『スミス都へ行く』キャプラならではの「民主主義の教科書」

※以下の考察・解説には映画のネタバレが含まれています


2011年に公開された三谷幸喜監督の『ステキな金縛り』は負け続けのダメ弁護士が被疑者のアリバイを証明するために、落武者の幽霊を証人として裁判に出廷させるコメディだ。
主人公は深津絵里演じる宝生エミ。エミは裁判で負け続けており、後がない状況に追い込まれているが、故人である彼女の父、宝生輝夫は優秀な弁護士として法曹界での信頼も厚い人であった。
そんな輝夫が好きな映画として取り上げられているのがフランク・キャプラ監督の『スミス都へ行く』だ。
このチョイスだけでも輝夫がどのような人物かが伝わってくる。今回はこの『スミス都へ行く』を解説していこう。

『スミス都へ行く』

『スミス都へ行く』は1937年に公開されたドラマ映画だ。監督はフランク・キャプラ、主演は「アメリカの良心」とも呼ばれたジェームズ・スチュアートが務めている。
本作は「民主主義の教科書」とも評される作品でもある。実際にアメリカの中学校・高校では映画鑑賞の授業において民主主義を学ぶために上映されるのだという。
原題は『スミス、ワシントンへ行く』という意味の『Smith goes  Washington』だ。

映画は『ヤンキードゥードゥル』の音楽とともに始まる。『ヤンキードゥードゥル』と言われてもピンと来ないだろう。日本では『アルプス一万尺』として知られる曲だ。
主人公はアメリカの田舎、モンタナ州で暮らす青年、ジェファーソン・スミス。彼はボーイスカウトの隊長として働いており、子供達に絶大な人気を得ている。

この名前にも意味がある。スミスはアメリカでもっとも一般的な姓の一つ。正に理想に燃える「普通の男」を体現した名前だ。ジェファーソンは合衆国大統領、トーマス・ジェファーソンから取られている。

この田舎暮らしの純朴な青年は急死した上院議員の後任として地元の有力者達に祭り上げられ、首都ワシントンへ赴く。無学な田舎者なら傀儡として操りやすいからだ。そのような思惑に気づくこともなく、スミスはアメリカの首都であるワシントンでアメリカ建国の精神に触れていく。
冒頭の『ヤンキードゥードゥル』にも意味がある。『ヤンキードゥードゥル』はボーイスカウトの教育に使われる歌でもあり、独立戦争の際にさかんに歌われた愛国歌でもある。

キャプラの移民ならではの愛国心

また、このスミスというキャラクターには、移民であるフランク・キャプラ自身が重ねられている。
キャプラはイタリアのシチリア島からの移民であった。その当時は多くの人がアメリカン・ドリームを夢見て、母国からアメリカを目指して海を渡った。キャプラも5歳の時に両親と共にシチリアからアメリカへ渡る。

2002年公開のマーティン・スコセッシ監督の『ギャング・オブ・ニューヨーク』では19世紀後半の移民達の生活が描かれる。 貧しい彼らは物価の安いニューヨークのスラム街、ファイブ・ポインツに住み着くようになった。同作ではアイルランド移民が取り上げられているが、イタリア系の移民であるキャプラもまたアメリカで貧しい暮らしを余儀なくされた。

キャプラは36歳の時に『或る夜の出来事』でアカデミー賞の作品賞、監督賞、主演男優賞、主演女優賞、脚本賞と主要部門を制覇。キャプラにとってはまさにアメリカン・ドリームを実現させた瞬間でもあっただろう。
「一夜にして全て変わった。世界中の新聞の一面を飾り、アジアにまで名前知れわたった」
アメリカによって成功を手に入れたキャプラは熱烈な愛国者となっていく。

2008年に公開されたクリント・イーストウッド監督の『グラン・トリノ』も移民の持つアメリカへの愛国心がベースにある。クリント・イーストウッド演じるウォルト・コワルスキーはポーランドからの移民という設定だ。コワルスキーはアメリカにわたりフォードの工員として働き、デトロイトに自分の家を持つことができた。自分の家を持つことがアメリカンドリームの一つだということはキャプラの『素晴らしき哉、人生!』でも描かれている。
コワルスキーが大切にしているフォード車のグラントリノはそんな若き日の成功の象徴でもある。
アメリカによって成功を与えられたコワルスキーは朝鮮戦争に赴く。

女優のキャサリン・ヘプバーンはこう振り返っている。
「キャプラは本物の『古き良きアメリカ人』でした。特定の支持政党を持たない、フェアな人間であり、自由を愛する人でした。アメリカ生まれの私たちには当然の事でも、移民の彼にはその真の価値がわかっていたのでしょう。」
映画監督のオリバー・ストーンもキャプラについて
「彼のようにアメリカに来て貧困のなかで育ち、成功を掴むとこのアメリカに恩返ししたいと考えるに違いない」と述べている。
キャプラの熱烈な愛国心は移民が大きな成功をつかんだ自分自身の人生から生まれてきたのだった。

スミスに投影された「正直者エイプ」

話を『スミス都へ行く』へ戻そう。
いざワシントンで政治の世界へ足を踏み入れたスミスだったが、彼が直面したのは腐敗した政治の現実だった。
世間知らずの田舎者がいきなり上院議員になったことで、メディアはスミスを世間知らずのお坊っちゃまだと囃し立てた。スミスは「議員らしい仕事がしたい」とペインに相談する。ペインは、かねてからスミスが希望していた子供たちのためのキャンプ場を作る法案でも通してみてはどうかという。さっそくスミスはキャンプ場を作る法案を秘書のサンダースとともに作り始めるが、キャンプ場の建設予定地はテイラー達がダムを作ろうとしているその場所だったのだ。
テイラーによってスミスの法案は妨害され、スミスは自分への利益誘導としてキャンプ場の建設を主張しているのだという言われのない中傷記事も掲載される。

政治の世界に絶望し、田舎へ帰ろうとするスミス。彼が最後に立ち寄ったのがリンカーン記念館だ。
リンカーンの像の台座に刻まれている「人民の人民による人民のための政治は不滅だ」、その言葉はスミスの理想の政治でもあった。

2012年の映画『リンカーン』でも描かれているように実際のリンカーンは目的のためなら敵を買収したり、裏取引を行ってもいるのだが、キャプラは「正直者エイプ」と呼ばれたリンカーンをイメージしているのだろう。ここでもキャプラの純粋な愛国心の一片を見ることができる。

キャプラは1938年の10月にカメラマンのジョセフ・ウォーカーや脚本家のシドニー・バックマンを伴って実際にワシントンに赴いて取材を行っている。その目的はスミスと同じ目線ワシントンを体験することだった。キャプラたちは観光バスに乗り、アメリカの建国の父たちの像を見て回った。

スミスはリンカーンの言葉をアメリカの理想と述べながらも、それとはほど遠い実際の政治に落胆する。「僕には向いていなかった」そう吐露するスミスを、秘書のサンダースは励ましていく。「リンカーンも敵は多かったけれど、決して諦めなかった。彼のようにバカになって頑張る人が世界を変えてきた。あなたもその一人」と。
そしてサンダースはスミスにある知恵を授ける。かくして議会に出席したスミスは24時間以上にもにもわたる演説を始める。スミスはサンダースに教えられた議員の発言中は誰にも邪魔されない というルールを利用したのだ。
余談だが、スミスが声をからしていく様子を表現するために、キャプラは咽頭科の医者を呼び、水銀薬をジェームズ・スチュアートの喉に吹き掛けたという。
24時間にも及ぶ演説でとうとうスミスは倒れ込んでしまう。だが、そのスミスの姿を目にしたペインは自らの行いを恥じ、すべての罪を認める。

キャプラ映画の最高傑作

『スミス都へ行く』は正にアメリカの理想を体現したような映画だ。
キャプラも自身の監督作で『スミス都へ行く』が最も好きな作品だという。
「政界を舞台にしてその内幕を暴露している。だからこそ私は他のどの作品よりも好きだ。大作だ。」
だが、そこにあるのはあまりに理想的な作品だということも付け加えておこう。
例えばスミスは24時間を超える長さの演説を打つが、いくらルールで認められているからといってもこれはやりすぎだろう。同様に引き伸ばす戦略として牛歩戦術と呼ばれるものがある。
実際にを行ったが、あまり国民の理解は得られなかったようだ。

だが、それでも理想を描くのが「キャプラスク」だろう。巨大な組織や権力に立ち向かう個人の尊厳はキャプラ映画に一貫して描かれるテーマだ。
ラブコメ映画である『或る夜の出来事』も資本家の親の決めた結婚に反対する令嬢の物語であり、『素晴らしき哉、人生!』も町を牛耳るポッターに青年のジョージが立ち向かっていく話だ(『素晴らしき哉、人生!』の主演もジェームズ・スチュアート。キャプラのスチュアートへの篤い信頼が伺える)。
『スミス都へ行く』もスミスというアメリカ国民の象徴たる個人がが正義によって組織的な不正に対抗し、勝利を勝ち取るという話だ。
だが、民主主義は一人では成し得ない。大衆の支持あってこそだ。

『スミス都へ行く』でキャプラは無邪気にアメリカと民主主義を礼賛した。しかし、次作の『群衆』では一転して民主主義の危うさを描いている。
それに関しては戦争の影響が濃い。

第二次世界大戦への参戦前後のアメリカ

『スミス都へ行く』はアメリカ国内で高い評価を得たが、民主主義の暗部を描いた作品でもあるために公開当時、国外での上映には慎重な声もあった。その先鋒であったのがケネディ大統領の父でもあるジョセフ・P・ケネディだ。当時ジョセフ・P・ケネディは在イギリスアメリカ合衆国大使だった。

キャプラは『スミス都へ行く』の好意的なレビューを集め、ケネディに送ったが、依然としてケネディは国外での上映には否定的だった。ケネディは「作品はヒットするだろう。しかし、政治的に害をもたらすことも間違いないだろう」と答えた。民主主義の暗部を描いた内容が、連合国の兵士の士気に影響を与えるのではないかとの懸念があったのだ。
だが、ケネディの予想とは逆に『スミス都に行く』は好意的に迎えられた。一人で腐敗に立ち向かうスミスの姿にアメリカより先にファシズムと戦っていた連合国の兵士たちは希望を見い出していたに違いない。

この参戦前の時期のアメリカにおいてはファシズムよりもむしろ共産主義が敵視されていたという説もある。
だが、ファシズムの波はアメリカにも大きな脅威として迫ってきていた。1940年に日独伊三国同盟が結ばれたことや、アメリカでもファシズムの支持者が増えてきていた。
キャプラの息子は後年、キャプラは『スミス都へ行く』は不安定な国際情勢の中で自由や民主主義が脅かされる危険性があること、そして自由や民主主義は当たり前には存在し得ないことを訴えたかった、また『群衆』は当時アメリカでも台頭してきていたファシズムに警報を鳴らす狙いがあったのだろうと述べている。

『スミス都へ行く』に続くキャプラの映画『群衆』では民主主義の主役である大衆がいかに扇動されやすく危険な存在であるかを描いている。
そして『群衆』の公開の約半年後、アメリカは連合国側の一員として第二次世界大戦に参加する。
熱烈な愛国者であるキャプラも軍隊に志願、アメリカ陸軍に所属し、多くのプロパガンダ映画を製作することになる。

created by Rinker
ソニーピクチャーズエンタテインメント
¥1,091 (2024/05/20 07:09:26時点 Amazon調べ-詳細)
最新情報をチェックしよう!
NO IMAGE

BLACK MARIA NEVER SLEEPS.

映画から「時代」と「今」を考察する
「映画」と一口に言っても、そのテーマは多岐にわたる。
そしてそれ以上に観客の受け取り方は無限大だ。 エジソンが世界最初の映画スタジオ、通称「ブラック・マリア」を作った時からそれは変わらないだろう。
映画は決して眠らずに「時代」と「今」を常に映し出している。

CTR IMG