『大統領の陰謀』ニクソンを追い詰めたジャーナリストの矜持

※以下の考察・解説には映画のネタバレが含まれています


1989年に公開されたロマンティックコメディ『恋人たちの予感』。今作は脚本を担当したノーラ・エフロンが監督のロブ・ライナーからライナー自らの離婚経験を元に映画を作れないかと相談されたことから始まった。
ノーラ・エフロンはすでに自身の離婚をテーマに『heartburn』という小説を出版していた。『heartburn』は『心みだれて』というタイトルで1986年に映画化された。同作の脚本もノーラ・エフロンが担当している。

カール・バーンスタイン

このエフロンの別れた夫とはワシントン・ポストの記者であったカール・バーンスタイン。ウォーターゲート事件を暴き、当時の大統領リチャード・ニクソンを辞任に追い込んだジャーナリストとして知られている。
ウォーターゲート事件について簡単に説明しておこう。1972年の大統領選挙戦の最中に当時の野党である民主党本部に何者かが侵入し、盗聴器を仕掛けようとした。当初彼らはホワイトハウスとは無関係だと思われていたが、ある密告者(ディープスロート)によって彼らが行った盗聴などの違法行為を大統領自らが指示したとの情報が流れた。警察やジャーナリストは事件を追うが、ホワイトハウスは捜査を妨害し、事件をもみ消そうとした。この状況にアメリカ国民の政治不信は最高潮に達していく。
そして2期目を迎えたばかりだったニクソンは弾劾裁判にかけられ、アメリカ史上初めての任期途中で辞任した大統領となった。

『大統領の陰謀』

バーンスタインは共にウォーターゲート事件に取り組んだ記者のボブ・ウッドワードとの共著で『大統領の陰謀―ニクソンを追い詰めた300日』を出版。同著は1976年に『大統領の陰謀』として映画化された。監督はアラン・J・パクラ、主演はロバート・レッドフォードが務めている。
原題は『All the President’s Men』。1949年に公開された映画『オール・ザ・キングスメン』のもじりである。「All the President’s Men」 =全ては王の臣下だとすれば、さしずめ「全ては大統領の臣下」と言ったところか。

全ては大統領の臣下

「大統領のすることは全て合法だ」
ウォーターゲート事件によって大統領を辞任したニクソンは、イギリスのテレビ司会者、デヴィッド・フロストによるインタビューの途中、思わずそう口走る。これこそがニクソンの本心だった。
「全ては大統領の臣下」大統領となって絶大な権力を手にしたニクソンは全てを支配できると思っただろう。
フロストは決して自らの過ちを謝罪することのなかったニクソンから初めて謝罪の言葉を引き出し、罪を認めさせた。そして、このインタビューは伝説となった。
上記については2008年にロン・ハワードが『フロスト×ニクソン』として映画化している。ニクソンに興味があるなら是非観てみてほしい作品だ。

話が少々脱線気味になった。さて、『大統領の陰謀』はこのウォーターゲート事件がただの盗聴事件ではなく、ホワイトハウスも関与する重大事件であることをワシントン・ポストの二人の記者が明らかにしていく作品だ。
事件からわずか4年足らずの映画化とあって、作品全体から漂う雰囲気はこの上なくリアルだ。冒頭の侵入犯を登場する警備員はなんと事件当時の警備員本人が演じている。
インターネットもパソコンもない時代、一つの情報を得るにも膨大な手間と時間がかかる。図書室に入り浸り、何冊もの本の中からただ一つの名前を追っていく。
だが、そのような調査も次第に行き詰まっていく。同時に二人の調査に圧力や妨害も頻繁に起きていたからだ。

監督のアラン・J・パクラは『大統領の陰謀』の2年前にも『パララックス・ビュー』で政府の陰謀を描いている。こちらはフィクションだが、政治家の暗殺を請け負う会社とその真相を追うジャーナリストの攻防を描いた作品だ。こちらはニクソン政権に対する国民の不信感がそのまま映画にも反映されている。

ディープ・スロート

これ以上情報を増やせないと困りきったウッドワードはある男にコンタクトをとる。それこそがいわゆる「ディープ・スロート」秘密情報提供者だった。
ディープ・スロートの正体は『大統領の陰謀』公開当時でも謎であり、議論を巻き起こしていた。映画では影を巧みに使い、はっきりと顔を写さないようにしている。
ウォーターゲート事件を描いた映画は多くあるが、それぞれでディープ・スロートの正体について様々な描き方をしている。例えば1999年に公開された『キルスティン・ダンストの大統領に気をつけろ!』は荒唐無稽なコメディで、ウォーターゲート事件を目撃した二人の女子高生がディープスロートだったという設定になっている。

結局ディープ・スロートの正体が判明するのはそれから30年後の2005年だった。
ディープ・スロートの正体は当時FBI長官だったマーク・フェルト。フェルトはニクソンの自らの権力を維持するためなら汚いやり方も辞さない姿勢と、自身の出世への不満を理由にディープ・スロートとしてウッドワードに情報を示し続けた。

少しずつ情報を集めていくなかで、小さな疑惑は大きな陰謀へと膨らんでいくことになる。
そしてバーンスタインとウッドワードはワシントン・ポスト氏の主幹であるベン・ブラッドリーからのゴーサインを得てようやくウォーターゲートの黒幕に関する記事の掲載に踏み切る。
しかし、その記事に対する世間の反応は冷ややかで、取材を重ねて得た証言もあっさりと証人本人が否定してしまう。

『あいつらを見捨てるな』

同じような流れが2004年にもあった。ブッシュ元大統領の軍歴詐称疑惑だ。こちらは新聞ではなく、テレビのニュース番組が舞台だ。CBSのニュース番組「60ミニッツⅡ」において、ジャーナリストのメアリー・メイプスがブッシュがベトナム戦争当時、ブッシュがコネによってベトナムへの兵役を逃れたのではないかという疑惑をつかみ、その真相を調査していく。
番組の名アンカーマンであるダン・ラザーもメイプスに協力し、共に真相を追い、ニュースを伝えていく。
もしそれが真実ならば、大統領選挙にも大きな影響を与える一大スキャンダルだが、証拠とされた文書にはいくつかの不審な点が見つかり、結局この報道は誤報であったと断定された。この顛末は2016年に『ニュースの真相』として映画化された。
映画の中でダン・ラザーを演じたのは『大統領の陰謀』でボブ・ウッドワードを演じたロバート・レッドフォードだ。

この二つの作品は共に政府の疑惑に立ち向かったジャーナリズムという意味では共通している。ではその違いは何だったのか。レッドフォードはこう言う。
「『大統領の陰謀』は上司の助けを得られたのに対して『ニュースの真相』ではそうではなかったということだ」
確かにそうだ。『大統領の陰謀』ではベン・ブラッドリーがバーンスタインとウッドワードを徹底的に守り抜く。証人たちの手のひら返しによって窮地に陥ったバーンスタインとウッドワードについて、ブラッドリーは「あいつらを見捨てるな」と部下に指示する。
だが、『ニュースの真相』は違った。CBSは文書の疑惑を追及する国民の側に回った。メイプスはこの事件に対して、著書『大統領の疑惑』の中で「私は仕事以上のものを失った。信頼やキャリアに火を放たれた。」と書いている。
もちろんこの2つのジャーナリズムの違いには環境も大きい。ネットが広く普及した現在の方がより緻密な検証を求められるはずだ。

だが、ベン・ブラッドリーのような覚悟がなければ、ウォーターゲート事件の真実は明らかにならなかっただろう。
2017年に公開された『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』はベトナム戦争における機密文書(アメリカはベトナム戦争で勝てないとする報告書)の全文を明らかにしたワシントン・ポスト紙のスクープを映画化した作品だ。今作ではベン・ブラッドリーが主役となり、政府とも争っていく。ウッドワードやバーンスタインが経験したことをブラッドリーは先に経験していたのだ。
ブラッドリーは著書のなかでこう書いている。「ペンタゴン・ペーパーズの後、難しすぎて克服できないような問題はなかった」

ジャーナリストとしての矜持

ウッドワードはディープ・スロートに接触し、自分達の記事は誤報だったのかを確認する。ウッドワード達は間違ってはいなかった。だが、同時に彼らの身にも生命の危険が及んでいることをディープ・スロートは警告する。
その報告を受けたブラッドリーは二人を労いながらも、ジャーナリストとしてどうあるべきかをこう述べる。
「疲れているだろうな。家に帰って風呂に入れ。15分休んだら仕事だ。この圧力は君らのせいだ。だが守るべきものは合衆国憲法修正第1条だ。報道の自由、この国の未来」

ニクソンは再選を果たし、宣誓式の様子がテレビで流れる。それには目もくれずバーンスタインとウッドワードはタイプライターを打ち続ける。 真実を伝えるためにだ。
「忠実に大統領の職務を執り行い、能力を尽くして合衆国憲法に従い、これを守り防衛する」そう宣誓するテレビの中のニクソンの姿はあきれるほど白々しい。

フロスト×ニクソン』の中で、ニクソンがフロストに自身の生い立ちを語る場面がある。
ニクソンが幼い頃、生活は貧しいものだった。宗教的にも異端とされるクェーカー教徒であり、大学も名門であるアイビーリーグには入れなかった。そのために政治家になっても学閥による差別を受けている。
ニクソンにとって権力とは自己肯定のための最も重要な手段だったのかもしれない。
ニクソンは米中外交や黒人差別の解消など、ウォーターゲート事件直後の『大統領の陰謀』の頃よりは、今日では幾分かイメージを回復している。
ウォーターゲート事件の後、ニクソンは政界に戻ることなく、1994年に死去した。しかし、その後もニクソンは様々な映画のメインテーマとなり、またジャンルを問わず様々な映画の中に悪役として登場しつづけている。

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映画から「時代」と「今」を考察する
「映画」と一口に言っても、そのテーマは多岐にわたる。
そしてそれ以上に観客の受け取り方は無限大だ。 エジソンが世界最初の映画スタジオ、通称「ブラック・マリア」を作った時からそれは変わらないだろう。
映画は決して眠らずに「時代」と「今」を常に映し出している。

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