都市伝説ではない『となりのトトロ』の本当の意味を考察

※以下の考察・解説には映画のネタバレが含まれています


『となりのトトロ』には少し不気味な都市伝説がある。改めて紹介する必要もないと思うが、有名なものでいうと、

・サツキとメイはメイが行方不明になったあたりで既に死んでいる(二人に影がないため)
・トトロは 死神であり、トトロが見えた人は死期が近い
・お母さんが入院している病院のモデルは末期の結核患者を収容する病院で、お母さんにも死が迫っている
・『となりのトトロ』の物語はお父さんが死んだ我が子を想って書いた小説

『となりのトトロ』の抜群の知名度と、そのほのぼのとしたファンタジックな物語とは正反対の、むしろホラーとも言える内容だからこそ、これほど都市伝説として有名になったのだろう。
だが、今回はこれらの都市伝説について話したいわけではない。

むしろ、これらの都市伝説が一人歩きしたことで、本来の『となりのトトロ』に込められた想いが覆い隠されているようにも思う。私自身、都市伝説の類いは好きではあるが、やはりその時代や世相を反映したもっともらしいジョークとして受け取るのがちょうどいいのではと感じる。
ちなみに『となりのトトロ』に関するこれらの都市伝説には明確に反証できる。まず、サツキとメイが死んだということについて、二人に影がないのは日が暮れたからで、よく見ると二人以外よ人物にも影はつけられていない。他の都市伝説についても『となりのトトロ』のエンディングを見れば一目瞭然だろう。お母さんは無事に家に帰って、サツキやメイと暮らしている。彼女たちの服装を見れば、秋の装いに変わっており劇中から時間が経過していることも明らかだ。もちろん、トトロも死神ではない。

では、『となりのトトロ』には何が込められているのか。これを今回は考察していきたい。

『となりのトトロ』

『となりのトトロ』は1988年に公開された宮崎駿監督のアニメ映画だ。声の出演は務めている。
さて、この『となりのトトロ』だが、その製作発表の記者会見の際に、宮崎駿は『となりのトトロ』が目指すものは「幸せな心暖まる映画」と述べている。また、実際の製作現場においても「楽しい作品をは楽しく作る」ことが徹底されていたという。詳しくは当時の製作スタッフだった木原浩勝氏の著書『ふたりのトトロ―宮崎駿と『となりのトトロ』の時代―』に書かれているのだが、社外メッセージではなく、取り繕う必要のない社内においても楽しい映画だということが徹底されていたのは、それが『となりのトトロ』の根本の部分だったからだと思う。
『ふたりのトトロ』では前作である『天空の城ラピュタ』の製作中は宮崎駿が怒鳴ったり、不機嫌であったり、タバコの本数も凄かったことが述べられているが、『となりのトトロ』では一切そのようなことがなく、切羽詰まったスケジュールの中でも常に笑いの絶えない製作だったという。それは曰く、動画スタッフに女性が多く、宮崎駿監督の配慮もあったのだろうということ、またプロデューサーの鈴木敏夫氏は著書『仕事道楽 スタジオジブリの現場』の中で『火垂るの墓』との二本立てだったので、売上のプレッシャーから解放されていたのではないかと述べている。
『となりのトトロ』がその物語同様、いかに良い環境で作られていたかということだ。「楽しい作品を楽しく作る」。ここからも冒頭の都市伝説が入り込む余地はない。

『となりのトトロ』と『ミツバチのささやき』

もうひとつ関連して解説しておきたい部分がある。『となりのトトロ』は1973年に公開されたスペイン映画『みつはちのささやき』がベースになっているというものだ。確か私がこの話に触れたのは青井汎氏の著書『宮崎アニメの暗号』だ。そしてその後ネット上には同様の考察を書いたサイトも多くあることに気がついた。
確かに『宮崎アニメの暗号』にあるように『ミツバチのささやき』と『となりのトトロ』には共通点も多い。主人公が田舎に住む二人の姉妹であり、妹が異形のものと邂逅するという大まかなプロットは確かに似ている。
だが、『ミツバチのささやき』は『となりのトトロ』そのものの下敷きになっているわけではないと思う。宮崎駿の著書(というかインタビュー集)の『風の帰る場所 ナウシカから千尋までの軌跡』の中でも触れられているが、宮崎駿は1990年のインタビューで『ミツバチのささやき』についてすごい映画とは思ったものの、後半しか観ていないとも述べている(この事は『宮崎アニメの暗号』でも言及されている)。確かに『ミツバチのささやき』を参考にしたのかもしれないが、下敷きとまでは云えないのは確かだろう。

『となりのトトロ』の着想とあらすじ

そもそも『となりのトトロ』の着想は映画公開の13年前、1975年にまでさかのぼる。当時ていた『アルプスの少女ハイジ』の終了後に書かれた三枚のイメージボードが『となりのトトロ』の元になった。この時点でメイとトトロ、ネコバスは描かれている。その時は『となりのトトロ』は絵本としてまとめるという構想があったそうだ。次は1979年、『ルパン三世 カリオストロの城』の後にスクラップブックに描かれたものだ。トトロは大トトロ、中トトロ、小トトロもそれぞれ描かれている。この時点ではテレビスペシャルのアニメを想定していたという。
ちなみに元々は「人間とトトロ族の戦いを描いた作品だった」との押井守、鈴木敏夫の発言があるらしいが、本当だとしたら興味深い。
そして、次に『火垂るの墓』と二本立てとして上映される作品として『となりのトトロ』は企画される。元々は60分程度の作品となる予定だったが、それでは単独での頴娃が公開は難しいことから『火垂るの墓』との二本立てとなったらしい。

この時、スタジオジブリはまだ『天空の城ラピュタ』を製作したばかりの新鋭の制作会社であり、正式な社員はおらず、作品ごとの契約となっていた。そんな中で同時に二本も製作せねばならないことによって、製作現場は大変だったという。ジブリが元々使っていたスタジオでは『火垂るの墓』が製作され、『となりのトトロ』は新しく借りたスタジオで製作された。
加えて『となりのトトロ』はまず冒頭の引っ越しの絵コンテが終わった時点で60分では収まりきれなくなった。同様に『火垂るの墓』の作品の時間も伸びていき、最終的にはどちらも90分の作品になっている。製作現場がいかに切迫していたかということを示すエピソードとして、『火垂るの墓』は上映までに着色が間に合わず、3カットのみ色の着いていない状態で上映されたという。
『となりのトトロ』では上映時間が長くなったことで姉のサツキが生まれた。元々は姉妹の話ではなく、メイだけの話として考えられていたそうだ。

サツキに関してはいくつか裏設定もある。サツキはショートカットの女の子だが、元々のデザイン案としてはロングの案もあったという。実はサツキは元々の髪はロングで、母親の入院と共に髪をショートにしたというのだ。家の中で母親代わりとして家事や妹の世話をするのに長い髪は邪魔だったということだ。劇中でこのショートカットに話が及ぶのは母が入院する病室に父とサツキ・メイら子供たちが面会にやってくる場面だ。素直に母親に甘えるメイに対して、サツキは姉という立場もあり、素直に甘えることができない。しかし、サツキと母の愛情を伝える場面として設定されたのが母がサツキの髪をとかす場面だ。
また、このサツキというキャラクターには宮崎駿自身の子供の頃も重ねられている。鈴木敏夫はサツキのキャラクターに「こんなにも完璧に何もかもこなしてしまう子がいるわけない」と違和感を感じたという。その事を宮崎駿に伝えると「俺がそうだった」との返事が帰ってきた。宮崎駿の母も病気がちで、男兄弟の次男だった宮崎駿もサツキのように家族の世話をしていたという。またサツキの母の病気は結核ではないかと言われているが、宮崎駿の母もまた結核で長いこと伏せっていた。ここからも『となりのトトロ』に対する宮崎駿の思いの強さが見てとれる。

『となりのトトロ』が目指したもの

ではここから本題に入っていこう。『となりのトトロ』で宮崎駿が目指したものは一体何だったのか。
再度製作発表会見時の宮崎駿が記した企画意図にはこうある。「中編アニメーション作品「となりのトトロ」の目指すものは、幸せな心暖まる映画です。楽しい、清々した心で家路をたどれる映画。恋人達はいとおしさを募らせ、親達はしみじみと子供時代を想い出し、子供達はトトロに会いたくて、神社の裏の探検や樹のぼりを始める、そんな映画をつくりたいのです」

サツキには宮崎駿自身の子供時代が投影されていると述べたが、『となりのトトロ』の時代設定も1953年であり、宮崎駿も当時はサツキと同じ12歳だった。だが、『となりのトトロ』の舞台は森林の生い茂る田舎であり、宮崎駿の暮らした都会とは異なっている。ここは現実の田舎ではなく(埼玉県の所沢市が場所のモチーフだと言われてはいるが)、理想としての田舎だろう。不快害虫もいなければ、半袖で藪のなかに入っていくなども実際にはあり得ないことだからだ。
だが、『となりのトトロ』は自然を守ろうというメッセージがあるわけではない。強いて言えば、自然への敬意だ。
トトロは精霊ではなく、れっきとした動物だが、彼らの姿は誰にでも見えるわけではなければ、誰でも会える訳でもない。トトロの住む領域は人間には届かない場所なのだ。自然を守るという言葉には自然をコントロールできるというニュアンスが含まれているが、実際にそんなことはできるはずがない。自然を守るというのは人間の傲慢さであろう。

1990年のインタビューで宮崎駿は自身の作品は全て子供のために作っていると発言している。
今回『となりのトトロ』を10年ぶりくらいに観返してみて驚いたことがある。作品のメッセージ性の希薄さだ。『もののけ姫』以降の宮崎駿監督作品は難解さやメッセージを帯びた作品が多い。
宮崎駿は『思ひ出ぽろぽろ』でそれまでのジブリ映画は極まったと述べている。つまり、届けたい世代それぞれに合わせた映画を作り終えたということだ。その次に公開された『紅の豚』はいわゆるモラトリアム期と呼べる作品であり、宮崎駿の個人的な嗜好が強く反映された作品になった。
これは私見だが『もののけ姫』以降の宮崎駿の作品はもしかしたら「現代人」に向けられたものではないかと思う。最新作である『君たちはどう生きるか』に至っては子供では到底理解できない作りになっている(大人でも完璧な理解は難しいだろう)。

話を戻そう。『となりのトトロ』はメッセージ性の希薄さによって、物語の純粋さが際立っている。
宮崎駿は自身の言う優れたエンターテインメントについて「間口が広いんだけどいつの間にか階段を上っているような作品」と述べている。観た人が少し元気になったり、気持ちが新鮮になるなど、作品を観たあとで少しでも良い方向に変われることを「階段を上る」と表現している。となれば、まさに『となりのトトロ』はそうだろう。
『となりのトトロ』が公開されて数年後、スタジオジブリにあるファンレターが届いたそうだ。そこには障害を抱えて言葉をしゃべれない4歳の息子が『となりのトトロ』を映画館で観てをとても気に入っていること、そしてビデオも繰り返しみていたら、それまで言葉を発したことのない息子が「カンタ」と初めて言葉を発し、その後も『となりのトトロ』のキャラクターの名前を発していったことが綴られていたそうだ。

最新情報をチェックしよう!
NO IMAGE

BLACK MARIA NEVER SLEEPS.

映画から「時代」と「今」を考察する
「映画」と一口に言っても、そのテーマは多岐にわたる。
そしてそれ以上に観客の受け取り方は無限大だ。 エジソンが世界最初の映画スタジオ、通称「ブラック・マリア」を作った時からそれは変わらないだろう。
映画は決して眠らずに「時代」と「今」を常に映し出している。

CTR IMG