『もののけ姫』はなぜ室町時代を舞台にしたのか?

※以下の考察・解説には映画のネタバレが含まれています


「今度のジブリは暴力描写が凄いらしい」
『もののけ姫』を知ったきっかけはそんな誰かの一言だった。

『もののけ姫』が公開されたのは1997年。私は小学校4年生で10歳だった。暴力描写が凄いと聞いて思春期直前の男子が興味を持たないわけはない。
家族と一緒に映画館へ観に行った思い出がある。
とはいえ、私の本命は同じ日に観た『ジュラシック・パーク』の続編の『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク』の方だった。
両親から「どちらが面白かった?」と聞かれて幼い私は意地を張って「ロスト・ワールド!」と答えたことを覚えている。
だが、本当に面白く、心に残ったのは『もののけ姫』だ。

あの日から25年以上が経ったわけだが、私の中のナンバーワンのジブリ映画はずっと『もののけ姫』のままだ。もちろん当時小学生だった私がどれだけ内容を掴みきれたのかは自信がない。
今回は『もののけ姫』の解説や考察を通して、改めて作品に込められたメッセージと、90年代という時代を振り返ってみたいと思う。

『もののけ姫』

『もののけ姫』は1997年に公開された宮崎駿監督のアニメ映画だ。声優は、石田ゆり子らが努めている。興行収入は193億円となり、これは当時の日本の歴代映画興行収入第一位を記録した。
『もののけ姫』はそれまでのジブリ映画とは比較にならないほどの力が費やされた作品となった。興行収入は193億円だが、それまでジブリ映画が記録してきた興行収入は『紅の豚』の27億円であり、『もののけ姫』がビジネスとして成功するには最低でも59億円の興行収入を上げることか必要だった。さらに『もののけ姫』はそのテーマの複雑さゆえにメインターゲットである子供だちに受け入れられるかの心配もあった。 また、同時期に公開される作品として、冒頭で述べた『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク』もという強力な対抗馬の存在もあり、これまでにない劇場数の確保や大規模なプロモーションが組まれたという。
さらに宮崎駿監督の引退作という話題も手伝い、当時の日本の歴代映画興行収入第一位というヒットに至ったのだろう。
だが、本当に多くの人を引き付けたのは『もののけ姫』の作品そのものにあることは間違いない。

タタリ神の呪い

物語は東北から北のある村から始まる。 村を襲った「タタリ神」から若い娘たちを救うために、村の青年アシタカはやむなくタタリ神に手を出し、死に至る呪いを受ける。
タタリ神の死体からは鉄の弾が見つかる。
タタリ神の正体はナゴの守という猪神だった。人間に毒礫を撃ち込まれ、死への恐怖と人間への憎しみがナゴの守をタタリ神へと変えたのだった。

村の長であるヒイ様は西の方で何か不吉なことが起きていると言い、アシタカは呪いを解くために西への旅立ちを決意する(ここで村の娘カヤがアシタカに玉の小刀を贈るが、こちらについてはコラム『玉の小刀とは何だったのか?アシタカが捨てきれなかった過去とは?』で詳しく描いている)。
旅の途中でアシタカは侍同士の合戦に遭遇する。彼らの攻撃はアシタカにまで及ぼうとしていた。やむなく武士を止めるために矢を放つが呪われたアシタカの腕は暴走し、人力に非ざる威力で武士たちの両手や頭をはね飛ばしてしまう。

アシタカは旅の途中で知り合った唐傘連のジコ坊にナゴの守の体に入っていた毒礫を見せる。ジコ坊はその弾については知らないというが、西の方に動物達が太古のままの姿で暮らすシシ神の森があるという情報を与える。シシ神の森へ向かったアシタカはそこで倒れている人々を発見する。
彼らを家まで送り届けるアシタカ。彼らの住む場所はタタラ場であり、エボシ御前という女性が率いる巨大な製鉄業を中心に栄えている村だった。
だが、エボシは製鉄のために木を倒し、森を崩し、神への畏れも持たない。エボシは神々からの憎しみを一身に集める存在でもあった。

室町時代が選ばれた背景と時代考証

『もののけ姫』の舞台は室町時代後期だ。日本では応仁の乱以降、朝廷や将軍の力は弱まり、各地で戦乱が頻発するようになった。言わば戦国時代の初めだと言っていいだろう。(戦国時代という時代は実際には存在しないが)。
先に触れた野武士の小競り合いや、タタラ場の描写が軍事要塞のようであるのも戦乱の時代を表している。
監督の宮崎駿はこの時代を古代と近代の転換期だと位置付けている。

古代の代表的なものが作品に現れるシャーマニズムだろう。アシタカの村ではのヒコ様と呼ばれるが占いによってアシタカの今後を左右する。
アシタカの村について少し詳しく述べると、500年前に朝廷との争いに破れた蝦夷(エミシ)の一族であるという。歴史的にそのような事実はないが、古代の中央政府は天皇の権威を高めるために、北方の住人達を異民族として差別してきた歴史はあるそうだ。アシタカが自らの出自を「東と北の間より。それ以上は言えない」としたのも、被差別民であったからではないか?
ちなみにアシタカの故郷では自給自足の生活をし、貨幣経済は存在しない。町で米の代金を砂金で払おうとしたことからそれがわかる。ここからもアシタカの村が近代とは程遠い所に位置付いていることが示されている。

対してエボシは近代を象徴する存在だ。合理性を追求し、自然をその支配下に収めようとしている。後述するが、彼女が作り上げたタタラ場という場所が既に歴史から途切れた人工的な場所でもある。
エボシについて、強力なカリスマ性とリーダーシップを持って村を率い、自ら前線に立って戦う強い女性という意味では『もののけ姫』の公開から25年が経った今こそ再考してみたいキャラクターでもある。

エボシ御前の過去

このエボシ御前というキャラクターには本編では明かされない過去がある。倭寇(13~16世紀の朝鮮・中国地方の海賊)の頭の妻にされるも、次第に組織を支配するようになったのち、頭を自らの手で殺し、明の兵器を日本に持ち帰ってきたという衝撃的なものだ。また、戦闘においても傷ついた兵士を平気で見殺しにする冷酷さを持っている。

その反面、篤い情も持ち合わせているのがエボシという人間の深みでもある。エボシは敵役ではあるものの、悪人ではない。タタラ場で働く女たちはもともと遊女、もしくは遊女になる予定の女だったとされている。
つまり、土着の人間はタタラ場にはおらず、タタラ場はエボシ達によって集められた人々で構成された村でもある。また、タタラ場には子供がいないことからもまだ若い村だということがわかる(詳しくはコラム『室町という「近代」ー なぜタタラ場には子供がいないのか?』を参照してほしい)。
「エボシ様と来たら、売られた女を見るとみんな買いとっちまうんでさぁ」
タタラ場の男はそう言う。そんな女たちにとって、タタラ場の生活は「キツイけれど下界よりはずっとマシ」「男が威張らないし」「ご飯が一杯食べられる」女たちは口々にそうタタラ場の生活を評する。
また、エボシの情の深さを示すとして、被差別者へ救いの手を差しのべていることもあるだろう。

ハンセン病患者の庭

アシタカはエボシに招かれ、彼女の秘密の庭へと導かれる。そこはタタラ場の者たちが誰も恐れて近づかない場所でもあった。不治の病に置かされた者達がエボシと共に暮らしていたからだ。
タタラ場は山を切り崩し、自然を破壊しながら鋳鉄を行っている。エボシはナゴの守の体内に入っていた礫が自分が放ったと告白する。アシタカはエボシに怒りを覚える。その怒りに反応して、彼の呪われた右腕は剣へ手を伸ばし、エボシを殺そうとする。
「その右手は私を殺そうとしているのか」
「呪いが解けるものなら私もそうしよう、だがこの右腕、それだけでは止まらぬ」
「ここにいる全ての者達を殺すまで鎮まらぬか!」
その時に寝たきりの老人が声をかける。
「どうかその人を殺さないでくれ、その人は私たちを人間として扱ってくれた唯一の人だ。私の腐った肉を洗い、包帯を巻いてくれた。」
全身を包帯に覆われ、息も絶え絶えに老人はアシタカに訴える。

彼らは業病によって呪われた人々だ。業病とはハンセン病のことではないかと言われている。ハンセン病は不治の病であり、当時の医学では治すことのできない奇病でもあった。実際にハンセン病患者の歴史は差別の歴史と言ってもいい。戦後に至って、ハンセン病が治療できる病になってもなおハンセン病患者は強制隔離され、その家族は周囲からの差別にさらされ続けた。

エボシ御前自身の出自について、歴史学者の網野義彦氏は著書『歴史に出会う』の中でエボシの衣装に着目し、そこからエボシもまたかつては遊女ではあったのではないかとの説を唱えている。
同著の中では『もののけ姫』に関して、宮崎駿との対談も納められているが、その中で宮崎駿はエボシというキャラクターを立鳥帽子(たてえぼし)から思い付いたと述べている。
立鳥帽子は東北地方の女盗賊であり悪路王を倒した女性だ。まさに豪放なエボシのイメージそのものだ。
宮崎駿はエボシを20世紀の理想の人物だと述べている。「目的と手段を使い分けて非常にヤバイこともするけれども、どこかで理想は失っていない。挫折に強くて何度も立ち直ってというね、そんな風に勝手に僕は想像したんです。」
網野義彦氏はそんなエボシが作り上げたタタラ場を歴史と切り離された人為的なアジール(聖域)だと考察している。

網野氏の歴史観観と『もののけ姫』の時代考証

網野善彦氏の歴史観はそれまでの農民中心で捉えられてきた日本史に疑問を投げ掛け、中世日本には様々な職能民がいたとするもの。
それに呼応するように、『もののけ姫』における宮崎駿の狙いのひとつも、従来の時代劇の常識に縛られず、歴史の表舞台に顔を出さない、多様な職能民を自由に描くことにあった。
宮崎駿は貧しい農民と武士が歴史の中心になるのは時代劇の影響が大きく、事実ではないと語っている。
「侍と農民だけの支配と被支配という、そういった歴史観だけで映画を作ることが我慢ならなかった」
『もののけ姫』についてのインタビューで宮崎駿はそう述べている。

網野義彦氏の著書である『日本の歴史』に詳しいのだが、現代では社会の最下層として位置付けて語られることの多い「非人」という身分についても、ただ被差別民というだけではなく、神に関わる仕事をするアウトサイダーとして畏れられる存在だった。

先に述べたように『もののけ姫』では、ほとんど農民と呼ばれる登場人物が登場しない。アシタカと知り合ったジコ坊もそうだ。ジコ坊は僧侶ではあるが、実際は物事を影から操るフィクサーのような存在であり、朝廷(天皇)からエボシ宛に手紙を届けたり、またエボシに戦力である石火矢衆を手配したりと、飄々とした性格の裏で暗躍するしたたかさを併せ持つ。
怪僧とも言えるこのジコ坊だが、まさにアウトサイダーを象徴するような存在でもある。
他にも、タタラ場の女、トキの夫であるコウロクの職業は牛飼い。網野史観でいえば、牛飼いもまた社会のアウトサイダーと言える職業である。
タタラ場は女尊男卑かのような社会だが、実際に当時の女性はもっとおおらかで自由だったと宮崎駿は主張している。
ちなみにアシタカがたたらを踏む際に胸元を隠そうとする仕草の女性がいたが、実際に女性の胸を性的なものとして認識するのはこれよりずっとあとの時代のことであり、これについては現代人である観客への配慮とも言えるだろう。

なぜ朝廷はシシ神の首を欲したのか

『もののけ姫』の大きな謎のひとつがなぜ朝廷はシシ神の首を欲したのかということだ。アシタカの村の男は朝廷についてこう述べている。
「大和の王の刀も折れたと聞く」
つまりは朝廷の権力が弱くなったということだ。鎌倉時代以降、武士が政治を執り行うようになったことを考えれば当然だろう。武士も朝廷も権力が弱体化した『もののけ姫』の舞台で、朝廷は自然を支配することで より多くの権力を手にしようとしたのだろう。

現代人としてのサンとアシタカ

宮崎駿は『もののけ姫』で描かれる室町時代について、産業的に大きな飛躍があったと述べている。それによって人間は無思想で理想のない行動をするようになったと言う。どういうことだろうか。
監督の言葉をもう少し追うと、「人間の善なる部分を推し進めた人間自らが自然を破壊するという不幸」だという。それが近代以降の人間の業ということなのだろう。縄文時代は人と自然は共存していた。だが、弥生時代になると人間は自然を利用し、支配するようになる。平安時代には既に木材の輸出なども行われていたようだ。

自然との対立を象徴するキャラクターが「もののけ姫」であるサンだ。宮崎駿監督によると、サンは森の代表者ではなく、人間が自然に対して行う行為への怒りと憎しみを表したキャラクターだと言う。
サンの身につけるお面には独特の模様がある。これは縄文時代の模様に類似しており、彼女もまた自然と共に生きる人間であることを示唆している。
サンは山神であるモロの君の娘として育てられた人間の子供だ。その出自は森を犯した人間がモロに差し出した生け贄である。モロはサンについて「森を犯した人間が我が牙を逃れるために投げてよこした子」と述べている。そして「人間でもなく、山犬にもなり切れない、哀れで醜い、かわいい我が娘」とも。
サンは自分が人間ではなく山犬だと信じていたいが、彼女自身はどうしようもなく人間なのだ。最も憎むべき人間と同じという、変えることのできない出自にサンは苦しむ。

古代と近代の転換期で、アシタカは幾重にも入り組んだ争いと憎しみのなかで葛藤する。
宮崎駿はサンとアシタカを「現代人」とも呼んでいる。
サンは人間の行為を憎み、醜さを呪う。それもまた今の人々が人間そのものの在り方に思うことのひとつだろう。

1997年の日本

現代人というのはとても重要なキーワードだ。『もののけ姫』公開当時の日本はどんな時代だったのだろうか。
宮崎駿監督はアシタカに「今の日本の若者の姿」を投影させたと述べている。
それは理不尽に降りかかる時代による苦難を一身に引き受けなければならないという点で共通している。

アシタカの村をエボシによって殺されたナゴの守が襲うのは全くの不条理だ。
言わばハズレクジを引いたようなものだが、1997年当時の若者もまた生まれた時代が「ハズレ」だと感じていたのではないか?

次に『もののけ姫』と1997年当時の日本の状況を見ておきたい。
まず思い浮かぶのはバブル崩壊による不況の波だ。バブルの恩恵にはあずかれず、不況の波だけを被ることになったのもやはり若者だっただろう。
オウム心理教や少年犯罪も目立っていた。その中心にあったのは心の空虚ではなかったか。

自身もオウム心理教に殺害未遂された経験をもつ漫画家の小林よしのり氏は高学歴の若者がオウムに入信した心理を「心の疚しさ」だと言っていた。世界の不幸を救えず、なのに満ちた生活をしている自分に疚しさを感じたその純粋さこそが、若者をオウムに駆り立てたと述べている。
社会学者の大沢真幸氏は1990年代の日本を夢や希望をシニカルに語ることすらできない「虚構の時代」だと語っている。オウム事件も少年犯罪もそのことと無関係ではないという。

『もののけ姫』の鈴木敏夫プロデューサーは、「生きろ。」という本作のキャッチコピーに関して、バブルの崩壊や阪神淡路大震災、オウム事件などを例に挙げて、そんな世相のなかでこそ、より「生きろ。」というコピーの強さが際立つとも述べている。

宮崎駿は『もののけ姫』は10代の若者に向けて作った映画だという。「どうして生きなきゃいけないんだ」  そう感じている子供たちのために作ったのだと。
なぜ生きることを問い直すのか。少し個人的な意見も混ぜてみたい。その根源は生まれた理由を持たないからだと思う。
「生きたい」「生まれたい」生を選択するその前に生は既に選ばれた状態であるからだ。しかし、現代において正しい生き方を誰も示すことができないでいるのではないか。もはや経済的豊かさが絶対的な価値ではない。その為にどれだけの負担を自然に与えたか、もしくは自ら傷ついてきたのか。
アシタカやサンの苦悩は今を生きる子供達の苦悩でもあるだろう。

『もののけ姫』の不完全さ

『もののけ姫』は不完全さがある。その事が作品全体の魅力を高め、それまでのジブリ映画とは数段違う高みに至っている。
それは誰もが善と悪の両面を持っているからだ。エボシは先述の通りだが、彼女を慕うタタラ場の人々さえも、サンを皆で囃し立て殺そうとする。
アシタカもそのような人間の二面性を受け入れつつも、なんとか理想の結果を実現させようともがく。

宮崎駿は当初『もののけ姫』というタイトルを『アシタカせっ記』に変更したかったという。せっ記というのは宮崎駿の造語で、耳から耳へと伝えられた物語のことだそうだ。さらに言えば『アシタカせっ記』はアシタカの故郷の村で語り継がれたアシタカの伝説でもある。
自然と人間の争いを止めようとしたアシタカの生き様は耳から耳へとはるか遠くの故郷まで聞こえてくる程だったのだ。

だが、そんなアシタカも完璧な人間ではない。婚約者であったカヤからもらった玉の小刀をサンにプレゼントしてしまうのはその象徴だろう。
サンを演じた石田ゆり子はアシタカのこの行動について宮崎駿へ問い質したそうだが、宮崎駿いわく「男なんてそんなもん」とのことで、アシタカの中にも不完全さはあるのだ。

不完全さということで言えば、ものがたりそのものもそうだ。一旦すべてがリセットされたかのように見えるが、実際には対立が終わったわけではない。
タタラ場はこれからも森を切っていかねばならないだろうし、侍達との戦も終わったわけではない。
『もののけ姫』の 最後にアシタカはサンにこう言う。「サンは森で、私はタタラ場で、共に生きよう。会いに行くよ、ヤックルに乗って」
宮崎駿監督はアシタカの受難は今後も続くと述べている。人間と自然との板挟みの苦労が絶えないということなのだろう。
それでも、この不完全さこそが『もののけ姫』の強さだと思う。もはやありきたりの勧善懲悪や善悪の二元論では響かないほどに複雑なのが今の時代なのだから。そして、現実世界もそう簡単に何もかも綺麗なハッピーエンドで幕を引けるわけでない。

モロの君を演じた美輪明宏は『もののけ姫』についてこう述べている。
「手抜きのインチキな文化が横行する中でこの作品は本物の映画だと思う」

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BLACK MARIA NEVER SLEEPS.

映画から「時代」と「今」を考察する
「映画」と一口に言っても、そのテーマは多岐にわたる。
そしてそれ以上に観客の受け取り方は無限大だ。 エジソンが世界最初の映画スタジオ、通称「ブラック・マリア」を作った時からそれは変わらないだろう。
映画は決して眠らずに「時代」と「今」を常に映し出している。

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