『波止場』エリア・カザンが求めた許しとは

※以下の考察・解説には映画のネタバレが含まれています


1940年代から50年代初頭にかけてハリウッドには赤狩りの嵐が吹き荒れた。赤狩りとは政府が国内の共産党員および共産主義者を公職から追放することだ。
赤狩りは共和党右派のジョセフ・マッカーシーを中心に進められ、その嫌疑をかけられた者は非米活動委員会に召喚され、公聴会の場で自らの立場を明確にせねばならなかった。
ひとたび共産主義者と認められたらハリウッドでの映画人としてのキャリアは終わってしまう。そうした事態を避けるために多くの映画人たちが司法取引をし、仲間の名前を委員会に売った。

映画監督のエリア・カザンもその一人だ。カザンは1952年に公聴会で仲間を売った。そのことは後にカザンの人生に暗い影を落とすことになる。

『波止場』

カザンが1955年に発表した映画が『波止場』だ。この作品は実在した港湾労働者のトニー・マイクの逸話をモチーフにし、港湾労働を支配するマフィアへ反抗した一人の若者の姿が描かれている。主演はマーロン・ブランド。今作にはカザンのどのような思いが込められているのだろうか。

波止場で働く元プロボクサーのテリー。テリーの働く波止場はジョニー率いるマフィアの取り仕切るシマの一つだ。テリーも彼の兄のチャーリーもジョニーの組織の構成員の一人で、チャーリーはジョニーの右腕のような存在だった。

ある時、テリーはとある建物の屋上に友人のジョーイを呼び出す。ジョーイにはマフィアに楯突いたことから制裁が加えられる予定であり、テリーは彼を屋上に誘い出す役割を負わされていた。屋上に現れたジョーイはチャーリーによって突き落とされ、転落死する。

ジョーイを多少痛めつけるだけだろうと思っていたテリーの心には、間接的に友人の殺害に荷担してしまったという大きな罪悪感が生まれる。
だが、この波止場で生きていくには波止場を牛耳るジョニーに逆らえないままだった。

テリーはジョーイの妹、イディと再会する。彼女との付き合いを深めていくにつれて、テリーは自身の中の良心の呵責が大きくなっていくのを感じていた。
そんなある日、ジョニーを告発しようとした仲間が、事故に見せかけて殺されてしまう。組織のやり方に憤りを覚えたテリーはジョニーへの反発の気持ちが大きくなる。兄のチャーリーはそんな弟を危惧し、なんとかなだめようとするも話し合いは決裂に終わる。チャーリーはジョニーから最悪の場合はテリーを殺すように言われていたが、どうしてもそれが出来ない。

「お前には会えなかったと言っておく」

そう言ってチャーリーはテリーと別れた。そしてチャーリーはテリーの目の前でジョニーに殺されてしまう。
テリーはマフィアへの復讐を決意するが―。

エリア・カザンと共産主義

『波止場』はカザンが行った米活動委員会での密告を正当化した作品だと言われる。
ここで共産主義の盛り上がりと赤狩りについて、カザンを中心に詳しく見ていこう。

1929年に始まる大恐慌時代には、映画や演劇に関わる多くの者が共産主義に傾倒し、実際に共産党に入党したものや、共産党の集会に参加した。
エリア・カザンもその一人だ。カザンは1909年にトルコのイスタンブールで生まれた。4歳の時にギリシャ人の両親とともにアメリカに渡った。

カザンは所属していた劇団の繋がりから1934年に共産党に入党した。しかし、36年には党の劇団に対する方針と反りが合わずに脱党した。
「共産党から手を切ったことでより自由な左翼人になれた。」そうカザンは述べている。党員で無くなった後も価値観としては遠くない場所にいたのだろう。

ハリウッドと赤狩り

戦時中、ハリウッドは政府に積極的に協力していた。『或る夜の出来事』『群衆』『素晴らしき哉、人生!』などで知られる映画監督のフランク・キャプラも国威発揚のためのプロパガンダ映画を多く撮っている。

戦争が終わったアメリカが直面した次の脅威は共産主義だった。それはそれまでのように国外から襲ってくるのではなく、アメリカ国内から摘まねばならぬ芽でもあった。
「敵が海から我が国を侵攻するために兵を送ってきたのではなく、むしろ地球上で最も素晴らしい国の恩恵を受けている者達の裏切り行為によるものだ」
赤狩りの中心人物であったジョゼフ・マッカーシーは共産主義についてこう述べている。

そして、赤狩りの矛先はハリウッドに向けられた。ハリウッドにはもともとリベラルな風土があることもその理由の一つだが、アメリカ政府は第二次世界大戦を通してハリウッドが大衆にとってどれだけ大きな影響を与えるのかを理解していたからだ。

共産主義者だけでなく、かつて共産主義に関わっていたり、その嫌疑をかけられたら最後、仕事はなくなり、場合によっては投獄されることになる。
赤狩りによって、のちに『ローマの休日』を手掛ける脚本家のダルトン・トランボをはじめとする「ハリウッド・テン」、喜劇王として有名なチャールズ・チャップリンらがハリウッドから追放された。
トランボのその後の経緯は2016年の映画『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』に詳しい。

カザンの密告

1951年4月23日にカザンの友人であるジョン・ガーフィールドが共産主義者の嫌疑をかけられ、非米活動委員会に召喚された。
彼は自らを反共主義者と主張し、ハリウッドにおける共産主義者の存在を全く知らないと述べた。
ガーフィールドは仲間を売るのを拒否したのだが、彼自身はブラックリストに載せられ、映画界でのキャリアは閉ざされてしまった。その後、ガーフィールドは39歳で短い人生を終えている。

カザンが最初に非米活動委員会から召喚を受けたのは52年の1月14日だった。その時にカザンはかつて18ヶ月間共産党員であったことは認めたが、誰が共産主義者であるかの証言はしなかった。
しかし、すぐにカザンは自ら2回目の召喚を希望し、52年4月10日に行われた2回目の聴聞会ではカザンは自発的に共産主義者の友人の名前をあげた。アート・スミス、フォーブ・ブランド、クリフォード・オデッツなどかつての演劇仲間だ。しかし、ここでカザンがあげた8名はいずれも委員会によって把握されていた名前であった。
しかもオデッツとは互いに互いの名を証言するということを示し合わせていたようで、オデッツの証言では、オデッツは共産主義者としてカザンの名をあげている。

2回目の召喚を希望した理由としてカザンは「秘密を守ることは共産主義に奉仕することになる」と述べている。しかし、これは自己を取り繕った言葉であり、カザンの本心ではないだろう。
カザンが明かしたリストのなかには故人も含まれており、また前述のようにすでに委員会によって把握されていた名前ばかりであったため、実害は最低限に留まっていると考えられるからだ。

赤狩りの時代において、共産主義者の嫌疑をかけられ、召喚を受けた映画人が取れた動きは国外逃亡するか、国内にとどまって映画会から追放されるか、もしくは映画業界での仕事を続けるため、共産主義と関わりのないことを誓約し、共産主義傾向のある者やあった者の名前を挙げるかのいずれかだった。

前述の『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』でトランボは偽名で脚本を量産し続けて口糊を凌ぐが、カザンのような映画監督はそうはいかない。同作の監督であるジェイ・ローチはこう述べている。
「監督は毎日現場に来ねば撮影は進まない、映画監督は偽名でやるわけにはいかず、ただ職を失うだけ」この言葉を裏付けるかのように実際に赤狩りの中でも信念を貫けた映画監督はエイブラハム・ポロンスキー、ハーバート・ビーバーマンの二人だけだと言われている。

加えてカザンが仲間の名前を挙げたのはカザン自身のトルコからのギリシャ系移民という生い立ちが関係しているからだという説もある。
カザンは自身の生い立ちについて、「10代まで半ばまでアメリカ人の友達はいなかった」「金がなかったので大学の中で皿洗いやウェイターのアルバイトをした。学友達にフルーツパンチをサービスするのが私の仕事だった」と語っている。ちなみカザンが通っていたのはWASPの子弟が多く通っていたウィリアム・カレッジだった。マイノリティのカザンは強くアメリカ社会の一員と認められようとしたのだろう。

だが証言してもしなくても、召喚状を受けたマイノリティに属する人々の前途は厳しいものであった。
非米活動調査委員会から召喚状を受けた者は調査に協力するかしないかにより友好的か、非友好的かに分類された。非友好的であることは非アメリカ人であることを意味した。
カザンはニューヨーク・タイムズに「私は共産主義者ではない」という広告まで出したという。ここにもカザンのアメリカ社会への帰属欲求が顕著に見てとれる。

50年代中期には赤狩りはマッカーシーの失脚とともに終焉に向かう。そして60年代にはトランボなどの赤狩りの犠牲者の名誉回復がなされる。
トランボはそれまで偽名で脚本を書いていたが、1960年の映画『スパルタカス』でようやく実名でクレジットされるようになる。
一方で、非米活動委員会に従い、彼らを裏切った者や追い詰めた者は非難を受けることになるのだが、アメリカ白人であるドナルド・レーガンやウォルト・ディズニー、ジョン・ウェインらは赤狩りを先導する立場であったにも関わらず、カザンほどの責めは受けていない。このことはカザンへのマイノリティ差別を裏付けるひとつの事実にならないだろうか。

カザンについた「密告者」「裏切り者」というレッテルは以後40年近くもカザンにのしかかることになる。

非米活動委員会の召喚と証言が終わったあとにカザンは20世紀フォックスのプロデューサー、ダリル・F・ザナックの要請で『綱渡りの男』の監督を依頼される。
社会主義体制下のチェコスロバキアで活動するサーカスの一団が自由を求めて西ドイツに亡命することを企てる話だ。
反共プロパガンダ映画としてみなされる本作だが、『波止場』も同様にカザンが当時のアメリカ政府にすり寄ろうとする姿が見てとれる。

『波止場』に見るエリア・カザンの意思

前置きが長くなったが、『波止場』について見ていこう。

カザン本人は否定しているが、『波止場』はカザン自身を反映した映画だとも言われている。
マーロン・ブランドの自伝によるとリハーサル開始前に、カザンとブランドは二人だけで話し合ったそうだ。
その時にカザンは非米活動調査委員会で自身が行ったことと、『波止場』の内容には重なる部分があると認めている。

確かにテリーが圧力に負けずにマフィアを告発する場面は同じく非米活動委員会で共産主義者の名前を証言したカザンの姿を重ねることができるだろう。テリーはその後報復として飼っていた鳩を殺され、自身もマフィアからのリンチで半殺しの目に遭う。鳩は内通者の隠語でもある。テリーの裏切りに対して制裁を加えようとしたマフィア達には共産主義者達の姿が重ねられてはいないだろうか。

マーロン・ブランドとの決裂

実際に非米活動委員会でのカザンの証言には当時から賛否両論があった。
友人らを売った「裏切り」には当時から批判の声も大きかった。

「私も当時は非難の的だった」
カザンは『波止場』の撮影を振り返ってそう言う。
『波止場』の撮影中でも共産主義者に襲われたことがある。この事もありカザンはボディーガードを雇って撮影を行っていたという。
ちなみに『波止場』の脚本を務めたバッド・シュールバーグも赤狩りの圧力に負けて仲間を売った一人だった。

マーロン・ブランドは自伝の中で「『波止場』が実はカザンとシュールバーグの隠喩的な自己弁明であったことに私は気づかなかった。二人は友人を密告したことを正当化するためにこの映画を作ったのだ」と述べている。ブランドはカザンの公聴会での密告に否定的であり、そのために一度はテリー役を断ってもいる。
また、『波止場』の撮影では実際にロケ地である港湾を取り仕切るマフィアたちの協力を得ねばならなかったのだが、それについてもブランドは以下のように批判している。
「カザンは非米活動調査委員会で共産主義者であるという理由で友人たちを裏切ったが、コーザ・ノストラと協力関係を築くことには何のためらいもない」
ブランドとカザンは『欲望という名の電車』『革命児サパタ』『波止場』でコンビを組んでいるが、『波止場』を最後に二人がコンビを組むことはなかった。

『波止場』における宗教色

もう一つ、この映画については宗教的道徳という側面からも語ることができる。
カザンはキリスト教に否定的であったにも関わらず、『波止場』には宗教的なモチーフが散りばめられているからだ。
カザンは『欲望という名の電車』を監督するが、この作品はヘイズ・コードによって自分の思う表現ができなかった。

ヘイズコードとは1934年に成立したハリウッドの自主検閲のことだ。
1920年代、ハリウッドは「罪の街」「西のバビロン」「悪魔の保育器」とまで呼ばれるほど、事件や醜聞の絶えない街でもあった。
そんな中、カトリックあるマーティン・クィッグリーと、イエズス会士であるダニエル・A・ロード神父はロード神父は、映画向けの倫理規定を作成し、映画スタジオに送った。それが元になり規定ができた。それがヘイズコードだ。

『欲望という名の電車』はその内容からヘイズコードに抵触し、カトリック教会やPCAから抗議を受け、試聴禁止の処分が下されそうになったことがある。そこでワーナーはカザンに無断でフィルムを編集したのだった。
こうした経緯もあり、カザンはキリスト教に否定的になったのだが、なぜ『波止場』では逆にキリスト教に歩み寄っているのだろうか?
宗教的な観点から見ても共産主義者は忌むべき存在だった。マルクスが唱えたように共産主義では神や宗教は否定されるからだ。

ジョーイを裏切り、死なせてしまったテリーは言わばキリストを売ったユダとも言えるだろう。ユダはその後自殺するが、テリーはイディとの交流により、改心していく。
そんな中、ジョーイに続いて波止場の不正を証言しようとしていたデューガンが事故に見せかけて殺される。
デューガンの弔いのために、事故現場にバリー司祭が呼ばれる。その時の司祭のセリフを紹介しよう。

「私は約束を守る。もし彼が不正と戦うなら、私も共に戦うと誓ったのだ。
デューガンが死んだ、彼は常に不正と戦ってきた。そして今殺されたのだ。
マックは事故だという。十字架の磔はキリストだけではない。みんなもよく考えろ。
ジョーイが証言を封じられたのもデューガンが証言をする前日に殺されたのもみんな十字架だ。
市民の義務を果たそうとする人が殺される時、それは十字架だ。その不正を知りながらも黙って見過ごしているものはキリストに槍を刺したローマ兵と同罪なのだ」

真剣に司祭の話に耳を傾ける波止場の労働者に混ざり、マフィアからは演説に対する妨害が入る。

「ここが私の協会だ!キリストが見ておられるのだ!」
思わず司祭も声を荒げる。
そして演説は再開される。

「毎朝、就業の札が配られる時、キリストは君らとともに並び、この不正を見ておられるのだ。
誰かが妻や子に食べ物を持って帰らねばならないか、君たちが魂を売っている現状を」

ここで再度司祭へ物が投げつけられる。

「キリストはこの輩をどう思っておられるか、人々の賃金をかすめ、美服をまとい、指にはダイヤ。呪うべき寄生虫どもだ。
常に不正と戦ったキリストは諸君の沈黙をどう思うか。
この波止場には金銭への州尺しか見られない。人間の愛は消えた。兄弟愛さえもだ。だがキリストは今もこのデューガンの死を見ておられるのだ。常に一緒だ。
これは我々全ての問題なのだ。生命の危険は君らにも迫っている。君にも、君にも。残らずだ。
そして諸君だけがその不正を滅ぼせるのだ」

バリー司祭は実際にニューヨークの波止場で労働者の権利保護のために戦っていたイエスズ会のジョン・M・コリダン司祭がモデルだと言われている。
上記のセリフ(「波止場の演説」と呼ばれる)は3分ににも及ぶ大演説だが、コリダン司祭が実際に語ったことをシュルバークが、脚本としてセリフに起こしたものだ。

ここでテリーは司祭の言葉に共鳴していく。キリストを裏切ったユダは良心の呵責に耐えかねて命を絶つが、テリーは贖罪として不正を証言しようとするのだ。
いわば、司祭(キリスト)の言葉で正義に目覚めたとも言える。
エリア・カザンが『波止場』を通して当時のアメリカ社会や体制にすり寄ったことは明らかだろう。

兄のチャーリーをジョージに殺されたテリーは銃を持ち復讐へ向かおうとするが、バリー司祭に止められる。
「銃は弱きものの武器だ。強い者であれば裁判で証言しろ」
裁判で不正を証言したテリーはマフィアに半殺しにされる。その姿はキリストの受難に重ねることができるだろう。

公開当時、「キリスト教的な映画」として若い神父に連れられ、司祭を目指していたとある少年も映画館で『波止場』を鑑賞している。
彼の名はマーティン・スコセッシ。
その後成長したスコセッシはロックンロールとセックスに夢中になり、神学校を退学させられる。聖職者の道は諦めたものの、カザンは映画監督を目指すスコセッシの師になった。

だが、依然としてカザンには「密告者」の汚名が重くのし掛かっていた。赤狩りから半世紀以上経ってもそれは変わらなかった。
もっともカザンは70年代に「共産主義者と呼ばれるくらいなら裏切り者と呼ばれる方がまし」「同じ事態が起きれば何度でも同じことをする」と述べているのだが。

カザンの名誉回復

90年代、スコセッシはカザンの名誉回復に動き出す。
当時、『波止場』でバリー神父を演じたカール・マルデンが、映画芸術科学アカデミーの要職についていたことも追い風になった。
そして1999年の第71回アカデミーデ・ニーロとスコセッシは名誉賞のプレゼンターとしてエリア・カザンを紹介した。名誉賞の授与式では会場全体でスターディング・オベーションで受賞者を舞台に迎えることが慣例となっているのだが、エド・ハリス、イアン・マッケランは腕組みをして座ったまま拍手すら拒んだ。スティーヴン・スピルバーグ、ジム・キャリーらは拍手はしたものの、立ち上がるのは拒否している。これはかなり異常なことだった。
スピーチの最後にカザンは弟子でもあるスコセッシを抱きしめ、「これで静かに立ち去ることができる」と述べた。

そう言ったカザンだったが、果たしてカザンは許されたのか?
カザンは自身を正当化することでしか生きていけなかった。それがカザンの弱さだった。

「裏切り」という弱さへの赦し

マーティン・スコセッシは2016年に『沈黙 -サイレンス-』を製作した。原作は遠藤周作の『沈黙』だ。
江戸時代の長崎を訪れたキリスト教宣教師が棄教するまでの葛藤を通して、信仰と人間の弱さを描いた。

主人公の宣教師であるセバスチャン・ロドリゴは、師であるフェレイラ神父が布教先の日本で棄教したとの知らせを受け、自らも日本の長崎へ向かう。しかし、そこで目にしたのは信仰に殉じて命を落とす隠れキリシタンの姿だった。
なぜ罪なき者が苦しむのか?キリシタンたちは日夜凄まじい拷問を受け続ける。自らも棄教をしなければ弱き彼らがより苦しむ。信仰と棄教の間で追い詰められたロドリゴの足元に置かれた踏み絵のキリストは「踏みなさい」と初めて沈黙を破り声をかける。

この状況で誰が棄教を責められようか。誰が棄教した者を責められようか。殉じた強き者だけでなく、裏切った弱い者こそ救われるべきではないか、許されるべきではないか。そう、それはエリア・カザンのような弱い者に対してもだ。
スコセッシは「ロドリゴは踏み絵を踏むことによって真なるキリシタンになっていった」と語っている。

カザンは2003年に亡くなるが、最後まで自分の口から当時の密告を謝罪することはなかった。

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BLACK MARIA NEVER SLEEPS.

映画から「時代」と「今」を考察する
「映画」と一口に言っても、そのテーマは多岐にわたる。
そしてそれ以上に観客の受け取り方は無限大だ。 エジソンが世界最初の映画スタジオ、通称「ブラック・マリア」を作った時からそれは変わらないだろう。
映画は決して眠らずに「時代」と「今」を常に映し出している。

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