『ウォール・ストリート』新自由主義はなぜ止められなかったのか?

※以下の考察・解説には映画のネタバレが含まれています


金は眠らない

「金は眠らない」1987年に公開されたオリバー・ストーン監督の『ウォール街』でゲッコーはそう言って弟子のバド・フォックスを叩き起こす。
「強欲は善だ」と公言するゲッコーはバドの父親の勤める会社を買収し、その解体を進めようとしたことでバドの裏切りに遭う。
『ウォール街』の製作当時、確かにウォール街は証券バブルに沸いていた。

一方でアメリカは財政赤字と貿易赤字、いわゆる「双子の赤字」による不況の最中でもあった。当時の大統領だったロナルド・レーガンはレーガノミクスと呼ばれる経済政策で新自由主義経済を推し進め、その結果、製造業は海外へ拠点を移し、国内産業の中心は金融業へシフトした。
だが、映画の公開直前にウォール街は大暴落に陥る。いわゆるブラック・マンデーだ。それによって、拝金主義にも歯止めがかかるのかと思えば、その後も貧富の格差はますます拡大し、ついにはリーマン・ショック、世界金融危機を引き起こす。

『ウォール・ストリート』

『ウォール街』以降、新自由主義はどのように発展してきたのか?
今回紹介する『ウォール・ストリート』は『ウォール街』から実に28年ぶりの続編だ。監督は前作に引き続きオリバー・ストーン、主演は マイケル・ダグラス。シャイア・ラブーフが務めている。
原題は『MONEY NEVER SLEEPS』。どれだけ時が経っても変わらずに金は眠らない。

『ウォール街』でウォール街の実力者として君臨していたゲッコーは映画の最後にインサイダー取引で逮捕されることが示唆されている。
『ウォール・ストリート』は2001年、ゲッコーが8年の刑期を終えて出所するシーンから始まる。ゲッコーを迎えに来る者は誰もいない。ゲッコーは何もかもを失っていた。まるで浦島太郎状態のゲッコーだが、物語はそこから更に8年経った2008年が舞台だ。ゲッコーは2008年当時のウォール街をどう見ていたのだろうか。
前作『ウォール街』でゲッコーはテルダー製紙の株主を前に「強欲は善だ」と映画史上に残る名スピーチを行うが、本作では大学の講義においてやはり素晴らしいスピーチを打つ。こちらも相当に長いが引用しよう。

「そのうち気がつくが、君たちはNINJA世代だ。収入ゼロ(No Income)、仕事ゼロ(No  Job)、貯えゼロ(No  Asset)。未来はバラ色だな。
誰かが昔の私を思い出して、かつて私は『強欲は善だ』と言ったが、今や強欲は合法になった。無一文のバーテンダーが手付金も打たずに無謀にも3軒の家を購入する。君らの親は欲から20万ドルで買った家のローンを25万ドルに組み替え、浮いた5万でショッピング。まずはプラズマテレビ、ケータイ、パソコン、SUVの新車…『ついでに別荘も買おう、この国の不動産は上がる一方なんだから』

政府も欲に駆られて911の後、銀行利息を1%に下げた。そして再びショッピング・ブーム。何兆ドルの担保を表すきれいな名前・・・MBS(不動産担保証券)、CDO(債務担保証券)、ABS(資産担保証券)、意味を知ってる人間はそうではない。世界中で75人くらいだ。私に言わせればそれらはWMD(Wepons Mass Distraction=大量破壊兵器)だ。

私の服役中に人間の欲は膨れ上がり、そこに羨望が混じった。ヘッジファンドで5千万~1億の年収を得る金融業者。銀行家はやがて『俺の暮らしは退屈だな』と考える。そして40~50倍の高リスクで投資を始めた。それは自分の金ではなく、あなた方の金だ。それが許された。儲けを得たのは彼らだ。最高のおまけは『誰も責任を問われなかった』。みんな同じ毒を飲んでいたから。

例えば昨年、米国の企業は利益の40%を金融取引で得た。生産利益ではない。国民のニーズは無視された。みんな渦に巻き込まれ、銀行も消費者もひたすら金を使い回し、テコ入れ(レバレッジ)と称して自らにステロイド注射を打っている。私はそれを『ステロイド金融』と呼んでいる。

私は金融に強かった。正気を保ちたければ塀の中の暮らしが一番だ。鉄格子から外を見て言う。『お前らイカれてるぞ!』

目のあるものにはわかる。『一山当てようという考えが悪を生む』と。レバレッジ債務とは首まで借金に浸かることだ。あえて言おう。その道が行き着く先は破産だ。悪性で組織的にグローバルに広がっている道だ。ガンと同じ。根絶せねばならない病だ。
だがどうやって?その病気にテコを入れ、回復を導く方法は?答えを3語で言おう。『buy my book(私の本を買え)』
健全な取引に戻ろう!」

この「buy my book」は今作でのゲッコーの名セリフとして知られる。
2013年9月に安倍元総理はニューヨーク証券取引所で投資家達を前にこうスピーチした。「バイ・マイ・アベノミクス(アベノミクスは買いだ)」これはこのゲッコーの台詞へのオマージュだろう。

このスピーチで今作のゲッコーがどういうキャラクターかわかる。
前作の『ウォール街』ではバドの上司のルー・マンハイムや、父親のカールにオリバー・ストーンの思いが投影されていた。この両者のキャラクターはどちらもオリバー・ストーンの父親の姿が投影されているが、ストーン自身も金儲けが目的と化した当時のウォール街の在り方には批判的であった。
しかし、今回はかつてウォール街を牛耳っていたゲッコーにオリバー・ストーンの思いが託されているようにも思う。ストーンは自らの著書『オリバー・ストーンが語るアメリカ史』で当時のアメリカの経済政策を厳しく批判している。

火の海に沈め!

もちろんリーマン・ショックが起きるまで、アメリカの経済政策に異がなかったわけではない。
ロックバンド、レ イジ・アゲインスト・ザ・マシーン(以下レイジ)が1999年に発表した『スリープ・ナウ・イン・ザ・ファイア』という曲がある。
この曲のMVはウォール街でゲリラ的に撮影された。しかし当日になってもニューヨーク市からの撮影許可が降りず、メンバーは逮捕も覚悟の上で演奏に臨んだ。
元々レイジは政治的なメッセージの強いバンドだ。完成したMVは拡大し続ける所得の格差を皮肉るような内容だった(MVは実際にメンバーと監督のマイケル・ムーアが逮捕される場面で終わる)。

レイジがこの曲を発表した当時は民主党のクリントン政権の末期であった。
クリントンは「経済政策こそが問題なのだ、バカ者!」と言い、大統領に就任した。クリントンは内政を重視し、経済政策においてレーガン以上に政府支出を削減し、財政健全化を目指した。また富裕層への増税を実施し、逆に中間層には減税を実施した。 1998年には双子の赤字も解消され、財政赤字も黒字に転じた。クリントン政権で株価は3倍に上昇したという。
しかし、財政健全化のためにインフラと教育への支出、研究開発への投資は大幅に縮小された。またデリバティブ市場への規制を禁じ、自由放任した。デリバティブとはいわゆる金融派生商品のことだ。これを規制しなかったことが金融業界の暴走とリーマン・ショックの一因にも繋がっていく。

レイジはそんな金融業界の中心地、ウォール街への批判を爆音で叫んだ。
「Sleep Now in the Fire(火の海に沈め!)」

ウォール街のミレニアル世代

経済学の話は改めて後述するとし、一旦『ウォール・ストリート』に話を戻そう。ゲッコーはミスター・インサイダーと呼ばれ、出版やコメンテーター、講演などを行っているが、実の娘のウィニーはゲッコーを毛嫌いしている。兄のルディが薬物で命を落としていたからだ。ルディは前作の『ウォール街』に登場する(演じたのはオリバー・ストーンの子供であるショーン・ストーンだ)。もし、ゲッコーが捕まらずに兄をサポートできていれば…。ウィニーはそう考えている。
ウィニーの婚約者はウォール街で働く証券マンのジェイク。彼はクリーン・エネルギー会社への投資を通じて社会を良くしようとしている。

監督のオリバー・ストーンはウォール街で実際にジェイクのような理想に燃える若者に多く会ったという。「ジェイクとウィニーが善良すぎる」という批判もあったようだが、ストーンはそれも今の若者のリアルな姿だと語っている。実際にジェイクの年齢はいわゆるミレニアル世代とよばれる世代である。
ミレニアル世代について、アメリカ在住のジャーナリストの冷泉彰彦氏は著書『予言するアメリカ 事件と映画にみる超大国の未来』の中で「理想主義的で、ネット世代で情報へのアクセス方法に慣れており、経済や雇用の問題に敏感である」とその特徴を述べている。ジェイクはもちろんだが、ウィニーも真実を告発する社会派の非営利のWebサイトを運用しており、このミレニアル世代にぴったり当てはまる。

ジェイクは証券会社のKZI社に勤めているが、KZI社は風評被害により株価が大幅に下落。社長のルイスは鉄道に身を投げ自殺する。自社株に投資していたジェイクも財産と職を一度に失くしてしまう。
噂のもとが投資銀行のCS社のトップであるブレトンだとわかり、ジェイクはブレトンに復讐を挑んでいく。ブレトンはジェイクの行った市場操作によりの損失を出すが、逆にジェイクの忠誠心と行動力を評価し、自分の会社にジェイクを招き入れる。

経済学の歴史

『ウォール・ストリート』は経済学の歴史を知ることでより深く観ることができる。

まず基礎的な経済学から学んでいこう。
始めに古典派経済学について見ていこう。世界恐慌の時代まで主流だった経済学がいわゆる古典派経済学と呼ばれるものだ。
古典派経済学は一言で言えば、「市場に任せれば全てうまくいく」というもの。古典派経済学の中心人物であるアダム・スミスの唱えた「神の見えざる手」はまさにそのことを表している。「市場には神の見えざる手があり、全体を最適化してくれる」ということだ。そのために古典派経済学では非自発的失業者の存在は想定されていなかった。

これが大きく変わったのは世界大恐慌の時だ。この時アメリカ国民の四人に一人が失業者となった。
この現実に直面したジョン・メイナード・ケインズは需要の面に着目し、政府は積極的に市場に介入するべきだと唱えた。これがケインズ経済学である。
ケインズ経済学は年代まで経済学の主流となったが、1970年代のオイルショックによるスタグフレーション(インフレと景気後退の同時進行)の一因とされ、その勢いを失っていく。

そして再び古典派が経済学の主流となる。その旗手となるのがミルトン・フリードマンだ。フリードマンは新自由主義経済を唱え、ケインズ経済学を批判し、市場における政府の役割は最小限に留めるべきだとした。フリードマンの唱える新自由主義は先進諸国で広く受け入れられ、80年代にはそれらの国で民営化と規制緩和の流れが強まっていく。
前述のようにアメリカではレーガノミクス、イギリスではサッチャリズム、日本では中曽根政権のもと、国鉄、電電公社、専売公社がそれぞれJR、NTT、JTとして民営化された。

なぜ新古典経済学は復権したのか?

私も経済学の専門家ではない。今回『ウォール・ストリート』の解説を書くにあたっては複数の経済学の本が参考になったのだが、ジェフ・マドリック薯『世界を破綻させた経済学者たち―許されざる七つの大罪』は正に慧眼と呼ぶべき示唆に富んだ内容だった。
改めて同書の内容も参照しながら進めていければと思う。『世界を破綻させた経済学者たち』によると、フリードマンを代表とする新古典主義の復権には不況が大きく関わっているという。
冒頭に述べたようにレーガンの大統領就任当時、アメリカは双子の赤字による不況の真っ只中にいた。 不景気になると、国民の間で政府への不信感が広がる。これは日本もそうだろう。政府への不信は政府による積極的な市場介入を拒否する流れに繋がる。ケインズは積極的な市場介入を唱えたが、当時の不況下では国民は小さい政府と自由主義経済を支持した。レーガンは大統領になる遥か以前から自由主義経済を進めようとしていたが、アメリカが不況になる前はレーガンの主張は拒否されていたそうだ。
前述のようにクリントンの時代を挟みながらも、経済政策としては新自由主義がブッシュ政権に至るまで続く。

だが、経済学者たちはその実態に気づいていなかった。
確かに数字の上ではGDPや株価は上昇し、経済成長も果たしただろう。
だが、その真実はどうだったのか。『オリバー・ストーンの語るアメリカ史』においてストーンはその内実をデータを示して明かしていく。
労働統計局によると1970年代以降、経営陣の報酬が急上昇する一方で、平均的な非管理職の従業員の報酬は10%以上減ったという。また議会予算局は1979年から2005年にかけて、上位1%の所得は480%も跳ね上がったと推定している。
ブッシュ政権になってこのような格差は更に拡大していった。こちらも同じく『オリバー・ストーンの語るアメリカ史』から紹介しよう。
国際労働機関のレポートによると、2003年から2007年まで、経営幹部の給料は実質45%増えたが、重役の平均上昇率は15%であった。更に労働者の平均上昇率に至ってはわずか3%しか上がっていない。
また2003年、アメリカ企業の上位15社の経営幹部は、アメリカの労働者の300倍の収入を得ていたが、2007年にはその差は500倍以上まで拡大していたという。
同じく新自由主義経済を進めた日本もそうだろう。株価や見せかけのGDPは増えたかもしれないが、庶民の間では景気回復を実感できる場面はほぼなかったと言える。

古典派経済学が非自発的失業者の存在を無視したように、新自由主義を推し進めた経済学者たちは名目上の数字だけを見て、現実の労働者、貧困層の実態を無視したとしか思えないのだ。

『オリバー・ストーンの語るアメリカ史』から以下のストーンの文章を引用しておこう。
「アメリカ人は変化を渇望していた。アメリカの戦争にうんざりし、歯止めがきかない国防費に嫌けがさし、憲法で保障された権利の制限を憂い、大金持ちを優遇する政策に怒り、深刻な経済崩壊に不安を募らせていた。しかし、アメリカの軍産複合体と国家安全保障国家の既得権益者たちがどんなに強い権力を握っているか、その彼らが自分たちのルールを少しでも変えることにどれほど激しく抵抗するかに気づいている者はほとんどいなかった。」

暴走していく「自由」

オリバー・ストーンはブッシュをテーマにした映画『ブッシュ』も製作し、ブッシュの外交政策を強く批判したが、上記のように経済政策も誉められたものではない。ブッシュは大統領に就任して数ヵ月で富裕層への減税を実施した。この減税は2002年、2003年にも行われた(余談だが、今作『ウォール・ストリート』でブレトンを演じたジョシュ・ブローリンが『ブッシュ』では主人公のジョージ・W・ブッシュを演じている)。
ここではリーマン・ショックがなぜ起きたか、その直接的な原因になったサブプライムローンについて簡単に見ておこう。

冒頭で紹介したゲッコーのスピーチ通り、アメリカでは無一文の若者でも家が購入できるようになった。その背景には政府による自助住宅所有機会プログラムやアメリカン・ドリーム・ダウンペイメント・イニシアティブ、住宅カウンセリングなどの住宅取得支援政策があった。「アメリカン・ドリーム・ダウンペイメント・イニシアティブ」という名称からはアメリカ国民にとって自分の家を持つことがアメリカン・ドリームであることが想起される。これらの後押しとサブプライムローンの拡大によって、低所得者や貧困層でも家が購入できるようになった。

サブプライムローンのサブプライムとは「サブ・プライム(=優良客層の下位の層、中低所得者)」のことで、要は返済能力の怪しい貧困層などにもどんどんローンを組ませた。
常識的に考えればリスクは大丈夫かと不安になるが、自由競争の名の元にサブプライムローンは何の規制もなく進められた。もしもの時は自宅を担保にすればいいとも思われていたことと、当時は不動産価格は上がり続けると考えられていたことも大きかった。数年所有したら売り飛ばし、差額で儲けるということが行われていた(それを見越してかサブプライムローンも最初の数年間は金利がゼロの所も多かったそうだ)。

もう一度ゲッコーのスピーチに戻ろう。
「何兆ドルの担保を表すきれいな名前・・・MBS(不動産担保証券)、CDO(債務担保証券)、ABS(資産担保証券)、意味を知ってる人間はそうではない。世界中で75人くらいだ。私に言わせればそれらはWMD(Wepons Mass Distraction=大量破壊兵器)だ。」
まともに考えればリスクの高いサブプライムローンだが、投資銀行はサブプライムローンに上記のような複雑な証券を組み合わせ、意図的に信用度を高くして販売した。
アメリカ在住の映画評論家、町山智浩氏は「アメリカにわずかに残った産業のひとつである住宅産業すら金融商品化した」と指摘している。

もちろん、不動産が永久に値上がりし続けるということはなく、2007年には住宅価格は下落に転じる。そうなると人は家を売るのを止める。するとどうなるか。ローンの金利が生活を圧迫するようになる(サブプライムローンは一定期間を経過すると金利が跳ね上がる仕組みだった)。そしてそれはリーマン・ショックまで突き進むことになる。
リーマンショックによってドルや株価は暴落する。その傷をデリバティブ取引が世界へと広げていった。

『世界を破綻させた経済学者たち―許されざる七つの大罪』

我が子を食らうサトゥルヌス

『ウォール・ストリート』ではジェイクはブレトンにクリーン・エネルギーの会社への投資を反故にされたことからブレトンの会社を辞めていたが、そこに追い討ちをかけるように、ついにリーマン・ショックが起こる。
そんな中、ゲッコーは娘のためにスイスに1億ドルの財産を隠していることをジェイクに打ち明ける。父がインサイダーで得た「汚れた隠し財産」をそのまま相続すれば、ウィニーも罪に問われる可能性があるために、一旦ゲッコーに送金し、ゲッコーが金を洗浄してウィニーに渡すことにする。父の金を受けとることに戸惑いを見せるウィニーをジェイクは説得し、二人はスイスに向かう。
全額を引き出し、ゲッコーに送ったジェイクらだったが、1億ドルの投資先であるクリーンエネルギーの会社からはまだ入金がないと言う。
ジェイクがゲッコーの住所を訪ねると、そこはすでにもぬけの殻。
ウィニーにゲッコーの裏切りと今まで隠れてゲッコーに会っていたことを伝えると、  彼女はジェイクに失望しジェイクの元を去っていく。

リーマン・ショックが起きたことでまた、ブレトンら投資銀行も壊滅的状態に陥る。ブレトンの部屋にはある絵画が飾ってある。
フランシスコ・デ・ゴヤの描いた『我が子を食らうサトゥルヌス』だ。
ローマ神話に登場するサトゥルヌスが、自分の子供に殺されるという予言に怯え、我が子を食らうという伝承をモチーフに描かれている。
ジェイクはウィニーの会社を訪れ、ブレトンの疑惑をまとめたレポートを手渡す。ウィニーのWebサイトに掲載されたブレトンの脱税や市場操作などの違法行為によりブレトンは逮捕される(しかしサイトの運営者であるウィニーに一切メディアの取材が来ないのはいくらなんでも不自然だ。情報源がWebサイトであれば余計にその信憑性には疑問を持たれるのが当然だろう)。
ブレトンにとっての子供はジェイクだっただろう。伝承の通りにジェイクはブレトンにとどめを刺したのだった。

一方ゲッコーは1億ドルを元手に再びウォール街の重鎮としてカムバックを果たしていた。
当初のエンディングは一見改心したように見えたゲッコーだったが、ゲッコーは結局ゲッコーだった、というエンディングだったようだ。しかし、カンヌで初上映した時にそのバージョンが不評だったことから、ゲッコーとジェイクらが和解するエンディングに直したという。
ウィニーとジェイクの前に現れたゲッコーはウォール街で儲けた11億ドルのうち、1億ドルを送金したことを伝える。
「人間には許しが必要だ。人は様々だ。だが、孫が生まれ、お前がいる。
私をまた父親にできないか?」
そう言ってゲッコーはウィニーに許しを乞う。

狂気の定義

オリバー・ストーンによると、『ウォール・ストリート』も前作の『ウォール街』でも描いているものは変わらないという。それは人間の在り方であり、愛や信頼、強欲だった。それらは前作の製作当時と何も変わっていないとストーンは語る。
「今回はアメリカが必要以上に欲望にまみれていることを描きたかった」

これらの欲望をどう言い表せばいいのか?
オリバー・ストーンは『ウォール・ストリート』のエンディングでジェイクにこのようなモノローグを語らせる。

「狂気の定義とは?
違う結果を求めながら同じことを繰り返すこと。
誰もが犯す過ちだが、同時には犯さない。それが救いと言える。では我々がもし集団で同時に狂気に走ったらどうなる?ゴードンの言った世の中、全体を巻き込むガンだ。その先は?僕が言ったようにバブルの元祖はカンブリア紀爆発。それは五億年以上前に突然起こった。前例のないことが一瞬にして起こったのだ。
それを機に数えきれない新種の生き物が出現して我々が生まれた。人類だ。
つまりバブルは進化を促す。進化のバブルは自然界を淘汰、決して死なず別の形で蘇る。
それはまた弾け、新しい時代を創る。
変化に終わりはない」

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BLACK MARIA NEVER SLEEPS.

映画から「時代」と「今」を考察する
「映画」と一口に言っても、そのテーマは多岐にわたる。
そしてそれ以上に観客の受け取り方は無限大だ。 エジソンが世界最初の映画スタジオ、通称「ブラック・マリア」を作った時からそれは変わらないだろう。
映画は決して眠らずに「時代」と「今」を常に映し出している。

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