。「今と昔では業界の状況が違うが、リックとクリフのパートナーシップは今よりずっと強かった」
今作のリックとクリスも公私にわたって深い絆を持ち、互いを支え合う存在だ。そういう意味では今作はいわばブロマンス映画でもある。自らのキャリアの停滞と格下のイタリア映画へのオファーで思い悩むリックをクリスは慰め、家まで送り届ける。
スターとしての生活を送るリックと、あくまでスタントマンであるクリフの暮らしぶりは対称的だが、二人の関係性は限りなく対等に近い。
実際にピットは生前のバート・レイノルズからハル・ニーダムとの関係について話を聞くこともできたという。
CG嫌いで知られるタランティーノだが、今作におけるアナログな時代ゆえの人間模様も大きな魅力だろう。

『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』ではブルース・リーやスティーブ・マックイーンなど様々な顔を観ることができる。もう一人の主役とも言えるシャロン・テートとロマン・ポランスキーもその一人だ。
『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』ではロマン・ポランスキーがリックの自宅の隣に引っ越してくるという設定だ。同時にポランスキーは監督作である『ローズマリーの赤ちゃん』によって世界的な名声を得ようとしていた。時代の動きに取り残されつつあるリックとは対称的だ。彼の新妻でもあるシャロン・テートにも、ハリウッドでの成功は目前に迫っていた。

シャロン・テート殺人事件

1969年のハリウッドを描くにあたってマンソン・ファミリーによるシャロン・テート殺人事件を外すことはできない。チャールズ・マンソンという男が、自らを信奉する女性たちを中心にマンソン・ファミリーとよばれる集団を作り出し、やがてマンソン・ファミリーは黒人対白人戦争の戦争が勃発するという終末戦争論(ヘルター・スケルター)という妄想のために殺人をも辞さない犯罪集団と化していく。
もともとマンソンはミュージシャン志望であり、ザ・ビーチ・ボーイズのデニス・ウィルソンとも交流があったという。その家に越してきたのがロマン・ポランスキーとシャロン・テートだった。

ただ、シャロン・テート自体はまだ駆け出しの女優。劇中ではそんな彼女の普段の日常を淡々と描いていく。1969年のハリウッド。この後シャロン・テートに何が待ち受けているのか、私たちは既に知っている。そのことを思えばこそ、この素顔のシャロン・テートは眩しく、儚く映る。
シャロン・テートを演じたのはマーゴット・ロビー。映画館に立ち寄っては自分の出演した作品のポスターの前ではしゃぎ、友人とパーティーを楽しむ。そこには女優というよりも将来の希望に胸をときめかせる少女の姿そのものだ。マーゴット・ロビーはシャロン・テートをとてもキュートに演じてみせている。

だが、1969年にシャロン・テートは友人らと共に自宅に侵入したスーザン・アトキンスを中心とする4名のマンソン・ファミリーに殺害される。その知っていればこそ、このシャロン・テートの美しさと純粋さが哀しく映る。
だが、タランティーノはスクリーンの中で悲劇を繰り返そうとはしなかった。
『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』では1969年のハリウッドを描く上で避けては通れないシャロン・テート暗殺事件は登場しない。マンソンファミリーが暗殺の標的をテートからリック・ダルトンに変更したからだ。
ダルトン邸にはブースもおり、マンソンファミリーはクリフと交戦することになるのだが、クリフの攻撃が容赦ない。クリフはこの時ドラッグによってトリップ状態になっているという設定もあって、マンソン・ファミリーへの返り討ちは過剰に暴力的で残酷。顔を砕けるまで壁に叩きつけたり、飼い犬に容赦なく襲わせるなどの凄惨なお仕置きが続く。ちなみにこのアメリカン・ピット・ブル・テリアという犬種は非常に獰猛なのが特長で、複数の国では飼育が禁止されている。
このあたりの残酷描写はタランティーノの十八番と言ったところだろう。

ハリウッドへのアンチテーゼ

女性相手にも躊躇なく顔面を破壊し、焼き殺すなどの暴力描写は、昨今のハリウッドの「優等生」的な価値観への強烈なアンチテーゼのようにも思える。
『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』とは「昔々ハリウッドで」という意味になるが、この映画の精神性は1960代以前のハリウッド、それこそ西部劇が人気を博していた頃のハリウッドで映画と同じものを宿していると感じる。例えばマッチョイズムや男尊女卑、分かりやすい善悪といったものだ。
劇中でもリックはヒッピーを露骨に嫌悪するなど古きアメリカの価値観を持つ男であり、またクリフには西部劇のアウトローのような雰囲気もある。
ちなみにクリフがブルース・リーを倒す場面は今の中国市場に気を遣いがちなハリウッドにも大きな一撃となったのではないか。
登場人物はほとんど白人ばかりで、男が女に暴力を振るうという最近の風潮に真っ向から反発したような作品と言えなくもないが、それでも許されているのはひとえにタランティーノの作家性に尽きるだろう。その自由さを不謹慎と思うか、痛快と感じるかでこの映画の評価は変わってくる。

タランティーノの「救済」

さて、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』ではシャロン・テートは無事に1969年8月9日を乗り越える。
2009年の映画『イングロリアス・バスターズ』でもタランティーノは特殊部隊の「バスターズ」がヒトラーを殺害するという歴史の改竄を行っている。
ヒトラーをとりあげた多くの映画では歴史の大筋は概ね史実に則っている。『ワルキューレ』での作戦が成功することはないし、『ヒトラー暗殺、13分の誤算』でもヒトラー暗殺に失敗したゲオルク・エルザーは処刑される。
しかしタランティーノは『イングロリアス・バスターズ』ではその枠すら取り払ってしまっている。
教科書にも載るような歴史的事実の変更も恐れないのがタランティーノの自由さだ。それは今作でも継承されている。

『イングロリアス・バスターズ』においてヒトラーの暗殺成功に対してはカタルシスの感情が強いが、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』は救済という感覚が強い。私は公開時に劇場で今作を観賞したが、現実でのシャロン・テート殺害の凄惨さ、残酷さを知っているからこそタランティーノの「救済」には胸が熱くなった。

映画の奇跡

ラストシーン、インターホン越しにリックとテートは言葉を交わす。タランティーノが事実を書き換えたからこそ実現した「現実」では奪われてしまった、幸せな未来の姿だ。
その夜に殺されなかった後のシャロン・テートの姿は誰も知ることはできない。それを象徴するかのように、テートは声でしか表れない。だがそれでも、この場面は映画の奇跡だと思う。
「ラスト13分 タランティーノがハリウッドの闇に奇跡を起こす」と今作の公式サイトに記載されていたが、まさにその通り。『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』は60年代のハリウッドにあてたタランティーノからのラブレターだ。

ちなみにチャールズ・マンソンは2017年に獄中死。逮捕から約47年間の間に累計12回の仮釈放申請が出されていたが、いずれも「依然として他者に理不尽な危険を及ぼしており、接触する人間に危害を加える恐れがある」という理由で却下されていた。

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BLACK MARIA NEVER SLEEPS.

映画から「時代」と「今」を考察する
「映画」と一口に言っても、そのテーマは多岐にわたる。
そしてそれ以上に観客の受け取り方は無限大だ。 エジソンが世界最初の映画スタジオ、通称「ブラック・マリア」を作った時からそれは変わらないだろう。
映画は決して眠らずに「時代」と「今」を常に映し出している。

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