『恋人たちの予感』男と女とノーラ・エフロン

※以下の考察・解説には映画のネタバレが含まれています


少し前に友人と「今までにアカデミー監督賞を受賞した女性監督はいるのか?」という話をした。
頭の中で何人かの女性監督を思い浮かべた。
グレタ・カーウィグ、パティ・ジェンキンス…いずれも高い評価を得た作品を撮っているものの、受賞には至っていない。彼女たちの名前の他に思い浮かべたのはノーラ・エフロンだ。

ノーラ・エフロン

ノーラ・エフロンは1941年生まれ、ニューヨーク出身の映画監督・脚本家である。
「ロマンティック・コメディの名手」と言われ『恋人たちの予感』、『めぐり逢えたら』、『ユー・ガット・メール』はいずれもヒット。それら全てでメグ・ライアンが主演を務めた。
メグ・ライアンは「ロマコメの女王」と称されるほどの人気を得るが、それはノーラ・エフロンの脚本無くしてはあり得なかっただろう。
ノーラ・エフロンは2012年に急性白血病によって死去したが、彼女の手掛けた映画は今なお人気の高い作品が多い。
特に『恋人たちの予感』は脚本が高く評価された作品だ。今回はロマンティック・コメディの名作である『恋人たちの予感』を紹介したい。

『恋人たちの予感』

『恋人たちの予感』は1989年に公開されたロブ・ライナー監督、ビリー・クリスタル、メグ・ライアン主演のロマンティック・コメディ映画。ちなみにロマンティック・コメディとは、日本でいうところのラブコメと同じ。
今作はロブ・ライナーが自身の離婚経験を映画にできないかとノーラ・エフロンに相談したことから始まっている。ノーラ・エフロンもまた離婚を経験していた。
前の夫はワシントン・ポスト記者のカール・バーンスタイン。ウォーターゲート事件を暴き、ニクソンを辞任に追い込んだ名ジャーナリストだ。しかし、バーンスタインは英国首相だったジェームズ・キャラハンの娘のマーガレット・ジェイと浮気。エフロンとバーンスタインはそれが原因で別れている。ノーラ・エフロンは自身のこの経験を小説として出版、後に『心みだれて』のタイトルで映画化された(ノーラ・エフロンは映画の脚本も担当)。

男女の友情は成立するか?

『恋人たちの予感』のテーマは男と女の違いだとエフロンはメイキングで語っている。ビリー・クリスタル演じるハリーは一見シニカルで皮肉屋だが、繊細で思い詰めやすいという一面を持つ。対してメグ・ライアン演じるサリーはポジティブでどこにでもいるような女性だ。とはいっても食事の際には非常に細かく注文をつける。
「ドレッシング添えのサラダとアップルパイ・アラモード。パイは温めて。クリームはかけないで、パイの横にそえて。イチゴがあったらアイスの代わりにそれを。
いや、アイスはやめて生クリームにして。缶入りでない本物の生クリームをたっぷり。無ければ冷たいパイだけ」
これはエフロン自身の注文のやり方を脚本に取り入れたのだという(ロブ・ライナーは、エフロンは自分の注文の異常さに全く気づいていないのが面白かったと述べている)。

ハリーは男女の友情は成立しないという。反対にサリー男友達もたくさんおり、男女の友情は成立すると主張する。
ノーラ・エフロンは、ハリーにはロブ・ライナー監督の性格を、そしてハリーにはエフロン自身の性格を反映させていると述べている。
離婚して再びシングルの生活を送るようになったロブ・ライナーだが、セックスはしたいが男女の関係を築いていくのは難しいと実感した。そこで「男女の間に友情は存在するか?」と思ったことが、今作を生み出すきっかけになったという。

「女性は皆、一度は経験があるの」

最初は互いに悪感情を描いていた二人がやがて惹かれ合うという物語は1930年代の恋愛映画から続くボーイ・ミーツ・ガールの典型的なパターンだが、『恋人たちの予感』はリアルだった。
その象徴がサリーが偽のオーガニズムを演じて見せる場面だろう。今作を観たことのない人でもこの場面は見覚えがあるかもしれない。あまりに有名なシーンだ。

食事中、今まで付き合ってきたすべての女性を満足させてきたと語るハリーに、サリーは「女は誰だって一度はオーガニズムに達する演技をしたことがあるのよ」と言う。
「僕とはない」
「当然そう思うわよね、男だもの」
「どういう意味?」
「男は皆そう思っていて、女性は皆その経験があるということよ」
そう答え、オーガニズムを演じて見せる。
「…感じちゃう!イエス!イエス!」
その演技は店中の客の視線が一気に二人のテーブルに集中してしまう。オーガニズムに達したサリーは平気な顔でバストラミ・サンドを食べる。その様子を見ていた老婦人が店員に「あれと同じものを」とオーダーするオチがつく、本作でも一番の笑いどころのシーンだ(ちなみにこの老婦人はロブ・ライナーの母親である)。

だが、実際は映画館で女性客は爆笑し、男性客は凍りついていたという。
このシーンはノーラ・エフロンが「男性の知らない女の世界」の象徴として脚本に入れたものだ。
「男の世界はもう話した。次は男の知らない女性の世界の話を」
ロブ・ライナーらとの会食の場でそう振られたエフロンはこの偽オーガニズムを女性の世界でのよくあることとして話した。そのセックスの真実に男性は戸惑っていたという。ロブ・ライナーは「演技だなんて、ショックで目眩がしたよ」と語っている。

痛みと挫折と成長

最初は悪印象から始まった二人だが、11年の時間の中で互いにかけがえのない友人になっていく。
『恋人たちの予感』は男女の成長を描いた映画だとノーラ・エフロンは言う。
「21の頃は未来がはっきり見えるものよ。まだ人生も思い通り。でも次第につまづき始めて事がうまく運ばなくなる。そうして成長するのよ」
初めて二人が出会った時、ジャーナリストになりたいと言うサリーにハリーは「君はジャーナリストにはなれない。アパートで孤独に死んで二週間後に発見されるんだ」という。なんて嫌な男だろう。その印象のまま、サリーとハリーは別れる。
それから5年後に二人は再会するが何も進展しない。だが、更に5年後二人が再会したとき、ハリーは離婚を経験し、サリーは婚約者と別れていた。
互いに痛みと挫折を知った二人は距離を縮めていく。
「魅力的なのに、寝たくならない女性は、君が初めてだ」
二人は友情を壊さないためにセックスはしないでおこうと約束する。

個人的には『恋人たちの予感』にはどこかウディ・アレン作品のような雰囲気も感じる。
作品の冒頭、ジャズが流れる中、黒の背景にただ出演者らのクレジットが白文字で流れるだけの始まりはウディ・アレンの作品そっくりだ。
ノーラ・エフロンもニューヨーク出身で、『ディス・イズ・マイライフ』『ユー・ガット・メール』など脚本を手掛けた中にはニューヨークを舞台にした作品も多い。もちろん今回の『恋人たちの予感』もそうだ。ウディ・アレンもニューヨークの出身だが、ウディ・アレンのニューヨークへの愛情はもはや説明不要だろう。『アニー・ホール』『マンハッタン』『ブルー・ジャスミン』…ウディ・アレン作品の大半はニューヨークを舞台にしたものだ。2022年現在での最新作『レイニーデイ・イン・ニューヨーク』もタイトル通りニューヨークが舞台。 ノーラ・エフロンは恋愛映画にはキリスト今日的な映画とユダヤ教的な映画に分けられると述べている。
キリスト教的な作品では男女の間に障害が立ちはだかる。これはキリスト教自体がその成立過程で異端として迫害され続けたことが影響しているのだろう。一方ユダヤ教的なアプローチとしてエフロンはウディ・アレンの作品を例に出している。その場合「神経質な男の性格が障害」とエフロンは言う。
確かにウディ・アレンは自身の作品で神経質でネガティブな男を多く演じてきた。ユダヤ教的なアプローチではお互いの気持ちそのものが問題となることが多いのだろう。『恋人たちの予感』もユダヤ教的な恋愛映画に近いと思う。ノーラ・エフロンもウディ・アレンと同じユダヤ系アメリカ人でもある。

友達から恋人になる方法

「セックスはしないでおこう」二人は互いに友達としての関係を望んでいたが、ある年のニューイヤーズ・イブに互いに自分自身の気持ちに気づいてしまう。ダンスの途中にそれぞれハッとした表情を見せる。
ここで流れる音楽はハリー・コニックJr.の『I could write a book』。オリジナルは1940年のミュージカル『夜の豹』で演奏された。ロジャース&ハートが手掛けたこの曲はマイルス・デイヴィスやエラ・フィッツジェラルドによって取り上げられ、今日ではジャズのスタンダードナンバーになっている。
「僕の本を最後まで読めば見つかるだろう、友達から恋人になる方法が」
友達から恋人になったカップルの歌だ。

だが、ハリーとサリーはその気持ちを押し殺し、友達としての関係を続けていく。ハリーにもサリーにも恋人ができる。
だが、ある夜サリーからハリーに電話がかかってくる。ハリーがサリーの家に向かうと、そこには大号泣する彼女の姿が。かつての婚約者のジョーから結婚すると連絡があったのだという。それも出会ったばかりの女と。
「私のことは愛していなかったの?」
ハリーは泣き止まないサリーを慰めるが、二人はとうとうルールを破り、そのまま一夜を共にしてしまう。
事後、満足そうなサリーと対称的に強ばった表情のハリーのコントラストが絶妙だ。
「セックスをしてしまったら男女の友情は壊れる」それが昔からのハリーの考えだった。
サリーはハリーに「このセックスは間違いだった」と伝える。ハリーもその言葉に同調するが、サリーは落胆の表情を見せる。
そしてサリーはハリーを避けるようになる。二人の関係はクリスマスを迎えてもギクシャクしたままだ。

その年のニューイヤーズ・イブ、サリーは昨年と同じパーティーへ出掛けるが、どうしても楽しむことができない。ハリーも孤独にニューイヤーズ・イブを過ごす中で、本当に愛する人はサリーだと気づく。息を切らしパーティー会場へ向かったハリーはサリーに告白する。
「やっとわかった 君を愛してる」
しかしサリーは月並みな告白には動じない。こういうところはノーラ・エフロンらしい。
「じゃこれは?
サンドウィッチの注文に1時間半。
でも君が好きだ。僕を見る時のおでこのしわ、僕の服にしみつく君の香水の香り。
1日の最後におしゃべりをしたいのは君だ。寂しいとか、大晦日は関係ない。
残る一生を誰かと過ごしたいと思ったら早く始めるほうがいいだろう?」
「あなたって人はいつも憎めなくなることを言うんだから!あなたなんか大嫌い!死ぬほど嫌いよ」
そして二人はついに恋人として結ばれる。

ノーラ・エフロンが亡くなったとき、ハリーを演じたビリー・クリスタル、サリーを演じたメグ・ライアンのどちらも追悼を表した。
その中でメグ・ライアンは「ノーラは私にとって一つの時代だった」とコメントしている。

それだけじゃない。正しくはノーラ・エフロンはそれまでの時代を塗り替えたのだと思う。
リアルな女性の世界を描いたロマコメ映画の潮流はノーラ・エフロンが『恋人たちの予感』で切り拓いたのだから。

サリーが偽オーガニズムを演じた店、カッツ・デリカテッセンはニューヨークの定番の観光名所になっている。

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BLACK MARIA NEVER SLEEPS.

映画から「時代」と「今」を考察する
「映画」と一口に言っても、そのテーマは多岐にわたる。
そしてそれ以上に観客の受け取り方は無限大だ。 エジソンが世界最初の映画スタジオ、通称「ブラック・マリア」を作った時からそれは変わらないだろう。
映画は決して眠らずに「時代」と「今」を常に映し出している。

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