『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』現代にも響く報道の自由とその価値

※以下の考察・解説には映画のネタバレが含まれています


「この映画はわたしたちにとってツイートのようなものだ」
スティーヴン・スピルバーグは『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』についてこう述べた。
その時の気持ちを短く率直に吐き出した、ということなのだろう。

『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』

ペンタゴン・ペーパーズとはベトナム戦争時にアメリカ政府が作成した極秘文書のこと。そこには歴代政権がベトナム戦争を行うために不正を繰り返してきたこと、またアメリカがベトナムに勝てないなどの分析が載せられていた。
そのような不都合な事実は隠蔽され、多くの若者がベトナムへと向かっていった。

最初にペンタゴン・ペーパーズの存在をスクープしたのはニューヨーク・タイムズだったが、ワシントン・ポスト紙も後に続き、その全文を入手。ペンタゴン・ペーパーズは政府が国民に向けて嘘を吐き続けていたことの証明であると同時に国家の最高機密文書でもある。

果たして報道における正義とは何か。

『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』は2017年公開されたスティーヴン・スピルバーグ監督、メリル・ストリープ、トム・ハンクス主演のドラマ映画。ジャーナリズムの在り方を示した作品だ。
原題は『The Post』で、ワシントン・ポスト紙のことを指す。

しかし、なぜスピルバーグは50年も前のことを今ツイートしたのだろうか?
スティーヴン・スピルバーグは『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』について「この物語は現代と通じる部分がとても多いと感じた。だからすぐに作って公開したかった」とインタビューで語っている。
その言葉通り、この映画は驚異的な早さで製作された。もともとスピルバーグは早撮りで知られているが、この映画は脚本執筆から完成までわずか9ヶ月という短さで、スピルバーグの作品のなかでは最も短期間で作られた映画でもある。
報道は自由であり、権力に従うものではない。それが今作に込められた一貫したメッセージだろう。

報道の自由と価値

映画の冒頭はベトナムへ戦争の場面から始まる。『プライベート・ライアン』のように凄惨なシーンこそないが、そこには政府が喧伝していたような状況の好転も見られなかった。国防総省のゲリラ対策顧問であったダニエル・エルズバーグは自らもベトナム戦争に参加。実際のベトナム戦争の状況は改善の見込みがないことを国務長官に伝える。だが、国務長官のロバート・マクナマラはその報告を認めた上で、報道陣にはベトナム戦争の展望について美辞麗句を並び立てた。
その様子に失望したエルズバーグは自らも執筆に加わったペンタゴン・ペーパーズをランド研究所から持ち出し、ニューヨーク・タイムズの記者に渡す。

「海賊」ベン・ブラッドリー

タイムズの編集主幹であるベン・ブラッドリーもペンタゴン・ペーパーズの重要性を認識し、タイムズが手にしていない残りの文書を手に入れようとする。
ベン・ブラッドリーはその強引なやり口から「海賊」と呼ばれていた。劇中においても、ニューヨーク・タイムズのスクープを探るために部下をタイムズの社内に潜入させるなとの指示を行っている。だが、同時に報道の自由を信じ、戦い抜いた人物でもある。
「修正第一条を守るために、報道の自由を守る方法は一つだけ。報道することだ」
それがブラッドリーの信念だった。

報道の自由を守るのは報道しかない

かつてエルズバーグと同じランド研究所に勤めていたベン・バグラディギアンはエルズバーグがリーク元ではないかと考え、彼からペンタゴン・ペーパーズの全文を入手する。ブラッドリーらは4000ページにも及ぶバラバラの文書を10時間でまとめ、明日の新聞で発表しようとしていた。

しかし、そこには国家機密の暴露による法律違反というリスクと、それによってはワシントン・ポスト紙の存続事態が危ぶまれることになる可能性もあった。
グラハムは旧知の友人でもある国務長官のロバート・マクナマラからこう警告される。
「ボビーやジョンソンも手強いがニクソンは悪質だ。掲載すれば汚い手に使って君を破滅させる。ニクソンはクソだ!前から新聞社を潰したがってる。大統領の権限を最大限に利用し、新聞社を叩き潰す方法を必ず見つける」

だが、一方でブラッドリーの信念は揺らぐことはない。
「会社の顔色を伺えと言うならばポストは消滅したも同じだ」
最終的な掲載判断は社主であるキャサリン・グラハムが下さなければならない。グラハムのもう一人の側近であるフリッツは掲載に反対する。逆にブラッドリーはグラハムに強く掲載を訴える。
「権力を見張らなければならない。我々がその任を負わなければ誰がやる?」
「ここで掲載を控えれば我々は怯えたと思われる。我々も憲法も負け、ニクソンが勝つ。次の記事も、その次の記事もだ。報道の自由を守るのは報道しかない」

『大統領の陰謀』

『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』ではトム・ハンクスがブラッドリーを演じたが、ベン・ブラッドリーは今作以外にも1976年の映画『大統領の陰謀』にも登場する(演じているのはジェイソン・ロバーズ)。
『大統領の陰謀』は実際の時系列からして『ペンタゴン・ペーパーズ』の続きとも言える作品で、ブラッドリーの部下のカール・バーンスタインとボブ・ウッドワードが、ウォーターゲート事件が単なるコソ泥の犯罪ではなく、政権まで巻き込む一大スキャンダルであることを明らかにしていく内容だ。
『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』同様、ワシントン・ポスト紙には政権からの圧力がかかる。バーンスタインやウッドワードの生命までも危険にさらされていた。

『大統領の陰謀』の主役はバーンスタインとウッドワードであり、ブラッドリーは脇役にすぎないが、どんな状況であっても、部下を守り続けるブラッドリーの姿が強い印象を残す(なお、ブラッドリーを演じたジェイソン・ロバーズはアカデミー助演男優賞を獲得している)。
「疲れているだろうな。家に帰って風呂に入れ。15分休んだら仕事だ。この圧力は君らのせいだ。だが守るべきものは合衆国憲法修正第1条だ。報道の自由、この国の未来だ」
『大統領の陰謀』では必死にスクープを追う役割はウッドワードやバーンスタインに託されているが、ブラッドリーは自らの経験と信念を活かして、彼らを支え守っていく役割だ。ここでもブラッドリーの信念は揺るがない。
ブラッドリーは自らの著書の中で「ペンタゴン・ペーパーズの後、難しすぎて克服できないような問題はなかった」と述べている。

「真実」の危機

『ペンタゴン・ペーパーズ』に話を戻そう。
ワシントン・ポストがペンタゴン・ペーパーズを掲載した後に、リーク元であるエルズバーグがテレビのインタビューに応じる姿が映される。
ペンタゴン・ペーパーズの公表によって発見したことはなにか?インタビュアーの質問にエルズバーグはこう応える。
「大統領による一方的な統治を国民が望まないことです。内政・外交とも議会と強調しなくては。
ジョンソン大統領に『反逆者』と呼ばれ驚きました。政権や特定の個人への疑問や批判が国家に対する反逆だと主張しているわけですから。
『私が国家だ』と言うのと同じです。」

この答えからはスピルバーグが今作をツイートと呼ぶ理由が分かる気がする。
トランプは自身に批判的な報道をことあるごとに「フェイクニュース」として切り捨ててきた。スピルバーグは「言論の自由はいま、崖っぷちに立たされている。報道機関は自分たちは『フェイクニュース』ではないと弁解を迫られている。真実を伝えていることを分かってもらうために苦労している。歴史上、市民と報道機関の間にこれだけの煙幕が張られたことはない。」と本作についてのインタビューで答えた。

キャサリン・グラハムを演じたメリル・ストリープはゴールデン・グローブ賞の受賞式で、明言は避けながらもドナルド・トランプについて「無礼は無礼を招き、暴力は暴力を招く。権力者がその地位を使って他者をいじめたら私たちは全員負け」と述べた(一方のトランプもツイッターでメリル・ストリープについて「「メリル・ストリープはハリウッドで最も過大評価された女優の1人で、私のこともよく知らないのに昨夜のゴールデン・グローブ授賞式で私を非難した」と応戦した)。

『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』とノーラ・エフロン

いささか余談ではあるが、『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』 のエンドロールの冒頭に「ノーラ・エフロンに捧ぐ」との謝辞が出てくる。
ノーラ・エフロンは『恋人たちの予感』や『めぐり逢えたら』等で知られる脚本家だが、一時期バーンスタインと結婚していたこともある。前述の『大統領の陰謀』の脚本にもノークレジットながらエフロンも関わっている。
バーンスタインとの結婚生活はバーンスタインの浮気で終わりを迎えるが、エフロンはその経験をもとに『heartburn』という小説を出版している。『heartburn』は『心みだれて』として映画化された。脚本を務めたのはノーラ・エフロン自身だ。この映画で主演を務めたのはメリル・ストリープという共通点もある。

ジャーナリズムへの期待

話が逸れてしまった。改めてハリウッドにおいてジャーナリズムをテーマとした作品の多さに驚かされる。ここで紹介した作品以外にも『グッドナイト&グッドラック』『ニュースの真相』『フロントランナー』『フロスト×ニクソン』などのジャーナリズムをテーマにした作品を当サイトでそれぞれ紹介しているが、それでも全体から見るとほんの一部にすぎない(ちなみに『フロントランナー』にもベン・ブラッドリーは登場する)。
そのすべてがジャーナリストを称えているわけではない。『グッドナイト&グッドラック』は2005年に公開された映画で、CBSの伝説的なニュースキャスターであるエドワード・R・マローについての作品だが、この映画の製作のきっかけはイラク戦争開戦当時、政府に追従するばかりであったメディアに対し、メディアのあるべき姿は何なのかを今一度問いかけるためだった。また『ニュースの真相』では21世紀最大のメディア不祥事といわれたブッシュの軍歴詐称問題をテーマにジャーナリズムの過ちについて描いている。
だが、そうした映画も含めて根底に共通するのはジャーナリズムへの期待だろう。
歴史の中で血を流しながらアメリカは自由を獲得してきた。日本人である私たちが思う以上に自由という価値は重要なのだろう。その一端を担うのがジャーナリズムではないか。

『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』において、裁判の結果、ワシントン・ポストの報道の自由は認められることになった。その時の判事の言葉を以下に紹介しよう。
「建国の父たちは報道の自由に保護を与えた。
民主主義における基本的役割を果たすためだ。
報道が仕えるべきは国民だ。統治者ではない」

ワシントン・ポストは2013年、グラハムによる家族経営を終え、Amazon創業者であるジェフ・ベソスに買収される。インターネットの時代において、発行部数は減り続け人員と経費削減を毎年行わなければならない状態であったという。
だが、今も編集局にはベン・ブラッドリーの言葉が飾られている。
「中身がどれだけひどくても、真実は長い目で見れば嘘ほど危険ではない」

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BLACK MARIA NEVER SLEEPS.

映画から「時代」と「今」を考察する
「映画」と一口に言っても、そのテーマは多岐にわたる。
そしてそれ以上に観客の受け取り方は無限大だ。 エジソンが世界最初の映画スタジオ、通称「ブラック・マリア」を作った時からそれは変わらないだろう。
映画は決して眠らずに「時代」と「今」を常に映し出している。

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